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杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

おんな泣かせ発売30周年記念

2009-11-05 10:13:11 | 吟醸王国しずおか

 昨日(4日)夜、島田市の大井神社宮美殿で大村屋酒造場主催の『島田の食材と地酒を楽しむ会~おんな泣かせ発売30周年記念』が開かれ、『吟醸王国しずおか』の撮影にうかがいました。

 

 

Imgp1656  島田の食材とのコラボ企画、7年前からスタートし、春秋1回ずつの開催で、今回は15回目を迎えます。今まで着席パーティースタイルで90席程度の定員で、最初の頃は先着順に受け付けていたので受け付け開始数十分で満席になってしまい、途中から抽選制にしたほど。私も一度も参加できずじまい。それほど地元では人気の食文化イベントになっていたのでした。

 

 今回は、『おんな泣かせ』発売30周年記念のお祝いもかねるということで、立食形式にし、定員も180人に。私も撮影を口実に会場にもぐりこませてもらImgp1658 いました。

 

 

 

 

 

 料理は島田の食材にこだわっただけあって、『おんな泣かせ』や『若竹』を味わうのに最適なメニューがそろいました。

Imgp1650  島田市伊久美の山間で育つやまめの南蛮漬け島田産きゅうりと玄米味噌の磯の雪湯葉シーImgp1651 ト包み、島田の絹ごし豆腐&地鶏卵&椎茸&ぎんなんを使った南禅寺蒸しの3品は、宮美殿の料理長が、『おんな泣かせ』との食べ合わせをとくに吟味して作ったメニュー。

 

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 ほかに、静岡鶏の冷しゃぶ地場野菜添え、湯日産むかごの炒め物、豚肉の島田地味噌焼き、島田の木綿豆腐の揚げだし、桜エビ&とろろのピッツァわさびマヨネーズ添え、地場産きのこのてんぷら、牛すじ&大根&地鶏卵の大井川醤油煮、若竹ゼリーマンゴなどなど。

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 私は残念ながらレンズ越しに指をくわえて観るだけでしたが、30分もしないうちに料理がほとんどなくなっていたところを見ると、酒との相性はバッチ リだったようですね。

 

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 ご存知の方も多いと思いますが、『若竹』も『おんな泣かせ』も昭和50年代に、地元市民の力で生まれた銘酒です。

 島田市内にあった造り酒屋が相次いで廃業し、身内にも不幸が続き、弱気になっていた蔵元を、「江戸時代に島田宿で飲まれていた“鬼ころし”を復活させよう」と背を押したのが島田の名士「若竹会」の面々。昭和50年に『若竹鬼ころし』が、55年に『おんな泣かせ』が誕生しました。『おんな泣かせ』は、辛口の鬼ころしとは対照的な、ソフトでまろやかな酒質を目指して造ったもので、島田の芸妓さんに命名してもらったという逸話も。Imgp1646 浮世絵美人のラベルを見れば想像できますよね!

 

 

 『おんな泣かせ』は早春に仕込み、ひと夏熟成させ、10月末~11月初に限定出荷します。人気があっても出荷時期を早めたり生産本数をむやみに増やすことをしない品質本位の売り方を、30年前から徹底させたのです。この酒が生まれた背景を振り返り、「地元の皆さんが誇りに思ってくれるような酒にしていくためにも、品格は絶対に守りたい」と信念を貫く蔵元の潔さが伝わってきます。

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 今年は、昨日11月4日をもって発売開始となった『おんな泣かせ』。「おかげさまで30周年」「おんな泣かせ2009」の限定ラベルを見かけたら、ぜひ手にとっていただいて、地元の酒蔵があることの価値や有難味をじっくり味わってくださいね。


福岡出張その2~博多てくてく旅

2009-11-02 19:38:44 | ニュービジネス協議会

 10月30日(金)は帰りの飛行機が福岡発18:05だったので、日中は福岡市内をブラブラ歩きしました。

 

