うたことば歳時記

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宮城まり子さんを悼む

2020-03-24 09:36:28 | その他
 令和2年3月21日、女優でありながら障碍のある子供たちの生活支援と教育に、半生どころか生涯をささげられた宮城まり子さんが、93歳でなくなりました。その経歴については、いかにも知っていたかのように書くのは嫌なので、サンケイ新聞記事をそのままお借りします。こういう記事はやはりサンケイらしいです。

 「国内で障害児教育の義務制が始まったのは54年度。宮城さんが国内初の障害児養護施設である同学園を設立したのは、その10年以上も前のことだ。同学園は54年、学校法人として認可され、平成9年に現在地の掛川市に移転。11年には同地に健常者から障害者までさまざまな人が共同生活を送る「ねむの木村」が開かれた。30年11月には上皇ご夫妻の平成最後の県内ご訪問の立ち寄り先として同学園が組み込まれた。この私的ご旅行が実現したのは、上皇后さまが宮城さんとの再会を強く希望されたからだという。上皇ご夫妻は宮城さんの案内で、展示された園生の作品を見学、園生らの歌と踊りに拍手を送るなど、和やかな時間を過ごされた。」

 それ程詳しいわけではありませんが、予てから関心を持っていました。芸能人のかたわら、世の中のために尽くしている人は少なくありません。しかし芸能人であることを投げ捨ててでも専念している人は、あまり聞いたことがありません。不倫と脱税と見せびらかしの横行する芸能界に辟易としていましたので、宮城さんの存在はなおさら尊く思えます。有名人の肩書きを捨ててまでとは言いませんが、せめて良き二足の草鞋を履いてほしいものです。

 「ねむの木」が縁で、「ねむの木の子守歌」の作詞者の上皇后様と親交を結ばれたのでしょうが、それがなくても福祉に並々ならぬ関心を寄せられている上皇御夫妻ですから、遅かれ早かれ御訪問されたことでしょう。そういうわけで昨日から「ねむの木の子守歌」のメロディーが.頭からはなれません。

 「ねむの木の子守歌」を上皇后様が作詞されたのは、まだ高校生の頃とのこと。それに作曲家の山本直純氏の妻である正美さんが作曲されました。それを佐藤しのぶさんが歌うのをよく聞いていたものです。そして山本正美さんも亡くなり、佐藤しのぶさんも去年の9月に亡くなりました。寂しい限りです。

 もし御存知ないようでしたら、ネットですぐに聴けますから、検索してみて下さい。

 めったに和歌など詠まない私ですが、こればかりは話が別で、宮城まり子さんを悼んで一首詠みました。

 歌姫の 植ゑにしねむの 花咲かば 聴かまほしきは 子守の御歌

我が家の庭にわざわざ植えたねむの木は、今はまだ裸木のままです。いずれ夏には薄紅の花を咲かせることでしょう。そうしたらその木蔭で、宮城さんを偲びながら歌いたいと思っています。

 そして上皇后様もいつまでもお元気で過ごされますよう

私の授業 地球の自転を確かめる

2020-03-17 08:49:03 | 私の授業
以下の授業風景は、私が近所の小学校でボランティアで行っている、ミニ授業の様子を可能な限り忠実に再現したものです。「  」内は生徒や担任の先生の発言です。私は現在は定年退職後に非常勤講師として市内の某進学校で地歴科の非常勤講師をしていますが、近年もてはやされているアクティブラーニングには賛同できない立場です。授業では多少の会話はありますが、100%私が主導権を掌握しています。しかし生徒の反応や、時々書かせる感想など見る限りは、知識の一方的な注入ではなく、生徒にとっては学ぶことが楽しい授業となっていると思います。

 小学校のミニ授業も基本的には同じことです。会話が高校より増えますが、主導権は絶対に生徒に預けることはありません。今日の授業の対象は6年生です。テーマは「地球は回る」というのですが、さてどうなりますか。

 みんなお早う。さあ今日は何のお話をしようかな。「地球儀で何するの?」。そう、今日はね地球が回っているよというお話だよ。ねえ、皆さんは地球が回っているということを知っていますか。「知ってるよ」。うん、みんな知ってるみたいだね。でもどうしてそれがわかるの。先生や親がそういう風に教えてくれたから、そう思い込んでるだけじゃないの。「本に書いてあった」。よく本を読んでるね。感心感心。でもね、本に書いてあるから全部本当とは限らないよ。やっぱり自分で確かめたいよね。

