杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

福BOOK袋で徒然草

2016-01-07 20:07:04 | 本と雑誌

 年明けの静岡県立図書館で『お楽しみ福BOOK袋』というのを見つけました。図書館員さんがテーマごとに3冊選び、福袋に詰めてタイトルが分からないようにして貸し出すそうで、私が行ったときは残り少なかったんですが、袋の添え書きに【私は「古典に興味があるけれどちょっと自信がない方に読んでほしい本」をセレクトしました】とあった福BOOK袋を借りてきました。

  貸し出しカウンターに持っていったとき、図書館員さんが今まで見たこともない嬉しそう~な顔をしていたのに、ちょっとびっくり。アンケート用紙も入っていたので、今回初めての試みだったのかな? でもすごくナイスな企画ですね。本選びって自分の視野だけではどうしても限られるけど、図書館員のセレクトなら安心できるし、既読本だったとしても今読む意味があるんじゃないかと思える。こういう偶然、好きです。さっそく今回出合った徒然草関連の3冊を通読しています。

 

 徒然草。教科書で勉強していたころは、序段の「つれづれなるままに」や、五十二段の「仁和寺にある法師」ぐらいしか記憶になく、たいして面白いとも思えなかったのですが、この年齢で改めて読んでみると、作者吉田兼好の人間観察力のスゴさ、ちょっとシニカルで保守的なモノの見方がクスッと笑えたりナットクさせられたりで、10代で勉強したことってやっぱり深いんだなあとしみじみ。高校のときの、こけしみたいなお顔の古文の先生が懐かしく思い出されました。

 

 五十二段「仁和寺にある法師」は、石清水八幡宮に初めてお参りに出かけた仁和寺の老僧が、山上の本宮まで行かず、山裾の宮寺と摂社だけ拝んで満足して帰った。同僚に「やっと念願のお参りができた。それにしても多くの人が山を登って行ったけど何だっただろう。自分も行って見たかったけど神詣が本来目的だったから登らずに帰ってきたよ」と。何につけても道案内が必要だ、という教訓話。これ、よく静岡酵母の河村傳兵衛先生がたとえ話にして「酒の本質を知らずに知ったかぶるな、勝手な自己判断をするな」とおっしゃっていたので、すごく身に沁みているんです。

 今回借りた本では、百七十五段を面白おかしく、身につまされながら読みました。酒徒のみなさんなら「あるある」と頷かれるんじゃないでしょうか。これが鎌倉末期に書かれていたのですから、人間の本質って世の中がどんなに変わろうとも基本的には同じなんですね。

 年始にあたり、己の教訓とする意味で、書き写しておこうと思います。なお対訳(緑字)は私が少々意訳しました。ご了承ください。

 

 

徒然草第百七十五段 「世には心えぬことの」

 世には心えぬことのおほきなり。ともあるごとには まづ酒をすゝめて しゐのませたるを興とすること いかなるゆえとも心えず。

(世の中にはわけのわからんことが多い。何かにつけてまず酒を呑ませようと無理強いして面白がる。何が面白いのかわけがわからん)

 

 のむ人のかほ いとたえがたけに 眉をひそめ 人めをはかりてすてんとし にげんとするを とらへてひきとヾめて すヾをにのませつれば うるはしき人も たちまちに狂人と成てをこがましく 息災なる人も めのまへに大事の病者となりて 前後もしらずたふれふす。

(呑まされるほうはウンザリ顔で眉をひそめ、人目のないとき酒を棄て、席を立とうとしても引き止められて呑まされる。どんなに澄ました人だって呑み過ぎて泥酔したらバカをやらかす。健啖な人だってみるみるうちに重病人みたいになって前後不覚にぶっ倒れる)

 

 祝ふべき日などは浅ましかりぬべし。あくる日まで頭いたく 物くはずによひふし 生をへだてるやうにして昨日のことおぼえず。おほやけわたくしの大事をかきて わふらひとなる。

(祝い事の酒席となれば更に浅ましい。翌日まで頭痛がし、物も食べられず、起き上がれず、記憶もすっとぶ。仕事やプライベートにも支障をきたすだろう)

 

 人をしてかゝるめを見する事 慈悲もなく礼儀にもそむけり。かくからきめにあひたらん人、ねたく口のしと思はざらんや。人の国に かゝるならひ有なりと これらになき人事にてつたへきゝたらんは あやしくふしぎにおぼえぬべし。

(人をこんな目にあわせるのは慈悲や礼儀に背くことだ。こんなひどい目にあった人は呑ませた奴を恨みに思わないのか。外国にこんな風習があると聞けば奇怪だと思うだろう)

 

 人の上にて見たるだに心うし。思ひ入たるさまに 心にくしとみし人も 思ふ所なくわらひのゝしり ことばおほく ゑぼうしゆがみ ひもはづし はぎたかくかゝげて よになき気色 日ごろの人ともおぼえず。

(醜いヨッパライはあかの他人でも見ていて不愉快だ。思慮深くおくゆかしいと思っていた人が、憚りなく大声で笑い騒ぎ、饒舌になり、烏帽子をゆがめて紐も外して、着物の裾を脛のあたりまでまくりあげる。ふだんのその人とは思えない)

 

 女はひたひがみはれらかにかきやり まばゆがらず 顔うちさゝげて打わらひ 盃もてる手に取つき よからぬ人は さかなとりて口にさしあて みづからもくひたるさまあし。

(女のヨッパライは額の髪をかきあげて、恥じらいもなく天井をむいて大笑いし、盃を持つ人の手に取り付いたりする。下品な奴は魚を人の口にあてがったり、それを自分もつまんだりと、とにかくみっともない)

 

 声のかぎり出して 各うたひまひ 年老たる法師めし出されて くろくきたなき身をかたぬぎて 目もあてられずすぢりたるを興し 見る人さへうとましくにくし。

(ありったけの大声で歌ったり踊ったり、年寄りの坊さんが呼ばれて小汚い肌をあらわにして、目もあてられない格好で踊り呆けるのを見て喜ぶ連中も、まったくけしからん。みちゃいられん!)

