うたことば歳時記

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漢数字を覚える 日本史授業に役立つ小話・小技 52

2024-07-19 09:11:15 | 私の授業
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。


52、漢数字を覚える
 日常生活で必要とされる漢数字は、一・二・三・四・五・六・七・八・九・十・千・万・億・兆くらいのもので、小学校でほぼ学習します。しかし社会人としては、肆(4)・陸(6)・漆(7)・捌(8)・玖(8)はともかくとして、零・壱(壹)・弐(貳・貮)・参・伍・十・阡・萬くらいは知っておかなければなりません。高額の品の売買に関する証明書に必ず使われるからです。高校生ではその様な生活体験がなければ知らないこともあるでしょうが、現代では18歳で成人とみなされるのですから、やはり高校で学習しておかなければなりません。因みに肆(4)・陸(6)・漆(7)・捌(8)・玖(8)の漢数字は、律令時代の戸籍や計帳で、年齢を表記するのに必ず用いられますから、図説資料集で確認することができます。
 社会人ならなぜ必要なのかは説明の必要がないのですが、私の経験では悪知恵の働く生徒が、悪用したことがありました。生徒会顧問で会計を担当していた時のこと、文化祭で購入した雑貨の領収書を添えた会計報告を提出させたのですが、領収書の数字に線を書き加えて、改竄したものを見つけたことがありました。取り敢えず自腹で購入し、後で領収書の金額を支払うことになっていたのですが、線1~2本を書き加えるだけで、一の字は二・三・五・七・十に化けてしまいます。生徒会本部役員の生徒は気が付かなくても、大人の目は誤魔化せません。直ぐに呼び出して問い詰め、白状させました。まあ金額も知れたものですし、学校の中のことですから、少々お灸を据えておしまいなのですが、これが不動産の取引だったらどうするのかと、考えさせました。
 日本史の授業では、殊更に漢数字を学習する事は無いのですが、地租改正の学習では地券の実物を見せながら、実際に地価に地租律の3%や2.5%を掛けて地租を計算させますから、ここで学習させるわけです。私はかつては数十枚の地券の実物を持っていましたので、全員に数字の異なる地券を配り、まず数字を読むことから指導を始めていました。数十枚の地券を見せ、「これが大地主の気分だ」と下らぬ冗談で笑いをとることもありました。そしてなぜこの際に漢数字を覚えておく必要があるかを、実際に改竄して見せて納得させます。ついでのことに、1円=100銭=1000厘であることも学習します。1円=10銭と理解している生徒も少なくありません。日常の買い物では1円未満は必要なくても、為替レートでは普通に使われていますから、これも理由を説明して覚えさせます。

三国干渉の「たられば」 日本史授業に役立つ小話・小技 51

2024-07-12 06:57:48 | 私の授業
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。

