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杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

「しずおか酒と人」原画展@お抹茶こんどう

2018-04-02 12:41:09 | しずおか地酒研究会

 平成30年度本格スタートの今日(4月2日)、大切な記念日を迎えられた方も多いと思います。かくいう私も、人生初の試みがスタートしました。・・・なんてえらく大げさですが、昨年初めておじゃまして懇意になった静岡市駿河区津島の『お抹茶こんどう』(こちらを参照)にて、自作のイラスト原画展が始まったのです。30年余、静岡県内のさまざまなお店を取材等で廻ってきましたが、こういうお声かけをしていただいたのは初めてで、本当に嬉しく感激しております!

 

 テーマはずばり「しずおか酒と人」。1997年9月から1998年10月まで13か月、毎日新聞朝刊地方面にて週1連載した「しずおか酒と人」をはじめ、今まで雑誌等に書き下ろした酒蔵の手描きイラストの原画数点を、お店に飾らせていただきました。

 基本的に文章を補完する目的で描いたもので、作画はまったくの独学。イラストだけでは意味がわからなかったり、面白みに欠けると思いますが、静岡県内の蔵元さんや杜氏さんをご存知の方なら「ああ、この蔵のあの人!」と判っていただけるでしょう。中には光栄なことに酒瓶ラベルに出世!したイラストもあり、実際にそのお酒を飲みながら鑑賞していただければ最高なんですが、ここは静岡茶やとろろなど静岡の味を楽しむ食事メインのお店で、取り扱う地酒は銘柄が限られています。広~い意味で、静岡の酒はこういう人たちが頑張って造っているんだなと妄想していただけばありがたいです。

 

 お抹茶こんどうは、日本茶インストラクターのオーナー近藤雄介さんが静岡茶をはじめ静岡産食材にこだわったお店。県外のお客さんをおもてなしするのに最適な穴場的名店です。名物抹茶カクテルは、目の前で静岡県産緑茶を石挽し、抹茶にしたものを生ビールに注ぐというこの店ならではのスペシャルなテイストです。

 「しずおか酒と人」展は5月いっぱいまで2か月間やらせていただきます(途中で作品入れ替えあり)ので、この機会に歓迎会等でご利用いただければ! ぜひよろしくお願いします。

 


西武池袋本店『静岡ごちそうマルシェ』完売御礼

2017-12-22 20:29:17 | しずおか地酒研究会

 前の記事でお知らせした12月12日~18日開催の西武池袋本店『静岡ごちそうマルシェ』、無事終了しました。最終的な数字はまだ伺っていないのですが、マルシェ全体で目標値を大幅にクリアし、同館で開催の東北物産展並みの売り上げを記録したそうです。主催の県商工会連合会の皆さま、出展業者の皆さま、お疲れ様でした&本当に良かったですね!

 とくに会場に駆け付けた多くのお客様が、その場でSNSで口コミ発信し、素晴らしい拡散効果を発揮したと思います(当ブログのため、FBの投稿写真を提供してくださったFさん、Yさん、ありがとうございました)。今回、会場にお越しくださったすべての皆さま、とくに静岡から駆けつけてくださった酒友の皆さま、本当にありがとうございました。

 

 

 こちらは私がお手伝いした地酒コーナーで当日お配りしたチラシ。『杯が満ちるまで』執筆時に撮った酒造写真がお役に立ちました!。

 地酒コーナーは西武池袋本店の酒売り場の直轄だったので、売上のノルマはなかったものの、県商工連が力を入れてチラシを制作しトークショーまで企画し、それに乗っかかるかたちで参加することになった私としては、それ相応の成果を出さなければ…!と力が入りました。主催者からは売り場に張り付く必要はない、トークショーだけ頑張ってくれればと言われていましたが、池袋だけでも西武・東武と巨大酒売り場を有する百貨店が2つもある中、7階まで昇ってこの催事場に足を運んでくださったお客様には、静岡の酒と幸せな出会いをしてほしい・・・そう思ったら、結局7日間、売り場から離れることができませんでした。


 結果としては、私がでしゃばるまでもなく、この酒造繁忙期に会場まで駆けつけて自ら店頭販売&トークをしてくださった蔵元さんたちのお力で、12日の開催直後にこれだけ並んでいた商品は次々に売り切れとなりました。都内に流通窓口を持つ「花の舞」と「富士錦」以外は追加補充もままらなず、6日目にほぼ無くなり、最終日には西武の担当者さんが地下にある酒売り場の常設商品から、今回エントリーのなかった開運と若竹おんな泣かせを急きょ運んで並べたのです。

