京都の旅の続きです。『京都今宵堂』にあった古いちゃぶ台が気に入って、上原夫妻に教えてもらった一乗寺のアンティーク家具の店『葡萄ハウス家具工房』へ。適当な大きさのちゃぶ台がなかったものの、大正~昭和期のレトロファニチャーの宝庫でした。古い家屋が多い京都ですから、仕入れにも困らないだろうなあ。家具好きにはたまらないお店だと思いました。
歩いてすぐのところに、上原さんから「一見の価値あり」と教えてもらった人気書店『恵文社一乗寺店』があり、ちょうど雨が降ってきたので、ちょいと雨宿りのつもりで入ったところ、急にゲリラ豪雨みたいな激しい雨になり、小一時間動けなくなってしまいました。
ところがこれが、編集者の平野さんとライターの私が雨宿りするのに、これ以上ベストな場所はないと思えるくらい素敵な本屋さんでした。本とギャラリーと雑貨を販売するセレクトショップで、ちょうどギャラリーでは自費出版フェアをやっていて、京都と東京のクリエイターたちのユニークな手作り雑誌がズラリ。内容もさることながら、本の形状や体裁の面白さにも惹かれました。本ってこんな自由に作れるんだって、ライター稼業に就いた頃の無垢な感覚を思い出しました。
この本屋さん、英ガーディアン紙が2008年に選んだ“世界の魅力的な書店ベスト10”に、日本で唯一ランクインしたそうです。手頃な広さで、本の選び方・並べ方もセンスたっぷり、雑貨やギャラリーもあって飽きずに楽しめる。イマドキの若者がファッションのセレクトショップ感覚で通うんだろうなあと思います。30年前に京都で学生生活を送っていた私にとっては、隔世の感ありあり。どっちかといえば、やっぱり寺町通りあたりにある狭苦し~い昔ながらの古本屋さんのほうが、「本屋さんで目を点にして本を探す醍醐味」を味わえるんですけどね。これも年齢のせいか(苦笑)。
それにしても、改めて、魅力的な本屋さんがある街というのは、街の文化レベルを上げるなあ~と実感します。電子図書が横行し、ペーパー書籍もネットで購入できる時代に、あえて店頭で本を売る。それが文化の象徴ならば、文化とはホント、非効率なものですね。でも非効率なものがなければ生きていけないのが、人間の人間たる所以です。
夕方、街中へ戻って、平野さんは四条河原町でお買い物。私は四条烏丸の佛教大学四条センターで開催された公開講座『東日本大震災シンポジウム 今問われる人間ー智者のふるまいをせずして』を聴講しました。
宮城県塩釜市の雲上寺副住職・東海林良昌氏と、神戸市の徳本寺住職・吉永幸也氏が、被災地の宗教者として感じたこと、活動したことを報告し、京都新聞のベテラン記者と佛教大学学長・仏教学部長を交えてパネルディスカッションを行いました。宗教者を特別視するわけではありませんが、圧倒的な悲劇を目の前にしたとき、宗教者の役割とは何かを訊いてみたいと思いました。
宮城の東海林さんは1970年生まれとまだお若く、多くの檀家さんが亡くなり、被災し、「圧倒的な自然の力の前になすすべもなく、自分は誰か、私の世界は何で成り立っているのかわからなくなり、このまま死んでもいいかなと思う瞬間もあった」と正直に吐露されました。
近隣住民が、避難していた小学校の体育館の床板が冷たくて耐えられないと、寺を頼って集まり、中越地震の際に支援した新潟県小千谷市からすぐに救援物資が届いたそうです。水道が止まっていたときは、お年寄りの住民が古い井戸の場所を知っていたため、なんとか水を確保できたとか。「忘れられていた人と人とのつながりや暖かさが現れた」と実感されたそうです。
ご自身ができる支援活動として取り組まれたのが、読経ボランティア。ご遺族の「手を合わせたい。宗教的ないとなみの中で送ってあげたい」という言葉に背を押されたといいます。仮設住宅を回っていたときは、今まで接点の少なかった他宗派の僧侶たちとの連帯感も生まれました。猛暑の時期は、かき氷をふるまいながら被災者に声掛けをし、傷んだご位牌を修理するボランティアも。「垣根をとりはらうと、つながりが見えてくる」と噛み締めておられました。・・・宗教者にしかできないことってあるんだなあと思いますね。
神戸の吉水さんは、1995年の阪神淡路大震災の時、神戸市灘にあったお寺の本堂が全壊。丸2日間、救急車や消防車のサイレン音も聞こえず、「世界の終りとはこういう状況か」と実感されたそうです。そういう状況の中、(死を連想させる)法衣をまとって街を歩くことがこれほど辛かったことはないと振り返ります。
大学の恩師から救援物資が届いたとき、「被災者の気持ちは、被災した者しかわからないから、お前がやるんだ」と励まされ、避難所へ物資を運ぶボランティアを始めます。2ヶ月後にオウム真理教の地下鉄サリン事件が起きてマスコミ報道が一変してからは、さらに自らを奮い立たせ、公的支援が行き届かない被災現場をきめ細かく回り、地域NPO等との横のつながりを持ちながら最前線で汗を流し続けた吉水さん。いっとき、“ボランティアうつ”状態になられたこともあったそうです。
個人として出来ることの限界を感じ、脱力感に襲われるという心境は、被災地で活動された方なら誰しも経験でしょう。私なんぞ、たった1日、福島の沿岸を視察しただけで、静岡へ戻って数週間ぐらいおかしくなったもの。
それでも、吉水さんは「Think Globally, Act Locally」という言葉を大切に、地域に根差した活動を続けました。地域づくりの基本哲学みたいな言葉ですね。
あるときは、電車内で、見知らぬ客が「神戸もけっこう復興したねえ」と話していたことにショックを受けたそうです。がれきが撤去され、見た目は片付いたように見えるけど、実際は“復興”とは程遠い状況・・・。「知らない人に責任はない。現場を知る者にあるのだ」と言い聞かせたそうです。今の東日本の被災地の方も、同じような心境ではないでしょうか。吉水さんはご自身の経験から、現在は宮城県の寺院や地元ボランティアグループと連携しながら、長期的支援のできる体制づくりを進めておられます。
聴講者から「あんな震災が起きるなんて不条理だ、この世に神も仏もないのでは?」とストレートな質問が寄せられ、佛教大学の山際学長は「命あるものには必ず限界があり、形あるものは必ず壊れる。地球では、地震は必ず起きる。現世には不可避なものがあり、その苦しみが現世の基本的本質。そういう世界に我々は生きている。不可避なものを人間の力で解決しようとするのは愚かである」と応えておられました。宗教者としては、そう応えるしかないんだろうなあと思いつつ、1961年生まれという京都で一番若い大学長さんの歯切れのよい言葉には、どこか力強さがありました。
シンポジウムのサブテーマ「智者のふるまいをせずして」というのは、法然上人の教えだそうで、わかりやすくいえば“驕るなよ”ということ。そういえば亡くなったアップルのスティーブ・ジョブス氏の名言に「Stay Foolish(おろかであれ)」というのがありますが、山際学長は「なぜ彼が法然上人の教えを知っているのだろうと不思議に思った」そうです。ジョブス氏は日本の仏教文化に造詣があったようですね。
法然上人が亡くなって800年目の節目の年に大震災が起こり、ジョブス氏も亡くなる。・・・そんな話を私は京都で訊いている。訊いただけで何の成果にもならない、きわめて非効率な行動かもしれないけど、訊かずにはいられない自分は、やっぱり人間なんだなって思いました。京都には、人間力を回復できるチカラがあるんですね。