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杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

磯自慢の上槽

2008-03-07 19:17:03 | 吟醸王国しずおか

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6日は朝8時から、焼津の磯自慢酒造で上槽(じょうそう=搾り)の撮影をしました。大吟醸の上槽は、青島酒造(喜久醉)のときと同様、もろみを酒袋に一枚ずつ詰めて、槽(ふね)と呼ばれる長方形の箱に積み重ね、上から圧力をかけるというもの。青島酒造と違うのは、自動で酒袋に注入する点です。また、槽の中での酒袋の積み重ね型も若干異なります。カメラマンの成岡正之さんはレンズ越しに「同じように見えて微妙に違うし、違うようでも、酒袋を折りたたんで積み重ねる丁寧さは同じ。面白いねぇ」とさかんに感心していました。

 

 昨日は、うれしいハプニングもありました。焼津市在住のカメラマン・山口嘉宏さんが飛び入り参加してくれたのです。

 彼とは、昨年末、某社の住宅情報誌の取材で初めて知り合ったのですが、いろいろ話をしているうちに、なんと、成岡さんの会社の元社員で、『朝鮮通信使』の行列イメージシーンの助監督の一人だったことが判明。エンドロールのスタッフ名にしっかりクレジットされていました。本人から聞くまでまったく気がつかず、汗顔の至り・・・。

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 今は、映像とスチール両刀遣いのフリーカメラマンとして、BS,CS系の海外旅行番組を一人で撮影編集したり、海外でドキュメント写真を撮って国際的な賞を獲るなど、幅広い活躍をしています。私と成岡さんが酒の映画を撮っていることを、先週、偶然、ケーブルテレビのニュースで知ったそうで、「制作過程を追いかけたい」と連絡をくれたのです。しかも直前まで徹夜でBS番組の編集作業をこなし、一睡もせずに駆けつけてくれたのでした。

 

 

 映像カメラもスチールカメラも使えて、一人で番組が制作できるほどのスキルを持ったカメラマンが、こんな身近にいたなんて、驚きと同時に、『朝鮮通信使』と地酒の不思議な縁を、ふたたび思い知らされました。

 

 

上槽の撮影後、3人で近くのファミレスで遅い朝ごはんを取りながら、独立系の映像制作会社やフリーの映像クリエーターが置かれた厳しい実情を聞き、「だからこそ、こういう、作り手の表現の場が必要なんだ」と実感しました。

 

 私が関わる雑誌『あかい奈良』sizo:kaも、広告スポンサーに頼らず、クリエーター自身が自己表現の場を自ら創出したものです。山口さんに、「今は朝飯代ぐらいしか出せないけど」とクギをさしたところ、「こういうの、面白いし、好きだから」と意に介していない様子。ふだん、しっかり仕事をしている多忙な人から、こういう言葉をもらえると、大きな自信になります。

成岡さんも、「今まで撮った被写体の中で、イチバン面白いし、勉強になる。厳しい労働環境の中で真剣に働く蔵人さんたちを見ていると、働くことの意味を改めて考えさせられるね」としみじみ語ります。

 

 

 林隆三さんが教えてくれたように、こんなふうに、クリエーター自身が面白がって、気持ちがノッて参加してくれるプロジェクトなら、きっと観る人も楽しんでくれるだろうとワクワクしてきます。このノリを、いつまで持続できるか、不安は確かにありますが。


観音とお水取りの旅 その2

2008-03-06 15:44:30 | 歴史

 341430分から、奈良国立博物館と市民サポート団体・結(ゆい)の会が主催する『お水取り展鑑賞とお松明』に参加しました。同博物館の西山厚教育部長のお水取り解説を聴講し、開催中の『お水取り展』を鑑賞し、東大寺に移動して219世別当上野道善管主の講話を聞き、19時からのお松明入場を見学するという内容です。

 

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  昨日のブログで書いたとおり、私は、雑誌『あかい奈良』2007年春号で、お水取りのご利益について取材し、多少の知識はあったものの、今回の西山先生のウィットに富んだ素晴らしい解説と、上野管主の味のある講話を通じ、改めて魅了させられました。

