うたことば歳時記

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チコちゃんを叱る「雑煮の『雑』ってなあに?」

2019-10-30 21:09:43 | 歴史
最近、NHKの番組「チコちゃんに叱られる」の過去の放映内容を見ているのですが、今回気になったのは、「雑煮の雑ってなに?」というテーマです。

 その中で雑煮については、「神様に豊作や一年の無事を祈るのが起原」と解説されていました。雑煮が出現するのは室町時代ですが、その頃そのような理解が共有されていたことを示す文献史料は何一つありません。あると主張するなら見せてもらいたいものです。江戸時代の農村にそのような理解があったことは、民俗学的資料によって確認できるのでしょうが、それが室町時代に遡る根拠がありません。少なくとも起原説としては誤りなのです。

 そしてさらに次の様に説明されていました。室町時代の雑煮は「保臓」と称し、「内臓をいたわり健康を保つ」ことを意味していた。それが「いろいろな食材を煮炊きする」ことから同音の「烹雑」と表記されるようになり、さらに「同じ意味をもつ雑煮」と表記されるようになった。だから雑煮の「ぞう」は本来は「臓」のことである、というのです。

 確かに江戸時代に「保臓」という理解があったことは事実であり、また「烹雑」とも呼ばれていたことも文献史料で確認できます。しかし雑煮は室町時代に最初から「雑煮」の呼称で登場するのです。しかも最初は正月の料理とは限っていません。保臓から烹雑を経て雑煮と呼称が変わったという説には矛盾があり、とうてい歴史事実とは認められないのです。

 『続群書類従』に収められた明応元年(1492)の「山内料理書」という書物には、「夏肴くみ之事」と題して、膳の中央に「雑煮」が置かれた図が載せられています。これが今のところ雑煮の最古の文献で、ここでは夏の料理となっていて、正月の特別な料理とは理解されていません。明らかに年神に供えた餅を野菜と共に煮たことに始まるという解説とは矛盾しています。室町幕府の年中行事を記録した『年中恒例記』(1544年)には、12月27日に「煤掃(すすはき)」(煤払)を行う際に、「御すすはききの御祝」として雑煮が振る舞われたことが記されています。また山科言継(やましなことつぐ)という貴族の日記である『言継卿記』には,「天文三年(1534年)正月一日・・・・雑煮祝例年の如くこれ有り」と記されていて、ようやく正月元日を雑煮で祝う風習が始まっていることを確認できます。江戸時代初期の1604年に出版された『日葡辞書』には「Zoni」の項があり、「正月に出される餅と野菜で作った一種の煮物」と記されていますから、元日に食べることが始まったのは室町時代の後期で、桃山時代には一般にも広がり始め、江戸時代には広く庶民も正月に食べるようになったと考えられます。
 
 江戸時代の多くの文献には、餅と共に各種の具材を入れるので「雑煮」と呼ばれると記されています。例えば、季語の解説書である『華実年浪草』(1783年)には、「多種を交へ煮る故に雑煮と称するか」と記されています。実際江戸時代の雑煮の具材は大変にぎやかな物でした。『料理物語』(1643年)という書物には、餅の他に豆腐・芋(里芋)・大根・煎海鼠(いりこ)(ナマコを茹でて乾燥したもの)・串鰒・平鰹・茎立(きくたち)(青菜の一種)などを具として入れていたことが記されていています。前掲の『華実年浪草』にも、鰤・鯨・鰯・数子・煎海鼠(いりこ)・串鰒・牛蒡・大根を入れると記されています。『諸国図会年中行事大成』には、「大低京師辺の俗間には、餅、蘿蔔(大根)、芋魁(いもかしら)・芋子(こいも)・結昆布・開牛房(ひらきごぼう)・打鮑(熨斗鰒)・煎海鼠(いりこ)・串鮑(くしあわび)等を加へて羹となし、多種をまじへ煮るが故に雑煮といふ。餅は歯固の意なるか」と記されています。

 それなら実際はどうだったのでしょうか。各種の具材を煮る(烹る)という意味で烹雑や雑煮と呼ばれていたものが、「烹雑」が「ほうぞう」と読むため、それに後に「保臓」の字を宛てて、牽強付会の解釈が行われるようになったと考えるのが最も自然であると思います。もちろん私の説も史料的補強は不十分ですが、最初から「雑煮」という呼称があるのですから、チコちゃん説が成り立たないことは動かし様がないのです。


チコちゃんを叱る「お盆の『盆』ってなーに」

2019-10-27 15:58:02 | 年中行事・節気・暦
 たまたまネットで、2018年8月17日にNHKの「チコちゃんに叱られる」という番組で、夏休みの拡大スペシャル版として、「お盆の盆ってなーに」という放送があったことを知りました。そこで早速その内容を検証してみたのですが、NHKの名前でよくもまあ出鱈目な内容を放送したものと、あきれ果てました。

