執筆を担当する静岡県広報誌『ふじのくに』最新号(12号)が発行されました。目玉は、知事とドイツ駐日大使フォルカー・シュタンツェル氏の対談。京都大学で水戸学!を研究されていたという大使は、日本語ぺらぺら、ブログ(こちら)も日本語で書かれるという日本通。2004年から2007年まで駐中国大使、2009年から駐日本大使を務めるアジア専門家です。
広報誌の知事対談というワクで用意したテーマ(環境問題やEUに学ぶ地域連携のあり方など)よりも、個人的には、お2人学者同士のガチンコ対談=日本のアイデンティティが中国という巨大隣国の存在なしには形成し得なかったとか、幕末維新のエネルギー源となった日本のナショナリズム等などについて、もっと聞きたかったなあ(たぶん知事も語りたがっておられたのでは・・・)と思いつつ、広報誌仕様に編集したわけですが、自分がとくに面白いと思った部分を一部再掲します。
知事:大使はフランクフルト大学で日本学、中国学、政治学を学ばれましたね。日本に関心を持たれたきっかけは?<o:p></o:p>
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大使:政治的な興味からです。私が学生だった60~70年代当時は全世界で学生運動、反核運動の時代でしたから、一度はヒロシマ、ナガサキの国を理解しようと思いました。<o:p></o:p>
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知事:72年から75年まで京都大学に留学されていますね。最初に日本に来られたとき、まだ20代でいらっしゃったと思いますが、どんな印象でしたか?<o:p></o:p>
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大使:日本へは、汽車やバスや船を乗り継いで、アフガニスタン、インド、台湾などを回って、半年がかりで来ました。台湾から鹿児島へ入り、それからヒッチハイクで京都まで行ったんです。車に乗せてくれた人々との交流は楽しかった。もちろん自分はヨソモノだという意識を持っていましたが、日本の人々とはヨソモノであっても温かいおつきあいができました。とても暮らしやすい国だと感じました。<o:p></o:p>
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知事:京都大学では何を専攻されたのですか?<o:p></o:p>
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大使:古典文学ですが、さきほど言いましたように政治に興味がありましたので、実際には幕末思想を勉強しました。ご存知の通り、戦争というのはファシズムの国が始めるものです。ヨーロッパ各国でも1930年代、ファシズムが台頭しました。背景にあったのはナショナリズムです。日本も19世紀前半からナショナリズムが台頭しましたね。それを比較研究しようと思いました。とくに研究したのは水戸学。藤田東湖、会沢正史斎などです。ドイツに戻り、ケルン大学は会沢正史斎の『新論』で博士論文を書きました。<o:p></o:p>
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知事: それは大変興味深いことです。日本を知ろうと思ったら、幕末明治維新の思想抜きには語りえません。当時の日本のナショナリズムの勃興が、江戸時代の社会体制を根本的にくつがえし、日本を変えました。
大使はアジアのナショナリズムに詳しい学者でもありますが、このところ、中国のナショナリズムが目立ちます。1990年代から中華民族主義が台頭し、2012年秋に中国共産党総書記に就任した習近平氏も「偉大な中華民族」と述べています。
通常、ナショナリズムには排外的性格が伴います。大使は、国民に民主主義の価値が共有されれば、ナショナリズムの排外主義は克服できると思われますか?<o:p></o:p>
大使:可能であると思います。なぜなら戦争を始めた民主主義の国はほとんどありません。もちろんイラク戦争など他国を守るために戦争に入った民主主義国家もありましたが、政府が市民の声を聞かなければならないのが民主主義ですから、戦争をしたくないという市民の声がある限り、民主主義の国は戦争をしません。
中国は今、大きく変化しています。今後、平和的に徐々に民主主義の価値が浸透するかはまだ分かりませんが、一度そうなれば、他の国と同様に、ナショナリズムの問題も危険も克服できると思います。<o:p></o:p>
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知事:日本のナショナリズムの核には天皇制とサムライ意識があるように思います。いずれも日本人の中では比較的自然に受け入れられています。サムライ意識ないしは武士道というのは倫理規範です。新渡戸稲造は、キリスト教の道徳に対応するものが日本にあるかどうかと問われて、その回答として『武士道』を書きました。武士道とは、勇気・忠孝・仁・義・礼・智・信などの徳目からなります。
仁とはキリスト教でいうLOVE(愛)、思いやりです。義はrighteousness(正義)、礼は社会規範や公のマナー、智は勉強するということ、信はtrust(信頼)。そうした徳目が武士道に込められており、武士道は民主主義と両立します。
天皇制は古代から現代まで引き継がれています。日本は早くも古代に権威と権力とを分け、権力に関わらない権威のみの天皇という天皇制を作り上げましたが、これも民主主義と両立できると思っています。どうお考えですか?
大使:興味深い問題ですね。日本において根本的かつ歴史的問題は、大きな中国のそばの小さな島国であるという存在です。大きな中国からいろいろな思想が入ってきたとき、どんなふうに自分自身を思想的に守れるか。中国では王朝がたびたび替わりましたが、日本という国は天照大神に代表される神話の時代からずっと続いています。世界にも例のない国です。小さな島国が大きな中国に対して守るための思想の象徴であったわけです。<o:p></o:p>
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知事:東大寺の僧が中国に渡り、日本書紀に書かれた天皇の歴史について、当時の宋の皇帝に説明したとき、宋の皇帝は「日本の天皇が安定しているのは誠にうらやましい、中国の皇帝は革命ごとに替わってきた」と嘆息したと『宋史』にあります。日本人にとって中国は、中国人と異なる日本人としてのアイデンティティを照らしてくれる鏡のような存在です。中国が隣国にあるおかげで、日本人のアイデンティティが形成されたとも思います。
つい最近、沖方丁氏の【光圀伝】を読み終え、今は、橋爪大三郎氏・大澤真幸氏・宮台真司氏の鼎談集【おどろきの中国】を読んでいるので、この対談時のことも興味深く思い出しました。なお対談の全文は『ふじのくに』12号(県庁東館2階情報コーナーで入手または各地の公共施設・銀行・病院等で閲覧)を参照してください。電子版(こちら)もまもなく更新されると思います。
ちなみに、対談当日、大使館のそばにあったヴィノスやまざき広尾店で、自分用に買った磯自慢の新酒を、せっかくならと、知事から大使への手土産にしてもらった顛末はこちらで紹介しています。私らしい、ささやかな国際貢献です(笑)。
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