杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

言葉をめぐる、気づき旅

2015-04-19 14:47:17 | 歴史

 先日、ある会合で同席した人にライターの肩書きの名刺を渡したら、「スズキさんってライターだったんですか」と驚かれました。その人が関わった行事についてこのブログに書いたことがあって、それをきっかけにブログを時々閲覧されていたよう。“朝鮮通信使や白隠禅師を少々かじった風変わりな酒飲みのブログ”と思っていたそうで、もちろんそのとおりなんですが、ライターが本職だと判り「素人にしては書き慣れているなあと思った」とお褒めいただきました(笑)。

 よくよく考えてみると、日本人が日本語で書く文章に、プロも素人もないような気がするし、慣れているか否かの違いで良し悪しが決まるものでもない。そう思う一方で、上達するにはひたすら書くしかない、第三者に読んでもらうことをきちんと意識して書かなければ修業にならないと考え、自分の文章修業を目的に始めたのがこのブログです。友人から「最近、歴史や宗教の話ばかりで難しすぎて疲れるよ」と苦言を呈されつつ、ややこしいテーマの場合はますます意欲が湧いてくる。専門性の高いテーマでも専門家ではない自分が解釈できる範囲なら、一般の人にも伝わるはずだと。「難しすぎて疲れる」という評価は、自分の伝え方が未熟だという証拠。そんな自分がプロのライターを名乗っていいのか、30年近く経った今でも迷いは消えず。そんな、行き暮れた思いにかられるときは、とりあえず誰かの意味ある言葉を探りに旅します。

 

 前回記事の大名家の起請文というユニークな文書を観に行ったその翌日、東京北の丸の国立公文書館で5月10日まで開催中の【JFK-その生涯と遺産展】と、靖国神社遊就館で開催中の【大東亜戦争七十年展最終章】を鑑賞しました。

 

 公文書館って、図書館と違って一般人が縁遠い施設だと思っていましたが、初代公文書担当大臣を務めた上川陽子さんから「国民のかけがえのない知のインフラ」と教わり、今回のJFK展もハーバード大学院ケネディスクール出身の陽子さんが尽力して開催にこぎつけたと聞いて、どんなにややこしい施設でも足を踏み入れなければ・・・!と意を決して向かいました。フタを開けてみれば、意を決する必要なんかなくて、老若男女、洋の東西問わず、実に多くの来館者で大盛況。開館史上最高の入場者数を更新中とか。さすがケネディ人気というか、アメリカの公文書館から門外不出の貴重なお宝を出展してもらうという画期的な試みが見事奏功したようです。入場無料ですしね!

 アメリカには国立公文書館記録管理院という組織のもと、13の大統領図書館・博物館があります。歴代大統領ごとに公文書や関連資料をきちんと保管展示しているんですね。今回出展協力したジョン・F・ケネディ大統領図書館・博物館はボストンのコロンビアポイントにあり、ケネディに関する文書840万点、写真40万点、音声記録9000時間、映像フィルム230万メートル、ビデオ1200時間等を所蔵。主な資料はデジタル化されHPで公開されています。

 そういえばワシントンのアメリカ国立公文書館にはペリー提督の航海日誌が保管され、吉田松陰が密航を企てたときの記述が記されています。

 

『この事件は、厳しい国法を犯し、知識を増やすために生命まで賭そうとした二人の教養ある日本人の激しい知識欲を示すものとして、興味深いことであった。日本人は確かに探求好きな国民で、道徳的・知的能力を増大させる機会は、これを進んで迎えたものである。この不幸な二人の行動は、同国人に特有のものと信じられる。また激しい好奇心をこれほど良く示すものは他にあり得ない。・・・・日本人のこの気質を考えると、その興味ある国の将来には、なんと夢にあふれた広野が、さらに付言すれば、なんと希望に満ちた期待が開けている事か!』

 

 またイェール大学図書館には吉田松陰密航時にペリーに宛てた手紙の原本が残っています。ペリーの通訳で、晩年同大学教授を務めたサミュエル・ウイリアムズの私文書の中にあったものを、密航150年の節目となった2003年、日本の研究者が発見したのです。「外国に行くことは禁じられているが、私たちは世界を見たい。(密航が)知られれば殺される。慈愛の心で乗船させて欲しい」という切なる訴え。それに応えられなかったペリーが後に記した日記・・・。こういうものがちゃんと残っていたことで、歴史が遠い過去の物語ではなく、同じ人間同士の行動記録なんだって実感できるのです。

 

 話は逸れましたが、ケネディ大統領関連の公文書・・・カチッと英文タイプされたお堅いペーパーだろうなと想像していたら、タイプ文字の行間に走り書きがいくつも。たとえば平和の戦略を説いた演説原稿では「・・・not merely peace for Americans but peace for all men」という原文に、手書きで「and women」と付け加えてありました。

 ケネディは第二次大戦中の1943年、魚雷艇PT-109に艇長として乗船し、南太平洋で日本の駆逐艦「天霧」に衝突されて遭難。ヤシの実に「11 ALIVE NEED SMALL BOAT(11人生存。小さなボートが必要)」と刻んで現地人に託しました。このヤシの実はのちにペーパーウエイトに加工し、大統領執務机に置かれたとか。国外持ち出しは今回初めてだそうです。また後年、天霧の乗務員を探し出して「昨日の敵は今日の友」と書き添えたポートレートを送っています。戦争史やケネディ伝記に詳しい人には常識エピソードかと思われますが、私にとっては「へええ!」の連発でした。

 

 一番グッと来た展示は、大統領就任式の映像が流れる横で、展示されていた就任演説の原稿。

 

