うたことば歳時記

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『犬筑波集』高校生に読ませたい歴史的名著の名場面

2022-10-26 14:26:12 | 私の授業
新撰犬筑波集


原文
①霞の衣すそはぬれけり           
 佐保姫の春立ながら尿(しと)をして  (春付句)

②花よりもだんごとたれか岩つゝじ (春発句)

③折り〳〵人に抜かるゝは憂し
 竹の子の隣の庭へ根をさして (夏付句)

④ふぐりの辺りよくぞ洗はん
 昔より玉磨かざれば光なし (雑付句)

⑤寂しくもありさびしくもなし
 世をそむく柴の庵に銭持ちて (雑付句)

現代語訳
①(春の女神の佐保姫の)霞の衣の裾が濡れてしまった
 春の立つ日に、何と佐保姫が立小便をしてしまったので

②「岩躑躅」の「いわ」ではないが、「花を愛でるより、団子を 喰う方がよい」と、いったい誰が言ったのだろうか

③事ある度(たび)に人に追い抜かれてしまうのは、辛いことだ
 我が家の竹の根が隣まで延びて、竹の子が抜かれてしまう

④「ふぐり」(○玉)の辺りを、よくよく磨くように洗おう
 昔から「玉は磨かなければ光り輝かない」と言うではないか

⑤心細いが、頼もしくもある
世捨人として草庵に住んでいるのに、銭を沢山持っている のは

解説
 『新撰犬筑波集(しんせんいぬつくばしゆう)』、通称『犬筑波集』は、山崎宗鑑(1465?~1554?)の撰になる俳諧連歌集です。成立時期は、宗鑑自身が何度も改編し、没後にも手を加えられていますから、特定できません。「犬」というのは、「稗(ひえ)」に対する「犬稗」、「蓼(たで)」に対する「犬蓼」という呼称がある様に、劣っていて有用ではないものを意味しています。ですから『新撰犬筑波集』は、『新撰菟玖波集』に対する自虐的な卑称でしょう。収められている句数は、伝本により異なりますが、江戸時代の版本に拠って、五七五の発句(ほつく)のみが47句、七七の付句(つけく)も揃っているのが三三二句としておきましょう。
 そもそも「俳」も「諧」も戯れること意味していますから、作風は卑俗滑稽を旨とし、卑猥な言葉も躊躇することなく使われていて、室町文化の特徴の一つである庶民性がよく表れています。とは言うものの、有名な古歌を捩(もじ)ったものも多く、古歌の知識がないと、現代人にはすぐには理解できないものもたくさんあります。
 撰者の山崎宗鑑は、将軍足利義尚に仕えていましたが、後に出家して宗鑑と称し、連歌師となりました。しかし正統派の正風連歌が性に合わなかったと見えて、滑稽や機智を重視する庶民的で自由な連歌を詠み、俳諧連歌を文芸の一つとして確立しました。卑俗であることを批判されながらも、飄々と受け流していたことは、一休禅師の禅風を慕い、深く帰依していたこと無関係ではなさそうです。一休は形骸化した戒律や、政治的権威に依存する臨済宗寺院を鋭く批判し、破戒僧として自由に生きました。宗鑑も師一休の感化により、煩雑な連歌の規則を知れば知る程、敢えてそれを超越した連歌を詠もうとしたのではないかと思います。この様な宗鑑の感性を、端的に表す有名な歌があります。「かしましや(喧(やかま)しいことだ)この里過ぎよ郭公(ほととぎす)都のうつけ(大馬鹿者)さこそ(さぞかし)待つらん」というのですが、古の都人が、郭公の初音を聞こうと終夜起き明かしていたことを、痛烈に皮肉って笑い飛ばしています。
 ①は、『犬菟玖波集』では最も有名な句でしょう。古歌では霞は春の立つ徴であり、和歌集の春の部の巻頭は、春霞を詠むのが常套でした。また春霞は、春の女神佐保姫の衣に見立てられていました。因みに秋の女神は「竜田姫」です。霞を春の女神佐保姫の衣に見立てることは、『古今和歌集』にも詠まれていて、歌を詠む程の人なら誰でも知っていたはず。「立」が立春と立小便に掛けられているのは、すぐにわかりますから、庶民の笑いを取れました。
 ②は前句だけです。古歌では、つつじは必ず「いはつゝじ」(岩躑躅)と詠まれ、「いは」が「岩」と「言は」(言わないこと)を掛けるのが常套でした。ですから古歌の知識のある人なら、一瞬で意味を理解できました。桜の花の風情よりも団子の方がよいと言うあたりが、俳諧なのです。それより「花より団子」という諺が、少なくとも室町時代末期まで、遡って確認できることが興味深いものです。
 ③は、人に追い抜かれる辛さを、竹の子を抜いて盗まれる悔しさに転換しています。敷地を越えて生えてきた物には、文句も言えません。
 ④は、品がないのですが、如何にも『犬筑波集』ならではの句です。「ふぐり」とは男性性器の隠語で、いわゆる「○玉」のことですから、男達の笑いを誘ったことでしょう。因みにイヌノフグリという草がありますが、その種子の形がよく似ていることによる呼称です。「玉磨かざれば光なし」とは、もともとは『礼記』の「玉琢かざれば器を成さず」に拠る言葉で、平安時代の教育書である『実語教』にも、「玉磨かざれば光無し、光無きを石瓦とす」と記されています。また江戸時代の寺子屋のテキストとなる『実語教』が、室町時代にもよく知られていたことを確認できます。
 ⑤の「世を背く」とは、出家したり隠者になることですが、銭をしこたま隠し持っている様では、「世を背く」のも名前ばかりです。そもそも銭を詠むこと自体が、俳諧連歌というわけです。
 俳諧連歌には、江戸時代の川柳に通じる庶民感覚があり、長連歌の様な規則もありませんから、これなら現代人でも詠めそうです。