 

 

 毎日交替でやってくる蔵元さんがたには「ご自分の酒をすべて売り切ってくださいね」と冗談半分にハッパをかけたものの、まさか本当に完売するとは・・・。嬉しい反面、チラシに掲載されていた商品がないというのは売り場にとってなんとも心苦しいですね。補充がスムーズに出来ていたら、もっと売れたのに!と地団駄を踏み、西武の催事担当者に何度もつっかかってしまいました(苦笑)。

 

 まず初日12日は「白隠正宗」の蔵元杜氏・高嶋一孝さんが来店。朝、酒造仕事を済ませ、11時のトークショーに参加され、その足で日本酒造組合中央会の技術委員として会議にご出席。夜19時のトークショーへとんぼ返りしていただくというハードスケジュールでした。高嶋さんご自身が店頭に立つ時間は短かったため、初日即完売!とはいきませんでしたが、指名買いをされる方、白隠禅師の酒だからと触手される方が多く、全商品中最もハイクラスの白隠正宗純米大吟醸(4000円)もきれいに完売しました。この時期ですから、あえて大吟醸クラスの商品を贈答用にお求めになるお客様も非常に多かったのです。ちなみに全商品のうち大吟醸は白隠正宗と正雪だけ。ああーもったいない!

 

 2日目(13日)は英君酒造の蔵元望月裕祐さん来店。「英君」は今回、静岡ごちそうマルシェのポスターに大々的にピックアップされ、「ポスターに載っていた酒」とご用命のお客様続出で、英君しぼりたてが完売第一号となりました。裕祐さんご自身、会場に来てポスターを初めて見てビックリ仰天。知り合いのお客さんからさかんに冷やかされ「袖の下渡してないですよー」と苦笑いされていました。この日は夜、日本を代表する酒類ジャーナリスト松崎晴雄さんが駆けつけ、トークショーを楽しんでくださいました。

 

 3日目(14日)は「志太泉」の蔵元望月雄二郎さんと「花の舞」の東京支店長上村智亮さんが来店。志太泉はうすにごり、花の舞はしぼりたてが飛ぶように売れました。説明に苦労した志太泉「身上起~龍馬にプレゼントしたかった酒・原料/愛国米」も、トークショーで雄二郎さんが丁寧に説明してくれたおかげで無事完売。

 初日・2日目は気を張っていたせいか、ほとんど疲労感を感じなかったのですが、この日の午後あたりからなんとなく調子が悪くなり、下痢と吐き気。19時のトークショーが終わった後、早めに上がらせてもらい、薬局へ駈け込んで胃腸薬と風邪薬をゲット。結局最終日まで薬は手放せませんでした。

 

 4日目(15日)は「花の舞」の上村さん来店。しぼりたて、純米吟醸、純米吟醸熟成酒の3種類を見事売り切りました。私も売り場にほとんどつきっきりで、身体が持つかなと終始心配だったのですが、花の舞以外の商品もどんどん無くなる状況に比例して疲労も消えていった。・・・とても不思議な感覚でした。

 

 5日目(16日)は「富士錦」蔵元の清信一さん、「花の舞」上村さん来店。富士錦は富士山のお膝元、花の舞は井伊直虎の故郷・井伊谷のお膝元。それぞれ名水に恵まれ、自蔵で米を育てる蔵ですという説明がすっかり板に付きました。土曜日のこの日は期間中最大の集客数を記録。開店の10時から21時の閉店までお客様が途切れませんでした。疲労もピークに達していたはずですが、閉店時には気分爽快。肉体は精神がコントロールするものだと改めてしみじみ感じました。

 

 6日目(17日)は「正雪」の蔵元望月正隆さん、「杉錦」の蔵元杜氏杉井均乃介さん来店。「正雪」は東京でもネームバリューがあるだけに、正隆さんが来店された6日目にはほとんど商品が残っておらず、午前中にあっさり完売。とはいえ、販売する商品がなくても、この2人のトークショーをお目当てに多くの酒通が詰めかけ、売り場のあちこちで酒談義に花が咲きました。

 