 

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お水取りとは、正式には〈東大寺修二会(しゅにえ)〉といい、天平勝宝4年(752)に東大寺が建立された年から始まり、なんと、今年で1257回目。1度も中止されたことはありません。伝統行事が1250回以上、途切れることなく続いているのは、地球上でもこの修二会だけ。とんでもなく凄いことです。

どんな行事かとひと口で言えば、二月堂のご本尊・十一面観音さまに、悔過(けか)=ひたすら人間の悪行をお詫びし、最後に天下安穏、五穀成熟、万民豊楽をお祈りするというもの。何もしないで都合のいいことだけお祈りするのは申し訳ないので、まずあやまってあやまって、あやまりし尽くした上で祈る、というわけです。「観音さまも、ただあやまられ通しでは居心地が悪いでしょう? だから時々、音楽に乗せて、“南無観自在菩薩”とフルネームでお名前を呼んで褒めてさしあげるのです。そのうち、いつまでもフルネームで呼ぶのは他人行儀だから、“南無観自在”とお名前を縮めて呼び、最後は“南無観”だけになる。節をつけてナムカンナムカンと連呼するのは聞いていて実に楽しい。奈良仏教は、それだけおおらかで、仏と人の距離が近かったんですよ」と西山先生。

 二月堂縁起絵巻によると、「お水取り」と呼ばれるのは、修二会を始めた実忠和尚が、全国の神々を二月堂にお呼びしたとき、若狭の国の遠敷明神(おにゅうみょうじん)が釣りをしていて遅参してしまった。おわびに、二月堂の近くで香水を出すことを約束すると、今の、二月堂下の閼伽井屋(あかいや)と呼ばれる井戸のある場所で、黒と白の鵜が地中から飛び出し、その穴から甘露な清泉が湧き出したので、観音さまに1年分の香水をお供えすることに。313日午前1時過ぎから行われるこの行事が「お水取り」で、修二会のクライマックス、といわれDsc_0017るのです。

 

テレビや観光写真などでおなじみのお松明とは、観音さまにあやまる11人の練行僧が、31日から14日までの参篭期間中、二月堂に入場するときの足もとの灯り。そう、夜道の明かりに過ぎないのです。しかし足明かりといっても、松明の長さは約6メートル。クライマックスを迎える12日夜の籠松明は、長さ8メートル、重さ6070キログラムの大きさで、回廊を登り、二月堂の欄干を進む間、花吹雪のような火の粉を撒き散らします。お松明の火の粉を浴びると健康になる、燃えカスを子どもの枕元に置くと、夜鳴きが治るといったご利益もあるそうです。

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 大半の観光客は、お松明の入場が終わると、そそくさと帰ってしまいます。今回の講座も、お松明が終わった後は自由解散になりましたが、修二会はこの後が本番。深夜1時ぐらいまで、日によっては、過去帳(二月堂に縁のある人の名を、聖武天皇から順に読み上げる)、走り(観音さまの周囲を走って廻る=天上の1日は人間界の400年にあたるため、急いで悔過しなければならないので、走るようになった)、五体投地(体を板に打ちつけて悔い改める)、達陀(だったん=内陣で松明を引き回し、法螺貝、鈴、錫杖を鳴らす)といったユニークな行事が繰り広げらDsc_0027_2れます。

 

 一般の参拝者のうち、男性は堂内に入って間近に観ることができますが、女性は不可。二月堂の四方側面にある局と呼ばれるスペースで、格子越しに観るしかありません。それでも、1257回続いている法会だと思うと、同じ空気を吸っているだけで神妙な気持ちになります。

 

 練行僧の日記によると、治承4年(11801228日、東大寺は平氏の焼き討ちに遭い、大仏殿はじめ大部分が焼失し、数々の法会が断絶したそうです。二月堂は無事でしたが、寺ではすべての法会の中止を決めました。ところが11人の僧が「絶対に絶やしてはいけない」と反旗を翻し、寺に関係なく、自分たちだけで続けると決め、初日に4人の僧が加わり、15人で続行したそうです。今、思えば、大変な決断だったわけです。

