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花祭は何をするお祭りなの?(子供のための年中行事解説)

2022-04-22 10:03:07 | 年中行事・節気・暦
花祭は何をするお祭りなの?
 花祭が行われる4月8日は、歴史的には釈迦の誕生した日とされてきました。史実としてはよくわからないのですが、日本に伝えられた仏教では、旧暦の4月8日ということになっていて、この日には「灌仏会(かんぶつえ)」「降誕会(ごうたんえ)」「仏生会(ぶつしようえ)」「浴仏会(よくぶつえ)」と呼ばれる法会が行われてきました。中国の『荊楚歳時記』にも、「四月八日に諸寺院で仏に五色の香水(こうずい)を注ぐ法会が行われる」と記されています。「灌」や「浴」は水を注いだり浴びたりすることを意味していますが、これは釈迦が生まれた時、梵天と帝釈天(たいしやくてん)が、或いは龍がそれを祝福して、香水を釈迦に注いだという伝説的記録に基づいています。『日本書紀』によれば、日本では推古天皇の頃の606年に、日本最古の寺である飛鳥の元興寺で行われたのが最初です。
 灌仏会は日本に仏教が伝えられて以来継続して行われてきたので、多くの文献史料に記されています。『東都歳時記』には、「花で飾られた小さな花御堂(はなみどう)を設け、水盤に釈迦の小像を安置して、参詣者は柄杓(ひしやく)で甘茶(あまちや)を仏像の頭に注ぐ。また各家庭でも新茶と卯の花を仏に供えたり、門口に挿す」と記されています。江戸では仏に供えるため
の卯の花が売られていいました。
 花御堂に安置される灌仏会の釈迦像は、釈迦が生まれた直後、すぐに立ち上がって七歩歩き、右手で天を、左手で地を指さし、「天上天下唯我独尊」と言ったという伝説上の姿を表しています。母は釈迦を生んで七日後に死んでしまうのですが、母の命と引き替えに生まれたということは、物心ついた釈迦にとって大きな悲しみとなり、29歳で出家をする背景となったことでしょう。
 仏像に注ぐ甘茶とは、ユキノシタ科のアジサイの一種であるアマチャという木の若葉を乾燥させ、それを煎じた飲料のことで、その名の如くに甘味があります。江戸時代の文献には「甘茶」と記されていますが、室町時代の各種文献には「五色水」とか「香水(こうずい)」と記されています。「香水」とは白檀や沈香などの香木を浸した水のことで、香木は仏像を彫刻するのに最も相応しい材料とされていましたから、甘茶より「香水」の方が本来の姿を伝えているのかもしれません。
 灌仏会は「花祭」とも呼ばれます。その名前の起原については諸説がありますが、明治時代にその様に呼ばれるようになったという点では共通しています。しかし明治時代中期の『東京風俗志』や末期の『東京年中行事』には「花祭」という名前は見られませんから、広く共有されていたわけではなさそうです。しかし「花祭」と呼ばれる以前から、事実上「花祭」でした。平安時代の『中右記』という貴族の日記には、「仏を礼(うやま)ひ花を散らす」と記され、鎌倉時代の朝廷の儀式について記録した『年中行事秘抄』にも「香花を以て礼拝す」とはっきりと記されています。また花御堂に釈迦像を安置していたのですから、「花祭」と呼ばれる以前から既に事実上「花祭」だったのです。ただ日本では「花」と言えば特にことわらなくとも桜の花を指すことがあり、新暦の4月8日はまだ桜の時期でもあるため、花祭は春の行事と思われているかもしれません。しかし卯の花や新茶を供えたのですから、本来は旧暦卯月4月の初夏の行事でした。令和4年の旧暦4月8日は、新暦5月8日です。


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