ウクライナの悲しみを詠める歌三首
ロシアが理不尽にもウクライナに侵略を始めて、既に2カ月を過ぎました。東部に近い都市は、ミサイルや砲撃により破壊し尽くされ、見る影もなく廃墟と化しています。ウクライナ人の悲しみを思う時、遠く離れて何も出来ないもどかしさに、いても立っても居られません。せいぜい私に出来ることは、義捐金をウクライナ大使館に送る程度のこと。ロシアに対する激しい怒りと、ウクライナに対するやり場のない悲しみに急かされるように、歌を詠みました。
①かはらぬは 青き空のみ 上げひばり 身を隠すべき 麦畑(むぎはた)もなし
ウクライナは世界有数の小麦の産地です。ウクライナ国旗の色には、歴史的には色々な意味が込められているのでしょうが、上半分は青空、下半分は小麦畑を表しているという理解もあるそうです。私は高校の日本史の教師ですので、応仁の乱で京の都が荒廃したことを悲しんで、室町幕府の評定衆の一人である飯尾彦六左衛門尉が詠んだ歌を思い起こしました。それは次のような歌です。「汝(なれ)や知る 都は野辺の 夕雲雀(ゆうひばり) 上がるを見ても 落つる涙は」(『応仁記』)。ヒバリは囀りながら上空に上ってゆきますが、突然に鳴き止むと、まるで墜落するかのように急降下します。古の歌人達はその習性をよく知っていて、ひばりを詠む歌は、「上がる」と「落つ」を効果的に詠むということが常套とされていました。上記の歌にも、雲雀は上がるが、涙は落ちるというように、常套的に詠まれています。
我が家の周辺にも麦畑があり、雲雀が鳴いています。まだ麦秋にはなっていませんが、そのうちウクライナ国旗のような配色になることでしょう。暴虐によって巣を破壊されたウクライナの雲雀は、いったいどこに身を隠せばよいのでしょうか。
②外つ国(とつくに)に 妻子を遣りて 益荒男(ますらお)は 国まもるべく 勇み留まる
戦が家族を引き裂くと言えば、『万葉集』に多く残された防人の歌を思い起こします。中心的編者の一人であった大伴家持の本職は、兵部省の高級官僚でしたから、職業柄、兵士の別れの歌を収集できる立場にいました。名もない当時の田舎の農民が遺した歌は、歌の善し悪しを超越して、今も読む者の心を揺り動かします。結果として防人は戦いには遭いませんでしたが、事故や病気で故郷に帰れなかった男達は少なくなかったでしょう。防人ではありませんが、663年の白村江の戦いに出征した農民兵士達の多くは、異国での戦いに斃れたはずです。
ウクライナの益荒男たちは、親・妻・子を安全な外国に避難させ、自分は祖国を守るべく、踏みとどまって戦っています。降伏を促す呆れたコメンテイターがいましたが、降伏すれば命が助かる保証などありません。事実シベリア送りになったり、降伏しても殺されているではありませんか。ウクライナの人が命を掛けて戦っているのは、自分のためばかりではなく、未来のウクライナ人のためでもあるのです。もし日本が暴虐により侵略されることがあれば、私は高齢ではありますが、祖国と未来の日本人のために、この命を捧げるつもりです。自分の命が保全されても、祖国が滅びたら、何のための命でしょう。年はとっても、そのくらいの勇気と意地は持っているつもりです。所詮、安全地帯での空威張りと批判させるかもしれません。まあそれは仕方がないでしょう。しかし実際に命懸けで祖国のために戦っているウクライナの益荒男と、夫と別れても親と子を守って異国で戦っているウクライナの女性達に、心の底から敬意を表さない人がいるでしょうか。
③山河(やまかわ)を 異(こと)にすれども 我が背子の 眺むる月は 我も見る月
老父母や子供達を守るため、妻達は夫と別れて異国で闘っています。月が鏡なら愛する人の姿も映るものを。せめて同じ月を眺めていることに、強い絆を感じていることでしょう。かつて奈良時代の長屋王は千枚の袈裟を作り、それに「山川異域 風月同天」(山川を異にすれども、風月天を同じうす)と刺繍して中国の僧に贈り、それが唐僧鑑真渡日の契機の一つとなったことを踏まえています。家族が再会し、祖国復興のために共に汗を流せるのはいつのことか。国歌には「ウクライナは滅びず」と歌われています。ウクライナに栄光あれ
