うたことば歳時記

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出鱈目な冬至の風習

2019-12-19 19:15:35 | 年中行事・節気・暦
もうすぐ冬至ですが、ネット上には冬至の風習について出鱈目な解説が溢れています。よくもまあ根拠もなくいい加減な説を垂れ流すことよと、あきれ果てています。まずはそれらの説を拾ってみましょう。

1、「ん」のつくものを食べると「運」が呼びこめる
 この説はかなり普及してして、ほとんどの年中行事の解説書に紹介されています。曰く「冬至には「ん」のつくものを食べると「運」が呼びこめるといわれています。にんじん、だいこん、れんこん、うどん、ぎんなん、きんかん……など「ん」のつくものを運盛り といい、縁起をかついでいたのです。運盛りは縁起かつぎだけでなく、栄養をつけて寒い冬を乗りきるための知恵でもあり、土用の丑の日に「う」のつくものを食べて夏を乗りきるのに似ています。また、「いろはにほへと」が「ん」で終わることから、「ん」には一陽来復の願いが込められているのです。」というのです。

 それならその根拠を知りたいのですが、例外なしに「・・・・と言われています」というだけで、何の根拠もありません。私は長年江戸時代の歳時記や年中行事の研究をしていますが、このような記述を見たことがありません。ただ年越し蕎麦のことを「うん蕎麦」と称して、翌年の運気がよくなることを期待して食べる風習があったことは、文献上で確認できます。しかし江戸時代には冬至に「ん」の字の付く物を食べる風習はありませんでした。また夏の土用丑に「う」の字の付く物を食べる風習があったように解説されていますが、江戸時代にはそのような風習はありません。あったと言うなら、見せてほしいものです。「いろは」が「ん」で終わるからというにいたっては、よくまあ出鱈目なことを思い付きで解説することよと、腹立たしくなってきます。いずれも何一つ根拠はありません。膨大な川柳を片端から調べても、片鱗さえ見つかりません。

 ただこの日に南瓜を食べる風習は、明治時代の中期の文献に確認できます。『東京風俗志』(1899年)には牛蒡・大根・蒟蒻・赤小豆を入れた味噌汁を「お事汁」と称して食べる風習がかつてあったが、ほとんど廃れてしまったと記されています。また南瓜を食べると中風を防ぐとも記されています。しかし南瓜には「かぼちゃ」とルビがふられていて、「なんきん」とは読んでいません。また『東京年中行事』(1911年)にも南瓜を食べると夏の患いをしないと記されていますが、「とうなす」とルビがふられています。「ん」にこだわるならば、明治時代の文献になぜ「かぼちゃ」や「とうなす」とルビがふられているのですか。

 南瓜を「なんきん」と読んで「ん」の字に結び付けるようになったのは、おそらく最近のことでしょう。誰かが初めに最もらしく言い始めたものが、根拠もなく広められたものなのです。少なくとも明治時代まではそのような風習はありません。もしあるというなら、根拠を示して下さい。

2、運盛りの食物のに「ん」が2つつけば「運」も倍増すると考え、それらを7種を「冬至の七種」と呼ぶ
 このような説は最近になって登場したと思われます。冬至の七草は「南瓜・蓮根・人参・銀杏・金柑・寒天・饂飩」のことで、いずれも語尾が「ん」で終わります。ここまで来ると、滑稽を通り越して、哀れを催します。「ん」の字の付く物で運気を回復することに尾鰭が付いただけのことです。こんなことを公表して恥ずかしくないのですか。よくもまあ出鱈目なことを公表できるものですね。

3、南瓜を食べる理由
 「かぼちゃは南瓜と書きますが、冬至は陰が極まり再び陽にかえる日なので、陰(北)から陽(南)へ向かうことを意味しており、冬至に最もふさわしい食べものになりました」というのです。まあよくも思い付いたものです。根拠はこれを書いていることの単なる思い付きでしょう。かぼちゃはビタミンAやカロチンが豊富なので、風邪や中風(脳血管疾患)予防に効果的であり、長期保存が効くことから、冬に栄養をとるための賢人の知恵という解説もよく見ますが、後で取って付けた理屈に過ぎません。

4、蒟蒻は砂おろし
 冬至に蒟蒻を食べるのは、体内にたまった砂を出すためで、大晦日や節分、大掃除のあとなどに食べていたことの名残りであるというのです。蒟蒻の砂おろしについては、ひょっとしたら古い文献史料があるかもしれませんが、私自身でまだ確認できていません。しかし少なくとも江戸時代の歳時記には記述が見つかりません。

5、柚子湯に入ると風邪をひかずに冬を越せる
 一般には、柚子が「融通」に、冬至が「湯治」に音が通じることから、冬至の日にゆず湯に入ると説明されています。また、「もともとは運を呼びこむ前に厄払いするための禊(みそぎ)だと考えられています。昔は毎日入浴しませんから一陽来復のために身を清めるのも道理で、現代でも新年や大切な儀式に際して入浴する風習があります。冬が旬の柚子は香りも強く、強い香りのもとには邪気がおこらないという考えもありました。端午の節句の菖蒲湯も同様です。」という解説もあります。さらに「また、柚子は実るまでに長い年月がかかるので、長年の苦労が実りますようにとの願いも込められています。」という解説もありました。よくもまあ思い付くことです。繰り返しになりますが、根拠があるなら見せてほしいものです。反論を期待しているので敢えて激しい言葉を選びますが、「出鱈目」と言われて口惜しかったら、根拠を示して下さい。確かな根拠があるなら、潔く降参します。そうでないなら、出鱈目な説を垂れ流しにすることは直ちに止めてほしいものです。

 柚子湯の古い文献史料は『東都歳時記』(1838年)にあり、「今日銭湯風呂屋にて柚湯を焚く」と記されています。またそれよりやや後の『守貞謾稿』にも、「冬至には柚子を輪切りにしてこれを入る。・・・・ゆづ湯と号す」と記されています。個人の日記の類を丹念に探せば、もっと古い記録があるかもしれません。柚子が選ばれているのは、蓬や菖蒲のように芳香のあるものには邪気を除く呪力があると理解されていたからでしょう。

 江戸時代の詳細な歳時記である『日次紀事』(1676年)、『華実年浪草』(1738年)、『俳諧歳時記』(1803年)や本草書には、柚子湯に関する記述はまったくありません。これらの歳時記は、よもや書き漏らすことなどあり得ないくらいに詳細な記述で満たされています。そういうわけで、柚子湯の風習は江戸後期の天保の頃に始まったものではないかと考えられます。もちろん湯治や融通との語呂合わせなど、一言も触れられていません。


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