今日はまずお知らせから。
明日(18日)21時から、SBS静岡放送(TBS系列)でオンエアされる月曜ゴールデン『西村京太郎サスペンス・探偵左文字進15』(水谷豊主演)は、長崎の造り酒屋が舞台となったドラマです。
実は、今年の春頃、東京のドラマ制作会社から、酒造職人の作業や動作について参考にしたいと、『吟醸王国しずおか』HPに問合せがあり、パイロット版をお貸ししました。お役に立ったのかどうかわかりませんが、制作会社の方から丁寧なお礼状と、7月18日オンエアのご連絡をいただきましたので、視聴できる方はぜひご覧くださいまし!
さて、昨日(16日)の中日新聞朝刊に、富士山特集第4弾が掲載されました。第2弾「富士山と信仰」、第3弾「富士山と百人一首」に続くシリーズです。
世界文化遺産登録の推薦書が今月中にまとまり、いよいよユネスコに上申となります。一介のライターである自分には、こんな側面支援しかできませんが、富士山の歴史文化を知れば知るほど、なぜこの山が今まで世界遺産になれなかったのか不思議なくらいです。その要因は、自分も含め、「日本人自身がその価値を知らなかったこと」に尽きると思います。原稿を再掲しますので、中日新聞を購読されていない方はぜひご一読くださいまし!
描かれた富士~時代と国境を超え、世界のアートシーンを魅了した富士山<o:p></o:p>
先月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界自然遺産に小笠原諸島、世界文化遺産に奥州平泉の史跡が登録され、改めて世界遺産への関心が高まった。富士山の世界文化遺産登録に向けた取り組みを進める静岡・山梨両県合同会議では、今月にも登録推薦書の最終原案をまとめ上げる。今回は、推薦書原案のポイントとして、「信仰」とともに富士山の文化的価値を示す「芸術」、とりわけ絵画のジャンルにスポットをあてる。<o:p></o:p>
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<o:p></o:p>法隆寺壁画から横山大観まで<o:p></o:p>
絵画に描かれた富士山で現存する最も古い作品は、法隆寺東院絵殿の壁画『聖徳太子伝』(東京国立博物館蔵)といわれる。以降、『一遍聖絵』『遊行上人縁起絵』等、高僧の功績を伝える作品や、『伊勢物語』等、旅物語の世界観を描いた作品に登場する。
江戸時代以降は、狩野探幽、円山応挙、池大雅、与謝蕪村、司馬江漢、谷文晁等、名だたる画家が独自の画風で描き、近代に入ると南画の富岡鉄斎、日本画の横山大観、洋画の梅原隆三郎等に引き継がれた。<o:p></o:p>
自ら富士登山を経験した富岡鉄斎の六曲一双屏風『富士山図』は、眺める富士と登る富士の特徴を対照的に描き込んだ傑作として知られる。<o:p></o:p>
横山大観の六曲一双屏風『群青富士』は、白雲を透かして輝く重厚な金地に、富士の群青、緑松、残雪の白の大胆な対比が魅力だ。大正時代のモダニズムをまとう秀作として、静岡県立美術館コレクションでも高い人気を誇る(画像はこちらを参照してください)。大観は生涯で一千五百点もの富士山図を残した。
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富士山の“一やうならざる”を描いた『冨嶽三十六景』<o:p></o:p>
さて、一般の人々が絵画に描かれた富士山と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、『冨嶽三十六景』『東海道五拾三次』等の浮世絵版画だろう。それらは明治以降、海外に紹介され、日本の象徴としてのイメージが広がり、さらに印象派や世紀末の芸術家に創造的刺激を与えた。<o:p></o:p>
『冨嶽三十六景』は作者の葛飾飾北斎(1760~1849)の名を不動のものとした46枚の連作で、江戸後期の富士講(集団で富士山を登拝する)ブームを背景に、浮世絵風景画というジャンルを打ち立てた大ヒットシリーズ。北斎は続けて『富嶽百景』も発表している。<o:p></o:p>
『冨嶽三十六景』の出版元、永寿堂は、このような広告コピーを作成している。<o:p></o:p>
『冨嶽三十六景 前北斎為一翁画 (中略) 此絵は富士の形ちのその所によりて異なる事を示す 或いは七里ガ浜にて見るかたち 又は佃島より眺る景など総て一やうならざるを著し山水を習ふ者に便す 此ごとく追々彫刻すれば猶百にもあまるべし三十六に限るにあらず』<o:p></o:p>
当時認識されていた富士見の名所のみならず、江戸市中や郊外、さらには相模、駿河、甲斐、信濃等の諸国から望む富士山の魅力を発掘せんことを“売り”にしているようだ。<o:p></o:p>