 前夜、書店で見つけたガイドマップを参考に、最初に向かったのは生(いき)Imgp1591 の松原。玄界灘を望む白砂青松の海岸で、朝の散歩に最適だと考えたのでした。またここは歴史ファンとしても見逃せないポイント。鎌倉時代に元の襲来を受けた際、博多湾に沿って約20キロメートルも築いたとされる防塁跡(復元)があります。

 日本を攻めたのは当時中国を支配していたモンゴル族の王朝・元の皇帝フビライ・カーン。当時、マルコポーロがシルクロードを通ってやってきて、フビライに可愛がられたんですよね。日本を黄金の国ジパングとか言って。10代のころ、ちょうどNHKで『シルクロード』と、マルコポーロのアニメをやっていて、このあたりの歴史や世界観に魅了され、いろんな本を読み漁ったっけ・・・。

 

 10代の頃の、セーラー服を着ていた純情可憐な文学少女(笑)の自分を思い出し、頭の中でいろんな空想や妄想をめぐらせていた歴史の舞台に、40代半ばを過ぎて初めて訪ねるというのは、それなりに感慨深いものもありましたが、今とは比べ物にならないほど、スポンジみたいにいろんなものを吸収し、頭を柔軟に働かせていたセーラー服当時の自分に、嫉妬感さえ湧いてきます。元寇のような理不尽な侵攻には、当然、防塁が必要ですが、自分自身の内側に障壁を作ってしまっては、脳や肉体の細胞は凝り固まってしまいますね。・・・朝のジョギングや犬の散歩をする通りすがりの住民から「おはようございます」と声をかけられ、あ…今のワタシ、自分で壁を作っていたと気付かされました。黒づくめのビジネスパンツスーツに革靴&ビジネスカバン姿だったので、無意識に自分でヨソモン意識に嵌っていたようです。

Imgp1602   ・・・復元とはいえ元寇防塁跡の前に立つと、ここはただの海岸じゃない、鎌倉武士とモンゴル族が戦った800年前の古戦場なんだ、30年前に自分が夢中になって読んだ物語の正真正銘の舞台なんだとじわじわ迫ってきます。ちょっと息苦しくなって、きれいに整備された海岸の岩場に腰をおろし、スーツの上着を脱いで背伸びをし、目の前に浮かぶ能古島や糸島半島をボーっと眺め、しばし休息。

 

 

 

 朝の潮風を気持ちよく浴びたあと、海岸に沿って続く唐津街道に出て東に向かいました。唐津街道というのは邪馬台国の時代から人々が往来し、秀吉が朝鮮侵攻したときも多くの武将が通り、幕末には高杉晋作や西郷隆盛も歩いた歴史ファンには見逃せない街道です。地図好きの私としてはじっくり歩いてみたい道の一つでしたが、今回初めて歩いてみて、国道1号線と併用された東海道みたいに、歩きにくい自動車道と車じゃ通りにくい生活道路が混在することがわかり、時代は変われども人々に必要とされる大事な道なんだと実感しました。

 

 とりあえず、生の松原の入口だったJR下山門駅から、2駅東の地下鉄室見駅まで歩こうと、街道てくてく旅をスタート。・・・時計を見ると10時30分でしたが、朝、コーヒーと野菜ジュースしか胃に入れていなかったのでお腹がグー。トイレにも行きたくなり、ちょうど通りにあった24時間営業の博多ラーメン『一蘭』というお店に入りました。入ってみたらビックリ。カウンターが一席ずつ、選挙の投票所みたいに仕切られていて、目の前のカウンターにも仕切りがあって、店員さんの顔が見えない・・・。投票アンケートみたいなオーダー紙に麺の硬さ、こってり度、ネギの量、チャーシューの有無などを記入し、呼び出しボタンを押して紙を差し出します。

 初めての客にはスタンダードがわからないから書きようがないじゃんと戸惑いつつも、こってり度=超こってりとか、麺の硬さ=超やわ、なんて選んだらどんなラーメンが出てくるのか想像すると面白くなってきます。なんでも“世界初の味集中カウンター方式”で、周囲の雰囲気に一切邪魔されずに、ラーメン1杯に集中してもらうためだそうです。