 それじゃあ地球が回ってるって、どうやったら確かめられるか考えてみよう。「人工衛星に乗ればいい」。「できるわけないじゃん」。うん、確かにそれができれば、要するに外から地球を眺めれば、わかるかもしれないな。でもできっきないし・・・・。さあ、どうするどうする。宇宙に行かずに、地球にいながらわかる方法はないかな。「いいこと考えた。南極にいってね、地球が回っている軸の所に立てば、くるくる回って目が回るかも」。やあ、面白いこと考えたねえ。行ったことないけど、そこに立てばそうなるのかなあ。こんな答があるとは予想もしなかったよ。でもね、目が回る程早くまわらないよ。だって地球は一日でやっと一回りだろ。「目なんかまわらないよ」。まあそういうことなんだろうな。でも面白い考え方だ。これはこれで素晴らしい。

 そこでちょっと違うことを考えてみよう。太陽が一日で地球を一回りするように見えるけど、太陽は本当に地球の周りを回ってるの。「違うよ、太陽は動かなくて、地球が自分で勝手に回ってるんだよ」。勝手にっていうのがおかしいね。そう、勝手に回ってるんだ。太陽は地球から見ると東から西に動いて見える。それは地球が回っているから、太陽の光が当たる部分が、地球の上で東から西の方に少しずつずれていくからだね。ちょっとカーテン閉めて暗くしてごらん。この懐中電灯が太陽だとして、地球儀を照らす。そして地球儀を少し回していくと、光が当たるところが西にずれていくのがわかるかな。光が当たるようになるっていうことは、別の言葉に直すとどういうことかな。光が当たらないところは夜なんだから・・・・ 。「朝になること」。当たり。そうだね。つまり太陽の見えるようになる時間は、東の方から段々西に動いていくっていうことだ。ここまでわかったかな。「わかったよ」。

 そこまでわかったら大したもんだね。驚いたよ。そこでね、この写真を見てほしいんだ。これはね、NHKの朝6時少し前の天気予報の画面なんだけど、まず東京の空の様子、次に仙台にの様子、そして名古屋・広島・福岡の様子が出て来る。みんな仙台や福岡がどこにあるか知ってるかな。「知ってるよ」。知らない人もいるかもしれないので日本地図に場所を記入しておいたんだけど、わかっていそうだね。

 さあこれらの場所の朝の様子を見て、何か気が付いたことがあるかな。順番に並べてみるよ。「わかった、西の方が暗い」。そうだね、よく気が付きました。よくできました。仙台はもう明るいのに、福岡はまだ薄暗いよね。ということは、どういうことになるのかな。「地球が回ってるから、朝が段々東から西にずれていく」。僕が言いたいことをみんな言ってくれるね。

 時間がなくなるのでそろそろ終わりにするけど、地球が回っているっていうことが、少しは自分の経験としてわかったかな。でもね、これは春と秋にはよくわかるけど冬の同じ時間の天気予報を見ると、どこも真っ暗、夏ならばどこも朝になっちゃうので、6時前の天気予報じゃだめなんだ。まあそれは難しい話になるから今日はしないけど、今度早起きして、6時前の天気予報を見るといいよ。はい、今日のお話はこれでお終い。

 こんな話しをしているうちに、私の持ち時間の20分は終わってしまいました。6年生にはかなりレベルの高い話しでしたが、小道具があれば十分に理解できます。小学校の先生の中には、手間のかかる教材を作る方がいらっしゃいますが、私はずぼらな性格で、それができません。あり合わせのものでいつも何とかしてしまいます。それでも本当に何とかなるのです。

 一方的に私が主導権を握っていても、生徒の理解度は決して低くなることはないと思います。もちろん生徒達が自分たちで言い合って同じ結論までたどりつければ、素晴らしいとは思います。しかしそのために費やす時間を考えると、とてもその様な時間的余裕はないのです。

チコちゃんを叱る 「なんで松竹梅は縁起がいい」

2020-03-08 09:33:59 | 歴史
今回は「なんで松竹梅は縁起がいい」というテーマです。答は「冬でも元気がいい植物だから。小松引きから時代を越えてセットになった」ということだそうです。

 放送で使われた言葉を活かしながら、その粗筋を御紹介してみましょう。
 
 松竹梅は「歳寒の三友」と呼ばれ、宋の時代から始まった文人画で画題として好まれたものでした。「歳寒の三友」とは寒い冬に友とすべき三つの植物という意味で、色々な植物の組み合わせが描かれた中でも定番になりました。しかしこのような絵が日本に伝わった頃には、縁起がよいという認識はありませんでした。

 まず松が縁起物になったのは平安時代でした。宮廷儀礼である小松引がその起原です。それは正月の初子の日に外に出て若い松を引き抜く風習です。松は樹齢が長く冬でも青々していることから、若い松は長寿祈願の縁起物になりました。正月の門松のルーツはこの小松引です。