 最終日の7日目(18日)は杉井さん続投。やはり午前中にすべて完売となり、2回のトークショーではイートイン駿河屋嘉兵衛に残っていた杉錦をわけてもらって試飲をお楽しみいただきました。酒造り職人でもある杉井さんには生酛づくり、山廃づくりのイロハを丁寧に解説していただき、トーク後には酒造に関心のあるお客様との会話も弾んでいるようでした。

 トークショーのアンカーでもあった杉井さんは、自分の酒のみならず、静岡の酒がここまで上質になった経緯を熱を込めて語り、売り場に置かれた開運やおんな泣かせを一生懸命売ってくれました。こういう蔵元の姿勢が、この売り場を完売状態にしてくれたんだなあとジーンとしてしまいました。

 

 7日間、酒売り場以上に地酒のPRに貢献してくださったのがイートインの駿河屋嘉兵衛さんでした。駿河屋嘉兵衛は富士市の塩辛専門店。東名富士川SAの富士川楽座、秋葉原の地域物産店ちゃばらに直営ショップを持ち、川崎と神田万世町に静岡の地酒&60種の塩辛が味わえる居酒屋を経営(詳しくはこちらを)。今回のお話をいただいた夏ごろ、私も万世町のお店を訪ね、地酒と塩辛の相性の奥深さを実体験しました。酒肴はどちらかといえば酒の味を邪魔しないあっさり・さっぱりが好みだった私も、塩辛さが酒杯を進ませる効果に唸りっぱなしです。

 

 イートインでは酒売り場で販売する酒を試飲に使ってくれたので、気に入ったお客様が続々と商品をお買い上げ。素晴らしい相乗効果を発揮しました。

 

 

 下の写真の右端が静岡県商工会連合会のアドバイザーで今回の総合プロデューサーでもある石神修先生。左端が駿河屋嘉兵衛のオーナー渡邊悠さん。この2人の功績は計り知れなかったでしょう。本当にお世話になりました。

 

 ふだんは日中ほとんど自宅のデスクでパソコンのキーボードを叩いている私が、立ちっぱなしでしゃべりっぱなしの慣れない販売業務を完投できたのも「静岡の酒が売れた」というライブ感覚そのもの。どんなに疲れていても「職業的人格」がそれを可能にすることを改めて実感しました。食事がとれない、疲れすぎて眠りも浅い・・・そんな日が続いても、朝、顔を洗っていつもよりしっかり目にメイクをして、持参した作務衣を着て売り場に臨む、そんなルーティーンと、実際に成果が出る手応えが、自分にも「職業的人格」を与えてくれたのです。外で働く女性たちは毎日こうして頑張っているんだなあと、今更ながら感動してしまいました。

 なによりライターとして、商品コピーや紹介記事を書く上で、お客様の顔を見て声を聞いて、どんなアクションが購買に結びつくのか現場で体験できたことは大きかったと思います。せっかく溜まった、いろんな貴重な経験値、無駄にしないようにしなければ!

 

 

 

 


西武池袋本店『静岡ごちそうマルシェ』ご案内

2017-12-11 13:16:11 | しずおか地酒研究会

 久しぶりの投稿です。10月には海外出張、11月は引っ越しがあり、目まぐるしい毎日で気がつけば早、師走。時間の流れが数倍速に感じられる年の瀬です。

 ここで書きたいネタはてんこ盛りなんですが、とりあえず今日は12月12日から始まるイベントのご紹介を。

 

 東京の西武池袋本店7階南催事場で12日から18日まで7日間開催される『静岡ごちそうマルシェ』。静岡県商工会連合会の主催で、静岡県や県観光協会、各商工会とご縁の深い三島・静清・磐田の信用金庫さんが後援する静岡の食の物産展です。

 

 ご覧のとおり、桜エビ、ウナギ、ワサビなど代表的な静岡グルメに並んで、静岡の地酒が大々的にフューチャーされました。今回は各商工会さんの推薦を受けた『白隠正宗』『英君』『志太泉』『花の舞』『富士錦』『正雪』『杉錦』の7蔵が、新酒や飲み頃酒を出品。しかも毎日日替わりで7蔵元さんが来店し、お客様に直接試飲の手ほどきをしてくれます。

 私は商工連さんからお声かけをいただき、酒売り場や催事場内に設けた日本酒バー(イートインカウンター)をお手伝いすることになりました。毎日11時・15時・19時には、各20分ほど、その日来店の蔵元さんと酒造りトークをし、お客様に試飲を楽しんでいただきます。

 