「・・・同胞であるアメリカ市民の皆さん、国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。また同胞である世界市民の皆さん、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、人類の自由のために共に何ができるかを考えようではありませんか」

 

 ああ、あの演説だなあと最初は一目して通り過ぎようとしたら、横の映像画面から本人の声が流れてきて、アッと足を止めました。今までいろんな展覧会でいろんな歴史資料を閲覧してきましたが、原文を見ながら、書いた本人の肉声を聴くのは初めてです。肉声や映像が残るのは、もちろん近代の史料に限られたことですが、なにやら無性にゾクゾク。この文章は美しい・・・!と素直に感じ入りました。

 ケネディ至宝の言葉として語り継がれるあの名言。それはきちんと用意されたタイプ原稿であり、タイプ文字の裏側からは、おそらく信頼できる周囲の人間から知恵を借り、助言を乞い、推敲を重ね、最後は独りで決断した孤高の背中が見えてくる・・・。この文章で行こうと決断した迷いのなさが声の力強さとなって、聴く者に感動を与えたのです。この一連の展示を見て、いい文章とは「声に出して伝わるかどうか」が基準になることを、ひとつ、確信しました。

 

 靖国神社は、実は初めての参拝です。母方の祖父が中国の重慶で戦死しているので、いつかはお参りしなきゃ・・・と思いつつ、今まで機会がありませんでした。本当は日本橋の美術館へ行くつもりだったのですが、国立公文書館のある地下鉄竹橋駅の構内で、ひと駅西の九段下が最寄だと気づいて、日本橋とは逆方向に飛び乗っちゃいました。ソメイヨシノは盛りを過ぎたものの、穏やかな春の日曜、門前では骨董市も開かれていて、多くの参拝客で賑わっていました。

 

 遊就館はクラシックな外観からして東京国立博物館本館のような重厚な施設をイメージしていたところ、内部は最近の新しい博物館によくある、“見せる展示”を意識したモダンなフロア。順路がややこしくて途中で迷っちゃいましたが、明治以降の戦争の歴史を時代ごとにわかりやすいビジュアルで紹介しています。

 つい最近まで再放送されていた『坂の上の雲』や、クリント・イーストウッド監督『硫黄島からの手紙』の印象も手伝って、秋山真之や栗林忠道の遺品にはついつい見入ってしまいました。上川陽子さんが総務副大臣を務めていたときの“上司”新藤総務大臣が栗林忠道中将のお孫さんだとうかがっていたので、勝手に親近感を持っていたのです。閣僚の靖国参拝は何かと物議を呼びますが、新藤さんにとってはこの世で会えなかった祖父に会いに行く、ということ。私にとっても同じことで、この世で会えなかった祖父に、今日こうして会いに来たんだ・・・と胸に迫る思いがありました。戦史に残る名将と一兵卒の祖父を同等にしちゃ申し訳ないのですが。

 

 太平洋戦争で戦死した英霊の写真群と遺書の展示には、やはり重苦しい気持ちにさせられました。祖父の写真や遺品がここにないのは承知していましたが、一覧名簿のバインダーを思わずめくって祖父の名前を探してしまい、ここに展示されていない圧倒的数の戦死者の声なき声と見えない顔を想像しました。太平洋戦争ばかりではなく、日本が、今の日本になるまでに経験した戦争には、記録されていない圧倒的数の屍があり、不都合な資料は隠される。・・・戦争資料を扱う博物館は、展示されたものだけを観て終わりではなく、展示されないものがあることを学習する場だ、と実感しました。

 

 ライターに素人とプロの差があるとしたら、目に見える分かりやすい事象だけを扱って、誰もが「そうそう」「いいね」とレスするものを書いて満足するのが素人。目に見えないもの、人が気づかないもの、常識と思い込んでいるものに斬り込んで、気づきを与えるものを書けるのがプロフェショナルだな・・・。遊就館を見終わった後、なぜかそんな思いにかられます。

 中国の大陸奥地で亡くなった祖父のことは、母の実家にある20代の写真でしか知らず、まあまあのイケメン。この20代イケメンが自分のおじいちゃんだという実感がなかなか持てずにいましたが、ライターとして曲がり角にある自分をここに導いて、プロの矜持に気づかせてくれたのは、おじいちゃんの魂かもしれません。今の生活の中で、戦争で命を落とした人たちのことをそんなふうに意識し、感謝することが、今、自分に出来うる精一杯の慰霊なのかな。

 

 

 靖国神社を参拝した後、国立公文書館で購入した所蔵資料ポストカードセットと、前日訪れた永青文庫で購入した平成20年度夏季展カタログ【白隠とその弟子たち】をパラパラめくっていたら、この2資料が眼に留まりました。

 国立公文書館の出入り口近くに展示されていた【大東亜戦争終結ニ関スル勅書】。玉音放送でよく知られる「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」のあの御言葉の原文です。これが展示され、ポストカードになっていたなんて、やっぱり公文書館ってスゴイ施設だ・・・としみじみ。

 

 こちらは白隠さんの「死」の文字。「死の字を究めない者は、いざというとき臆病な振る舞いをする」と白隠さんはおっしゃっていたそうです。「死の字を究めようとするならば、自己が本来もっている本性を明らかに見抜かねばならない」と。

 思い返すと、遊就館に展示されていた遺書には、迷いのない言葉選びや筆遣いのものがいくつかありました。どちらも日本人の死生観を学ぶ貴重な資料であり、白隠だけ、靖国だけ、では気づかないものがあると思う。それが何かを書き説くことができたら、ライターとして少しは自信が持てるかもしれません。


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