新撰犬筑波集
原文
①霞の衣すそはぬれけり
佐保姫の春立ながら尿(しと)をして (春付句)
②花よりもだんごとたれか岩つゝじ (春発句)
③折り〳〵人に抜かるゝは憂し
竹の子の隣の庭へ根をさして (夏付句)
④ふぐりの辺りよくぞ洗はん
昔より玉磨かざれば光なし (雑付句)
⑤寂しくもありさびしくもなし
世をそむく柴の庵に銭持ちて (雑付句)
現代語訳
①(春の女神の佐保姫の)霞の衣の裾が濡れてしまった
春の立つ日に、何と佐保姫が立小便をしてしまったので
②「岩躑躅」の「いわ」ではないが、「花を愛でるより、団子を 喰う方がよい」と、いったい誰が言ったのだろうか
③事ある度(たび)に人に追い抜かれてしまうのは、辛いことだ
我が家の竹の根が隣まで延びて、竹の子が抜かれてしまう
④「ふぐり」(○玉)の辺りを、よくよく磨くように洗おう
昔から「玉は磨かなければ光り輝かない」と言うではないか
⑤心細いが、頼もしくもある
世捨人として草庵に住んでいるのに、銭を沢山持っている のは
解説
『新撰犬筑波集(しんせんいぬつくばしゆう)』、通称『犬筑波集』は、山崎宗鑑(1465?~1554?)の撰になる俳諧連歌集です。成立時期は、宗鑑自身が何度も改編し、没後にも手を加えられていますから、特定できません。「犬」というのは、「稗(ひえ)」に対する「犬稗」、「蓼(たで)」に対する「犬蓼」という呼称がある様に、劣っていて有用ではないものを意味しています。ですから『新撰犬筑波集』は、『新撰菟玖波集』に対する自虐的な卑称でしょう。収められている句数は、伝本により異なりますが、江戸時代の版本に拠って、五七五の発句(ほつく)のみが47句、七七の付句(つけく)も揃っているのが三三二句としておきましょう。
そもそも「俳」も「諧」も戯れること意味していますから、作風は卑俗滑稽を旨とし、卑猥な言葉も躊躇することなく使われていて、室町文化の特徴の一つである庶民性がよく表れています。とは言うものの、有名な古歌を捩(もじ)ったものも多く、古歌の知識がないと、現代人にはすぐには理解できないものもたくさんあります。
撰者の山崎宗鑑は、将軍足利義尚に仕えていましたが、後に出家して宗鑑と称し、連歌師となりました。しかし正統派の正風連歌が性に合わなかったと見えて、滑稽や機智を重視する庶民的で自由な連歌を詠み、俳諧連歌を文芸の一つとして確立しました。卑俗であることを批判されながらも、飄々と受け流していたことは、一休禅師の禅風を慕い、深く帰依していたこと無関係ではなさそうです。一休は形骸化した戒律や、政治的権威に依存する臨済宗寺院を鋭く批判し、破戒僧として自由に生きました。宗鑑も師一休の感化により、煩雑な連歌の規則を知れば知る程、敢えてそれを超越した連歌を詠もうとしたのではないかと思います。この様な宗鑑の感性を、端的に表す有名な歌があります。「かしましや(喧(やかま)しいことだ)この里過ぎよ郭公(ほととぎす)都のうつけ(大馬鹿者)さこそ(さぞかし)待つらん」というのですが、古の都人が、郭公の初音を聞こうと終夜起き明かしていたことを、痛烈に皮肉って笑い飛ばしています。
①は、『犬菟玖波集』では最も有名な句でしょう。古歌では霞は春の立つ徴であり、和歌集の春の部の巻頭は、春霞を詠むのが常套でした。また春霞は、春の女神佐保姫の衣に見立てられていました。因みに秋の女神は「竜田姫」です。霞を春の女神佐保姫の衣に見立てることは、『古今和歌集』にも詠まれていて、歌を詠む程の人なら誰でも知っていたはず。「立」が立春と立小便に掛けられているのは、すぐにわかりますから、庶民の笑いを取れました。
