『吟醸王国しずおか』のパイロット版編集に向けて、構成台本を書き始めました。今月中に上げないと、夏の試写に間に合わなくなる計算で、悠長に構えていられなくなったのです。
『朝鮮通信使』でも経験しましたが、撮れる映像が(予算的にも時期的にも)あらかじめ決まっていますから、各素材をパズルのように並べたり入れ替えたりするのがメインの作業。しかも今回はすでに撮り終えた映像を切ったりつないだりする作業なので、並べ方はある程度制限されます。
今のところ、吟醸造りをひと通り撮ったのは磯自慢と喜久酔の2蔵。2蔵だけの予告版では、静岡の酒全体のイメージが伝わりにくいし、2蔵を比較するような印象を与えるリスクもあります。そこでポイントとなるのがブリッジ(つなぎ)映像。
広島ロケの間、カメラマンの成岡正之さんと、ブリッジの作り方について突っ込んで話し合いました。行きの新幹線の中では、これから撮影を予定する2蔵以外の蔵元に、ひととおりインタビューだけでも撮ってつなごうかと考えました。全国新酒鑑評会の会場で、開運の土井社長に静岡吟醸を総括してもらったときのコメントが素晴らしかったので、そのまま流してコメントに沿った画を撮ることも考えました。少しフンパツしてヘリを飛ばし、川の源流部や酒蔵の建物を空撮し、酒蔵が置かれた地理的環境や名水どころのイメージを伝えるのもいいと思いました。
予告版なんだからそんなに力まなくても…という声と、予告版だからこそしっかりしたものを作らなければ…という2つの相反する声が、アタマの中に入り混じっています。予告版で何を一番表現すべきなのか。何を目的につくるのか。広島から帰ってきてからも葛藤は続きました。
日曜日、NPO情報誌の座談会記事をまとめているときに、わが事のように感じ入ったのは「壁にあたったときはミッションに立ち返る」「後継者を育てるときも一番大事なのはミッションを伝えること」という活動家たちの言葉でした。『吟醸王国しずおか』の企画書を書いたとき、多くの人が賛同してくれたのが「現役を去る、現世を去る功労者の足跡を記録する」というミッションでした。そのことを思い返し、日曜の夜からアルバムをひっくり返す作業を続けています。
今月最終週、不運なことに2本の編集モノの締め切りが重なり、台本書きにあてられる時間は寝る前のほんのわずか。ところが、自分の初酒蔵訪問時に磯自慢で幸運にもお会いできた志太杜氏の横山福司さん、酒造組合専務理事の栗田覚一郎さん、大村屋酒造場の松永始郎会長、曽我鶴の柴田社長、國香の松尾正弘社長、翁弁天の岡田昭五社長、英君の望月英之介社長、高砂の吹上杜氏、山田錦研究の永谷正治先生など等、故人になられた方の写真が続々と出てきて、「静岡の酒の関係者で、この20年ぐらいのうちに故人となった方の写真を、これだけまとめて持っているのは自分だけかもしれない…」と実感し、思い出に浸るうちに睡眠時間がどんどん削られていきます。
こうしてブログを書く時間を作るのもタイヘン…。書きながら、今も、アタマの中では、誰か見落としていないか、あの人の写真はどのアルバムに入れてあったっけ…と検索回路がぐるぐる回っています。
取材のついでに記録として撮ったスナップばかりなので、写真としての出来はどってことありませんが、編集次第ではブリッジとしてこの上ない素材になるかもしれません。いや、映像的にどうこうというよりも、私自身が、この方々の存在を忘れたくないと強く感じました。
先人の功績を思い出アルバムのように並べて紹介するだけでは物足りません。この方々が遺したものが、次世代に継承される姿を描くことも、『吟醸王国しずおか』が目指す大事なミッションです。
ブリッジの後半は、私自身がこの方々からいただいた知恵や情報を広く伝える目的で始めた、いわば実体あるブリッジともいえる『しずおか地酒研究会』の活動シーンをいくつか入れようと思います。これがまたダンボール2箱分はあって、しかもB型大雑把な性格がちゃんと発揮され、まったく整理されていない(トホホ…)。デジカメデータで整理し始めたのは5~6年前ぐらいからで、その前はネガやポジやプリント写真ばかりです。12年分の活動ともなると、けっこうなボリュームです。会の活動に協力してくれたすべての蔵元を公平に入れたいけど、それもなかなか難しくて…。
ここしばらくは、20年分の写真の山と格闘しながら、骨組みのしっかりしたブリッジを設計すべく、眠れない夜が続きます。
*静岡の蔵元・杜氏で故人になった方の写真をお持ちの方、静岡の酒関連で映像で残してほしいという写真をお持ちの方、ぜひご一報ください。