 店主と会話を楽しんだり、他のお客さんをウォッチングするのが好きな私にはとても落ち着けない作りですが、これはこれでラーメン好きの支持があるんでしょうね・・・。味のほうは、オーダー用紙の項目ほとんどを「基本」でオーダーしたせいか、わりとフツウでした(苦笑)。

 

 

 

 唐津街道を東へ進むと、ありました、やっぱり歴史街道だけあっImgp1607て古いお寺や神社が。

 まずは、元と戦った時の執権・北条時宗が創建した興徳寺。禅僧としては初めて国師の称号をいただいた大応国師が開山。庭をぐるっと観ただけで、本堂には入れなかったけど、禅宗らしい落ち着いたたたずまいでした。

 

 

 次いで、天平時代に創建されたという住吉神社。海運厄除け、海上安全、交通安全、厄除け、安産、商売繁盛のご利益があります。4年前の福岡西方沖地震の際、大きな被害を受けImgp1610たそうですが、地震発生の1ヶ月後に宮司が『クイズ・ミリオネラ』に出演して全問正解を果たし、1000万円の賞金を修復に充てたのです。縁起のよさを自ら証明して見せたわけですね…!

 

 

 

 姪浜宿に続く商店街を進むと、右側に蔵造りの味噌屋さんを発見。ちょうど冷蔵庫の味噌が切れかかっていたから買ってこ、と何気なく入ったら、奥に古Imgp1611 い木樽が見え、おくさんに「醸造元ですか?」と訊いたら、「主人が亡くなって、今残っている味噌を売りきったら廃業するんですよ」とのこと。もったいないなぁ、とつぶやいたら、「奥を見ますか?昔は造り酒屋だったんですよ」とおくさん。ありゃりゃ、私ってどーしてこうもカンタンに酒にお呼ばれしちゃうんだろうと苦笑いしながら、仕込み蔵の中を案内してもらいました。

 

 聞けば、この姪浜一帯は屋根瓦の町屋が軒を連ね、ここマイヅル味噌は数少ない蔵造りの町家。国の登録有形文化財に指定されたそうです。今ではパン職人の息子さんが一角でパン屋を営み、蔵ではコンサートやギャラリートーImgp1615 ク等が開かれるなど、町の寄り合い場になっているとか。来る11月14日~21日には、『博多っ子純情』でおなじみ漫画家の長谷川法世さんの作品展が開かれ、14日14時からはトークショーも予定されています。…私は行けそうにありませんが、もしこの時期福岡へ行く予定がある方は、ぜひ立ち寄ってみてくださいね!(問い合わせ=唐津街道姪浜まちづくり協議会・大塚さんottu-masa@iwk.bbiq.jp マイヅル味噌・白水さん TEL092-881-0413)

 

 

 

 地下鉄空港線・姪浜駅の次の室見駅まで歩いていくうちに、(革靴のせいか)早くも足が疲れ、天神・博多駅方面行きのバスが通りかかったので飛び乗ってしまいました。

 

 

 博多どんたくや祇園山笠ゆかりの櫛田神社を見てみようと、運転手さんに聞いて最寄りのバス停・博多中洲川端で降りたら、目の前にアジア美術館が。同じビルの1階でプロの写真家たち13名の森づくりメッセージ&チャリティー写真展“TOUCH WOOD”の看板を見つけ、立ち寄りました。思いがけず、広告写真の第一人者・広川泰士さんやフォトジャーナリスト森住卓さんの作品に出会い、すごーく得した気分になりました。

 

 

 

 昭和の雰囲気が残るアーケード街の川端商店街を進み、昔ながらのフルーImgp1622 ツ&八百屋店で店頭売りしていた手作りミックスジュースで喉をうるおし、櫛田神社へ。ちょうど観光ツアーのおばさま一行とかちあって、境内は大賑わいでした。その隣の町家を改装した物産館『博多町家ふるさと館』ものぞいてみましたが、入館有料と聞いてパス(苦笑)。歩いて数分のところにある、ショッピングモール『キャナルシティ博多』をのぞいてみました。