②は前句だけです。古歌では、つつじは必ず「いはつゝじ」(岩躑躅)と詠まれ、「いは」が「岩」と「言は」(言わないこと)を掛けるのが常套でした。ですから古歌の知識のある人なら、一瞬で意味を理解できました。桜の花の風情よりも団子の方がよいと言うあたりが、俳諧なのです。それより「花より団子」という諺が、少なくとも室町時代末期まで、遡って確認できることが興味深いものです。
③は、人に追い抜かれる辛さを、竹の子を抜いて盗まれる悔しさに転換しています。敷地を越えて生えてきた物には、文句も言えません。
④は、品がないのですが、如何にも『犬筑波集』ならではの句です。「ふぐり」とは男性性器の隠語で、いわゆる「○玉」のことですから、男達の笑いを誘ったことでしょう。因みにイヌノフグリという草がありますが、その種子の形がよく似ていることによる呼称です。「玉磨かざれば光なし」とは、もともとは『礼記』の「玉琢かざれば器を成さず」に拠る言葉で、平安時代の教育書である『実語教』にも、「玉磨かざれば光無し、光無きを石瓦とす」と記されています。また江戸時代の寺子屋のテキストとなる『実語教』が、室町時代にもよく知られていたことを確認できます。
⑤の「世を背く」とは、出家したり隠者になることですが、銭をしこたま隠し持っている様では、「世を背く」のも名前ばかりです。そもそも銭を詠むこと自体が、俳諧連歌というわけです。
俳諧連歌には、江戸時代の川柳に通じる庶民感覚があり、長連歌の様な規則もありませんから、これなら現代人でも詠めそうです。
昨年12月、清水書院から『歴史的書物の名場面』という拙著を自費出版しました。収録されているのは高校の日本史の教科書に取り上げられている書物を約100冊選び、独断と偏見でその中から面白そうな場面を抜き出し、現代語訳と解説をつけたものです。この『犬筑波集』も収められています。著者は高校の日本史の教諭で、長年の教材研究の成果をまとめたものです。アマゾンから注文できますので、もし興味がありましたら覗いてみて下さい。
原文
①霞の衣すそはぬれけり
佐保姫の春立ながら尿(しと)をして (春付句)
②花よりもだんごとたれか岩つゝじ (春発句)
③折り〳〵人に抜かるゝは憂し
竹の子の隣の庭へ根をさして (夏付句)
④ふぐりの辺りよくぞ洗はん
昔より玉磨かざれば光なし (雑付句)
⑤寂しくもありさびしくもなし
世をそむく柴の庵に銭持ちて (雑付句)
現代語訳
①(春の女神の佐保姫の)霞の衣の裾が濡れてしまった
春の立つ日に、何と佐保姫が立小便をしてしまったので
②「岩躑躅」の「いわ」ではないが、「花を愛でるより、団子を 喰う方がよい」と、いったい誰が言ったのだろうか
③事ある度(たび)に人に追い抜かれてしまうのは、辛いことだ
我が家の竹の根が隣まで延びて、竹の子が抜かれてしまう
④「ふぐり」(○玉)の辺りを、よくよく磨くように洗おう
昔から「玉は磨かなければ光り輝かない」と言うではないか
⑤心細いが、頼もしくもある
世捨人として草庵に住んでいるのに、銭を沢山持っている のは
解説
『新撰犬筑波集(しんせんいぬつくばしゆう)』、通称『犬筑波集』は、山崎宗鑑(1465?~1554?)の撰になる俳諧連歌集です。成立時期は、宗鑑自身が何度も改編し、没後にも手を加えられていますから、特定できません。「犬」というのは、「稗(ひえ)」に対する「犬稗」、「蓼(たで)」に対する「犬蓼」という呼称がある様に、劣っていて有用ではないものを意味しています。ですから『新撰犬筑波集』は、『新撰菟玖波集』に対する自虐的な卑称でしょう。収められている句数は、伝本により異なりますが、江戸時代の版本に拠って、五七五の発句(ほつく)のみが47句、七七の付句(つけく)も揃っているのが三三二句としておきましょう。
