「You raise me up」という歌が、結婚式の定番歌なのだそうです。クリスチャンのはしくれである私は、とても驚きました。教会の聖歌集に収められているわけではありませんから、いわゆる賛美歌ではありませんが、キリスト教の信仰が基盤となっている、いわゆるゴスペルソングの一つでしょう。
気になったので、ネットで「You raise me up」に関連する情報を読んでいたところ、下記のようなものを見つけました。
「ユーレイズミーアップという歌をあれは讃美歌だと言い張るキリスト教徒がいるようですが、どう思いますか?あの歌の歌詞の解説を読むとそういう歌でないことはよくわかるのに、」というのです。
日本人がそのように思うのは無理もないのですが、歌詞を読めば読む程、キリスト教的発想で作詞されていることがはっきりと現れているのです。
まずは原詩を紹介し、私なりの和訳も添えておきました。
You raise me up
When I am down and oh my soul, so weary When troubles come and my heart burdened be
Then I am still and wait here in the silence Until you come and sit a while with me
気持ちが沈み 魂がとても疲れ果てたとき、困難が訪れて 私の心が苦しいとき、
そのとき、私は静かに ここで静かに待つ、
あなたが来て共に坐ってくれるまで(そばに来てくれるまで)、
You raise me up so I can stand on mountains You raise me up to walk on stormy seas
I am strong when I am on your shoulders You raise me up to more than I can be.
あなたが私を高めてくれる(力づけてくれる) だから高い山々に立てる、
あなたが私を高めてくれる だから嵐の海の上も歩くことができる、
あなたが支えてくれるとき 私は強くなれる、あなたが私を高めてくれるので
私ができる以上の私になれる(今以上の私になれる)、
There is no life no life without its hunger Each restless heart beats so imperfectly
But then you come and I am filled with wonder Sometimes I think I glimpse eternity
(心・魂が)渇望することのない人生などはない、それぞれの休むことのない心(不安な心)は、乱れて脈を打っている
しかしその様なときにあなたが来てくれるので 私は驚きで満たされる、
(そして) 私は時々、永遠というものを垣間見ているように思う
You raise me up so I can stand on mountains You raise me up to walk on stormy seas
I am strong when I am on your shoulders You raise me up to more than I can be
あなたが私を高めてくれる(力づけてくれる) だから高い山々に立てる、
あなたが私を高めてくれる だから嵐の海の上も歩くことができる、
あなたが支えてくれるとき 私は強くなれる、あなたが私を高めてくれるので
私ができる以上の私になれる(今以上の私になれる)、
聖書をよく知らない日本人が和訳された歌詞を読むと、愛の賛歌のように誤解してしまうのですが、随所に聖書の言葉や出来事や信仰的な言葉が散りばめられているのです。まず歌の題の「You raise me up」は、旧約聖書の「詩篇」第41章10節「But you, Yahweh(エホバの神よ), have mercy on me, and raise me up」(しかし主よ、わたしをあわれみ、わたしを助け起してください)から採られています。聖書における神に語りかける言葉や祈りの言葉においては、神は二人称で表されます。ですから日本語に直すと「あなた」になってしまうので、そもそもの誤解はそこから始まり、恋人同士の歌になってしまうのです。試しに和訳の「あなた」を「わが神」「わが主(しゅ)」「エホバ」に置き換えて読んでみて下さい。
「You raise me up」はあくまでも詩的な表現であって、日常では使わない言葉だそうです。もともとは旧約聖書の「詩篇」から採られた言葉ですから、当然ながら詩的な言葉なのでしょう。
「sit a while with me」は、聖書では「神、我等と共に居ます」(インマヌエル)というイエスの別称と同じ意味で、信仰のある人なら直ぐにインマヌエルを連想する言葉です。
「walk on stormy seas」は多くの和訳では「嵐の海を歩く」と訳されていますが、これはイエスが嵐の荒れ狂うガリラヤ湖の水の上を歩いて渡って来たのを弟子達が見て、幽霊と勘違いして怖じ恐れたとき、一番弟子のペテロが舟から踏み出して、イエスのもとに歩いて行こうとしたのですが、荒波を見て恐れが生じた途端に、溺れかけてイエスに助けられたという場面から採られています。原詩では「 walk on stormy seas」となっていて、文字通り荒れ狂う海の水の上を歩くことを意味しています。そのあたりのことを知らない人が一般的な和訳の「嵐の海を歩く」を読むと、嵐の海辺を歩くという意味にしかとってくれないでしょう。キリスト教徒なら、「嵐の海の上を歩く」という言葉だけで、直感的にこの場面を思い浮かべます。