 

 

 泊りがけで参加した昨年は、午前0時までねばって、過去帳の読み上げをじっと聞き入ることができましたが、今回は、翌日に仕事があるため、2355分京都駅発の夜行バスで帰らなければなりません。凍てつく寒さの中、参拝者は一人二人と減り、私が居た局に残ったのは数人。0時近くに「走り」があり、その後、参拝者に数滴ずつ、ありがたいお香水の授与があるので、それを待っているのでしょう。一緒に残りたかったのですが、1258回以降のお楽しみにしようと、二月堂を後にしました。

 

 

 ところで、二月堂のご本尊・十一面観音は、秘仏中の秘仏で、一般はおろか、練行僧すら観たことがないという観音さま。大小2体の像が安置され、修二会では前半に大観音、後半に小観音が本尊として入れ替わるそうです。

お姿を観られない観音さまに、1200年以上もひたすら懺悔し、それを一度も絶やしたことがないという修二会。同じ十一面観音でも、午前中にお会いした渡岸寺の観音さまとは、かくも置かれた環境が違うのかと思います。

 

 目に見えないものに心を寄せ続けるというのは苦しいことです。逆に、見えすぎて、心で感じることができなくなることもあります。帰路のバスの中、第三者にものを伝える仕事をする上で、対象物のどの部分を、どのように、どこまで見せるのか、伝えるべきかを深く考えさせられました。


観音とお水取りの旅 その1

2008-03-05 19:31:42 | 歴史

 奈良に『あかい奈良』という季刊の地域文化情報誌があります。奈良の歴史文化、自然、伝統食などの紹介や、ゆかりの人物インタビューなどで構成されたカラー50ページほどのグラビア雑誌で、1476円(+税)。今年で創刊10周年になります。

 

  この雑誌の素晴らしいところは、自治体や公共団体の発行物ではない、まったくの民間雑誌でありながら、広告スポンサーを持たず、取材、編集、印刷、製本まですべてボランティアで制作していること。しかもスタッフは素人集団ではなく、第一線で活躍している新聞記者やそのOB、フリーのライター、カメラマン、デザイナーたちで、全員、「自分の作品の発表の場」としてノーギャラ参加しているのです。テーマによっては著名な学者、評論家、エッセイストや、国立博物館の学芸員や文化財研究所の研究員などの専門家が寄稿することも。印刷・製本は地元の実業印刷さんが、やはり儲けナシで担当しています。社長の沢井啓祐さんは「うちも印刷技術のPRになるから」と謙遜していますが、「奈良で商売させてもろてるモンの使命や」という心意気を持っている方。雑誌は奈良県内の主要書店はじめ、東京、京都、奈良、大宰府の国立博物館ミュージアムショップで販売しています。

奈良という観光文化都市だからこそ成り立つ事業なのかもしれませんが、情報誌といえば広告のパッチワークのごときフリーペーパーが全盛の昨今、作り手の意志だけでこれだけクオリティの高い雑誌が作れること自体、ある意味、奇跡であり、理想かもしれません。

  

  

  私は数年前からこの雑誌のファンで、定期購読をしており、一昨年、ボランティアスタッフ募集の記事を見て立候補し、時々記事をかかせてもらうようになりました。

 昨年、東大寺二月堂のお水取りに関する記事を担当させてもらったのを機に、お水取りという行事を初めてじっくり見学し、今年は34日に、奈良国立博物館の市民サポート団体『結(ゆい)の会』が、同博物館の西山厚教育部長と、東大寺219世別当上野道善管主のお話をうかがってお松明入場を見学するというアカデミックな講座を企画したことから、昨年取材でお世話になった西山先生にもう一度教えを乞いたいとの一念で、参加することにしました。

