ネットで右上位について検索していて気が付いたのですが、その根拠にまで触れた情報が全くありません。国際基準になっているとか、欧米の様式であるとまで言いながら、なぜ右上位なのか説明がないのです。それでその根拠について少々お話しましょう。
欧米では右上位とされ、それが「プロトコール」と称して国際的儀礼慣習となっています。それはオリンピックの表彰式で、二位と三位の並び方にも反映されています。その根拠として、ヨーロッパには騎士道精神があり、左手に楯を持って女性を守りながら、右手で剣を握り戦ったためなどと説明されることがあるのですが、これはとんでもない出鱈目なのです。ネット情報も全てそのように説明していますし、結婚式のたびに日本中の式場がそのように説明するものですから、そういう理解が流布しています。しかし歴史的根拠は全くありません。左手で女性を庇いながら右手で戦ったので、男が右で女が左というならまだわからなくもありませんが、それを右上位の根拠というならば、愛する女性より剣の方が上位ということになってしまうではありませんか。外務省では外国の要人をもてなす機会が多く、国際儀礼については敏感なはずです。しかし外務省はそのような説明をしてはいません。もちろん右上位の根拠についても説明はしていませんが・・・・。
右上位が国際基準になっているといっても、国際的取り決めがあるわけではありません。欧米で一般化しているというのですから、その根拠にはキリスト教があることくらいは見当がつきます。しかしキリスト教的価値観は、聖書に基づいているのですから、さらに遡ってユダヤ教にたどり着きます。
私がイスラエルでヘブライ語を学んでいる時、こんな歌を覚えました。ここではメロディーは表しようがありませんが、歌詞は旧約聖書、ユダヤ人にとっては旧約聖書というものは存在せず、ただの聖書なのですが、詩篇118篇15「エホバの右手は勇ましき動作(はたらき)をなしたまふ」そのままで、片仮名で音だけを表せば、「ヤミン ハシェム オサー ハイール」となります。イスラエルでは聖書の一節をそのまま歌詞に採った歌が、普通にたくさん歌われていて、歌謡祭でも宗教的音楽が当たり前のように歌われるのです。たったこれだけの歌詞ですが、それを繰り返し繰り返し、熱狂的な雰囲気の中で踊るようにして歌い続けます。歌謡曲の歌詞が聖書の言葉そのままというのは、さすがイスラエルならではのことでした。
「神の右手」はヘブライ語では「ヤミン、ハシェム」と言います。「ヤミン」は右、「ハ」は定冠詞、「シェム」は直接的には名前という意味ですが、神の名を妄りに唱えないという戒めにより、神という代わりに「御名」という表現をするのです。日本でも詔勅を読む際には「御名御璽」と読んだのと近い発想でしょう。ですからユダヤ教で「右手」と言えば、神の力強い働きを意味しています。
話はとびますが、米国独立宣言起草者の一人に、ベンジャミン・フランクリンという人がいます。100ドル紙幣の肖像にもなっていますね。「ベンジャミン」とはヘブライ語では「ベン・ヤミン」で、日本語の聖書では族長ヤコブの子「ベニヤミン」と音訳されています。「ヤミン」は右、あるいは右手のこと。「ベン」は息子という意味ですから、「ベン・ヤミン」「ベンジャミン」は「神の力ある右手の子」という意味なのです。そう言えば、ベンジャミンという観葉植物がありますが、なぜそう呼ばれているのかは知りません。
右が神の力ある働きの象徴であることは、聖書の中には他にも多くの例があります。
また「右」は威厳や栄光を意味することもありました。古代イスラエルの王宮は、神殿の右に位置していました。ですから神の右に座すということは、神に次ぐ人間界最高の権威の座を意味したのです。同じく詩篇110篇1節の「エホバわが主のためにのたまふ。我なんぢの仇をなんぢの足台とするまでは、わが右に座すべし」という言葉は、その様な背景で理解されます。そしてこの聖句は新約聖書にもしばしば引用され、神はイエスを救い主として、その右に座らせるものとされたのでした。(参照 使徒行伝5-31)
聖書におけるこのような「右」の理解により、キリスト教国では右優位の習慣が成立し、それが国際的基準と見做されるようになりました。ですから、英語で右を表すrightという言葉は、正しいという意味をも兼ねることになったのです。神の働きは常に正義だからです。日本のネット情報には、英語でrightが正しいという意味があるからという所までは触れられていますが、なぜrightが正しいという意味を兼ねるのか迄には触れられていません。聖書まで遡らなければ、なぜ右上位なのかは説明できないのです。