昨年12月、清水書院から『歴史的書物の名場面』という拙著を自費出版しました。収録されているのは高校の日本史の教科書に取り上げられている書物を約100冊選び、独断と偏見でその中から面白そうな場面を抜き出し、現代語訳と解説をつけたものです。この『犬筑波集』も収められています。著者は高校の日本史の教諭で、長年の教材研究の成果をまとめたものです。アマゾンから注文できますので、もし興味がありましたら覗いてみて下さい。

『春鑑抄』高校生に読ませたい歴史的名著の名場面

2022-10-07 06:30:12 | 私の授業
春鑑抄


原文
 天は尊く地は卑し。天は高く地は低し。上下の差別ある如く、人にも又君は尊く、臣は卑しきぞ。その上下の次第を分て、礼義法度と云ふことは定めて、人の心を治められたぞ。・・・・・・・
 礼と云(いう)ものは、「尊卑序有り」、「長幼序有り」ぞ。尊は位の高きを云ぞ。卑は位の低きを云ぞ。これには次第が無ふてはかなはぬぞ。君は尊く臣は卑しきほどに、その差別が無くば、国は治まるまひ。君にも天子あり、諸侯あり。その差別が何につけてもあるぞ。車に乗れども、車の飾りやうが違ふぞ。臣下にも百官の位により、車や衣裳、何につけてもその差別あるぞ。座敷に直(なお)れども、尊きは上座に居(い)、卑しきは下座にあるぞ。かやうなることが礼と云ものぞ。
 「長幼序有り」と云も、老たる人と若き人に差別次第がありて、老たるは上(かみ)に居、若きは下(しも)に居るやうに、何につけてもその法度(はつと)あるを、礼と云ぞ。礼と云ことがなくて、君臣分(わか)ちも無くんば、臣下として君をないがしろにし、君も臣を使ふに礼義(儀)が無くんば、国は治まるまいぞ。必ず乱れんぞ。乱るれば滅ぶぞ。・・・・・朱文公が「礼の本は敬に在り」と云は、心について云ぞ。心に敬ふことが無くんば、君を尊び老たるを敬ふ差別もあるまひぞ。敬によりて、物に次第があるぞ。

現代語訳
 天は尊く、地は卑しい。天は高く、地は低い。(天地に)上下の秩序がある如く、人においても君は尊く、臣は卑しいものだぞ。そのように人を上下の順序に分け、礼儀作法や法度(法規)を定めて、(君は)人の心を治められたのだ。・・・・
 礼というものについては、「尊い者と卑しい者には、自ずから守るべき序列がある」といい、「年長者と年少者には、自ずから守るべき序列がある」というのだ。尊いというのは、位が高いということであり、卑しいというは、位が低いということなのだ。これは尊卑の序列がなければ、差し支えがあるということなのだ。君は尊く、臣下は卑しいもので、その差違がなかったなら、国が治まることはあるまい。
 君にも、天子もあれば、諸侯(諸大名)もある。そしてその差違は何についてもあるものぞ。車駕(しやが)に乗っても、車の飾り具合が違うものだ。臣下にも多くの位があり、それに応じて乗り物や服装など、何についてもその差違があるものだ。座敷に坐るにも、尊い者は上座に坐り、卑しい者は下座に坐るものぞ。このようなことが礼というものなのだ。
 「長幼には序列がある」と言われておるが、老いた者と若い者では差違や序列があり、老た者は上(かみ)座に、若い者は下(しも)座にいるように、何につけてもその決まりがあるもので、それを礼と言うのだぞ。もし礼がなく、君と臣の区別もなければ、臣下が君をないがしろにするし、君が臣を使うにも、礼儀がなければ国は治まるまい。(そうなれば)国は必ず乱れるぞ。そして乱れれば国は滅んでしまうぞ。・・・・・
 朱熹(しゆき)が「礼の本質は敬うということにある」と言っているが、それは心のあり方について言うのだ。敬うという心がなければ、主君を尊び、また老いた者を敬ふという礼儀もあるまい。敬うという心により、物には秩序が保たれるのだぞ。