51三国干渉の「たられば」
 「たられば」とは、「もし…していたら、もし…していれば」と言うように、事実とは異なることを仮定してする想像したり後悔したりすることを意味しています。歴史的事象で、「もしあの時、・・・・していたら、今頃どうなっていただろう」と考えることは意味がないと言われるかもしれませんが、批判を承知で考えてみました。
 下関講和条約が調印されたのは、明治二八年(1895)四月十七日のことでした。日本全権は首相の伊藤博文と外相の陸奥宗光です。そして四月二十日には広島にあった大本営において明治天皇の裁可を得ました。ところが四月二三日、東京駐在のロシア帝国・ドイツ帝国・フランス共和国の三国の公使が外務省を訪れ、舞子(現神戸市)で病気療養中の陸奥宗光外相に代わり、林董(はやしただす)外務次官に対し、遼東還付を勧告する覚書を手渡します。
 これに対して四月二四日、広島における御前会議において、①勧告拒絶、②列国会議招請、③勧告受諾の三案が検討されました。最終的には③の勧告受諾となることは授業で学習しますから、①②案であったらどの様になったと考えられるでしょうか。
 まず①についてですが、その頃ロシアの極東艦隊は、命令さえ下れば翌日には出撃し、ただちに日本沿岸を砲撃できる臨戦態勢にありました。そのあたりのことを、陸奥宗光は回想録『蹇蹇録』に次の様に書いています。「就中(なかんずく)、露国政府は、既(すで)に此(この)方面の諸港に碇泊(ていはく)する同国艦隊に対して、二十四時間に何時(いつ)にても出帆し得べき準備を為(な)し置くべき旨(むね)、内命を下せりとの一事は、頗(すこぶ)る其(その)実(じつ)あるが如し」。日清戦争直後のことですから、日本近海にロシア艦隊に対抗できる海軍戦力は、全て出払っていて皆無です。ウラジオストークからは一日二日の距離ですから、日本に勝ち目は全くありません。ですからもし遼東半島還付の勧告を拒否し、ロシア極東艦隊が出撃すれば、日本は降伏するほかはありません。もしそうなれば清国は下関条約の批准を拒否するのは必然ですから、日清戦争の勝利は一瞬にして無に帰することになったでしょう。
 それならば②ならばどうでしょう。その辺りのことを陸奥宗光は次の様に説明しています。「もし列国会議を開催するなら、露・独・仏国の他に、二三の大国を加えないわけにはいかない。しかしそもそも列国が参加するという保証はないし、開催するとしても時間がかかる。会議では遼東半島問題以外にも話が波及する可能性があり、条約批准書交換期限は目前に迫っているのにこの様な講和とも戦争継続とも定まらない状態が続けば、せっかく調印した下関講和条約そのものが台無しになってしまう恐れがある」というのです。清国にとっては屈辱を挽回する絶好のチャンスですから、批准を拒否し、三国の力を背景に有利な状態であらためて講和会議開催を要求することは必然です。そうなれば①と同じく、日清戦争の勝利は一瞬にして無に帰することになったでしょう。結局は、日本政府は五月四日に京都で閣議を開き、正式に遼東半島の放棄を決定します。そして伊藤首相が直ちに参内(さんだい)して明治天皇の裁可を受け、翌五日には三国の駐在日本公使に通告。懸案の批准書が交換されたのは五月八日のことでした。まさに手に汗握る綱渡りだったのです。


韓国で非難される渋沢栄一の新一万円紙幣  日本史授業に役立つ小話・小技 50

2024-07-03 08:16:26 | 私の授業
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。


50、韓国で非難される渋沢栄一の新一万円紙幣

 令和6年7月3日、いよいよ新しい紙幣が発行されます。一万円札は渋沢栄一が肖像として採用されているのですが、韓国はそのことについて激しく抗議をしています。ネット情報の引用ですが、以下、中央日報の記事を載せておきます。

 渋沢は旧韓末に韓半島(朝鮮半島)に鉄道を敷設し、日帝強占期に京城電気(韓国電力の前身)社長を務めて「経済侵奪」で先に立った人物として批判を受けてきた。大韓帝国時代に利権侵奪のため韓半島で初めての近代的紙幣発行を主導し、自ら紙幣の主人公として登場し韓国に恥辱を抱かせた人物でもある。大韓帝国では1902年~1904年に日本第一銀行の紙幣として1ウォン札、5ウォン札、10ウォン札が発行されたが、この3つの紙幣に描かれた人物が当時第一銀行オーナーだった渋沢だった。誠信(ソンシン)女子大学の徐坰徳(ソ・ギョンドク)教授は「今回の1万円札の登場人物は2019年の安倍政権で決めたもので、これを是正しないでそのまま発行する岸田政権も問題が大きい。日帝植民支配を受けた韓国に対する配慮がないだけでなく、歴史を修正しようとする典型的な小細工戦略だ」と批判した。