 

 あるは又 我身いみじき事ども かたはらいたくいひきかせ あるは酔ひなきし 下さまの人は のりあひいさかひて あさましくおそろし。

(あるいは自慢話をひけらかしたり、酔い泣きし、下々の者は罵り合ったり喧嘩を始めたりする。浅ましいやら恐ろしいやら)

 

 恥がましく心うき事のみ有て はてはゆるさぬ物どもをしとりて 縁よりおち 馬車より落てあやまちしつ。物にものらぬきはゝ 大路をよろぼひゆきて つゐひぢ門の下などにむきて えもいはぬ事共しちらし 年老けさかけたる法師の小童のかたをおさへて聞えぬ事共いひつゝよろめきたる、いとかはゆし。

(ドンちゃん騒ぎの後は、人さまのものを無理やり奪い取ったり、縁側から落ちたり、馬や車から落ちて怪我をする。徒歩で帰る者は大路を千鳥足で歩いて、土塀や門の下で粗相をし、袈裟をかけた年寄りの坊さんは小童の肩に寄りかかってわけのわからない戯言を言い、よろめいている。何やら気の毒になってくる)

 

 かゝることをしても 此の世も後の世も益あるべきわざならいかヾはせん。此の世にはあやまちおほく 財をうしなひ病をまうく。百薬の長とはいへど万の病は酒よりこそおこれ。うれへを忘るといへど ゑひたる人ぞ過にしうさをも思い出てなくめる。

(こんなことをしても、現世や来世で役に立つのであれば仕方ない。だが実際はこの世では酒で失敗することばかりで、財産も失うし病気にもなる。百薬の長といっても大半の病気は酒が原因だ。呑めば憂さが晴れるというが、ヨッパライほど過去の失敗を思い出してはメソメソしている)

 

 後の世は人の智恵をうしなひ 善根をやくこと 火のごとくして悪をまし よろづの戒を破りて地獄に堕べし。酒を取て人にのませる人 五百生が間 手なきものに生るとこそ 仏は説給ふなれ。

(来世では智恵を失い、良心が焼失し、悪行を増して数多の戒律を破って地獄に堕ちるだろう。「酒を手にとって人に呑ませた者は五百回生まれ変わる間、手のない者に生まれる」と仏は説いておられる)

 

 かくうとましと思ふ物なれど をのづからすてがたきおりもあるべし。月の夜雪のあした 花もとにても 心のどかに物語して 盃出したる 万の興をそふるわざ也。

(このように疎ましいものであるが、酒はおのずと捨てがたいときもある。月夜や雪の朝、花の下で心おだやかに語り合いながら交わす盃は、なんとも興をそそられる)

 

 つれづれなる日 思ひの外に友の入きてとりおこなひたるも心なぐさむ。なれなれしからぬあたりのみすのうちより 御くだ物 みきなどよきやうなるけはひして さし出されたるいとよし。

(所在ない日、思いがけなく友がやってきて一杯やるのも心癒される。近づきがたい身分の御方の御簾の内から、いかにも上等な果物や酒などをお上品にいただくのも悪くない)

 

 冬せばき所にて 火にて物いりなどして へだてなきどちさしむかひて おほくのみたるいとおかし。たびのかり屋 野山などにて 御さかな何がななどいひて しばの上にてのみたるもおかし。

(冬の寒い時期に狭い座敷で煮炊きをして、心隔てのない仲間と差し向かいで一杯やるのも実にいい。旅先の宿や野外で「肴に何かないかなあ」などと言いながら芝の上で呑むのも趣がある)

 

 いたういたむ人のしゐられて すこしのみたるもいとよし。よき人のとりわきて 今ひとつ うへすくなしなどのたまはせたるもうれし。近づかまほしき人の上戸にて ひしひしとなれぬる又うれし。

(下戸の人にちょっぴり呑ませてみるのも面白い。高貴な方が特別のはからいで「もう一杯どうだ、あれ、空っぽだ」などとおどけながら注いでくれるのも嬉しい。お近づきになりたいと思っていた人がかなり呑める人で、すっかり気が合う、なんてのも喜ばしいことだ)

 

 さはいへど 上戸はおかしくつみゆるさるゝもの也。酔くたびれてあさゐしたる所を 主のひきあけたるにまどひて ほれたるかほながら ほそきもとヾりさし出し 物もきあへずいただき持、ひきしろひてにぐる かひどりすがたのうしろ手 毛おひたるほそはぎの程 おかしくつきつきし。

(なんといっても酒上戸は愛嬌があって罪がない。酔いつぶれて朝になり、その家の主人に戸を開けられ、二日酔いでボーっとした顔でまごまごしながら細い髻を付き出し、着物を着る間もなく抱えて引きずり、裾をちょっぴりたくしあげて脛毛丸出しで逃げ帰る、その後ろ姿も実に愛嬌がある)

 

出展/古文書入門くずし字で「徒然草」を楽しむ 中野三敏著 (角川学芸出版)、 ビジュアル版日本の古典に親しむ⑨ 徒然草・方丈記 島尾敏雄・堀田善衛著 (世界文化社)

 

 



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