 「お盆ってなあに」という問の答が「逆さづり」ということで、駒沢女子大学教授で、市原市の曹洞宗宝林寺重職の千葉公茲師が解説を担当しています。お盆とは正しくは盂蘭盆といい、「仏説 盂蘭盆経」に由来している。そして盂蘭盆とはサンスクリット語のUllambana という言葉に漢字を当てはめたもので、「さかさづり」という意味であるといいます。そして盂蘭盆経に書かれている説話を、インドの昔話という設定で、アニメでお盆の由来をわかりやすく解説しています。

 ところがこのアニメがとんでもない出鱈目なのです。目連という釈迦の弟子があの世を覗いて見ると、亡くなった母が逆さ吊りにされて苦しんでいることを知ります。そこで目連はどうしたら母を救うことができるか釈迦に尋ねます。すると釈迦は、僧達の修行が終わる7月15日に、たくさんの供え物を捧げ、お経を読んでもらうように諭したので、そのようにすると母は逆さ吊りの苦しみから解き放たれて、あの世で菩薩となった 、というのです。しかも盆踊りは目連の母と一緒に救われた大勢の人が、喜んで手を上げた姿を見立てた喜びの舞である、というおまけまで付いています。

 NHKが住職の解説と共にこのような放送をすれば、誰もが本当のことと信じてしまうでしょう。しかし盂蘭盆経には逆さ吊りに関することは何一つ触れられていないのです。まして盆踊りは日本の風習ですから、盂蘭盆経に書かれているはずがありません。

 目連が見た母の姿は、飲み食いしようと思っても、口に入れようとするそばから食べ物が燃え上がってしまい、目の前に食べ物があるのに飢えに苦しむ姿です。それを釈迦に訴えたことや、修行の終わる日に供物を供えたところ、母は苦しみから解放されたということは盂蘭盆経に書かれています。しかしどのように丁寧に読んでも、逆さ吊りのことは一言も書かれていないのです。

 盂蘭盆経は原稿用紙に書き写しても3~4枚しかない短いものですから、簡単に読むことができます。ネットで「国会図書館デジタルコレクション 仏説盂蘭盆経」と検索すると、書き下し文になっているものを読むことができます。難しい仏教用語は読み過ごしても、大体の意味は把握できます。その中には盆と盂蘭盆という言葉が数回あるのですが、いずれも供物を盛る器であることは明々白々です。そして逆さ吊りにつながることなど、単語一つさえありません。

 監修・解説者の千葉師は現職の僧侶であり、仏教系大学の教授なのですから、よもや10分で読める盂蘭盆経を読んだことがないはずがありません。(失礼ながら、もし読んだことがないというなら、その肩書きは怪しいものと言わざるを得ません)。おそらくは正しい内容を百も承知で、一般受けするように作り替えたのでしょう。千葉師と一対一で向かい合い、盂蘭盆経を目の前で開き、どの部分が目連の母の逆さ吊りなのか質問すれば、ぐうの音も出ずにその誤りを認めるはずです。本当にその様なことは書かれていないのですから。

 それなら「逆さ吊り」は千葉師の完全な創作かといえば、必ずしもそうではありません。初唐の7世紀前半、玄応という僧が、勅命によって撰述した『一切経音義』という書物の中に、「盂蘭盆、この言は訛(なまり)なり。まさに烏藍婆拏(うらばんな)と言ふ。この訳を倒懸(とうけん)といふ」という記述があり、これが「逆さ吊り」という理解のそもそもの原点なのです。盂蘭盆は烏藍婆拏(うらばんな)という言葉の訛りであり、倒懸という意味である、つまりわかりやすく言えば逆さ吊りを意味しているというのです。『一切経音義』は日本に伝えられ、「盂蘭盆」が「逆吊りの苦しみ」を意味する梵語であるという理解は、日本にも古くからありました。室町時代の有職故実書である『公事根源(くじこんげん)』には、「盂蘭盆は梵語であり、逆さ吊りのような餓鬼の苦しみから救い出すため器である」、と記されているのですが、『公事根源』の著者である一条兼良(いちじようかねら)は、当時「日本無双の才人」と評された大学者ですから、後世の人がそれを信じたのも無理はありません。そのような理解は現在も活きていて、中村元という偉大な仏教学者が独力で著した大著『佛教語大辞典』にもそのように説かれていますから、一般の人が盂蘭盆を逆さ吊りと理解するのも無理はありません。