 しかし渋沢栄一がなぜ韓国で問題にされるのか、日本人にはすぐには理解できないかもしれません。日本政府は明治時代に朝鮮・韓国に権益を拡大し、最終的には韓国併合に至るのですが、渋沢は同時期に日本経済の近代化を成し遂げた最大の功労者ですから、必然的に彼も朝鮮・韓国と関わることになりました。明治9年(1876)、日朝修好条規とそれに伴う貿易規則が締結されました。それによれば、朝鮮国が清国の属国ではない独立国であること、公使の首都駐在、両国間の自由貿易や釜山など3港の開港、領事裁判権、関税自初見の放棄などが確認されました。また付属する約款により、 開港場において日本人は自国の貨幣を使用することができることなども決められました。その結果、開港場の付近では日本の通貨が流通し始めるのですが、そもそもその頃の朝鮮には近代的な金融機関がなく、まともな統一通貨さえありませんでしたから、商取引には何かと不便を生じます。そこで日本政府は日朝貿易発展のためには銀行設立が急務であるとして、釜山に銀行を設立することにしました。そして明治11年(1878)、釜山の居留地内に第一国立銀行釜山支店を開設します。その結果日本の通貨(主に銀貨)が朝鮮に流通し始めるのですが、明治28年の三国干渉後に朝鮮国内ではロシアの影響力が強くなり、日本通貨の流通が縮小してしまいます。そこで明治35年(1902)、第一銀行(明治29年に第一国立銀行から改称)は、韓国で第一銀行券を発行しました。当時渋沢は第一銀行の頭取であったため、1・5・10円の銀行券には渋沢の肖像が描かれていたのです。この発行は韓国政府の承認を受けたものではありませんが、明治38年(1905)には韓国政府が正式な紙幣と認定しています。
 それならなぜ韓国政府はそれを認めたのでしょうか。金銀ならば万国に通用しますが、当時朝鮮で通用していた信用のある貨幣は日本の銀貨でした。仮に韓国が紙幣を発行しても、流通する保証がなかったからです。信用の裏付けのない紙幣というものは、単なる紙切れに過ぎませんから、誰も受け取ってくれません。そのため信用のある第一銀行券を承認せざるを得なかったのです。また韓国政府が貨幣を発行しようとしても、韓国独力では資金的に中央銀行の設立は困難であり、無理して発行すれば、自己の利益だけにしか関心がなく、当局者が私腹を肥やすであろうことは目に見えていました。官僚には本気で国家の近代化を成し遂げようとい雰囲気がまるでなく、渋沢栄一は、韓国国王を初めとして取り巻きの廷臣や官僚達が、極めて経済や貨幣の制度に暗く、また何に付けて進取の気概がないことをしばしばこぼしています。
 しかし国家主権の発動である貨幣の発行ができない韓国から見れば、「侵略者」である日本の銀行が発行した紙幣を使うことは屈辱以外の何物でもありませんでした。渋沢の紙幣発行から8年後の明治43年には韓国が併合され、紙幣を使う毎に渋沢の肖像を見せられていたのですから、韓国の人にしてみれば彼が韓国に対する「経済的侵略の象徴」と理解されたのも、ある意味では無理もありません。
 それでも渋沢栄一の名誉のために弁明するならば、明治時代初期の朝鮮国に、中央銀行もなく、紙幣を発行して流通させる政治・経済力がなかったことが最大の問題なのです。信用ある紙幣が発行されていれば、わざわざ異国の紙幣を自国の紙幣として認定する必要はなかったからです。そのような自らの問題を棚上げにして渋沢栄一を非難することは、自国の歴史を知らないとしか言いようがありません。もちろんこれには反論があるとは思いますが・・・・。
 ついでのことですが、第二次世界大戦後、昭和25年6月に大韓民国の中央銀行として韓国銀行が設立されますが、その直後に朝鮮戦争が勃発します。そのため新紙幣の発行ができず、急遽日本政府に依頼して大韓民国最初の紙幣が大蔵省の印刷局で印刷され、米軍の軍用機で運ばれました。肖像は大韓民国初代大統領の李承晩、単位は「圓」(円)と表記されていますが、現在韓国通貨の単位である「ウォン」は「円」の朝鮮語読みです。韓帝国と大韓民国最初の紙幣は、いずれも日本で印刷されたものだったのです。ただし「円」を通貨の単位とするのは、日本のオリジナルではありません。
 またNo Japan運動では問題にならなかったのですが、現在通用している韓国の5千ウォン・1万ウォン紙幣のホログラムは日本製ですし、韓国のパスポートの表紙も日本で印刷されています。
 これもついでのことですが、日韓の歴史問題について、確かな証拠・根拠に基づいて発信している韓国人のユーチューブを御紹介しておきましょう。それは「キムチわさび」というのですが、韓国人ユーチューバーはたくさんいても、その学術的公平性・客観性は群を抜いていて、他を寄せ付けません。これを見ずして日韓問題を論ずることはできません。まずは一度視聴してみて下さい。