杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

酒茶論、酒vs茶の可笑しな論争

2019-07-03 09:23:24 | 歴史

 6月11日投稿のブログ記事『広辞苑、重版の旅』で、1955年発行の広辞苑第一版が静岡県立図書館で閲覧できなかったと書きました。その後、やっぱりどうしても気になって、国立国会図書館複写受託センターにアクセスし、広辞苑第一版の「清酒」「杜氏」の説明箇所をコピーして送ってもらいました。

 私は件の記事で、

「清酒」に関しては第二版(1969)で「わが国固有の酒。蒸した白米に麹・水・酒酵母を加え、発酵させてもろみを造り、これを濾過して製する。淡黄色で特有の香味がある。すみざけ。日本酒。↔濁酒」とあり、第三版(1983)、第四版(1991)まで同じ。

 第五版(1998)は「わが国固有の酒。蒸した白米に麹・水・酒酵母を加え、発酵させてもろみを造り、これを濾過して製する。淡黄色で特有の香味がある。すみざけ。澄んだ純良な酒。↔濁酒」とあり、澄んだ純良な酒。というのが追記された。これが直近の第七版まで踏襲されている。

 と紹介し、1998年になって「澄んだ純良な酒」という表現が追加されたのは吟醸酒ブームが影響したのでは?と推察したのですが、第一版(1955)で、

①澄んだ日本酒。純良な酒。すみざけ。↔濁酒。②我が国固有の酒。白米に麹と水、または酒酵母を加えて醗酵させ、これを濾過して濾した淡黄色で、特有の香味ある酒。

 

と、いきなり冒頭に登場していたのです。1998年が初めてではなく、1955年の時点でしっかり表現していたんですね。っていうか、清酒の説明は最初から「澄んだ純良な酒」だったんです! だったらなんで第二版(1969)から第四版(1991)まで削除されたんだろう?・・・まあ、どーでもいいっちゃ、いいんだけど、言葉の選択に何かしらの時代背景や筆者の意図がある?なんて、ついつい深読みしてしまいます(苦笑)。

 

 ところで、前々回記事(6月17日投稿)の『第三の茶・香り緑茶』の末尾に、『酒茶論』という古文が気になっていると書き残しました。今回はその続きです。

 酒飲み(上戸)とお茶好き(下戸)が、酒と茶のどちらが優れているかを論争する『酒茶論』の存在は、以前から知っていましたが、今春、久しぶりにがっつり静岡茶の取材をして「茶どころ静岡の酒飲みならば知っておくべきだろう」と実感し、まずはネットで〈酒茶論〉と検索してみたら、品川にあった長期熟成酒バー・酒茶論ばかりがヒット。酒茶論そのものの解説記事や解説本の紹介はごくわずかでした。

 数少ない情報を辿ってみたら、〈酒飯論〉〈酒餅論〉というのも見つかり、酒vs茶、酒vs飯、酒vs餅という論争が一種の形式化されていました。このような形式の読み物を「異類合戦物」と呼び、室町~江戸時代に人気を集めていたそうで、ほかに〈梅松論〉〈油炭紙論〉などもあるようです。日本人はどちらかといえばディベートを好まないと思っていましたが、こんな知的な論争を楽しんでいたなんて!

 

 さて、ネットや図書館巡りで文献をいくつか入手し、このひと月あまり、じっくり読み込んでみた内容を、自分自身の頭の整理を兼ねて、ここで紹介したいと思います。

 

 酒と茶(もしくは飯、餅)の争書というのは前述の通りいくつかあります。

①中国敦煌遺跡から出土した文物「茶酒論」。唐代後半頃までに成立した争奇書。茶と酒による論争を水が仲裁するという内容。これがたぶん一番古いと思われます。原点はやはり中国でしたか。

②戦国時代の天正4年(1576 )、岐阜にある臨済宗乙津寺の蘭叔玄秀和尚が書いた「酒茶論」。上戸の忘憂君(ぼうゆうくん)、下戸の滌煩子(できはんし)という2人が中国の古典等を引用し、酒と茶の優劣を論争。最後に中戸の一閑人(いっかんじん)という人物が登場して仲裁します。蘭叔は後に臨済宗総本山妙心寺第五十三世管主となり、織田信長も帰依したという高僧で、岐阜の乙津寺に残った酒茶論原本は太平洋戦争で焼失、妙心寺塔頭養徳院のものは現存。…養徳院は非公開寺院のようですが、なんとか拝見できないかなあ~!

