ようやく秋の花である菊が咲き始めたというのに、あと一週間、11月7日は立冬です。まだ冬が近いとは思えませんが、確実に秋は深まっています。ある季節が深まって次の季節が間近になることは、古には「季節が往く」とか「季節が暮る」と表現されました。他にもいろいろに表現を歌の中から拾い出せます。このようなことばを探し出すのは簡単です。和歌集の秋の部の終わりのあたりを、片端から探せばよいからで、あらためて探してみました。見つかったものを並べてみましょう。秋終る・暮れてゆく秋・秋は限り・過ぎ行く秋・秋の分れ路(じ)・秋の別れ・秋の泊まり・秋の湊・ゆく秋・暮るる秋・秋の暮れゆく・秋は去(い)ぬ・秋の残り・秋も末・秋の果て・暮れはつる秋などいくらでもありました。漢語では九月尽という表現もあり、俳句や現代短歌にはときどき見られますが、無骨すぎて私の日本的感性では馴染めません。いずれも秋を惜しむうたばかりで、夏と冬にはこのような言葉はありません。もちろん春を惜しむ歌もたくさんあります。やはり夏と冬は過ごしにくいので、早く過ぎ去ることを期待するからなのでしょう。
それでは手許のデータから、秋の往くことを惜しむ歌を、気の向くままにいくつか上げてみました。
①夕月夜小倉の山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ(古今集 311)
②深山より落ち来る水の色見えて秋は限りと思ひ知りぬる(古今集 310)
③秋はただ今日ばかりぞとながむれば夕暮にさへなりにけるかな(後拾遺 374)
④草の葉にはかなく消ゆる露をしも形見に置きて秋の行くらむ(金葉集 272)
⑤さりともと思ふ心も虫の音も弱りはてぬる秋の暮かな(千載集 333)
①について、嵐山に近い小倉山は、古来鹿の名所として知られていました。鹿の声は哀愁を帯びたものですが、それが夕月夜に聞こえるのですから、ますます侘しくなります。少々脱線しますが、粒の形の残っている小豆餡を小倉餡といいますが、これは小豆の粒を鹿の背中の斑模様に見立てたものです。そんなわけで、私はこの時季に食べる和菓子には、敢えて小倉餡を使っているものを選んだりします。
②の「水の色」とは、流れるもみぢの色のことです。もみぢと言わずに、水の色と表現しているところに、作者の感性が冴えています。思わず私も真似したくなります。流れるもみぢに往く秋を惜しむと言う発想の歌はたくさんあります。陳腐と言ってしまえばそれまでですが、それは多分に歌を文芸と見做してしまう現代短歌的価値観であって、往時にはにたような発想の歌を詠むことは、それ程問題にされてはいません。
③は、秋の最後の日の夕暮を詠んだ歌です。「春は曙」に対して「秋は夕暮」が趣あるものとする理解がありましたから、季節が暮れることとその日が暮れることが重なって、寂寥感が増幅されるのです。平成30年の九月尽は11月6日ですから、その日の夕暮をしみじみと眺めてみるのもよいでしょう。四神思想では秋は方角では西に当てはめられますから、ただでさえ秋には「西」の印象が付いて回ります。
④は、葉末の露を行く秋の形見と見ています。「形見を置いて行く」という表現に、秋を擬人的に理解している工夫が見られます。秋は竜田姫という女神に象徴して理解されることが、このような擬人的理解の背景となっているのでしょう。ちなみに春の女神は佐保姫と呼ばれています。この露が霜になると冬になったことが実感させられるわけで、露は秋の夜の重要な景物でした。
⑤の「さりともと思ふ心」とは、「いくら何でも、少しくらいはよいことがあってもよさそうなのに」と、かないそうもない儚い期待をする心のことです。そのような期待する心も虫の声も、すっかり弱くなってしまった秋の暮であることよ、という意味です。弱まる虫の声は作者の気力そのものなのでしょう。