 

 

 ちょっと前、夕方の情報番組でキャナルシティ博多のラーメンスタジアムを観たことがあり、『初代だるま』という有名店を紹介していたので、『一蘭』とどう違うのか試してみようと思ったら、『初代だるま』だけ大行列。並ぼうかどうか迷っているうちに、フロア一帯に立ち込める獣臭のような匂いが耐えられなくなり、引き上げてしまいました。いろんな店のスープだしの匂いがミックスしたような、バックヤードから漂ってくるような匂いがなんとも・・・。以前、台湾の屋台街でも同じような匂いにやられたことがあります。とんこつスープは嫌いじゃありませんが・・・。

 

 

 

 キャナルシティ博多では結局、足揉み店に入って30分の昼寝をしただけで、大通りに出て、『かろのうろん』という老舗っぽいうどん屋さんに入って、胃に優しそうな卵とじうどんをいただきました。このうどん、麺もしこしこ歯ごたえのある手打ちで、スープは上品な昆布だし。全部飲み干したくなるほどの美味しさ! やっぱり日本人のだしはかつお&昆布に限る!と納得したのでした。

 

 

 

 疲労回復したところで、ふたたびてくてく歩きをし、博多駅近くの承天禅寺を訪ねました。静岡―福岡線利用者なら一度は訪ねておきたい、静岡市出身の聖一国師が開いた禅寺です。

Imgp1629  京都のように拝観料を払えば誰でも見られるシステムではなく、基本的には檀家さんしか中に入れないみたいですが、「静岡から来た」といえば入れてくれるかも、と半ば強引に寺務所を訪ねたら、「どうぞおまいりください」とあっさり。本堂前に広がる枯山水の石庭にしばし見入りました。

 時折、檀家さんらしい人が墓地のほうへ行き交うのが見えるぐらいで、駅前とは思えない静けさ。博多という町には、鎌倉武士に支持された禅宗文化が息づいていることをしかと確認できました。

 

 

 

 てくてく歩きのフィニッシュは、やっぱり酒蔵。承天禅寺かImgp1630ら歩いて10分ほど、福岡市内唯一の造り酒屋・石蔵酒造を訪ねました。街中の酒蔵らしく、完全に観光蔵になっていて、静岡でいえば浜松の天神蔵(浜松酒造)のように、 蔵造りを活かしたショップやレストランが整備されていました。銘柄は『如水』。吟醸、純米、原酒、しぼりたて、梅酒、甘酒の6種が店頭で試飲できます。全部試飲しようと意気込んだはいいけど、途中で「やば、静岡に着いたら空港から運転して帰らなきゃならなかったんだ」と気づき、ごっくん飲み干すのは甘酒だけで我慢しました(苦笑)。

 

 

Imgp1633  博多駅に戻り、地下鉄に乗って空港へ。駅のプラットホームでJALの静岡便広告を見つけました。…これで見おさめかも、と思い、記念に1枚パチリ。

 

 

 

 17時すぎに福岡空港へ着き、搭乗ゲートが開くまで展望室で飛行機の離発着をぼんやり眺めました。夕陽が落ちるマジックアワーの瞬間、飛び立つ飛行機の雄姿は絵画のように美しく、滑走路という舞台で着陸機と主役の座を交互に入れ替える構図は、機能的でもあり、人間的でもありました。

 

Imgp1639  

 

 搭乗機は滑走路から直接乗り込むスタイルで、機体のすぐそばから乗れるとあって、さかんにカメラのシャッターを切る観光客がいます。福岡でJALに乗って静岡へ帰るのはこれが最初で最後になるかも、と思うと、私も記念に1枚。・・・満席の機内には観光ツアーのおじさま&おばさまたちがハバを利かせていましたが、景気が上向かずビジネスユースが期待できないうちは、こういう中高年の観光客こそ搭乗率UPの要だ、大事にせねば、と、なんだか空港職員みたいな気分になりました(苦笑)。