 原文は約2000字の漢文。私の頭で読み下すには時間がかかり過ぎるため、淡交社刊『茶道古典全集第二巻』で見つけた福島俊翁氏による現代語訳をもとに、一部抜粋&意訳してみます。


酒(忘憂君)「お茶の徳、酒の徳のどちらが高いか比べよう」


茶(滌煩子)「無駄だ。茶に勝てるはずがない。第一、酒は仏様が深く戒めただろう」


酒「聖人・賢人とは、殷の高宗が澄んだ酒を聖(ひじり)、濁ったのを賢(さかしびと)といったことが由来するのだ。御飯の後に飲むのを中の酒といい、昔の人は酔いもせず醒めもせずに飲むので中といった。そこから中庸という言葉も生まれた。史記では“酒は百薬の長”といっているではないか」


茶「茶という字は、草と木の間に人と書く。酒は水の鳥(酉)と書くが、鳥より人間の方が貴いのはあきらかだ」


酒「人間が草木の間に置かれているなら狩人・薪取り(一般に身分の低い賤しい者を指す)じゃないか。高貴な身分の人は飲まないんだな?」


茶「茶の道具は金銀珠玉銅銭土石で作り、その価値はいかほどかわからない。好事者は無上の宝とし、もしその一つでも手に入れようものなら、天下の大評判となる。酒の道具は何文にもならないだろう」

 

酒「風流を対価で論ずるな。春は桃李園で宴をし、花に座して月に酔い、夏は竹葉の酒を酌み、秋は林間に紅葉を焚いて酒を温める。冬は雪の中で寒さをさける」


茶「茶は四季などにこだわらない。いかなるときも瞬時を大切にする。陸羽が記した茶経では“その樹は瓜廬(かろ)の如く、葉はクチナシの如く、花は白薔薇の如く、茎は丁香の如く、根は胡桃のようである。その名を茶という”とある」


一閑人「二人とも、言い争いをしても酒の徳、茶の徳を究めることはできないぞ。二つは天下の尤物(ゆうぶつ=優れたもの)。お酒はお酒、お茶はお茶なのだ 」

 

 ・・・最初一読したときは、頭でっかちの屁理屈合戦だなあと笑ってしまいましたが、このディベートを頭の中で創造した蘭叔和尚というのは、さすが、信長が帰依しただけの高僧。どういう意図でこれを書いたのか深読みせずにはいられません。

 ちなみに、中国の茶酒論では、茶と酒の論争を〈水〉が仲裁し、「茶も酒も、水がなければ形容はできない。また米麹も乾いたものは胃腸を害し、茶の葉も乾いたものを喫すれば咽喉を破る。万物は水あってこそ」と丸く収めています。〈水の仲裁〉のほうが、なんとなくしっくり来ますよね。

 

 ほかにー

③酒飯論 室町末期の作。酒茶論より少し後か?作者不明。和文と絵巻物の2種類あり。

④酒餅論 江戸初期の作とみられる。作者不詳。花見に餅菓子を食べていた人々に怒った〈酒田造酒之丞のみよし〉と、餅の効能を説いて反論した〈大仏鏡の二郎ぬれもち〉。双方に加勢する者が現れ、〈のみよし軍〉と〈ぬれもち軍〉の大論争となる。

⑤酒茶問答 江戸末期の作。作者・平安三五園月麿。蘭叔和尚の酒茶論に日本の故事を加えたもの。


 現時点で調べた限り、酒と〇〇を論争した異類合戦物には上記5種類がありました。長くなりましたので、③~⑤についてはまた。


参考文献/群書類従第19 巻「酒茶論」、茶道古典全集(玄宗室編)、「酒茶論とその周辺」渡辺守邦著、「日中の酒にまつわる論争について」三瓶はるみ著

 

 

 


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