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〈凱風快晴〉〈神奈川沖浪裏〉の魅力<o:p></o:p>
46枚の中には、季節や気象変化によって表情を変化させる富士山の魅力にも迫っている。〈凱風快晴〉は夏の早朝、陽光を受けて山肌の溶岩大地が暗赤色に染まる“赤富士”の現象をとらえたもの。<o:p></o:p>
〈神奈川沖浪裏〉は、小船が大波にさらされ、船のへりにしがみつく船頭と、巨大生物のように覆いかぶさる波頭と、遠方に小さく描かれた白富士の動と静の構図が見事である。富士山の浮世絵といえば、国内外問わず、まずこの2作を想起する人も多いだろう(画像はこちらを参照してください)。<o:p></o:p>
静岡県立美術館の芳賀徹館長は、今年2月の『富士山の日記念世界文化遺産特別講演会』で2作にふれ、「それまで詩歌に詠まれた名所としての富士山ではなく、他の浮世絵とも違い、民衆の姿が出てこないまったく純粋な風景画。自然への新たな感覚の発見をした」と述べている。<o:p></o:p>
北斎が確立した浮世絵風景画は、その後、歌川国芳、歌川広重ら多くの絵師に影響を与えた。<o:p></o:p>
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<o:p></o:p>“フジヤマ”に魅了された印象派<o:p></o:p>
浮世絵は明治になって、林忠正ら日本人美術商の手によってヨーロッパに紹介され、印象派の画家に大きな影響を与えた。<o:p></o:p>
世界文化遺産登録推薦書原案(11年3月作成分)に示された、『富士山らしき山が描かれている作品とモチーフになった日本の作品』を挙げてみると―<o:p></o:p>
◇タンギー親爺の肖像/ゴッホ→歌川広重『五十三次名所図会〈原〉』<o:p></o:p>
◇セルヴィス・ルソー(陶器セット)花器「富士山」ほか/ルソー→葛飾北斎『北斎漫画』初編ほか<o:p></o:p>
◇バカラ・クリスタル製造所/竹文花瓶→葛飾北斎『富嶽百景〈竹林の富士〉〈田面の不二〉』<o:p></o:p>
<o:p> </o:p>このほか、直接富士山は描かれないが、浮世絵に影響を受けたと思われる作品は、ゴッホの『花咲く梅の木』『雨中の橋』『花魁』、マネの『〈牧神の午後〉の挿絵』、ドガの『たらい』『起床(パン屋の娘)』『出走前の競馬馬』『カフェ・コンセール「アンバサドゥール」で歌うベガ嬢』、モネの『舟遊び』『オリーブの木の習作』『サン=タドレスのテラス』、カミーユ・クローデルの『波(浴女たち)』ほか多数挙げられる。<o:p></o:p>
中でもクロード・モネは画面構成や、『冨嶽三十六景』等の連作という発想に着想を得たとされる作品を続々発表した。彼は300点にも及ぶ浮世絵版画を収集し、自宅に日本風の庭園を作るなど「ジャポニスム」に深く心酔したことで知られる。またアンリ・リヴィエールは北斎にならってズバリ『エッフェル塔三十六景』という連作版画を制作した。<o:p></o:p>
作曲家のドビュッシーも北斎に魅了された一人。交響詩『海』の楽譜初版本の表紙は、冨嶽三十六景〈神奈川沖浪裏〉の波濤をデザイン化している。<o:p></o:p>
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〈文化〉の称号にふさわしい奇跡の山<o:p></o:p>
世界に美観を誇る山は数多あるが、富士山のように、国のシンボルとして信仰と芸術の対象になるような山は極めて珍しい。さらには、この山をはじめ、日本の風景や暮らしを描いた浮世絵が西洋の画家たちに「ジャポニスム」という芸術革命をもたらし、世界の近代絵画史に大きな足跡を残した。富士山という自然美が、時代を超え、国境を超え、人間の想像力と創作意欲の糧になったのだ。<o:p></o:p>
今月中にまとまる世界文化遺産登録推薦書原案は、富士山が〈文化〉の称号にふさわしい奇跡の自然であるということを訴求するメッセージになるだろう。(文・鈴木真弓)<o:p></o:p>
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取材協力/静岡県世界遺産推進課<o:p></o:p>
参考文献/○富士山~信仰と芸術の源(編/富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議、認定NPO法人富士山を世界遺産にする国民会議)、○生誕250年記念展図録「北斎の富士~冨嶽三十六景と富嶽百景」(企画構成/山形美術館学芸課)<o:p></o:p>