日本史授業に役立つ小話・小技 8
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。
8、年号と元号
日本史を大学受験課目にする生徒にとって、年号の暗記は単なる暗記ですが、避けて通れません。これが日本史学習を嫌いにさせる原因の一つなので、授業では暗記せよとは絶対に言いません。しかし受験生には現実ですから、仕方がないことと諦めています。
ところで年号と元号は混用されているのですが、何が違うのでしょうか。まずネット情報でいくつか確認してみましょう。
①「年号」はある特定の年を示す言葉として、「元号」は大きなまとまりとしての時代を示す言葉として使われます。
②「年号」と「元号」の違いは、専門家の間でも意見が分かれています。たとえば、平成30年の場合、「元号」は平成を指し、「年号」は30年を指すという意見もあります。
③漢字による名称が「年号」であり、天皇の即位から数えたものが「元号」であるとされます。具体的には、平成30年であれば「平成」が年号で、「30年」の部分が元号であることになります。
④元号:天皇が即位した年を元年とし退位する迄の期間に用いられる名称。年号:天皇が決めた一定期間の名称
探せばいくらでもありそうですが、このくらいにしておきましょう。結論から言えば全て出鱈目です。最初の年号とされる「大化」に関する『日本書紀』の記述では、「天豊財重日足姫天皇(皇極天皇)の四年を改めて大化元年(たいかのはじめのとし)と為す」と記されていますから、元号なのか年号なのかわかりません。「大宝」については、『続日本紀』に「元を建てて大宝元年と為(な)す」と記されています。「元」と言う文字は、気力の元になるのが元気、一年の初めの日が元日、利子のつかない初めの預金が元金と言うように、「元になるもの」を意味していて、「年」という意味は微塵もありません。そして大化六年2月に白雉と改元されるのですが、そのことについて『日本書紀』には「元(はじめのとし)を白雉と改む」と記されています。ここでも元号か年号かわかりませんが、「元」を「はじめのとし」と読んでいることは注目されます。『日本書紀』には大和言葉独特の訓がふられているのですが、これは現代の注釈者が付けたものではなく、721年から965年までの間に宮中で7回も行われた日本書紀講筵(日本書紀の講読会)の講義記録や、『古事記』に比べてはるかに多い古写本に記された訓読史料を参考にして、当時の読み方が推定再現されたものなのです。つまり古くから「元」は「初めの年」と理解されていたのです。すると「改元」という言葉は、「元号を改める」ことの省略された表現ではなく、「初めの年を改める」という意味だったのです。そして「和銅」の改元については、『続日本紀』に「慶雲五年を改めて和銅元年と為し、御代の年号と定め賜ふ」と記されていて、ここで初めて「年号」の表記を確認できます。その後の改元についての記述には「年号」がしばしば用いられていますが、「元号」は見当たりません。要するに六国史は国家の正式な歴史書なのですから、「年号」が正式な呼称だったのです。
それなら「元号」という言葉はいつから用いられるようになったのでしょう。一般には明治初年の一世一元の制に始まると理解されています。しかし一世一元の制を定めた明治改元の詔書には、「今後年号は御一代一号に定め・・・・」とはっきりと記されていています。ですから「一世一元」は「天皇一代に元号は一つ」という意味ではなく、「天皇一代に改元は一回」という意味なのです。事実、この制の制定の中心となった岩倉具視関係の文書には、みな「年号」が用いられています。そういうわけで「元号」という言葉は、一世一元の制以後に用いられるようになったという説は明白な誤りです。かく言う私も、教員に成り立ての頃はそのように思い込んでいましたが、明治改元の詔書を丁寧に読んでみて、それが誤りであることに気付きました。ただし江戸時代に年号について論じた知識人が、「元号」という表記を使っていたことはありました。
「元号」が正式に用いられるようになったのは、大日本帝国憲法と同時に公布された皇室典範という法律以後のことです。ここでようやく「元号」に法律的根拠が与えられ、正式な呼称となりました。しかし終戦により皇室典範がなくなり、その根拠が失われてしまいました。そして慣習的に用いられていたのですが、昭和54年に元号法が制定され、「元号」は再び法律的根拠を得たわけです。ですから現在では「元号」が正式な呼称というわけです。
それなら元号と年号の違いは何かと改めて問われれば、私は「歴史的には長く「年号」が用いられてきた。そして明治憲法以後は、一時的中断はあるものの、「元号」が正式な呼称となっている。しかし日常生活ではあまり神経質に区別する必要はないと思う」と答えています。そして授業では、明治憲法より前は「年号」を用い、それ以後は「元号」を用いています。ネット情報でもっともらしく蘊蓄をたれている人達は、『日本書紀』『続日本紀』などの歴史書や、一世一元の制の詔書など、その目で確認していないのでしょう。
なお清水書院という出版社から私が中学生・高校生向けに書いた『明日話したくなる 元号・改元』という本が発行されていています。元号について関心のある方はアマゾンですぐに取り寄せられますから御覧下さい。