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 奈良へはいつも、経費節約のため、新幹線往復代の半額で済む夜行の高速バスを利用しています。今回も、3日夜22時静岡駅発の夜行バスに乗って、京都に着いたのは4日朝5時。いつもなら近鉄の始発に乗って奈良まで行き、730分に開門となる東大寺の、中でも私が一番好きな法華堂(三月堂)までゆっくり早朝散歩を楽しみますが、結の会は午後から。午前中、たっぷり時間があるので、今回は室生寺あたりまで足を伸ばそうと、近鉄のホームに向かったところ、JRの時刻掲示板に、米原行きの電車があるのを見つけ、米原の先の、高月の渡岸寺(写真)十一面観音のことが思い出され、フラフラッとJRの切符を買ってしまいました。

  

  米原で敦賀行きの北陸線に乗り換え、高月で下車するつもりが、時計を見るとまだ7時10分過ぎ。1年前の『朝鮮通信使』のシナリオハンティング&撮影で、高月の駅周辺には何もないことを知っていましたから、今、降りても寺の開門9時まで時間のつぶしようがないと思い、結局、敦賀まで乗ってしまいました。

  

  敦賀に着いたのは8時前。外は晴れているものの、雪が残り、静岡から来た人間にしてみたら、季節が完全に逆戻りしたような寒さです。港町らしく朝飯が食べられる食堂はないかと海の方角へ歩き出しましたが、街中はシーンと静まり返り、コンビニもなし。30分歩いても港らしいエリアにたどり着かず、タクシーをつかまえたくても、いっこうに見かけません。高月方面へ戻る電車は95分。これを逃したら高月に停まる電車はしばらくありません。・・・やっぱり思いつきで行動するもんじゃないと後悔し始めたところ、『越前ガニ卸・販売』の看板が。その方角へ行くと、魚の業者さんらしい人たちがカニを詰めたスチロール箱を積んだり運んだりしています。近くに朝飯を食べられる店はないか聞いたところ、すぐ隣りの看板のないスナックを紹介してくれました。

  

  スナックにいたママさんは、派手なカーディガンを着て、この時間なのに完璧な夜メーク。ところがおもむろにカレイとイカを取り出してササっと包丁を入れ、自家製と思われるだし汁を鍋にかけて、イカは軽~く、カレイはやや強火で煮込み、炊きたてのご飯、味噌汁、ポテトサラダを用意してくれました。その手際のよさと、薄味で上品に煮込んだイカとカレイのやわらかいこと!さすが魚の卸問屋のお隣りさんだけのことはある、と感激しました。こういう店、グルメガイドを頼っていたら出会わなかったでしょうね(・・・ふだんグルメ情報を書くライターがこんなこと言っちゃまずいでしょうが)。

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 店でタクシーを呼んでもらい、ギリギリ電車に飛び乗り、途中、真っ白な田んぼの中にぽつんと立つ余呉駅の絵になる姿と、白銀の向こうに広がる余呉湖の美しさに思わずカメラを向け、940分頃、高月に到着。歩いて渡月寺へ向かい、1年ぶりに十一面観音の前に座りました。堂内には団体客がいて、静かに手を合わせる雰囲気ではありませんでしたが、それでもお姿が目に入ってきたときには、自然に目頭が熱くなりました。

  初めての脚本執筆へのプレッシャーや、初対面の山本起也監督とうまくやっていけるかどうかの不安から、「とにかく助けてください」とすがるようにお祈りした1年前は、どことなく厳しいお顔に見えたのですが、今日は、柔和なお顔で「お帰り」とおっしゃってくれているように見えます。仏の顔は、観る者の心を現すといいますが、改めてそのことを実感しました。

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  この観音さまは、日本に7体だけある国宝の十一面観音の一つで、寺伝では、天然痘が大流行し多くの死者が出た天平8年(736)、越前出身の泰澄大師が聖武天皇に呼ばれて奈良へ上る途中、この地で作られたものだそうです。密教的な容貌から推察すると平安期の作ではないかともいわれますが、1200年間、病い除けの霊験あらたかな観音さまとして信仰され続け、織田信長の浅井攻めで寺が焼かれたときは、村の人々が土の中に埋めて難を免れたとか。先人に、そうまでしてお守りしなければ、と思わせたお姿は、現代の美意識にも通じて余りある美しさです。