soulや eternityという言葉も、本来は聖書に由来する言葉でしょう。
ネットで和訳を調べてみると、There is no life no life without its hungerをどの様に訳すか、皆さん苦労しているようです。「飢えない命はない」という訳が多いのですが、 lifeを命と理解してしまうと、hungerは食べ物の欠乏になってしまいます。ここでは心や魂のことを問題にしているのですから、 hungerは人の心や魂が本質的に持っている渇望のことを意味しています。人は周囲が物で満たされても、心は本当の意味で満足できないのです。歌詞の中では、「心が乱れている時に、あなたが来てくれるので 私は驚きで満たされる」というように記されていますが、神がそばに来てくれるから心が満たされるというのです。信仰的視点のない人には、和訳しきれないと思いました。
作詞者がどのような意図で作詞したかはわかりませんが、上記の言葉達は、信仰的発想によって選ばれたものであることは明らかなのです。もちろん「you」を「あなた」と理解して、恋人同士や信頼する人同士の歌と理解して歌うことに、何の問題もありません。私はそれが問題であると言いたいわけではありません。しかしキリスト教の信仰を知っている人が歌うときには、恋人同士の歌として歌ったとしても、その背景には信仰的発想があるということを知ってもらいたいと思っているのです。
私は海外の生活経験があり、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教徒が日常に歌う歌の歌詞に、それぞれの経典から採られた歌詞が採り入れられているのをたくさん見聞きしてきました。信仰が日常生活の中に大きな要素として採り入れられているのです。一方日本ではどうでしょう。日本の歌手が歌い、庶民が歌っている歌の歌詞に、法華経や万葉集や古事記の一節が出て来ることなどあり得ません。日本人はクリスマスには
全国民がキリスト教徒のように見え、一週間もしないうちに初詣に行き、葬儀は仏式で行います。いかにも信仰深いように見えて、信仰心は希薄です。初詣で祈願することといえば、家内安全・商売繁盛・大願成就などであり、「You raise me up」の歌詞に「 There is no life without its hunger」(渇望することのない人生などはない)といって、霊魂の本質的渇望を満たされることを本気で祈る人は極めて希なのです。要するに日本人には信仰心があるように見えても、欧米人から見ればないようにも見える不思議な存在なのです。
日本の公教育では、意図的に宗教教育を避けています。それはそれでよいと思います。殊更しなくても、倫理観やモラルを持ち合わせているところが、何とも不思議なのですが・・・・。アメリカのコインには、「We trust in God」と刻まれています。大統領は聖書に手を置いて宣誓します。十字架を意匠化した国旗をもつ国も世界にはたくさんあります。もし日本で同じようなことがあれば、たちまち憲法問題となるでしょう。「You raise me up」は、そのように信仰が生活習慣や政治の根底にある国の歌なのですから、一回くらいは深い意味をしみじみと感じ取ってほしいものです。もちろん結婚式の定番の歌として歌うことに何の問題もありませんが・・・・。
もし「You raise me up」のメロディーをご存じないならば、ユーチューブでセルティック・ウーマンの歌うものを検索してみて下さい。日本人が歌っているものもありますが、ここはやはり信仰的理解を知っているひとの歌をお勧めします。
気になったので、ネットで「You raise me up」に関連する情報を読んでいたところ、下記のようなものを見つけました。
「ユーレイズミーアップという歌をあれは讃美歌だと言い張るキリスト教徒がいるようですが、どう思いますか?あの歌の歌詞の解説を読むとそういう歌でないことはよくわかるのに、」というのです。
日本人がそのように思うのは無理もないのですが、歌詞を読めば読む程、キリスト教的発想で作詞されていることがはっきりと現れているのです。
まずは原詩を紹介し、私なりの和訳も添えておきました。
You raise me up
When I am down and oh my soul, so weary When troubles come and my heart burdened be
Then I am still and wait here in the silence Until you come and sit a while with me
気持ちが沈み 魂がとても疲れ果てたとき、困難が訪れて 私の心が苦しいとき、
そのとき、私は静かに ここで静かに待つ、
あなたが来て共に坐ってくれるまで(そばに来てくれるまで)、
You raise me up so I can stand on mountains You raise me up to walk on stormy seas
I am strong when I am on your shoulders You raise me up to more than I can be.