欧米では右上位とされ、それが「プロトコール」と称して国際的儀礼慣習となっています。それはオリンピックの表彰式で、二位と三位の並び方にも反映されています。その根拠として、ヨーロッパには騎士道精神があり、左手に楯を持って女性を守りながら、右手で剣を握り戦ったためなどと説明されることがあるのですが、これはとんでもない出鱈目なのです。ネット情報も全てそのように説明していますし、結婚式のたびに日本中の式場がそのように説明するものですから、そういう理解が流布しています。しかし歴史的根拠は全くありません。左手で女性を庇いながら右手で戦ったので、男が右で女が左というならまだわからなくもありませんが、それを右上位の根拠というならば、愛する女性より剣の方が上位ということになってしまうではありませんか。外務省では外国の要人をもてなす機会が多く、国際儀礼については敏感なはずです。しかし外務省はそのような説明をしてはいません。もちろん右上位の根拠についても説明はしていませんが・・・・。
右上位が国際基準になっているといっても、国際的取り決めがあるわけではありません。欧米で一般化しているというのですから、その根拠にはキリスト教があることくらいは見当がつきます。しかしキリスト教的価値観は、聖書に基づいているのですから、さらに遡ってユダヤ教にたどり着きます。
私がイスラエルでヘブライ語を学んでいる時、こんな歌を覚えました。ここではメロディーは表しようがありませんが、歌詞は旧約聖書、ユダヤ人にとっては旧約聖書というものは存在せず、ただの聖書なのですが、詩篇118篇15「エホバの右手は勇ましき動作(はたらき)をなしたまふ」そのままで、片仮名で音だけを表せば、「ヤミン ハシェム オサー ハイール」となります。イスラエルでは聖書の一節をそのまま歌詞に採った歌が、普通にたくさん歌われていて、歌謡祭でも宗教的音楽が当たり前のように歌われるのです。たったこれだけの歌詞ですが、それを繰り返し繰り返し、熱狂的な雰囲気の中で踊るようにして歌い続けます。歌謡曲の歌詞が聖書の言葉そのままというのは、さすがイスラエルならではのことでした。
「神の右手」はヘブライ語では「ヤミン、ハシェム」と言います。「ヤミン」は右、「ハ」は定冠詞、「シェム」は直接的には名前という意味ですが、神の名を妄りに唱えないという戒めにより、神という代わりに「御名」という表現をするのです。日本でも詔勅を読む際には「御名御璽」と読んだのと近い発想でしょう。ですからユダヤ教で「右手」と言えば、神の力強い働きを意味しています。
話はとびますが、米国独立宣言起草者の一人に、ベンジャミン・フランクリンという人がいます。100ドル紙幣の肖像にもなっていますね。「ベンジャミン」とはヘブライ語では「ベン・ヤミン」で、日本語の聖書では族長ヤコブの子「ベニヤミン」と音訳されています。「ヤミン」は右、あるいは右手のこと。「ベン」は息子という意味ですから、「ベン・ヤミン」「ベンジャミン」は「神の力ある右手の子」という意味なのです。そう言えば、ベンジャミンという観葉植物がありますが、なぜそう呼ばれているのかは知りません。
右が神の力ある働きの象徴であることは、聖書の中には他にも多くの例があります。
また「右」は威厳や栄光を意味することもありました。古代イスラエルの王宮は、神殿の右に位置していました。ですから神の右に座すということは、神に次ぐ人間界最高の権威の座を意味したのです。同じく詩篇110篇1節の「エホバわが主のためにのたまふ。我なんぢの仇をなんぢの足台とするまでは、わが右に座すべし」という言葉は、その様な背景で理解されます。そしてこの聖句は新約聖書にもしばしば引用され、神はイエスを救い主として、その右に座らせるものとされたのでした。(参照 使徒行伝5-31)
聖書におけるこのような「右」の理解により、キリスト教国では右優位の習慣が成立し、それが国際的基準と見做されるようになりました。ですから、英語で右を表すrightという言葉は、正しいという意味をも兼ねることになったのです。神の働きは常に正義だからです。日本のネット情報には、英語でrightが正しいという意味があるからという所までは触れられていますが、なぜrightが正しいという意味を兼ねるのか迄には触れられていません。聖書まで遡らなければ、なぜ右上位なのかは説明できないのです。