 静岡県単独の食の物産展が、都内百貨店の催事場を1週間借り切って開催されるのは、今回初めてだそうです。西武池袋本店では、今年の春、静岡いちご紅ほっぺフェアが開催され、各階に入居されている喫茶・スイーツ店が静岡産紅ほっぺを使った特別メニューを期間限定で販売し、大好評だったそう。地方物産展のスタイルも多様化しているようです。首都圏で開催される酒のイベントも多種多様ですよね。

 今回は、静岡県というくくりの中で、贈答需要が高まるこの時期、どこまで勝負できるのか。今まで直接、製造や販売に関わる機会がほとんどなかった自分にとっても、とても楽しみなチャレンジです。

 

 まずは7日間、ぶっ通しでの催事イベントを完投できるよう頑張りますので、池袋にお越しいただける方はぜひ会場へお立ち寄りくださいませ! 詳しくはこちらのリンクを。


河村先生の遺産(その3)静岡吟醸一家の家長

2017-05-10 10:08:53 | しずおか地酒研究会

 ゴールデンウイークの終盤5月6日に、「しずおか地酒サロン~松崎晴雄さんと振り返る河村先生の功績」を開催しました。会場は平野斗紀子さん(たまらんプレス代表・元静岡新聞出版局)の自宅兼ゲストハウス「あくび庵」。平野さんは今年1月、料理達人の同級生と手作り惣菜屋を創業し、あくび庵で予約販売or配達を始めました。

 あくび庵の室内は江戸時代の長屋風古民家をイメージした板の間のワンフロア。ここに松崎晴雄さん、杉井均乃介さん(「杉錦」蔵元杜氏)、青島孝さん(「喜久醉」蔵元杜氏)をはじめ、地酒研発足当時からのベテラン会員さんを中心に20名の酒友が河村先生への献杯酒を持ち寄り、あくび庵のお惣菜を酒肴に、先生との思い出話に花を咲かせました。

 松崎さんは「日本酒の歴史に残る革命的技術者を挙げるとしたら、吟醸酒の父といわれる広島の三浦仙三郎(1847~1908)と河村傳兵衛しかいないと思う。三浦仙三郎が生み出した吟醸酒をさらに進化させた河村先生は、まさに昭和平成の三浦仙三郎です」と語りました。先生のことをこのように評価できる人は静岡にも全国にもいないだろうと胸が熱くなりました。

 

 杉井さんは若かりし頃、河村先生に縁談を世話してもらったことがある(残念ながら破談)というトリビアを披露。青島さんは、県沼津工業技術センターで研修を受けたとき酒袋の洗浄の重要性を叩き込まれたにもかかわらず、自蔵で先生から酒袋に臭いが残っていたことを指摘・叱責され、悔し涙を流し、今現在、酒袋をひたすら洗う蔵人たちに、酒造りで最も大事な作業を任せていると激励している最中です、としんみり語ってくれました。

 私はこのブログのこちらこちらの記事をコピーして参加者に配り、自宅の押し入れから掘り出してきた地酒番組の録画ビデオを皆さんに鑑賞してもらいました。ビデオは1989年1月24日放送のSBS『静岡発そこが知りたい~静岡は地酒ブームの火付け役』、同年3月2日放送のNHKモーニングワイド『ハイテクが銘酒地図を変える』、1993年放送のSBS『もっと知りたい東海道(地酒編)』ほか。テープはかなり劣化し、見づらかったのですが、約30年前の40代の河村先生、現役バリバリの波瀬正吉さん(能登杜氏/開運)や大塚正市さん(志太杜氏/満寿一)の雄姿に大盛り上がりでした。

 

 すっかり忘れていたのですが、96年3月のしずおか地酒研究会発会式を取材してくれた静岡第一テレビのニュース映像も入っていました。当時の顔パンパンの私のドアップに一同大爆笑!なんだか亡き家長を偲んで大家族や親戚一同が集まって、家族ビデオを見ながらワイワイくっちゃべってるって雰囲気でした。・・・そう、河村先生は静岡吟醸一家の家長だったんだなあとしみじみ。

 

 みんなから、お宝ビデオなんだから、劣化したまま放置せずちゃんと保存しておけと言われ、そういえば昔の河村先生の講演録を書き起こした原稿も、当時使っていたワープロ感光紙の劣化でところどころ読みにくくなっていたことを思い出し、再度、書き起こしてみました。

