杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

こなみさんの手紙

2009-09-18 21:17:03 | 日記・エッセイ・コラム

 16~17日と2日続けて浜松方面を走り回り、夜も原稿をまとめるのに追われ、新内閣発足のニュースもほとんど見る時間なく、疲れました~。今日(18日)は静岡で原稿書きと会議でしたが、やっぱり20代30代の頃に比べると、疲労が抜けるのに時間がかかります。ふぅ・・・。

 

 16日は樹木医塚本こなみさんのインタビュー取材。こなみさんが庭の設計を手がIt2b4912 けた浜松駅前の地ビールレストラン『マインシュロス』で写真を撮らせてもらいました。プロのカメラマンにお願いしたので、本当にこなみさんの自然なスマイルをバッチリとらえることができました。餅は餅屋だなぁと改めて実感です。

 

 こなみさん、来月のお誕生日で還暦を迎えられるんです。一番上のお孫さんが中学生ですって。仕事で輝いている人って年齢を超越しますよね。

 「5年前に、5年後の自分にあてた手紙を書いたの。書いたことすっかり忘れちゃったんだけど、今年の初めに父が亡くなって実家の整理をしていたらその手紙が出てきて、日本中のフジを元気にする花咲かばあさんになって、あしかがフラワーパークを発展させて、心豊かに健康でいてくださいって書いてあったの。まぁまぁ外れずに今いられることが、すごく嬉しかった」とのこと。

 

 こなみさんには、いつも「なりたい自分を強く念じなさい、そのとおりになれるから」とアドバイスしていただくんですが、根がネガティブな私は、「自分はこなみさんみたいに勁くないから、ああなりたい、こうなりたいと思うだけで終わっちゃう」といつも諦めていました。

 未来の自分に手紙を書くって、小学生のタイムカプセルみたいで楽しいけど、自分に自信のない人間にはなんだかコワい気もします。…とりあえずこのブログを5年後も続けていられるようにとだけ願いましょう。

 

 

 16日午後は朝鮮通信使が扁額を書いたとされる奥浜名湖の名刹・龍潭寺へ写真を撮りに行きました。

Dsc_0015   本堂はあいにく改修工事中でしたが、国指定の小堀遠州作名勝庭園の品格は十分堪能できました。

 なぜ東海道を外れたこの寺に通信使の扁額が残っているかと言えば、寺がある旧引佐町井伊谷は井伊家発祥の地とされ、龍潭寺は井伊直政や井伊直弼など歴代当主の位牌を祀る由緒ある寺。朝鮮通信使がやってきたとき、僧や学者や医者などのインテリ層の間で通信使にサインをもらうことがステイタスみたいになっていて、龍潭寺の住職も「うちの扁額も書いてほしいなぁ、井伊の殿様に頼めばなんとかなるかなぁ」と考えて、通信使が彦根に滞在中、井伊家のコネを使ってサインをねだりに行ったのです。

 …歴史的には大Dsc_0003した意味もないローカルエピソードですが、なんだか人間臭い親しみある話ですよね。通信使にはこういうエピが全国各地に残っていて、それだけ当時の通信使人気が凄かった裏付けにもなっています。

 

 名刹龍潭寺の扁額が通信使の手によるものだったなんて、北村欽哉先生はじめ通信使研究をしている方々は大注目のネタですが、世間一般的には、かなりの歴史ファンでもフーンで済ませちゃうんでしょう・・・。歴史を大河ドラマみたいに大上段に構えるのではなく、平均的な日本人の等身大目線や生活感覚で「わかるなぁ」「面白いなぁ」と感じられる物語として読み解きたいと思いました。

 通信使の扁額だって、海外の情報が少なかった時代、大陸から珍しい外交使節団がやってきて、中には時代の最先端を行く知識人も多いという。彼らの文化の一端に触れたい、サインだけでも欲しいという気持ちの表れだったと知れば、ただの扁額が生活感覚で見えてくる。当時の人も、同じ人間なんだよなぁって実感できる。歴史をそんなふうに、学ぶものから感じるものへ受け止められたら、と思います。

 

 龍潭寺の入口で拾った観光パンフレットに、車で15分ぐらい先の方広寺で水戸黄門ゆかりの仏像を特別開扉中とあったので、ついでに足を延ばしてみました。

Dsc_0022  方広寺は山門をくぐって本堂に着くまで、五百羅漢様が自然の岩肌に沿ってさりげなく迎えてくれます。龍潭寺も方広寺も、訪ねるのは十数年ぶりでしたが、これほど趣のある寺だったとは…改めて見直しました。

 

 方広寺も本堂改修中で、内部は落ち着いて観る雰囲気ではありませんでしたが、お目当ての黄門様ゆかりの釈迦如来像は、それなりに秀麗なお顔で見ごたえがありました。…天平・平安・鎌倉期の傑作仏像を見慣れている身としては物足りなさを禁じ得なかったのは確かですが。

 

 

 学生時代に熱中した仏像巡りや歴史探訪に、ふたたび夢中になって、歴史に関わることを書く仕事にも巡り合えたというのは、自分の潜在意識の中に、「こうなりたい」「こういう仕事がしたい」という強い願望があったのかなぁとふと思います。

 

 優れた作品を残した書家や仏師には、何十年何百年経たのちの人々にも、自分の仕事を誇りを持って残したいという強い意志があったのでしょうか。・・・いずれにしても、この日は、未来に誇れる自分を、今どう耕しておくべきかを深く考えさせられました。