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呉音・漢音・唐音  日本史授業に役立つ小話・小技41

2024-05-13 14:26:15 | 私の授業
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。

41、呉音・漢音・唐音
 漢字の読み方には中国伝来の音読みと、大和言葉である訓読みがありますが、一言で音読みと言っても、日本に伝えられた時期により、呉音・漢音・唐音の区別があります。ただし呉・漢・唐はいずれも王朝名ではありませんから、その音の呼称と王朝の時期が一致するわけではありません。
 呉音とは、中国の南朝の系譜を引く読み方で、渡来人によって4~5世紀に日本に最初に伝えられた音です。漢音は北朝の系譜を引く読み方で、主に遣唐使や遣唐留学生・留学僧により、7世紀から平安時代初期に伝えられた音で、体系的に採り入れられましたから、漢字の音読みの大半が漢音です。唐音は平安時代中期から江戸時代に伝えられた音で、日本では既に漢音が定着していましたから、断片的な単語として採り入れられました。このように伝来の時期が異なりますから、どのような言葉にどの音が残っているかを調べてみると、文化の受容と密接な関係があることがわかります。
 仏教公伝は538年ですから、古い仏教用語には呉音がよく保存されています。それを実感させるために、授業では次のようなクイズを出したことがあります。「以下の仏教用語に読み仮名を振りなさい。利益・月光・変化・選択・食堂・安居・中食・救世」。答は「りやく・がっこう・へんげ・せんじゃく・じきどう・あんご・ちゅうじき・くぜ」と読みますが、仏教用語であるというヒントを示せば、法隆寺の救世観音や薬師寺の月光菩薩、法然の『選択本願念仏集』は学習しますから、「がっこう」や「くぜ」や「せんじゃく」はできれば、大いに褒めてやります。飛鳥寺の釈迦如来像があるのは安居院ですから、詳しく学習している生徒なら、「あんご」はできるかもしれません。法隆寺の伽藍図に「食堂」と記されているので、そこで昼食にしようとしたら、国宝建築だったなどという笑い話もありそうです。
 漢音については、桓武朝から嵯峨朝の時代に遣唐使が多く派遣され、唐風が模倣されましたから、漢音の言葉が最も多いのは自然なことです。特に桓武天皇は延暦十一年(792)11月、漢音を推奨する勅令を出しています。それは「勅す。明経の徒(儒学を学ぶ者)は、吳音を習ふべからず。発声・誦読、既に訛謬(かびゆう)を致せり。漢音を熟習せよ」というものですが、儒学の用語に漢音が多いのは、この勅の影響と見てよいと思います。ただ僧侶に対して漢音を奨励をしていないのは、長年の使用により定着していたり、仏教界の抵抗があったのでしょうか。仏教用語に呉音が多く残っていることから、そのようなことがあったと推測できます。
 唐音は遣唐使廃止以後の平安中期以後の音で、主に日宋貿易や禅宗の伝来によって伝えられましたが、江戸時代に長崎を経由して伝えられたものまで含まれています。宋の時代の音が多いので、宋音と呼ばれることもありました。唐音は漢音とは大きく異なるので、唐音の熟語には難読語が多く、国語の試験にもよく登場します。試みに次の言葉を読んでみて下さい。行脚(アンギャ)・行灯(アンドン)・椅子(イス)・様子(ヨウス)・外郎(ウイロウ)・胡散(ウサン)・和尚(オショウ)・看経(カンキン)・金子(キンス)・卓袱(シッポク)・提灯(チョウチン)・緞子(ドンス)・南京(ナンキン)・暖簾(ノレン)・普請(フシン)・蒲団(フトン)・饅頭(マンジュウ)・東司(トウス、禅院の便所)など、満点をとるのはなかなか大変そうです。
 唐音が日本人にはどれ程聞き慣れない音であるかは、京都宇治の黄檗宗万福寺で唱えられる般若心経を聞くと実感できます。「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空空即是色」は、「カンツザイプサ。ヘンシンポゼポロミトス。チャウケンウインキャイクン。トイチェクエ。セリツ。スェプイクン。クンプイスェ。スェチスクンクンチススェ」と聞こえます。これはユーチューブでも聞けますし、万福寺で唐音の振り仮名を付けた般若心経を買うこともできます。
 以前、漢字に音読みがあることは、古墳時代の大陸文化受容であるという小話を公表したことがありますが、詳しく見るならば、古墳文化以後も違う形で受容しているのです。私の授業ではここまで話をします。近年文科省に推奨されている「学び合い」の授業を私が絶対にやらないのは、これらのことを全く知らない生徒達が、わずかに用意されるプリントをもとに「学び合い」をしても、時間ばかりが掛かり、「深い学び」は到底できないからです。



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