 以下は、たぶん録音テープをお借りして書き起こしをさせていただいたものだと思いますが、いつどこでの講演か不明です。内容からして先生が母校磐田農業高校の同窓会か何かで語った講演のようです。全文はA4で9ページほどありましたので、ここではかいつまんでご紹介します。

 

  ◆

 

 私は磐田農業高校の出身ですが、高校3年生の1年間はほとんど学校に行きませんでした。なぜかと申しますと、私が在学していた昭和33年から35年頃というのは農業が曲がり角といわれた時代で、私自身も農業ではとても生活できないと思っていました。大学進学を考えていましたが、私は工学ーとくに機械科を志向していたものですから、学校での農業の勉強は放ったらかしにして家で数学にかじりついていた。出席日数が足りなかったにもかかわらず卒業できたのは担任の平野先生のおかげで、最近になってようやく恩師への感謝の気持ちをしみじみ感じるようになりました。

 たまたま同じ高校に従兄が勤めており、農学部でも工学的なことをやる農芸化学という学部があることを教わり、静岡大学農学部農芸化学科に進み、農産加工の食品色素などを研究し、大手食品会社に内定をもらいました。しかし昼夜三交替勤務でかなりハードだと聞いてキャンセルし(笑)、大学からはもう推薦状は書かないと怒られましたがこのまま大学に残ればいいと腹をくくっていたところ、県の工業試験場の製紙部門と醸造部門でそれぞれ1名欠員が出たと知らされ、どちらか選べと言われて即座に酒の方を選びました。

 このようないきさつでこの世界に入ったものですから、酒造りに最初から特に思い入れがあったわけではありません。昭和40年に試験場に入庁してから新酒鑑評会で初めて吟醸酒に出合い、世の中にこんなに香りがフルーティーで素晴らしい酒があったのか、どうしてこういう酒が出来るのだろうとビックリしました。その感動と疑問が私を酒造りにのめり込ませたのです。


 工業試験場は昭和28年に開設され、当時は現在の駒形にある県防災センターの場所にありました。醸造部門には名古屋国税局の出雲永槌先生、国税庁醸造試験所から齋上先生が赴任し、昭和35年に実験工場が出来ると7名のスタッフで酒を優先に研究していました。酒の研究が急がれていた理由は、当時の酒造業界が大きな曲がり角にあったことが挙げられます。

 県内の酒造メーカーは製品の大半を灘や伏見の大手メーカーの請負で生産し、その残りに自社銘柄を付けて売っていました。酒造従事者を今も蔵人と呼んでいますが、多くは南部(岩手)、新潟、能登あたりから呼ばれ、蔵の主人は彼らに酒を造らせ、出来た酒を大手に納めるという気楽な商売をやっておったのです。しかし大手のほうで生産技術が上がり、自社内で造るほうが安くて良い酒ができるようになり、県内メーカーが徐々に取引額を減らされていきました。自社銘柄でも思うように売れず、昭和40年代から50年代半ばまでそんな状態が続いていました。

 同じころ、広島県や石川県を中心に吟醸酒が売れ始めました。吟醸酒は鑑評会出品用にどの蔵でも造っていましたが、蔵の主人の晩酌用か特別なお客さんに出す程度で、商品として出すものではありませんでした。昭和50年代の初めだったでしょうか、「菊姫」「天狗舞」の吟醸酒が東京市場で話題を呼び、県内メーカーもこれで生き残るしかないと、次第に吟醸酒に目を向け始めました。

 酒造りの基本を成すものは2つの微生物、すなわち麹菌と酵母菌です。酵母にはブドウ糖からアルコールを作るという大きな役割があり、吟醸酒の場合は香りを作る役目もあります。酵母が生成する吟醸酒の香りはエステルといい、酵母の種類によって香りの大小さまざまです。広島の吟醸酒は香りと味が非常に重厚で、石川を中心とした北陸の吟醸酒は香りが華やかで味が丸いタイプ。ではわれわれ静岡はどういうタイプの吟醸酒にするか。人気のある広島や石川と同じタイプを狙うのが常套手段ですが、これとは少々異なる、香りは華やかでも味が軽快な酒にしようと考えました。こうして生まれたのが有機酸生成の少ない静岡酵母です。これで早い時期に試作してもらった県内4~5社が全国新酒鑑評会で全社入賞したため、昭和60酒造年度では県内大半のメーカーに配布しました。