 


福岡出張その1~新産業創出全国フォーラム

2009-11-01 12:26:50 | NPO

 10月29日~30日と福岡で開催された『新産業創出全国フォーラムIN福岡(日本ニュービジネス協議会連合会全国会員大会)』に参加しました。

 富士山静岡空港を利用するのは3度目。取材を含めると開港5ヶ月で5回も来ています。しかもJALが静岡空港撤退を知事あてに文書で通達してきた日に、搭乗率保証問題でガタガタしていた福岡便に搭乗です。行きは9割、帰りはほぼ満席状態。しかも着陸後は客室乗務員から「弊社は皆様にご心配をおかけしておりますが、従業員一同再生に向かって努力しておりますので、今後ともよろしくお願いいたします」のアナウンスつき。…なんとも皮肉なフライトでした。

 

 福岡は、子どもの頃の家族旅行や修学旅行を含めると6~7回来ていますが、今回は静岡の自宅を7時に出て、博多の中心天神には11時に着きましたから、劇的に「近くなった~!」と実感です。昼前にフォーラム会場のソラリア西鉄ホテルに着いて、静岡から参加の㈱エスジー鈴木荘大社長、ニュービジImgp1569 ネス協議会の末永和代事務局長、事務員の渡邊さんと、静岡県の紹介ブースを作り、午後12時45分から始まったフォーラムを取材しました。

 

 

 ニッポン新事業創出大賞の表彰式では、起業支援部門でNPO法人SOHO・アット・しずおかの坂本光司理事長が経産大臣賞を受賞されました。

 私は同法人には直接かかわりはなく、詳しくはわかりませんが、学生と企業をつないでインターン経験をさせたり起業教育をする活動をしているようです。以前、同法人から「取材や編集の仕事をしたい学生がいるから弟子入りさせて」と頼まれ、自分はそんな身分じゃないからと知り合いのエディターを紹介したことがありました。自分が学生の頃は、大学の先生がこんなに親身に就職のことを心配してくれたり、外部にこういう支援団体があるなんて想像もできませんでしたが、こういう支援活動が大臣賞に値するということは、それだけ今の学生たちの職業選択や就職活動の難しさを証明しているわけですね。

 

 

 続いて特別講演会はトヨタ自動車㈱張富士夫会長の登場です。

 この10年間、年に40~50万台増という右肩上がりの時代が続いたものの、「内心、早く踊り場が来ないかなと心配だった」という張会長。売れてるときって量のプレッシャーに追われるので、「カイゼン」を考える時間がもてないからだそうです。1年前のリーマンショック以降、3~3.5割ほどストンと落ち、今年4月ぐらいまで低迷が続き、「大変だけど、とんでもなく右肩上がりが続いたので、改善する余地がたっぷりあって、今は社内で“大掃除”している」状態。「問題が生じたらラインを止める」「元に戻って設備と品質の改善点を考える」「ラインを止めて問題点を洗い出した後は、10人で100個出来る部品を、8人で100個出来るように知恵を絞る」のがトヨタの生産方式であり、自分が部下にそれを厳命できるのは、自分もかつて上司からそう鍛えられてきたからと語ります。

 

 

 米国ケンタッキーにトヨタが100%自前の生産工場を初めて作った時、現場を任された張会長は、日米の習慣の違いに戸惑いました。米国自動車メーカーの組み立て工場ではパーツごとに担当が分かれて、Aの部品担当者が早く終わっても、Bの担当を手伝うことはできない。一方、トヨタは製造工と保全工の2種類しか分けず、一人の工員にかかる責任が大きい。それでも最初に採用した3000人のアメリカ人は、「Aさんが60秒で5つ組み立てたものをBさんが50秒で出来たら、Bさんの給料が上がるのは当たり前」という合理的な説明に納得し、カムリを扱うディーラーから「アメリカ人が作ったカムリじゃ売れない、日本製じゃなきゃ」と言われたのに発奮し、1年後にはケンタッキー工場が全米ナンバーワンの優良工場になったそうです。