そもそも「俳」も「諧」も戯れること意味していますから、作風は卑俗滑稽を旨とし、卑猥な言葉も躊躇することなく使われていて、室町文化の特徴の一つである庶民性がよく表れています。とは言うものの、有名な古歌を捩(もじ)ったものも多く、古歌の知識がないと、現代人にはすぐには理解できないものもたくさんあります。
撰者の山崎宗鑑は、将軍足利義尚に仕えていましたが、後に出家して宗鑑と称し、連歌師となりました。しかし正統派の正風連歌が性に合わなかったと見えて、滑稽や機智を重視する庶民的で自由な連歌を詠み、俳諧連歌を文芸の一つとして確立しました。卑俗であることを批判されながらも、飄々と受け流していたことは、一休禅師の禅風を慕い、深く帰依していたこと無関係ではなさそうです。一休は形骸化した戒律や、政治的権威に依存する臨済宗寺院を鋭く批判し、破戒僧として自由に生きました。宗鑑も師一休の感化により、煩雑な連歌の規則を知れば知る程、敢えてそれを超越した連歌を詠もうとしたのではないかと思います。この様な宗鑑の感性を、端的に表す有名な歌があります。「かしましや(喧(やかま)しいことだ)この里過ぎよ郭公(ほととぎす)都のうつけ(大馬鹿者)さこそ(さぞかし)待つらん」というのですが、古の都人が、郭公の初音を聞こうと終夜起き明かしていたことを、痛烈に皮肉って笑い飛ばしています。
①は、『犬菟玖波集』では最も有名な句でしょう。古歌では霞は春の立つ徴であり、和歌集の春の部の巻頭は、春霞を詠むのが常套でした。また春霞は、春の女神佐保姫の衣に見立てられていました。因みに秋の女神は「竜田姫」です。霞を春の女神佐保姫の衣に見立てることは、『古今和歌集』にも詠まれていて、歌を詠む程の人なら誰でも知っていたはず。「立」が立春と立小便に掛けられているのは、すぐにわかりますから、庶民の笑いを取れました。
②は前句だけです。古歌では、つつじは必ず「いはつゝじ」(岩躑躅)と詠まれ、「いは」が「岩」と「言は」(言わないこと)を掛けるのが常套でした。ですから古歌の知識のある人なら、一瞬で意味を理解できました。桜の花の風情よりも団子の方がよいと言うあたりが、俳諧なのです。それより「花より団子」という諺が、少なくとも室町時代末期まで、遡って確認できることが興味深いものです。
③は、人に追い抜かれる辛さを、竹の子を抜いて盗まれる悔しさに転換しています。敷地を越えて生えてきた物には、文句も言えません。
④は、品がないのですが、如何にも『犬筑波集』ならではの句です。「ふぐり」とは男性性器の隠語で、いわゆる「○玉」のことですから、男達の笑いを誘ったことでしょう。因みにイヌノフグリという草がありますが、その種子の形がよく似ていることによる呼称です。「玉磨かざれば光なし」とは、もともとは『礼記』の「玉琢かざれば器を成さず」に拠る言葉で、平安時代の教育書である『実語教』にも、「玉磨かざれば光無し、光無きを石瓦とす」と記されています。また江戸時代の寺子屋のテキストとなる『実語教』が、室町時代にもよく知られていたことを確認できます。
⑤の「世を背く」とは、出家したり隠者になることですが、銭をしこたま隠し持っている様では、「世を背く」のも名前ばかりです。そもそも銭を詠むこと自体が、俳諧連歌というわけです。
俳諧連歌には、江戸時代の川柳に通じる庶民感覚があり、長連歌の様な規則もありませんから、これなら現代人でも詠めそうです。
昨年12月、清水書院から『歴史的書物の名場面』という拙著を自費出版しました。収録されているのは高校の日本史の教科書に取り上げられている書物を約100冊選び、独断と偏見でその中から面白そうな場面を抜き出し、現代語訳と解説をつけたものです。この『犬筑波集』も収められています。著者は高校の日本史の教諭で、長年の教材研究の成果をまとめたものです。アマゾンから注文できますので、もし興味がありましたら覗いてみて下さい。