 その過程で痛感したのは、杜氏さんは若手でも50代でほとんどが年配の職人。彼らはこちらの話を聞いてはくれるものの、なかなか実行に移してくれないということでした。そんな中、ある蔵の40代の若い杜氏さんが、蒸した米一粒に一点くっきりと麹を生やすという神業をやってのけていました。その秘密が知りたくて早朝5時に蔵に行き、いったん職場に出勤して昼頃また見に行き、夜は夜でまた見に行った。そんなことを毎日やっていたので、蔵の主人が体を壊すから泊って行きなさいと言ってくれまして、泊りがけで作業を観察し、自分でも造ってみたのですがうまくいきません。

 優れた麹造りは麹室の作業だけでなく、酒造り全体の流れの中に秘訣があったのです。そのひとつに最初の工程である米洗いがあります。洗米した米を顕微鏡で見ると、洗い方によって表面の形状がまったく異なります。よく洗った米は六角形の構造を持ったデンプン粒が列をなしており、よく洗わない米は餡かけにしたようにドロッとしています。これを蒸すとドロッとした部分がネバネバになり、そこに麹菌を付けたとしても菌がくっきり食い込まず、ダラダラと広がってしまいます。酵母が品質に与える影響は3割くらい。後の7割は米洗いであると痛感しました。現場で杜氏さんに初めて教わったことです。教育もそうですが、良い師に指導を受けるということが非常に重要です。

 県内の比較的大手のメーカーを巡回指導したときのこと。吟醸酒の品質について聞かれ、私ははっきり「箸にも棒にもひっかかからない。こんな酒はみたことがない」と答えました。杜氏さんはブルブルと震え出し、「ならばどうやって造るのか」と詰問した。普通の巡回指導ではそれ以上のことはしないのですが、私も後に引けなくなり、彼のもとに4~5泊して麹造りを徹底指導しました。

 一点くっきりの理想的な吟醸麹は簡単にはできません。2時間おきぐらいに麹室に入り、様子を見る。私は合間を見て風呂に入り、仮眠をとりますが、杜氏さんたちは私より10歳以上年上にもかからわず、ほとんど不眠不休です。結局この蔵は全国の金賞をとるまでそれから3年ぐらいかかりました。麹造りだけ覚えてもほかにたくさん課題があるのです。私の仕事は県内メーカー全体のレベルを引き上げることですから、この蔵ばかり偏った指導をするわけにもいきません。後は現場の奮起に期待するだけです。

 私は冬、朝3時ごろに起きてまず風呂に入ります。風呂と言ってもわが家は古い借家で、風呂釜の火は外で点けます。タイルの風呂の湯はなかなか沸かず、湯船に浸かっていても1時間もたてば水のようになってしまいます。ぬるい湯に長く浸かっているとついつい寝込んでしまいますが、風呂の中ではあの蔵のもろみの状態はどうか、というふうに、その日一日の指導予定を立てます。静岡市を中心に、大井川から富士川の間を毎日、今日は東、明日は西というようにメーカーを指導して廻ります。朝、メーカーに着くのは5時。各蔵を廻って杜氏さんたちの動きをじっくり見ます。酒造りの秘密は非常に厳しく守られていますが、腕の良い杜氏さんがどんなふうにやっているのか、技術的なことをいろいろ学び、それを他のメーカーの杜氏に教える、というのが私の役割です。

 1社2社だけ良い酒ができても、地場産業としての発展にはつながりません。現在、不況産業といわれる業種がありますが、その中でも左団扇といわれる企業が1社2社はあるはずです。われわれがやることは、そういう成熟産業の掘り起こしです。昭和61年に県内の蔵が大量入賞し、一躍静岡の酒が脚光を浴びたことが、これをよく物語っています。

 現在、注目を集めているバイオテクノロジーの歴史を見ますと、古来より連綿と続いているのは酒造業ただ一つです。バイオの基本は日本の酒から来ていると言ってもよいでしょう。私が就職に醸造を選んだのは、学生時代にアミノ酸発酵の研究がかなり進んだためです。アミノ酸発酵は微生物の働きによるもので、日本独自の技術です。従来はグルタミン酸ソーダにしても小麦から抽出分離したものが主体ですが、アミノ酸発酵の研究は酒造技術を移転して進められ、微生物は何でも頼めばやってくれるということを学びました。