 「先日も、団体で観に来た大学生が、最初は騒いでいたのに、しばらくすると静まり返り、大人しくなった。じっと見つめて自然に手を合わせる子もいたんですよ」と寺のボランティアさん。私も、大学生のときに初めてお目文字した日のことを思い出しました。

 

 『朝鮮通信使』でお世話になった高月町立観音の里歴史民俗資料館の佐々木さんにご挨拶をしようと、寺に隣接する資料館を訪ねたら、あいにく休館日。・・・やっぱりちゃんと下調べをして来るべきだった、と舌打ちしました。それでも、京都へ戻る電車の中、敦賀のスナックの朝定食、余呉湖の雪景色、そして観音さまの1200年朽ちることのない美しさに再会できたこの半日は、悪くない過ごし方だったな、とニンマリしたのでした。

 


地酒と通信使の不思議なカンケイ

2008-03-03 01:11:46 | しずおか地酒研究会

 静岡というローカルエリアで活動していると、知り合いの知り合いが知り合いだったりして、世間は狭いと実感すること、しばしばです。それでも時々、この分野の人と、あの世界の人が、どーして知り合いなんだぁ?と笑っちゃうしかないよな経験があるから不思議です。個人で仕事をしていると、どこで、どんなつながりが生きてくるかわかりません。だからこそ、出会いの一つひとつを大切にしたいと思うのです。

 

  最近不思議だったのは、私のライフワークである地酒の関係者と、映像作品『朝鮮通信使』が、なぜかつながったこと。1年前、クランクインを目前に、平日の午後から夜にかけて予定されていた大井川の川越遺跡のロケで必要な数のエキストラが集まらず(運悪く、その日に山田洋次監督の『母べえ』大井川ロケがあり、島田フィルムコミッション関係者はほとんど出はらっていたのです・・・)、困っていたスタッフを見かねて、私は島田・藤枝地区の地酒関係の知人に片っ端から電話をかけ、『若竹』の醸造元・大村屋酒造場の松永今朝二社長と、『喜久酔松下米』の酒米農家・松下明弘さんが協力してくれることになりました。松永社長は、「今夜、島田の主だった人たちが集まる若竹サロンがあるから、宣伝しに来なさい」と誘ってくれ、その足で蔵へ飛んだ私は、一晩で10人のエキストラを確保することができました。

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 その中に、松永社長の中央大学の後輩で、3年前、しずおか地酒研究会の若竹訪問で“相撲甚句”を披露してくれた社労士の見城邦男さんがいました。三保、駿府公園、大井川すべてのロケのエキストラにエントリーしてくれ、「大河ドラマのエキストラにも出たことがあるんだ、時代劇なら任せておけ」と頼もしいお言葉。

 

  

 

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 一方、松下さんは「平日体が空いているのは、どうせ俺たち農家ぐらいなもんだと思って声掛けてきたんだろう?」と皮肉を言いながらも、知り合いの農家に声をかけ、2人で川越遺跡の撮影に参加してくれました。

 どの撮影も、大変な寒さの中、薄着の衣装で長時間拘束され、「終電に乗れなかったらどうしてくれるんだ」と苦情もあったみたいですが、今は「ああいう経験は2度とないなぁ」と笑って話してくれます。寒い思いは一時でも、映像は永遠に残りますものね!

 

  

  その後、脚本の監修でお世話になった金両基先生と松下明弘さんが、なぜか知り合いで、先生宅で酒を酌み交わしたことがあると知り、びっくり。「うちでは変わり者が集まる訳のわからん飲み会を時々やるんだ。その中のメンバーが連れてきたんだよ」と金先生。「彼から、貴女の名前を聞いてビックリしたよ。やっぱり変わり者つながりなんだな」。・・・このときばかりは、変わり者呼ばわりが、なぜか褒め言葉に聞こえ、作品完成後は、松下さんの有機コシヒカリと喜久酔松下米をセットでお贈りし、先生と奥様に大いに喜んでいただきました。