 竹が縁起物になったのはそれより600年後の室町時代です。古来、竹は庶民の生活用具の材料として利用されてきました。室町時代には茶道や華道が流行り、茶室や庭園に使われたことで、イメージがアップしました。そして日本各地で竹が栽培されました。竹は広く根を張って冬でもすくすくと伸びるので、子孫繁栄のシンボルとして縁起物になりました。そしてこの頃から門松に竹が加えられたそうです。

 梅は江戸時代になってやっと縁起物になりました。梅の実は燻製にして早くから漢方薬となり、花は観賞されていました。しかしそれは一部の特権階級の貴族達のものであって、梅が庶民に広まるのは江戸時代のことです。きっかけは幕府が稲の育ちにくい痩せた土地に、厳しい環境でも育つ梅の栽培を奨励したことから、徐々に広まっていきました。その結果、梅干しが庶民の食卓にも並ぶようになったのです。また梅の花を愛でることは桜の花見より通であるとして大流行しました。食べれば身体によく、厳しい寒さの中でも花を咲かせる梅は、生命力の象徴として縁起物になりました。これでようやく松竹梅が縁起物としてセットになったわけです。

 監修者は江戸川大学名誉教授の斗鬼正氏だそうです。

 出鱈目ばかりを垂れ流す「チコちゃんに叱られる」ですが、今回は比較的まともな内容です。門松の起原が小松引にあるというのは、門松が年神の依代であるという出鱈目な解説が伝統行事解説書の定説となっている中で、史実に即した解説です。この点は大いに評価できます。ただし松の樹齢が千年であるという理解は、早くも『万葉集』990番歌に見られます。

 ただ問題は竹が縁起物になった時期と理由です。時期については茶道や華道が流行った結果であるとのことですが、それなら室町時代もかなり下った頃になってしまいます。竹が松と並ぶ長寿のシンボルと理解されたのは、平安時代のことです。『拾遺和歌集』の275番歌には、「色変へぬ 松と竹との 末の世を いづれ久しと 君のみぞ見む」という歌があります。これは承平四年(934年)に藤原穏子の50歳の長寿の祝で屏風に貼られた屏風歌ですから、まさに縁起物としての竹が松と共に詠まれているのです。竹が縁起物となったのは、遅くとも10世紀まで遡ることができるのに、なぜ室町時代まで引き下げてしまうのでしょうか。監修者は八代集を読んだことがないようです。

 ただし門松とセットになったのはもう少し時期が遅れるようです。後白河法皇の命により土佐光長が描いた『年中行事絵巻』には、軒下に身長をやや超える松を立て並べ、軒先には譲葉を挟み込んだ注連縄が張られている場面がありますが、竹は全く見当たりません。少なくとも鎌倉時代初期までは竹が添えられることはなかったようです。

 室町時代後期の天文十三年(1544)に書かれた『世諺問答(せいげんもんどう)』という有職故実書には、門松の起原を問う質問に対して、「門の松立つる事は、むかしよりありきたれる事なるべし。・・・・その門の前に松竹を立侍り、松は千歳を契り、竹は万代をか(ち)ぎる草木なれば、年のはじめの祝事に立て侍るべし」と答えています。国会図書館デジタルコレクションで『世諺問答』と検索し、その6・7コマ目に見ることができます。著者の一条兼良は「無双の才人」と称された大学者であり、有職故実には特に詳しかったことから、その記述は十分に信頼することができます。

 チコちゃん説では「竹は冬でもすくすく伸び」、子孫繁栄のシンボルとして縁起物になったということです。しかし冬も枯れずに栄えるならわかりますが、そもそも冬には伸びることはありません。当たり前のことです。しかも平安時代以来松と並ぶ長寿のシンボルと理解されていました。「松は千歳を契り、竹は万代をちぎる」という言葉は慣用的に用いられ、江戸幕末の子供向け年中行事解説書である『五節供稚童講釈(おさなこうしやく)』(1833年)にも、「正月門松立つる事は、松は千歳、竹は万代を契るものゆゑに、門に立てて千代よろづを祝ふなり」と記され、松と共に長寿のシンボルと理解されています。決して子孫繁栄のシンボルではありません。

梅については、幕府が奨励したことを示す史料を確認できていません。膨大な『徳川実紀』を丹念に探せば見つかるかもしれませんが、絶望的な作業になりそうで諦めます。ただし池坊専応が1542年に著した『専応口伝』には、「専祝儀に用ふべき事」として、真っ先に松・竹・梅を上げていますから、梅が江戸時代になってから縁起物となったというのは、明らかに誤りです。