 われわれがやっている酵母改良技術も、自然界の中で選びだした微生物の方が優れたものが多い。香りの高い酵母の改良をいろいろやってみましたが、酒の酵母というのはバランスをとるのが難しく、化学方程式の上ではこの微生物とあの微生物の相性がいいからと合わせてみても、人間の口には合わない酒になることもあります。食品の場合、すべてをバイオ技術で解決できるわけではないのです。

 昭和61年、静岡県が酵母の改良をして全国新酒鑑評会で大量入賞したのを機に、全国各地で酵母の開発がさかんになり、非常に香りの高い酒を造り始めました。鼻の高いクレオパトラは美人の代名詞ですが、酒の世界ではタブーです。静岡には良水があり、美人顔を作ると喜ばれていますが、酒飲みには淡麗な酒が好まれます。

 県内では中部地区のメーカーがとくに熱心に酒造りに取り組んでおられるようですが、他県のように他者と競い合うということは少ないですね。静岡県というのは紳士の集まりと申しますか、他と争い合うことを嫌うようです。しかし県の鑑評会で順位をつけることによって、よい意味で競争し、技術向上に努めるようになりました。東海4県では今までどの県も、県の鑑評会で順位付けするのは嫌がってやりませんでした。このエリアでは岐阜県が酒どころとして名を馳せており、静岡県は昭和40年代から全国に50社出品して1社入賞できるかどうかという状況が続いていましたが、現在は逆転しています。

 その意味でも競い合うということは必要です。それも価格競争ではなく品質競争。これで成功したのが新潟の「越乃寒梅」です。戦後の米のない時代、越乃寒梅(新潟)、若竹(静岡)、浦霞(宮城)の3社が醸造試験所のある研究室で同じ釜の飯を食べていました。その時、研究室長が「これからは品質の時代だ、米を磨け」と言って、精米技術が15~20%程度だった当時、70%磨けと指導され、これを実行したのが越乃寒梅の石本酒造でした。酒蔵にとって米のない時代に7割も磨いてしまうのは大変な決断だったと思いますが、苦労して品質を高めたことが後々の名声につながったといえましょう。私は酒の世界では、一度名声を得ると50年は続き、一度失敗すると一夜にして酒の価値が下がると考えています。現実に、一度の失敗がタンク全体に影響し、一年間その蔵の酒を悪くし、翌年からすっかり売れなくなったメーカーがありました。

 したがって、県内メーカーに指導しているのは、とにかく品質を上げることです。県内産の吟醸酒の品質が非常に良いと評価されるのは、市販される酒が鑑評会用の酒と同じ造りをしているからです。酒の世界はタブーが多くてなかなか表立っていえないのですが、現在市販されている「平成5年度金賞受賞酒」の中には鑑評会会場にあった酒と雲泥の差のものもありました。鑑評会用に出品する酒はほんの数本で、他の酒とは別の造り方をしているのです。

 私は指導する立場として、県産酒の市場における品質の安定を第一に考え、滝野川(国税庁醸造試験所のある場所)に出す酒も、市場に出す酒も、同じ造りをしてくださいと言い続けています。静岡市内ではメーカーの努力のみならず、やまざき酒店のような小売店や、入船鮨ターミナル店の竹島さんのように、県産酒を真剣に応援してくださる人々に支えられ、安定した品質を保つことが出来ています。

 静岡の酒の特徴をもうひとつ加えさせていただけるなら、酒は一般に1年間流通させるため出荷前の酒は寝かせておくものですが、熟成が進むうちに品質が低下するという難点がありました。吟醸酒の香りも老ねた香りになってしまうんですね。そこで静岡では熟成の貯蔵を低温化させるという、全国の大手メーカーでもやらないことを進めています。酒の先進県と言われる広島や石川と同じようなことをやっていても、いつまでたってもかないません。

 さらにわれわれの県の特徴としては、メーカー全体がまとまり、団結して進んでいるということ。お隣愛知県ではメーカー同士がバラバラで市場も混乱しています。これでは業界は発展しにくい。その点、静岡県は一致協力していますので、安心しています。

(河村傳兵衛氏講演録 タイトル・日時・場所は不明)

 

  ◆

 

 文中に平成5年度という年号が出て来たので、1993年頃の講演録かと思われます。もし内容に記憶のある方がいらっしゃったら、いつどこの講演だったか教えていただけるとありがたいです。また劣化テープの適正な保存法を教えてくださる方がいらっしゃったらお願いします。

 

 