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。
8、年号と元号
日本史を大学受験課目にする生徒にとって、年号の暗記は単なる暗記ですが、避けて通れません。これが日本史学習を嫌いにさせる原因の一つなので、授業では暗記せよとは絶対に言いません。しかし受験生には現実ですから、仕方がないことと諦めています。
ところで年号と元号は混用されているのですが、何が違うのでしょうか。まずネット情報でいくつか確認してみましょう。
①「年号」はある特定の年を示す言葉として、「元号」は大きなまとまりとしての時代を示す言葉として使われます。
②「年号」と「元号」の違いは、専門家の間でも意見が分かれています。たとえば、平成30年の場合、「元号」は平成を指し、「年号」は30年を指すという意見もあります。
③漢字による名称が「年号」であり、天皇の即位から数えたものが「元号」であるとされます。具体的には、平成30年であれば「平成」が年号で、「30年」の部分が元号であることになります。
④元号:天皇が即位した年を元年とし退位する迄の期間に用いられる名称。年号:天皇が決めた一定期間の名称
探せばいくらでもありそうですが、このくらいにしておきましょう。結論から言えば全て出鱈目です。最初の年号とされる「大化」に関する『日本書紀』の記述では、「天豊財重日足姫天皇(皇極天皇)の四年を改めて大化元年(たいかのはじめのとし)と為す」と記されていますから、元号なのか年号なのかわかりません。「大宝」については、『続日本紀』に「元を建てて大宝元年と為(な)す」と記されています。「元」と言う文字は、気力の元になるのが元気、一年の初めの日が元日、利子のつかない初めの預金が元金と言うように、「元になるもの」を意味していて、「年」という意味は微塵もありません。そして大化六年2月に白雉と改元されるのですが、そのことについて『日本書紀』には「元(はじめのとし)を白雉と改む」と記されています。ここでも元号か年号かわかりませんが、「元」を「はじめのとし」と読んでいることは注目されます。『日本書紀』には大和言葉独特の訓がふられているのですが、これは現代の注釈者が付けたものではなく、721年から965年までの間に宮中で7回も行われた日本書紀講筵(日本書紀の講読会)の講義記録や、『古事記』に比べてはるかに多い古写本に記された訓読史料を参考にして、当時の読み方が推定再現されたものなのです。つまり古くから「元」は「初めの年」と理解されていたのです。すると「改元」という言葉は、「元号を改める」ことの省略された表現ではなく、「初めの年を改める」という意味だったのです。そして「和銅」の改元については、『続日本紀』に「慶雲五年を改めて和銅元年と為し、御代の年号と定め賜ふ」と記されていて、ここで初めて「年号」の表記を確認できます。その後の改元についての記述には「年号」がしばしば用いられていますが、「元号」は見当たりません。要するに六国史は国家の正式な歴史書なのですから、「年号」が正式な呼称だったのです。
それなら「元号」という言葉はいつから用いられるようになったのでしょう。一般には明治初年の一世一元の制に始まると理解されています。しかし一世一元の制を定めた明治改元の詔書には、「今後年号は御一代一号に定め・・・・」とはっきりと記されていています。ですから「一世一元」は「天皇一代に元号は一つ」という意味ではなく、「天皇一代に改元は一回」という意味なのです。事実、この制の制定の中心となった岩倉具視関係の文書には、みな「年号」が用いられています。そういうわけで「元号」という言葉は、一世一元の制以後に用いられるようになったという説は明白な誤りです。かく言う私も、教員に成り立ての頃はそのように思い込んでいましたが、明治改元の詔書を丁寧に読んでみて、それが誤りであることに気付きました。ただし江戸時代に年号について論じた知識人が、「元号」という表記を使っていたことはありました。
「元号」が正式に用いられるようになったのは、大日本帝国憲法と同時に公布された皇室典範という法律以後のことです。ここでようやく「元号」に法律的根拠が与えられ、正式な呼称となりました。しかし終戦により皇室典範がなくなり、その根拠が失われてしまいました。そして慣習的に用いられていたのですが、昭和54年に元号法が制定され、「元号」は再び法律的根拠を得たわけです。ですから現在では「元号」が正式な呼称というわけです。
それなら元号と年号の違いは何かと改めて問われれば、私は「歴史的には長く「年号」が用いられてきた。そして明治憲法以後は、一時的中断はあるものの、「元号」が正式な呼称となっている。しかし日常生活ではあまり神経質に区別する必要はないと思う」と答えています。そして授業では、明治憲法より前は「年号」を用い、それ以後は「元号」を用いています。ネット情報でもっともらしく蘊蓄をたれている人達は、『日本書紀』『続日本紀』などの歴史書や、一世一元の制の詔書など、その目で確認していないのでしょう。
なお清水書院という出版社から私が中学生・高校生向けに書いた『明日話したくなる 元号・改元』という本が発行されていています。元号について関心のある方はアマゾンですぐに取り寄せられますから御覧下さい。