 江戸時代の日常雑器である伊万里焼には、松竹梅の図柄がたくさん描かれています。デフォルメされていることも多く、よくよく見ないと松竹梅であることがわからないこともあります。とにかく大流行したことは確かです。

 すでにお話したように、今回は比較的良心的な内容でしたが、松竹が縁起物になった時期と理由については、とんでもない出鱈目であることを確認しておきましょう。
 
 私の「うたことば歳時記」というブログには、「うたことば歳時記 チコちゃんを叱る「うたことば歳時記 お握りはなぜ三角形」 、「うたことば歳時記 チコちゃん叱る 雑煮の『雑』ってなあに」、「うたことば歳時記 チコちゃんを叱る お盆の『盆』ってなあに」、「うたことば歳時記 チコちゃんを叱る 牡丹餅とお萩」、「うたことば歳時記 チコちゃんを叱る なぜ桜の下でどんちゃん騒ぎするの」という題で、チコちゃん説の出鱈目さを批判していますから、合わせて検索して御覧下さい。天下のNHKの番組がこれほどいい加減なものとは、ただあきれるばかりです。

 あまりの出鱈目さに憤慨して、番組制作者に手紙を書いたことがありますが、必ず「色々な説がありますと補足しています」ということで、問題はないとのことでした。しかしあまりにも初歩的な誤りであり、説として成立以前の問題であると思います。私は自分の専門以外についてはわかりませんが、専門のことについてだけでもこれだけ出鱈目がまかり通っているのですから、他の内容もどこまで信用して良いものやら、はなはだ怪しいと言わざるを得ません。




読み聞かせ技法の誤解 (1)

2020-03-01 12:15:08 | その他
 先日、幼児への読み聞かせをしている場面を見学しました。私もボランティアで小学生への読み聞かせをすることがあり、興味があったからです。そこで大変驚いたのですが、語る人がまるで能面のように表情一つ替えず、抑揚もなく、まるで機械が話しているように淡々と話すのです。子供達は確かに静に聞き入っていましたが、聞いていて少しもワクワクしませんし、面白くないのです。

 帰宅してからインターネットで読み聞かせについて調べてみると、そのようなやり方が本当の読み聞かせであるという趣旨の話しがいっぱい出て来るではありませんか。いやはや驚きました。

 その中の一つを御紹介しましょう。

 読み聞かせの講座などに行くとよく言われるのが、「感情は込めずに読むほうがよい」ということ。感情を込めて読むと子どもがそちらに気を取られてしまい、お話自体に集中できなくなるから、というのがその理由です。実際、筑波大学の調査でも、5・6歳児23名を「登場人物を大げさに演じ分けて読み聞かせる群」と「演じ分けをしない群」に分けて読み聞かせたところ、後者のほうが登場人物の心情を問うテストの成績が良かったことが報告されています。両グループに物語理解度の差はなかったものの、「演じ分けを行う読み聞かせをした群」は、「演じ分けが心情を察する働きを阻害している可能性があると考えられる」と見られる結果になりました。

 この筑波大学の研究の影響により、「感情は込めずに読むほうがよい」という理解が広まり、単調な読み聞かせが本当の読み聞かせ方であるということになっているのでしょう。私は高校の現役の教員ですが、私の授業は熱が入って、人物の内面に話しが及ぶ時は、その人に成りきるような気分で話してしまいます。とても覚めた気持ちでは語れません。もちろん生徒の反応も概ね良好で、生徒の理解を深めるのに役に立っていると思います。私はもう40年も日本史の授業をしてきましたが、その間、私の話がきっかけで大学の日本史学科に進学した生徒が何人もいます。

 そのようなわけで、感情を込めない語りについては大きな違和感を感じていました。そして何とか筑波大の論文を読んでみたいと思っていました。そうしたら筑波大のその論文の関係者が書いたものと思われる「知育At Home」『絵本の読み聞かせは抑揚をつけない方がいい』という論文の三つの誤解」という文章を見つけました。論文執筆者が、その研究成果が誤解されて広まっていることに責任を感じたのか、誤解を解こうとしたのでしょう。

 もちろんそれを読んでいただきたいのですが、直接にその研究論文を読んだ方がよいので、御紹介しておきます。正確な論文名は「絵本の読み聞かせ時の演じ分けが子どもの物語理解と物語の印象に与える影響」というもので、ネットで見られますから検索してみて下さい。