あなたが私を高めてくれる(力づけてくれる) だから高い山々に立てる、
あなたが私を高めてくれる だから嵐の海の上も歩くことができる、
あなたが支えてくれるとき 私は強くなれる、あなたが私を高めてくれるので
私ができる以上の私になれる(今以上の私になれる)、
There is no life no life without its hunger Each restless heart beats so imperfectly
But then you come and I am filled with wonder Sometimes I think I glimpse eternity
(心・魂が)渇望することのない人生などはない、それぞれの休むことのない心(不安な心)は、乱れて脈を打っている
しかしその様なときにあなたが来てくれるので 私は驚きで満たされる、
(そして) 私は時々、永遠というものを垣間見ているように思う
You raise me up so I can stand on mountains You raise me up to walk on stormy seas
I am strong when I am on your shoulders You raise me up to more than I can be
あなたが私を高めてくれる(力づけてくれる) だから高い山々に立てる、
あなたが私を高めてくれる だから嵐の海の上も歩くことができる、
あなたが支えてくれるとき 私は強くなれる、あなたが私を高めてくれるので
私ができる以上の私になれる(今以上の私になれる)、
聖書をよく知らない日本人が和訳された歌詞を読むと、愛の賛歌のように誤解してしまうのですが、随所に聖書の言葉や出来事や信仰的な言葉が散りばめられているのです。まず歌の題の「You raise me up」は、旧約聖書の「詩篇」第41章10節「But you, Yahweh(エホバの神よ), have mercy on me, and raise me up」(しかし主よ、わたしをあわれみ、わたしを助け起してください)から採られています。聖書における神に語りかける言葉や祈りの言葉においては、神は二人称で表されます。ですから日本語に直すと「あなた」になってしまうので、そもそもの誤解はそこから始まり、恋人同士の歌になってしまうのです。試しに和訳の「あなた」を「わが神」「わが主(しゅ)」「エホバ」に置き換えて読んでみて下さい。
「You raise me up」はあくまでも詩的な表現であって、日常では使わない言葉だそうです。もともとは旧約聖書の「詩篇」から採られた言葉ですから、当然ながら詩的な言葉なのでしょう。
「sit a while with me」は、聖書では「神、我等と共に居ます」(インマヌエル)というイエスの別称と同じ意味で、信仰のある人なら直ぐにインマヌエルを連想する言葉です。
「walk on stormy seas」は多くの和訳では「嵐の海を歩く」と訳されていますが、これはイエスが嵐の荒れ狂うガリラヤ湖の水の上を歩いて渡って来たのを弟子達が見て、幽霊と勘違いして怖じ恐れたとき、一番弟子のペテロが舟から踏み出して、イエスのもとに歩いて行こうとしたのですが、荒波を見て恐れが生じた途端に、溺れかけてイエスに助けられたという場面から採られています。原詩では「 walk on stormy seas」となっていて、文字通り荒れ狂う海の水の上を歩くことを意味しています。そのあたりのことを知らない人が一般的な和訳の「嵐の海を歩く」を読むと、嵐の海辺を歩くという意味にしかとってくれないでしょう。キリスト教徒なら、「嵐の海の上を歩く」という言葉だけで、直感的にこの場面を思い浮かべます。
soulや eternityという言葉も、本来は聖書に由来する言葉でしょう。