しずおか地酒研究会20周年記念酒(通常版)販売先のご案内

2017-03-08 11:33:27 | しずおか地酒研究会

 しずおか地酒研究会の20周年記念酒、杉錦の生酛純米・通年バージョンが2月1日に発売になりました。蔵元杜氏の杉井さんから、3月7日時点での販売先をお知らせいただきました。「本来なら直接営業に回ってお願いすべきところ、とりあえずチラシ案内だけでご注文くださったお店」だそうです。昨年末の生原酒発売のときも、「しずおか地酒研究会20周年」という余計な冠が付いたPBにもかかわらず、当会とご縁のない酒屋さんもご注文をくださいました。今回も初めてご縁をいただく酒屋さんがいらっしゃって感謝感激です。

 どの販売先も、これまでも杉錦を大切に取り扱っておられた酒屋さんだと思いますが、今回初めてうかがった某酒屋さんは、店頭の一番目立つコーナーに固めて陳列してくださっていました。杉井さんからつねづね、「取引先店の限られた陳列棚のどこに置いてもらうか、静岡銘柄は競争相手が多いからシビアなんですよ」とうかがっていたので、余計に感激してしまいました。

 日頃、「いい地酒との出会いは、いい売り手との出会い」と力説している身としては、この酒を通して一店でも多くの、町のがんばる酒屋さんの存在を知ってほしい。当会のようなマイナーな愛好会のPBでも杉錦の力を信じて注文してくださったからには、酒を見る目は確かなお店ばかりだと確信しています。

 酒屋さんと仲良くなれば、酒の会や蔵見学のようなお店独自の限定企画に参加できる機会も増えるでしょう。県外のお店ならば、その土地に仕事や観光で訪ねる機会があったら、ぜひ訪ねてみたいですね。地元の専門店ですから美味しいお店や観光情報も把握しているはず。地域同士がそんなふうにつながるのも素敵だなって思います。

 頑張る個人商店がキラキラ輝く地域であってほしい・・・心底そう願わずにいられません。

 

◆静岡県東部
 
丸茂芹澤酒店(沼津市吉田)HPはこちら
 
松浦酒店 (沼津市大手町)HPはこちら
 
リカーズハウスたけなか(沼津市下香貫)HPはこちら
 
内田酒店(三島市)HPはこちら

吟酒むらため(東伊豆町稲取)HPはこちら 

 

 
◆静岡県中部
 
とみた屋 (静岡市葵区駒形通り)HPはこちら
 
松永酒店 (静岡市葵区五番町)HPはこちら
 
篠田酒店 (静岡市清水区入江岡)HPはこちら
 
アヴォートルサンテ (静岡市葵区茶町)HPはこちら
 
野中酒店 (静岡市駿河区鎌田)HPはこちら
 
長島酒店(静岡市葵区竜南)HPはこちら
 
鈴木酒店(静岡市駿河区豊原町)HPはこちら
 
栗田酒店(静岡市葵区大岩)HPはこちら
 
長谷川和洋酒(静岡市葵区新通)店情報はこちら
 
森藤酒店(静岡市葵区七番町)HPはこちら
 
酒蔵いとう(焼津市保福島)店情報はこちら
 
リカーズグリーン(焼津市中新田)HPはこちら
 
萩原酒店 (焼津市小土) 店情報はこちら
 
青野酒店(焼津市本町)HPはこちら
 
増田酒店(焼津市五ケ堀之内)店情報はこちら
 
ときわストア(藤枝市岡部)TEL 090-3953-4395
 
ワイン&リカーズSONE(藤枝市駅前2丁目)HPはこちら
 
ちろりん村(藤枝市五十海) 店情報はこちら
 
酒のケント(藤枝市南駿河台) 店情報はこちら
 
 
 

◆ 静岡県西部地区

酒のバオオ(浜松市北区三方原)HPはこちら

 
 
 
 
◆静岡県外
 
福島酒食料品店(群馬県渋川市)HPはこちら
 
菅野酒店 (神奈川県鎌倉市大船) HPはこちら
  
藤川酒店 (愛知県豊橋市)HPはこちら
 
久田酒店 (愛知県名古屋市中川区)HPはこちら
 
SAKEBOXさかした(大阪市此花区高見1丁目)HPはこちら
 
たがしら酒店(大阪府守口市) HPはこちら
 
山枡酒店(鳥取県倉吉市)HPはこちら
 
酒蔵なりよし(福岡県福岡市城南区)HPはこちら