ロシアが理不尽にもウクライナに侵略を始めて、既に2カ月を過ぎました。東部に近い都市は、ミサイルや砲撃により破壊し尽くされ、見る影もなく廃墟と化しています。ウクライナ人の悲しみを思う時、遠く離れて何も出来ないもどかしさに、いても立っても居られません。せいぜい私に出来ることは、義捐金をウクライナ大使館に送る程度のこと。ロシアに対する激しい怒りと、ウクライナに対するやり場のない悲しみに急かされるように、歌を詠みました。
①かはらぬは 青き空のみ 上げひばり 身を隠すべき 麦畑(むぎはた)もなし
ウクライナは世界有数の小麦の産地です。ウクライナ国旗の色には、歴史的には色々な意味が込められているのでしょうが、上半分は青空、下半分は小麦畑を表しているという理解もあるそうです。私は高校の日本史の教師ですので、応仁の乱で京の都が荒廃したことを悲しんで、室町幕府の評定衆の一人である飯尾彦六左衛門尉が詠んだ歌を思い起こしました。それは次のような歌です。「汝(なれ)や知る 都は野辺の 夕雲雀(ゆうひばり) 上がるを見ても 落つる涙は」(『応仁記』)。ヒバリは囀りながら上空に上ってゆきますが、突然に鳴き止むと、まるで墜落するかのように急降下します。古の歌人達はその習性をよく知っていて、ひばりを詠む歌は、「上がる」と「落つ」を効果的に詠むということが常套とされていました。上記の歌にも、雲雀は上がるが、涙は落ちるというように、常套的に詠まれています。
我が家の周辺にも麦畑があり、雲雀が鳴いています。まだ麦秋にはなっていませんが、そのうちウクライナ国旗のような配色になることでしょう。暴虐によって巣を破壊されたウクライナの雲雀は、いったいどこに身を隠せばよいのでしょうか。
②外つ国(とつくに)に 妻子を遣りて 益荒男(ますらお)は 国まもるべく 勇み留まる
戦が家族を引き裂くと言えば、『万葉集』に多く残された防人の歌を思い起こします。中心的編者の一人であった大伴家持の本職は、兵部省の高級官僚でしたから、職業柄、兵士の別れの歌を収集できる立場にいました。名もない当時の田舎の農民が遺した歌は、歌の善し悪しを超越して、今も読む者の心を揺り動かします。結果として防人は戦いには遭いませんでしたが、事故や病気で故郷に帰れなかった男達は少なくなかったでしょう。防人ではありませんが、663年の白村江の戦いに出征した農民兵士達の多くは、異国での戦いに斃れたはずです。
ウクライナの益荒男たちは、親・妻・子を安全な外国に避難させ、自分は祖国を守るべく、踏みとどまって戦っています。降伏を促す呆れたコメンテイターがいましたが、降伏すれば命が助かる保証などありません。事実シベリア送りになったり、降伏しても殺されているではありませんか。ウクライナの人が命を掛けて戦っているのは、自分のためばかりではなく、未来のウクライナ人のためでもあるのです。もし日本が暴虐により侵略されることがあれば、私は高齢ではありますが、祖国と未来の日本人のために、この命を捧げるつもりです。自分の命が保全されても、祖国が滅びたら、何のための命でしょう。年はとっても、そのくらいの勇気と意地は持っているつもりです。所詮、安全地帯での空威張りと批判させるかもしれません。まあそれは仕方がないでしょう。しかし実際に命懸けで祖国のために戦っているウクライナの益荒男と、夫と別れても親と子を守って異国で戦っているウクライナの女性達に、心の底から敬意を表さない人がいるでしょうか。
③山河(やまかわ)を 異(こと)にすれども 我が背子の 眺むる月は 我も見る月
老父母や子供達を守るため、妻達は夫と別れて異国で闘っています。月が鏡なら愛する人の姿も映るものを。せめて同じ月を眺めていることに、強い絆を感じていることでしょう。かつて奈良時代の長屋王は千枚の袈裟を作り、それに「山川異域 風月同天」(山川を異にすれども、風月天を同じうす)と刺繍して中国の僧に贈り、それが唐僧鑑真渡日の契機の一つとなったことを踏まえています。家族が再会し、祖国復興のために共に汗を流せるのはいつのことか。国歌には「ウクライナは滅びず」と歌われています。ウクライナに栄光あれ