ネットで和訳を調べてみると、There is no life no life without its hungerをどの様に訳すか、皆さん苦労しているようです。「飢えない命はない」という訳が多いのですが、 lifeを命と理解してしまうと、hungerは食べ物の欠乏になってしまいます。ここでは心や魂のことを問題にしているのですから、 hungerは人の心や魂が本質的に持っている渇望のことを意味しています。人は周囲が物で満たされても、心は本当の意味で満足できないのです。歌詞の中では、「心が乱れている時に、あなたが来てくれるので 私は驚きで満たされる」というように記されていますが、神がそばに来てくれるから心が満たされるというのです。信仰的視点のない人には、和訳しきれないと思いました。
作詞者がどのような意図で作詞したかはわかりませんが、上記の言葉達は、信仰的発想によって選ばれたものであることは明らかなのです。もちろん「you」を「あなた」と理解して、恋人同士や信頼する人同士の歌と理解して歌うことに、何の問題もありません。私はそれが問題であると言いたいわけではありません。しかしキリスト教の信仰を知っている人が歌うときには、恋人同士の歌として歌ったとしても、その背景には信仰的発想があるということを知ってもらいたいと思っているのです。
私は海外の生活経験があり、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教徒が日常に歌う歌の歌詞に、それぞれの経典から採られた歌詞が採り入れられているのをたくさん見聞きしてきました。信仰が日常生活の中に大きな要素として採り入れられているのです。一方日本ではどうでしょう。日本の歌手が歌い、庶民が歌っている歌の歌詞に、法華経や万葉集や古事記の一節が出て来ることなどあり得ません。日本人はクリスマスには
全国民がキリスト教徒のように見え、一週間もしないうちに初詣に行き、葬儀は仏式で行います。いかにも信仰深いように見えて、信仰心は希薄です。初詣で祈願することといえば、家内安全・商売繁盛・大願成就などであり、「You raise me up」の歌詞に「 There is no life without its hunger」(渇望することのない人生などはない)といって、霊魂の本質的渇望を満たされることを本気で祈る人は極めて希なのです。要するに日本人には信仰心があるように見えても、欧米人から見ればないようにも見える不思議な存在なのです。
日本の公教育では、意図的に宗教教育を避けています。それはそれでよいと思います。殊更しなくても、倫理観やモラルを持ち合わせているところが、何とも不思議なのですが・・・・。アメリカのコインには、「We trust in God」と刻まれています。大統領は聖書に手を置いて宣誓します。十字架を意匠化した国旗をもつ国も世界にはたくさんあります。もし日本で同じようなことがあれば、たちまち憲法問題となるでしょう。「You raise me up」は、そのように信仰が生活習慣や政治の根底にある国の歌なのですから、一回くらいは深い意味をしみじみと感じ取ってほしいものです。もちろん結婚式の定番の歌として歌うことに何の問題もありませんが・・・・。
もし「You raise me up」のメロディーをご存じないならば、ユーチューブでセルティック・ウーマンの歌うものを検索してみて下さい。日本人が歌っているものもありますが、ここはやはり信仰的理解を知っているひとの歌をお勧めします。
仰る通り、ラブソングとだけ捉えるのではなくクリスチャンソングの側面を知るとより理解が深まるように思います。
そういえば藤井風さんの「死ぬのがいいわ」という曲も一見ラブソングの歌詞ですが、あれは己の夢を諦めないという意味の歌だそうです。何かを強く希求する歌は、愛に通ずるのでしょうか……。