解説
 『春鑑抄(しゆんかんしよう)』は、江戸時代の朱子学の祖である林羅山(はやしらざん)(1583~1657)が、朱子学の基本的な概念である「五常」、つまり「仁・義・礼・智・信」について、『論語』『孟子』などに基づき、儒学者にしては珍しく口語で概説した解説書です。
 朱子学とは、南宋の朱熹(しゆき)(1130~1200)により大成された新しい儒学です。それまでの儒学は、経典の訓釈が中心でしたが、朱子学は儒学を壮大な哲学的思想体系に構築したものです。日本には鎌倉時代に伝えられ、室町時代には五山の禅僧の教養の一つだったのですが、相国寺(しようこくじ)の僧藤原惺窩(せいか)が、儒学として禅宗から独立させました。惺窩は徳川家康に仕えるように要請されましたが、高齢を理由に辞退し、代わりに弟子の林羅山(二三歳)を推挙します。そして林羅山は徳川家康・秀忠・家光・家綱の四代の将軍に仕え、仏教臭を排除した日本独自の朱子学を確立しました。
 そもそも朱子学とは、宇宙と人のあり方を「理」「気」「性」などの概念により、統一的に理解する思想です。まず宇宙には「理」という万物存在の根原となる原理・法則が存在し、万物はこの理のもとに存在している。そして万物を構成する物質、いわばエネルギーを持つ原子のような「気」が存在し、理に則して活動すると考えます。気が凝縮すれば物が生まれ、解体すれば消滅する。人の命も四季の移ろいも、あらゆる物は気と理の相互作用の結果として説明されます。また気が盛んに動く状態を「陽」、反対にあまり動かない状態を「陰」といい、陽と陰のあり方により、物質を形作る元素ともいうべき「木・火・土・金・水」の「五行」が生み出されると考えます。
 人の身体も気の集合体なのですが、「田毎の月」のように、一人一人に天の理も内在しています。そして理と気が結び付き、理の作用である「性」が形作られます。ですから人の性は、本来は天の理を映す理想的な「本然(ほんぜん)の性」であるはずなのですが、人の性は気により構成される身体に依存しているため、私欲に汚れた「気質の性」となってしまう。それでこの気質の性を、五常(仁・義・礼・智・信)の実践により純化して本然の性に近づけ、天の理にかなう存在になるように努めることが人の道である。気質の性が本然の性と等しくなれば、至高の人格である「聖人」となると説くわけです。
 さらに天が高く地が低いことにより、宇宙の秩序が保たれるのであるから、地に住む人も、この天の理に背くことはできない。なぜなら人は理を宿しているからである。そして天地に秩序がある如く、人にも天の理を映して、君臣・親子・夫妻・兄弟などの秩序があり、その秩序を保つことにより、天の理が地上に行われると考えます。身分制度を基盤とした支配体制を維持したい江戸幕府にとり、これ程自己を正当化できる思想はありませんでした。
 羅山が『春鑑抄』で説いている五常は、もちろん孔子も孟子も説いています。五常の徳目を実践することにより、五倫(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友)の人間関係が理想的に整えられて行くというのです。しかし江戸時代に日本で説かれた朱子学は、儒教が本来目指していた倫理的なものが、政治的なものに変質してしまい、為政者に都合のよい思想になっているわけです。
 ここに載せたのは「礼」について説いた部分で、礼は全ての存在を上下に分けて秩序付ける徳であり、この秩序がなければ国は治まらず、人間社会のあらゆる秩序が保てないと説いています。ただし礼とは下の者が上の者を敬う一方的なものではなく、相互性のあるものと理解され、上から下への礼も説いています。ですから武士には、社会の指導者としての自覚を持つことも要求されたのです。
 またここには載せていませんが、「礼の本は敬に在り」とも説いています。「敬」は「うやまう」「つつしむ」とも読みますから、己(おのれ)を慎み相手を敬う心が、表に形をとって表されたものが「礼」であるというわけです。ですから心に「敬」を伴わない「礼」は、今でも「虚礼」として退けられます。フォーマルな場面でのだらしない服装や無作法な食事マナーは、心に「敬」のないことの表われであり、周囲を不快にします。「尊卑」や「序列」を「立場」と言い換えれば、「礼」は現代日本人の思考や行動の規範として、今も受け継がれているのです。

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