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 見城さんが、3年前、しずおか地酒研究会の若竹訪問で相撲甚句を披露したとき、そのリーダーとして参加してくれたのが石川たか子さん。先月まで浅間神社の静岡市文化財資料館で相撲人形コレクション展を開いたほどの相撲通で、静岡の名士・粋人が集うシズオカ文化クラブの会長として活躍されています。

 

 

 実は、10数年前、映像の仕事に、ちょこっとだけ関わったことがあります。それが、たか子さんが社長を務める㈱丸伸のプロモーションビデオで絵コンテを描く仕事でした。丸伸のロングセラーである可動式本棚“ブックマン”の洋服ラック版“ドレスマン”を紹介するもので、たか子さんとはこの時知り合い、同じ中学・高校の大先輩だと知り、それ以来、何かと目をかけていただいています。

  シズオカ文化クラブに初めて参加したのは、数年前、同クラブが、松下さんの米作りを撮り続け、ドキュメント写真の登竜門といわれる土門拳奨励賞を受賞したフォトグラファー多々良栄里さんの作品鑑賞&喜久酔松下米を味わう会を企画したときでした。私は、栄里さんと松下さんを引き合わせた縁で招待され、なかなか呑む機会のない松下米40を存分に呑ませてもらいました。

 

 栄里さんに松下さんを引き合わせたのは、2人が写真家&農家として新たな挑戦に踏み出した頃のこと。円熟したプロ同士のセッションというよりも、若く、荒削り状態の摩擦や共鳴が互いに反映されるのではないかと思ったのですが、作品は、円熟味さえある完成度の高いものとなり、それが観る者・味わう者に深い感動を呼びました。年齢やキャリアじゃない、2人が出会うべくして出会って、自然に生まれたんだ、人生にはそういう出会いがあるんだ・・・としみじみ思いました。

 

 多々良栄里さんの土門拳奨励賞受賞作品『松下くんの山田錦』。パソコン上では真価が十分伝わらないかもしれませんが、未見の方はぜひご覧ください。映画『吟醸王国しずおか』でも使わせてもらえたら、とひそかに願っています。

 

  そして今月、シズオカ文化クラブに再び招かれることになりました

 このブログでも紹介した通信使ラベルの酒・白隠正宗大吟醸を呑みながら、『朝鮮通信使』を鑑賞する会を企画してくれたのです。なんだか、ホントに、私のためだけに催される会みたいで恐縮です・・・。

 “地酒の女神が映画を作った?!”~『朝鮮通信使』鑑賞とゆかりの地酒賞味/3月25日(火)18時30分から、静岡市産学交流センターB-nest 6階プレゼンテーションルームにて。酒代&おつまみ代2000円。申込み・問合せは18日までに、シズオカ文化クラブ事務局 TEL 054-271-3111(財団法人満井就職支援財団内、担当・内田)まで。

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 駿府公園東御門で、黒子衣装で人型の絵を持って寒さをこらえてくれた見城さん。大井川川越遺跡で通信使の薄い衣装を着て何度も行進させられた松下さん。2月15日の通信使上映会&トークセッションに来てくれた栄里さん。そして「大御所四百年祭の年度中になんとか上映会を!」と奔走してくれた石川たか子さん。

 みなさんの存在は、人と人の出会いや縁をつなぎ続けることの大切さ、会社の肩書きや所属先を持たないフリーランサーにとって、人脈が何よりの財産であることを教えてくれます。感謝の気持ちで一杯です。

 

 朝鮮通信使で新たに出会った人、これから出会う人とも、こういうつながりを持ち続けられたら、と願わずにいられません。


喜楽庭の春

2008-03-01 20:34:52 | NPO

 目下、締め切りをせっつかれている原稿が2本。1本はこのひと月間、県内3ヶ所を取材して回ったNPO協働フォーラムのレポート、もう1本は雑誌sizo:kaの酒蔵スケッチ。異なるジャンルの原稿執筆が重なったときは、完全に頭を切り替えるアイドルタイムが必要で、数時間で済むこともあれば、1日空けないと次に取り掛かれない場合もあります。

