気が付けば9月も半ば。ここしばらく、デスクに座ってじっくりモノを考える時間がとれず、ついつい更新が滞ってしまいました。
当たり前ですが、フリーで仕事をとるためには、家でじっとしてる間はありません。今までのように運に恵まれ、黙っていてもお仕事の口が入ってきた時代とは明らかに変わりました。来た仕事は選ばず何でも受けられる気力体力も、昔のようには無くて、受けた仕事はギャラと経費の範疇でこなせばいいという気持ちとも違う。後に残るものだし、やっぱり自分のキャリアに恥じない仕事をしたい・・・。
会社経営者に取材すると、企業の寿命はとりあえず30年、と聞きます。自分もあとちょっとでライター稼業30年。スタンスを変えずにいくか、ガラッと変えるか、潮時が近いのかな、と感じる今日この頃です。
このところ、酒の会に、一消費者として参加する機会が増えました。今までは取材者もしくは酒の会の主宰者として、一歩引いたスタンスで参加することが多かったのですが、最近は純粋に、きき酒を楽しむことを第一義に参加しています。
自分は長いこと、自分より年上や目上の立場の人に酒を語る機会が多く、若輩者だとなめられないよう理論武装し、書く記事も客観性を重視してきました。ようするに背伸びし、突っ張ってきたんですね。
いつからか、酒の会で出会う人たちが、自分より年下や、最近、地酒の美味しさに目覚めた若い人が多くなってきました。書く記事にも、静岡酵母や静岡吟醸の解説よりも、日本酒そのものの味わい方や楽しみ方が求められるようになった。あまちゃんの小ネタのように「わかるやつだけ、わかればいい」路線で行くか、「一人でも多くの人にわかってもらえるように」書くか、酒の記事は、署名記事で書くことが多いので、よけいにプレッシャーを感じるようになりました。後世に残したいと考えている映画「吟醸王国しずおか」の編集も、わかりやすさを第一義とするか、極力加工せずにありのままをつなげるべきか、今また、大きく思案しているところです。
そんな中、偶然の出会いがありました。
ひとつは、9月15日に開かれた清水の篠田酒店さんの恒例【蔵元を囲むしのだ日本酒の会】で出会った、盲目のギタリスト服部こうじさん(掛川市出身)。特別支援学校の音楽科出身のプロで、ソロCDやジャズピアニスト前田憲男さんとのライブCDも発表しています。
去年から清水でギター教室を開校したそうで、篠田さんがその生徒さん。教室を提供したのが、いつもニュービジネス協議会茶道研究会に来てくださる建築家の森美佐枝さん。昨年3月26日付け静岡新聞で服部さんの記事を書いたのが、地酒研にも時々来てくださる橋爪充さん。しのだ日本酒の会2
次会で、目の前でリクエストしてイーグルスの「ホテルカリフォルニア」を生演奏してもらったときは、酒の味が変わるんじゃないかと思うほど感動しました。
9月17日は、沼津で介護職就活セミナーの同行取材。現場訪問で訪れたNPO法人マムの障害児ケアホームで、理事長の川端恵美さんが企業メセナ例として紹介したのが、純米吟醸「TOMO」。川端さんの障害を持つ娘さんがラベルを描き、沼津市内の酒販店の仲介で、京都伏見の山本本家で委託醸造してもらったそうです。
川端さん曰く「福祉に目を向けてくれるのは、関連業者か障害者を抱える家族しかいない状況を打破しようと、積極的にイベントを開いて一般企業の協賛を得る努力をし、今のところ商品化にこぎつけたのがこの酒」とのこと。「私自身がおサケ、好きなのよぉ~」と快活に笑います。私が「伏見の酒なんですねえ」と残念がったところ、「沼津の蔵元さんで原料米から育ててオリジナル酒を造るプロジェクトも企画してるの」とニッコリ。
障害者と日本酒・・・つながるとしても、ごく稀な例だろうと思っていたことに、立て続けに出会ったことで、「日本酒は地域社会になくてはならない存在」ということ、「障害者(を取り巻く環境)は特別な存在じゃない」ということ、そして「自分が見聞きしてきた酒の世界は、まだまだ狭い」ことを強く感じました。
この先、自分がどういう切り口で酒の記事や映像を送り出すべきか、未だ答えは出ていませんが、この先も地元で暮らしていく上は、地域のあらゆる人々と酒とのつながりを丁寧に紡いでいけたらいいなあと思っています。
とりあえず、先週末に更新した日刊いーしずの地酒コラム【杯は眠らない】。酒米と誉富士のディープな解説記事で、前回の酒のイベント案内記事よりもはるかに手間がかかったのに、反応はイマイチなのが哀しいです。「わかるやつだけわかればいい」は、やっぱり、あまちゃんのように分母の大きな世界に通じる台詞かな(苦笑)。