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実物やコピー資料をノートやプリントに貼らせる 日本史授業に役立つ小話・小技39

2024-05-06 08:19:39 | 私の授業
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。

39、実物やコピー資料をノートやプリントに貼らせる
 私の授業の最大の特徴は、歴史的史料の実物や複製を活用することなのですが、時にはプリントやノートにそれらを貼らせることがあります。当然大きな物や立体的な物や高価な物は不可能ですから、制約があります。しかし今振り返ってみると、色々な物がありました。思い付くままに上げてみましょう。まず切手があります。もちろん使用済みなのですが、日本の郵便制度創設者である前島密なら1円ですから、未使用でも大した金額ではありません。切手や貨幣の小売店が集まって展示即売会をすることがあるのですが、そこでは同じ種類の使用済み切手が、100枚単位で廉価で売られています。切手には歴史的文化財の写真が多いので、文化史の学習に役立ちます。いくら使用済みでも記念切手は10円単位ですから、生徒の数だけ用意はできません。しかし各種1枚を買い集めてコピーをすれば、大した費用もかからずに貼らせられました。コピーでよければ、これまでに発行された全ての切手の図録がありますから、それが1冊あれば便利です。日本史ではありませんが、パピルス紙も貼らせました。東京の飛鳥山にある紙の博物館に売っていますから、取り寄せることができます。小さく切れば、いくらもかかりません。生糸は生徒の反応がよいものでした。ただ白い紙に白い生糸を数本貼っても見えないので、黒い台紙を予め配っておきます。それはコピー機をオープンにしたままでスイッチを押せばできます。江戸時代の古本や古文書で、保存する価値のないものがあれば、江戸時代の農業で楮を学習する際に使えます。細かい繊維が複雑に絡み合っているところを観察させるのですが、これは鋏で切らずに、手で引きちぎらせます。そうすると繊維がよく見えるからです。金箔を貼らせた時には大騒ぎになりました。ノートに糊を塗らせておいて、そこに割り箸でつまんでハラリと落としてやるのです。もちろん爪の先程ですが、案外安い物でした。金は食べても害はないと説明すると、中には弁当を広げて、振りかけてくれなどという生徒もいて、「金の糞が出る」と大騒ぎになったものです。室町時代の油座の話をした時は、荏胡麻の種を一粒ずつ取らせ、それをノートの上に置いて堅い物で押しつぶさせます。すると油が滲み出て、油の原料であったことを実感できます。同じことは江戸時代の農業の学習で、金肥の一つである油かすを実感させるため、夏に確保しておいた菜の花の種、要するに菜種を配って、荏胡麻と同じ様に体験させます。こうすれば油を絞った粕であることが実感できます。その他には、藍染めの布が手に入った時は、1㎝四方に切って貼らせたこともありました。
 今御紹介した物と少し性格が異なりますが、文化史学習で図説資料集を大胆に切り取って貼っている生徒もたくさんいました。ただ切り取ると学習に支障が出ますから、もう一冊確保しておかなければなりません。しかしこれは簡単に解決できました。卒業する生徒は図説資料集は必要なくなるので捨ててしまうことが多いのですが、最後の授業の時に寄付してもらうのです。そして次年度の生徒でノートに貼って活用したいという生徒にやるわけです。特に女生徒はきれいにまとめることが得意で、捨てるのが惜しくなる程のノートを創作していました。
 歴史漫画の面白い場面を貼らせたことはしばしばありました。漫画日本史には、歴史的事件の決定的瞬間は必ずあります。それをいくつも選んでまとめてプリントとして配っておいて、授業の進度に合わせて生徒が自主的に授業中にノートに貼ります。この場面で貼るようにと、いちいち指示はしません。その方が自分が考えることになるからです。生徒は自分で判断し、しかるべき場面をしかるべき時に切り取って貼っていました。時には吹き出しの台詞を空白にしておいて、台詞を自分で考えて書かせることもしました。絵の場面を見て、私の話を聞いていれば、どのように書けばよいか判断できるのです。ついでのことですが、一斉講義式の授業は生徒が受身になり、単なる知識の詰め込みになると批判されるのですが、私に言わせればそれは授業者が工夫もなく、ただ機械が話すように情報を垂れ流しているからに過ぎません。


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