 しかし仏教の専門家がそのように理解することは、これを見過ごすことはできません。そのように説くことは、盂蘭盆経を読んだことがないということを自ら宣伝しているようなものであり、仏弟子として実に恥ずかしいことなのです。NHKの番組製作者が知らないのはやむを得ません。しかし解説する僧侶が知らないとなれば、これは実に恥ずかしい。善意に解釈すれば、本当は知っているのに、一般受けするように意図的に改変したのかもしれません。そう思いたいものです。

 また盆踊りの由来について触れられていますが、そのような理解を証明する文献史料など、何一つありません。これは完全なる創作であって、あまりにも出鱈目すぎます。またネット上では「修業」という表記がありましたが、正しくは「修行」と書くべきもの。技術の習得は「修業」であり、宗教的な場合には「修行」と書かなければなりません。

 現在では日本中で盂蘭盆の逆さ吊り起原説が流布していますが、盂蘭盆という仏事は盂蘭盆経を根拠にしているのですから、逆さ吊り説を説く寺院・僧侶・石材店・葬儀社は、まずは盂蘭盆経を謙虚に読み学んでほしいものです。
 
 なおこの問題については、過去に何回か下記のようにネット上に拙文を公開していますので、是非御覧下さい。通説が如何に出鱈目であるか、納得していただけることでしょう。

「うたことば歳時記 盂蘭盆・お盆の起原(出鱈目な通説)」
「うたことば歳時記 盆踊りの起原」
「うたことば歳時記 『盂蘭盆経』を読む(逆さ吊り)説は出鱈目」

チコちゃんを叱る「牡丹餅とお萩」

2019-10-11 19:58:21 | 年中行事・節気・暦
2019年3月22日に、NHKのチコちゃんに叱られるという番組で、お萩と牡丹餅の違いについて取り上げられたことをネットで知りました。その内容は私が長年研究してきたことと全く異なっていました。それによれば、小さく上品なものがお萩で、大きなものが牡丹餅というとされていました。そして秋に咲く萩に擬えてお萩、春に咲く牡丹餅に擬えて牡丹餅というようになった、ということでした。季節による呼称の使い分けは一般に言われていることですから、少しも目新しくはないのですが、大きさによる使い分けということは初めて見ました。

 人気のある番組ですから、多くの人が見たことでしょう。しかしその内容は全く出鱈目もいいところです。大きさの違いによるという理解は、「ぼた」という言葉によるものでしょう。粉雪に対して牡丹雪と言うことからヒントを得たのかもしれません。「ぼた」という言葉は大きくぼてっとしている様子を表すことは、江戸時代の国語事典である『俚言集覧』にも記されています。また「ぼた」は器量の悪い女性を表す言葉で、現在ならば「ブス」に近い言葉でした。ですから牡丹餅という呼称は品がないと理解され、上流階級の人は絶対に食べませんでした。しかし同じ物を「萩の餅」と称して食べていました。特に女性は女詞で「お萩」と称しましたから、大きさはともかく、お萩が牡丹餅より上品であったことは間違いありません。

 しかし定説となっている季節による呼称の使い分けが共通理解となっていたという江戸時代の文献は存在しません。逆に季節によって使い分けられていなかったという文献史料は何十点も存在し、私は直接原典で確認しています。ただし江戸時代最大の国語事典である『和訓の栞』には、ある公家が戯れに、「牡丹餅は春の名、夜船は夏の名、萩の餅は秋の名、北窓は冬の名という。夜船と言うのは、着くのがわからないから。北窓と言うのは、月の光が差し込まないからである。貧しい者は隣知らずと言った。」と記されています。おなじような話は、『軽口機嫌嚢(かるくちきげんぶくろ)』(1728年)という笑話集にものせられているのですが、物知りの客が牡丹餅を振る舞われた際に、「教えてさしあげよう」とばかりに、自慢げに語ったという設定となっています。つまりこれも言葉遊びに過ぎないのであって、広くそのように呼ばれてはいなかったことを示しています。また庶民文芸の川柳には数え切れない程の牡丹餅の句があるのですが、季節に関わりなく全て牡丹餅となっています。明治時代になってからは、春は牡丹餅秋はお萩と区別する文献がいくつかありますが、大半は季節による区別がありません。そして全時代を通じて、大きさによる区別をしている文献はありません。

 チコちゃんはお萩と牡丹餅を知らない大人達を叱ったつもりでしょうが、チコちゃん自身も本当のことは知らないようですから、今日は反対にチコちゃんを叱らなければなりません。

 長年、お萩と牡丹餅の研究をした成果は、ブログに「うたことば歳時記 春は牡丹餅 秋はお萩は出鱈目」と題して公表してありますから御覧下さい。通説がいかにいい加減なものか、確かな根拠に基づいて詳細に論証してあります。