 その研究の材料となった実験は次の様なものです。絵本は長谷川摂子作・ふりやなな画の「めっきらもっきらどおんどん」(福音館書店)。対象年齢が3歳以上です。実験参加者は5歳児と6歳児あわせて23名。これを演じ分けを行う読み聞かせグループと、しないグループに分け、音声以外の読み聞かせ方法に差が出ないように、前もって録音していたものを聞かせる形で行われました。そして話が終わってから、話の内容をどの程度理解したかを確認する11問から成る理解度テストと、「ばけもの3人のうち,誰が一番嫌でしたか?」とか「遊びはどれが一番おもしろかったですか?」という2問の印象質問を行ったということです。

 その論文の途中の考察はここでは省略しますが、「まとめ」には次の様に記されています。

1) 演じ分けを行う読み聞かせをした群と演じ分けをしなかった群には、物語理解度に有意な差はなかった。
2) ただし,登場人物の心情を問う項目の成績は,統制群の方が良い傾向がみられた。3) 演じ分けを行う読み聞かせをした群は,特に登場人物に対する印象が偏った。以上により,読み聞かせ時の演じ分けは,大きく物語り理解には影響しないものの,心情理解を阻害する可能性、また、登場人物に対する印象に影響がある可能性が示唆された。

 論文を読んでみた感想ですが、天下の筑波大学の研究が「たったこれだけ?」というのが正直なところです。これなら高校生の保育の課題レポート並ではありませんか。あまりにお粗末すぎます。感情をこめた読み方をすれば、登場人物に対する印象がよくも悪くも強調される程度のことは、実験をする前から予想できることです。しかも予想通りの結果について、「心情理解を阻害する可能性」と評価している。「影響があった」というならともかく、「阻害の可能性」とは言いすぎでしょう。「化け物」を怖そうに読み聞かせたのですから、それを「嫌い」と理解するのは当たり前ではありませんか。しかも印象テストの質問はたった2問。そして内容の理解度には両グループとも差はないというのです。

いっぽう「知育At Home」『絵本の読み聞かせは抑揚をつけない方がいい』という論文の三つの誤解」では、まずは、抑揚はを付けるなというのは誤解であるといいます。そもそもこの研究と抑揚は無関係で、両グループの読み聞かせも適度に抑揚があったということです。そして「論文と抑揚は関係ない」ことは、実験者が認めています。実験者が注目しているのは「演じ分け」だけであって、それも台詞と擬音語だけに限っています。

 二つ目の誤解は、抑揚を付けると理解度が低下するというものです。しかし実験の結果では全く差はありませんでした。

 三つ目の誤解は「印象」が悪くなるというものです。「演じ分けのない方が物語の印象がよくなかった」と記されていますが、よくなかったのは物語の印象ではありません。ある登場人物(化け物)の印象が悪くなっただけの話しで、物語全体の印象ではありません。話は逸れますが、言葉は正確に使わなければなりません。印象が悪化したのは「物語」ではなく、「化け物」ではありませんか。

 そして実験者は正直に、「ただし、本研究の限界は,サンプル数の少なさから十分な精度を得られていないことである。また演じ分けの程度や種類で結果が異なる可能性も十分ある」と認めています。

 最近では、読み聞かせでは抑揚もなく単調に読むのがよいという説が、大手を振って歩いています。しかし読み聞かせの目的は、物語の理解を深めることだけではありません。まして、物語の印象を感情なしにニュートラルに受け容れることではありません。年齢に応じて言葉の理解を助長したり、本に興味を持たせたり、語り手との信頼関係を強めたり、話しを聞くという能力を育てたり、色々考えられます。取ったか、見たか、というように、速効が期待できるものではありませんが、大切なことは「お話を聞くのは楽しいな」と思わせることによって、本や言葉や本の内容に興味を持たせることなのです。本を読んでもらうことが楽しいと思うようになった子は、次第に自分でも読んでみようと思うことでしょう。

 繰り返しになりますが、理想的な読み聞かせのやり方は、聞いている子供達が楽しいと思うようになるやりかたであって、そこから自ずから読み聞かせの技法が生まれてくることでしょう。

 私は長年、新任教員の研修指導を担当してきましたが、まず問われるべきは、授業者が授業内容にワクワクするような興味関心を持っているかどうかということです。熱は必ず熱い方から冷たい方に伝わるもの。授業者に授業に対する熱がなかったら、どうして生徒が授業内容に興味関心を持つだろうか、と語ったものです。そのような自己体験から考えれば、大げさすぎるのは考えものですが、抑揚もなく、感情も込めない読み聞かせは、とうてい理想的な読み聞かせとは思えないのです。

続編を公表していますので、「うたことば歳時記 読み聞かせ技法の誤解(2)」、「うたことば歳時記 読み聞かせ技法の誤解(3)」も御覧下さい。