いよいよ新元号の発表が迫り、ネット上でも元号についての記事がたくさん見られるようになっています。その中で少し気になったことがありました。それは文書に西暦よりも元号を書くことが多く、不便であるという主張です。同じ元号ならば加算も減算も簡単ですが、複数の元号に跨がる場合は、計算がややこしくなるからなのでしょう。もっともなことであり、そのような主張を理解できないわけではありません。
しかし文書に年を元号で表記することには、利便性だけでは片付けられない、歴史的な意義があるのです。養老令という奈良時代初期の法典の儀制令という部分には、「文書に年を記す場合は、みな年号を用いなければならない」、と定められています。史料の原文は次の如くです。「凡(およ)そ公文(くもん)の年を記すべくんば、皆年号を用よ」。「公文」とは、まあ現在の公文書と言えるでしょう。養老令は、西暦701年の文武天皇の時に定められた大宝令をほぼ受け継いだものですから、大宝令にも同じ条文があったと考えられます。大宝令以前に年を表す場合は、「○○天皇何年」のように天皇の治世数で表すか、或いは干支を用いていたのですが、これにより年号の使用が法律的に裏付けられたことになります。この裏付けは極めて重要で、「大宝」以後は年号が現在まで途切れなかった要因なのです。
文書に年を書く時に、いちいち大宝令のことなど、いくら歴史好きな私でも考えません。しかしよくよく考えてみれば、それは西暦701年以来続いている伝統・文化なのです。確かに不便なこともあります。しかしそれなら西暦を併用すればよいことです。日本語は国際時代には不便なので、英語を公用語にしようとは思わないでしょう。もっとも明治初期に、森有礼らの啓蒙思想家達がそのような主張をしたことはありましたが・・・・。森有礼は、名詞の複数語尾はすべて規則的にSを付ける。動詞の過去形はすべて規則的にEDを付けることとし、不規則動詞をなくしてしまうなど、日本的に英語に直そうとまでしています。日本語は国際的でないからとして棄ててしまっていたら、日本人は自分の歴史的書物も読めないことになってしまっていたでしょうね。まあ極端な例ではありますが、利便性という視点だけで伝統文化を棄ててしまってはいけないということを言いたかっただけです。
そのようなわけですから、文書などに元号を書く際に、一瞬でよいですから、これは701年以来続いている伝統文化なのだと思って見て下さい。
しかし文書に年を元号で表記することには、利便性だけでは片付けられない、歴史的な意義があるのです。養老令という奈良時代初期の法典の儀制令という部分には、「文書に年を記す場合は、みな年号を用いなければならない」、と定められています。史料の原文は次の如くです。「凡(およ)そ公文(くもん)の年を記すべくんば、皆年号を用よ」。「公文」とは、まあ現在の公文書と言えるでしょう。養老令は、西暦701年の文武天皇の時に定められた大宝令をほぼ受け継いだものですから、大宝令にも同じ条文があったと考えられます。大宝令以前に年を表す場合は、「○○天皇何年」のように天皇の治世数で表すか、或いは干支を用いていたのですが、これにより年号の使用が法律的に裏付けられたことになります。この裏付けは極めて重要で、「大宝」以後は年号が現在まで途切れなかった要因なのです。
文書に年を書く時に、いちいち大宝令のことなど、いくら歴史好きな私でも考えません。しかしよくよく考えてみれば、それは西暦701年以来続いている伝統・文化なのです。確かに不便なこともあります。しかしそれなら西暦を併用すればよいことです。日本語は国際時代には不便なので、英語を公用語にしようとは思わないでしょう。もっとも明治初期に、森有礼らの啓蒙思想家達がそのような主張をしたことはありましたが・・・・。森有礼は、名詞の複数語尾はすべて規則的にSを付ける。動詞の過去形はすべて規則的にEDを付けることとし、不規則動詞をなくしてしまうなど、日本的に英語に直そうとまでしています。日本語は国際的でないからとして棄ててしまっていたら、日本人は自分の歴史的書物も読めないことになってしまっていたでしょうね。まあ極端な例ではありますが、利便性という視点だけで伝統文化を棄ててしまってはいけないということを言いたかっただけです。
そのようなわけですから、文書などに元号を書く際に、一瞬でよいですから、これは701年以来続いている伝統文化なのだと思って見て下さい。