5首をならべてみましたが、鹿の鳴き声・みもぢ・夕暮・露・虫の声などが詠まれていました。まだいくらでもあるのですが、夕暮から夜に懸けての情景が多いことが特色です。まあもみぢには当てはまりませんが。ここには上げませんでしたが、秋の重要な景物である月も夜のものですから、行く秋を惜しむ心は、夜に増幅されると言うことができるでしょう。立秋までこれから一週間あります。しみじみと行く秋を味わってみたいと思います。
今朝の散歩の途中、早くもジョウビタキやコガモの姿を見ました。もう冬が間近な徴です。とりとめもないことを書いてしまって済みません。
それでは手許のデータから、秋の往くことを惜しむ歌を、気の向くままにいくつか上げてみました。
①夕月夜小倉の山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ(古今集 311)
②深山より落ち来る水の色見えて秋は限りと思ひ知りぬる(古今集 310)
③秋はただ今日ばかりぞとながむれば夕暮にさへなりにけるかな(後拾遺 374)
④草の葉にはかなく消ゆる露をしも形見に置きて秋の行くらむ(金葉集 272)
⑤さりともと思ふ心も虫の音も弱りはてぬる秋の暮かな(千載集 333)
①について、嵐山に近い小倉山は、古来鹿の名所として知られていました。鹿の声は哀愁を帯びたものですが、それが夕月夜に聞こえるのですから、ますます侘しくなります。少々脱線しますが、粒の形の残っている小豆餡を小倉餡といいますが、これは小豆の粒を鹿の背中の斑模様に見立てたものです。そんなわけで、私はこの時季に食べる和菓子には、敢えて小倉餡を使っているものを選んだりします。
②の「水の色」とは、流れるもみぢの色のことです。もみぢと言わずに、水の色と表現しているところに、作者の感性が冴えています。思わず私も真似したくなります。流れるもみぢに往く秋を惜しむと言う発想の歌はたくさんあります。陳腐と言ってしまえばそれまでですが、それは多分に歌を文芸と見做してしまう現代短歌的価値観であって、往時にはにたような発想の歌を詠むことは、それ程問題にされてはいません。
③は、秋の最後の日の夕暮を詠んだ歌です。「春は曙」に対して「秋は夕暮」が趣あるものとする理解がありましたから、季節が暮れることとその日が暮れることが重なって、寂寥感が増幅されるのです。平成30年の九月尽は11月6日ですから、その日の夕暮をしみじみと眺めてみるのもよいでしょう。四神思想では秋は方角では西に当てはめられますから、ただでさえ秋には「西」の印象が付いて回ります。
④は、葉末の露を行く秋の形見と見ています。「形見を置いて行く」という表現に、秋を擬人的に理解している工夫が見られます。秋は竜田姫という女神に象徴して理解されることが、このような擬人的理解の背景となっているのでしょう。ちなみに春の女神は佐保姫と呼ばれています。この露が霜になると冬になったことが実感させられるわけで、露は秋の夜の重要な景物でした。
⑤の「さりともと思ふ心」とは、「いくら何でも、少しくらいはよいことがあってもよさそうなのに」と、かないそうもない儚い期待をする心のことです。そのような期待する心も虫の声も、すっかり弱くなってしまった秋の暮であることよ、という意味です。弱まる虫の声は作者の気力そのものなのでしょう。
5首をならべてみましたが、鹿の鳴き声・みもぢ・夕暮・露・虫の声などが詠まれていました。まだいくらでもあるのですが、夕暮から夜に懸けての情景が多いことが特色です。まあもみぢには当てはまりませんが。ここには上げませんでしたが、秋の重要な景物である月も夜のものですから、行く秋を惜しむ心は、夜に増幅されると言うことができるでしょう。立秋までこれから一週間あります。しみじみと行く秋を味わってみたいと思います。
今朝の散歩の途中、早くもジョウビタキやコガモの姿を見ました。もう冬が間近な徴です。とりとめもないことを書いてしまって済みません。