 

 

 「一人の工員をじっくり育てる日本的な人材育成文化は高く評価されましたが、不況の時に人員調整しにくいのが難点。昨年秋以降は仕事のない社員を万人も抱えてしまったが、強引なリストラはせず、社員には割増退職金付きの自主退職か、残るならワークシェアリングを、とお願いした」と張会長。海外に進出するというのは、その土地に2階建ての家を建てるようなもので、地面は人間として万国共通の価値観、1階はその国の文化や風習、2階に自社の企業風土やビジネス習慣を備え付ける。2階部分は「変えようと思えば変えられる。それがトヨタの生産方式であり人材育成です」と明快に語ります。

 …特別、スゴい話ではなく、企業経営者としての経験を淡々と語る張会長ですが、トヨタの会長さんが「当たり前のことを粛々とやっている」ことにスゴさがあるんですね、きっと。

 

 

Imgp1587  続いてのシンポジウム「農商工連携による新事業創出への挑戦」では、地域限定の焼酎や生キャラメルの企画販売で地域資源の付加価値を高める㈱ルネサンス・プロジェクトの中村哲哉さん、呼子のイカを東京銀座まで活きたまま直送するシステムを考案して話題になった玄海活魚㈱の古賀和裕さん、大学との産学連携で新種トルコキキョウの開発育成も手掛ける有機肥料メーカー日本有機㈱の野口愛子さんがそれぞれの事業のポイントを解説。どれも興味深いお話でしたが、実際に映画『朝鮮通信使』のロケで訪ねたこともある唐津市呼子のイカにそそられていた私は、古賀さんのお話に聞き入りました。

 

 イカを活け造りで味わうには獲ってから2時間以内といわれ、活け造りで食べられるのは漁獲量の25%。呼子のイカのブランド力を高めるには活け造りのおいしさをなんとか大消費地―東京に知らしめたい。しかも東京の市場ではなくお客さんの口に入るまでいかにおいしく、活きたまま輸送できるかを考え、1杯ずつパック詰めで送る方法を採用。東京着後も2日間活きたまま保存が可能になりました。

 パック詰めなのでバイク便でも配送できるし、水槽のないお店にも納品できる。参加者から「他の漁業地や水産業者に真似されませんか?」と聞かれ、「呼子の漁師さんは100キロ獲れるときも80キロに抑え、漁港に戻るときも船のスピードを半減するなどイカを大事に扱う。イカの活け造りはスピードが大事で、包丁さばきにもテクニックが要る。輸送技術は真似できても、そういうヒューマンパワーはどこにも負けないし、呼子で獲れるケンサキイカは漁期も漁場も限られるから独自性が保てる」と応えました。

 

 異分野との連携やマーケティングに際し、ルネサンスプロジェクトの中村さんも「いいものはていねいに売っていく。この商品はどう売るべきかを長期的視野を持ち、自分の事業に哲学を持って取り組むべき」と力を込めます。哲学を持てば、同じレベルの哲学や志を持つ異業種の仲間が広がるわけです。

 

 

 

 夜は呼子のイカをはじめ、鹿児島や沖縄の黒豚、宮崎地鶏、熊本馬刺し、福岡や宮崎のブランド牛に玄界灘の海鮮類、大分の炭焼き椎茸など九州全土の旨いものが集結した贅沢な交流会。ビジネス関連の交流会でこんなにぜいたくな立食パーティーは初めて!と思えるぐらいで、食べることに無我夢中になってしまいました。おかげで食べ過ぎてしまって胃がシクシクと痛くなり、夜の屋台めぐりはギブアップ(苦笑)。

 

 宿をとったビジネスホテルの目の前に運よく天然温泉施設があったので、温泉にじっくりつかって隣のコンビニで缶ビールを買って、部屋で飲んでおとなしく寝ました。・・・せっかくの博多の夜、なんだかもったいない気もしましたが、シンポジウムのお話や夜のパーティーメニューのおかげで、九州の食の豊かさは、改めて、まざまざと実感できたのでした。