  

  sizo:kaでは、前号(07年秋冬号)で静岡の酒を全面特集し、私のところにもたくさんの反響が来ました。『吟醸王国しずおか』映像制作プロジェクトの紹介を書かせてもらったところ、見知らぬ読者から「何か手伝いたい」と連絡をもらったり、VIC TOKAIケーブルテレビさんが取材に来てくれるなど、思わぬプラスアルファも(ちなみにケーブルテレビは4日火曜日まで、夕方のニュース枠でこのネタを連続放送しているそうです。焼津・藤枝・富士地区で視聴できる方はぜひご覧ください。私は残念ながら観られません・・・)。

  

 そんなこんなで、sizo:kaのほうから書き始めたところ、今朝早く、活き生きネットワークの杉本彰子さんから「今日、喜楽庭で餅つきをやるからいらっしゃいよ!」とお誘いコール。実は昨日29日、事務所へ会報誌の編集の打ち合わせに行った時、山積みになっていた餅米が気になっていたんですね・・・。

  

 北安東(静岡県立総合病院のそば)の我が家から、活き生きネットワークのデイサービス施設『喜楽庭』のある安東(静岡高校のそば)まで、歩くと40分ぐらい。考えてみると、原稿が溜まっているときは、時間節約で近場でも車で移動し、極端な運動不足になるため、たまには歩いてみようと思い立ちました。風が強く、花粉の量も多そうで、なかなか顔を上げて歩けなかったのですが、それでも車で素通りしていたら気づかなかった店の看板や裏道の存在を発見し、たまには散歩もいいもんだ、と思いました。

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 喜楽庭は、古民家を改築した複合デイサービス施設で、赤ちゃんからお年寄りまで、いろんな世代の人たちが過ごしています。段差のあるところにスロープを設置したり、ユニバーサル仕様のトイレなど、要所要所は手を加えてありますが、家の構造は、庭付きの伝統的な木造家屋。鉄筋コンクリート造りの公共施設とは違い、人が確かに暮らした住まいの温かさがあります。昨年は、炭酸泉足湯のコーナーが新設され、テレビや新聞で報道されて大いに賑わいました。以来、ご近所さんが毎日のように通うようになったり、定期的に開かれるフリーマーケットで、利用者の家族や友人・知人が親睦を深めています。

 今日は、年に1度の餅つき兼フリーマーケットの日。利用者、スタッフ、家族、ご近所さんが入り乱れて、広いはずの喜楽庭が、身の置き場もないくらい高密度状態になりました。

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   一昨年、喜楽庭の居間に、彰子さんの友人が手打ちそばの店を1年間、開きました。趣味が高じて本格的なそば打ちにハマッた人だけに、採算を考えず、結局、1年でパンクしてしまったのですが、開店前に、居間を少し賑やかにしたいと、彰子さんから相談を受けた私は、面白半分に、壁にペンキで、京都高山寺に伝わる有名な『鳥獣戯画』をデフォルメして描いてみました。「ペンキの落書きとは思えない」と、彰子さんもそば店主の方も、大いに笑い、喜んでくれました。

 

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  そば店が閉店し、その後、その居間を取り壊すという話を聞いたので、あの落書きがどうなったのか見に行きました。壁はそのままで、部屋でくつ ろぐ人に、彰子さんは相変わらず陽気に、「面白い絵でしょう、この人が描いたのよ~」と私を引き立ててくれます。大した仕事でもないのに、こんなふうに喜んでもらえると、本当に嬉しくなります。

 

 

 

 

 

  そうこうしているうちに、庭で、餅つきが始まり、子どもたちが大喜びで杵を触っています。その後ろの梅の木が、3月の声を待っていたかのように花を咲かせていました。

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  つきたての餅と、スタッフ手づくりのチヂミ、焼きそば、カレー、鶏ご飯などを頬張れるだけ頬張り、身も心も満腹になって、ついでに駿府公園まで散歩しようと、結局、夕方近くまで街歩きをしながら帰りました。今日のような日は、車で移動する時間がもったいない、と思えます。