杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

日本初の更生保護施設~静岡県勧善会

2012-09-12 14:51:10 | 社会・経済

 静岡市の金座町にある『金座ボタニカ』。昭和の古い社員寮をシェア1
オフィスに改装したユニークな施設として、過去ブログでも紹介し(こちらを参照)、しずおか地酒研究会でも地酒サロン(こちらを参照)を開催させてもらったことがあります。

 

 

 そのボタニカの下山晶子さんから「静岡大学の小二田誠二教授と『誰も知らないほとんど知らない静岡研究会』という会を始めたとご案内をいただき、9月9日(日)14時から開かれた『誰も知らない殆ど知らない静岡研究会・社会文化セッション~静岡刑務所と更生保護施設の人々』に行ってきました。曲金にある更生保護施設・静岡勧善会の施設長で保護司の近藤浩之さんが、一般に知られていない受刑者更生施設とそこで自立訓練を受ける人々について貴重なお話をしてくださいました。

 

 静岡勧善会という保護施設の存在、恥ずかしながら今まで知らず、近藤さんから施設の成り立ちについて伺い、ああ、これは静岡市民が知らなきゃ恥ずかしいなあと痛感しました。

 

 

 

 更生保護施設というのは刑務所を出所した人の社会復帰のため、明治21年(1888)、民間でスタートした施設。全国に101カ所あるそうですが、明治21年に日本で初めて出来たのが静岡県出獄人保護会社。設立したのは旧中津藩士(大分県)の川村嬌一郎。スポンサードしたのは天竜川治水や北海道開拓で知られる金原明善です。

 

 

 川村嬌一郎は西南戦争にかかわった政治犯として、同志だった旧土佐藩士・岡本健三郎とともに静岡刑務所(=明治3年に井宮に「未決囚獄舎」として設立)に収監されました。

 

 明治13年(1880)に出所後、自ら刑務所員となって所内で説法活動をするなど、入所者の更生に尽力し、その功績が認められ同刑務所長に就任します。静岡刑務所は、今は初犯受刑者用ですが、当時は初犯も再犯も一緒くた。なんとか再犯を防ごうと、受刑者一人ひとりに親のように親身になって世話をしたそうです。刑場まで付き添う教誨師の制度も彼が始めたものでした。

 

 ある受刑者が15年の刑期を終えて遠州の故郷に戻ったのですが、実家には居場所がなく、警察に相談に行っても相手にされず、将来を悲観して入水自殺を図り、川村のもとに遺書が届きます。出獄人(出所者)が社会復帰するための更生保護の必要性を痛感した彼は、静岡県出獄人保護会社を設立することに。このとき出資したのが、明治政府で大蔵省役人になっていた岡本健三郎と天竜川治水事業の予算交渉をしていた金原明善だったということです。

 

 

 

 静岡県出獄人保護会社は日本で最初に形余者の保護事業を担い、現在の保護司制度の原点ともなった施設。これが、現在の「静岡県勧善会」の前身です。同様の施設は国内でいっとき、200以上も誕生しました。アメリカではロックフェラーやアイゼンハワーのような巨大財団のスポンサードによって運営される更生保護施設ですが、日本ではスポンサーどころか地域での理解を得るのも困難。今では101カ所に減ってしまったようです。

 

 

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 祖父、父と3代にわたって保護司の職を担い、静岡県勧善会の施設長を務める近藤さん(写真左)。現在は23人の入所者と生活をともにしながら、彼らの社会的自立をサポートしています。入所者の多くが、家庭の暖か味を知らない不幸な生い立ちを持つため、ご自身の家族も含め、家族的な雰囲気で接することを心掛けておられるそうです。

 「オレオレ詐欺を働く若者のほとんどが、身近におじいちゃんおばあちゃんがいない家庭環境だった。お年寄りをだますことが悪い、という自覚が持てない彼らも不幸です」と近藤さんは言います。

 

 

 

 23人は、早朝、施設周辺の道路清掃をした後、土木作業員や工場作業員等の仕事に出掛けます。静岡県は中小の製造業企業が多く、事情を知った上で雇用してくれる面倒見の良い“協力雇用主”も多いそう。彼らを、元受刑者という色眼鏡で見るのか、人として同じ目線で接してくれるのか、彼らは敏感に感じます。近藤さんは「彼らを立ち直させるのは、環境に他ならない。環境次第でいくらでも更生できます」と力を込めます。

 

 

 

 近藤さんのような民間更生施設の努力にもかかわらず、全国的に見ると、刑期を終えても5人中3人が職に就けず、再犯を繰り返しているとのこと。出所後に行き場のない人のため、国が処遇困難者用の宿泊施設を京都、福岡、福島に設置しようとしたところ、京都と福岡は地元住民の反対に遭い、結局、設置できたのは福島1カ所のみだったそうです。

 

 

 一方で、全国には民間運営の刑務所が4カ所出来て、向こう10~15年分の予算も付いているそう。モデルケースになるため問題が起きてはいけないということなのか、この4つの刑務所には、全国の刑務所の中から“優良な受刑者”が選抜され、集められたんだとか。・・・いろいろな改革を始めるうえで、そうすることもやむをないのでしょうが、つくづく、明治時代から地域で地道に尽力してきた民間の更生保護施設の人たちが気の毒だ、と思います。

 

 

 

 とにもかくにも、静岡市にそういう施設があって、日本の更生保護史のトップランナーだったということ、市民のハシクレとして心に留めておかねばと実感しました。

 素晴らしい講座を企画されたボタニカさんと小二田先生に感謝いたします。

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3 コメント

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記事の引用につきまして (飯田健司)
2016-09-05 19:30:02
千葉県成田市で保護司をしている飯田健司と申します。
保護司会事務局をしておりまして、この度静岡勧善会を視察させていただくことになりました。参加者に配布する研修資料を作成するに当たりまして、ネット上で鈴木先生のブログと出会いまして感動するところがありました。
この一部分を引用させていただくことは可能か、または可能の場合どのような表現がよろしいかご教示いただければ幸に存じます。
お忙しいおり恐縮ですが、お返事またはご指示を頂きたくコメントさせていただきます。
なお、URLは保護司会とは全く関係がなく、たまたま仕事の傍ら、保護司会の事務局をしているものです。
返信する
ご返信いただくには・・・ (飯田健司)
2016-09-05 20:02:12
ご指導をお願いしたのもかかわらず、返信用のアドレスを入れないといけなかったようです。
保護司会事務局専用アドレス
v.p.o.nrt1124@gmail.com

コピー専用メール v.p.o.nrt1124@gmail.com
返信する
Unknown (鈴木真弓)
2016-10-16 09:53:18
お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。ブログ機能の不具合により一定期間、コメント欄を表示できずにいました。
この記事が何らかのお役に立つのであれば、遠慮なくお使いください。日頃、地道に活動されている飯田様のような方々のお力添えになれば望外の喜びです。
返信する

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