芹 摘 み の 歌
春の七草に数えられる芹は早くから食用となり、数少ない在来の野菜の一つです。独特の芳香は、セリ科の野菜である人参・セロリ・ウイキョウ・三つ葉・パセリなどにも共通しています。水辺にはそれこそ「競(せ)り」合うように生育し、我が家の周辺では、自生しているものをいくらでも摘めます。
芹を詠んだ歌をいくつか上げてみましょう。
①根芹摘む春の沢田におり立ちて衣の裾(すそ)の濡(ぬ)れぬ日ぞなき(好忠集)
芹は水際に生えているので、摘むときにはいつも衣が濡れるというのです。「根芹」は慣用的表現で、芹はその地下茎の節から真っ白くて細い根を伸ばすため、江戸時代の博物書である『本草綱目啓蒙』には、「白根草」の異称も見えます。実際、水の流れのあるようなところで芹を引くと、泥が洗われて白い根が大層美しいものです。西行もこの根の白いことに思うことがあったようで、次の②の歌を詠んでいます。
②足すすぐ沢の小芹の根を白みきよげに物を思はすもかな(夫木抄)
「きよみ」の「み」は「・・・・なので」という意味ですから、洗われるように白い根に、心が浄められると思ったのでしょう。確かに小川の流れの中で芹の白根を見ると、私でも同じ様に思ったものです。
この「根(ね)」の音が泣くことを意味する「音(ね)」に通じ、摘むときに衣の裾や袖が濡れることから、古歌では恋の歌に仕立てられたりもします。
③いかにせむ御垣(みかき)が原につむ芹のねにのみ泣けど知る人もなき(千載集)
④何となく芹と聞くこそあはれなれ摘みけん人の心知られて(山家集)
③の「ねに泣く」は「音に泣く」、つまり声にだして泣くことで、恋に泣いても私の心をわかってくれる人はいない、という意味です。③の「御垣が原」とは 宮中や貴人の邸宅内の草地のことなのですが、10世紀初期の法令集である『延喜式』の大膳式には、皇居に芹を専門に栽培する芹田があったと記されていますから、身分に関係なく好まれていたようです。
この御垣が原には一寸した逸話があのます。る。『俊頼髄脳(としよりずいのう)』という歌論書などに見えているのですが、宮仕えの卑しい男が内裏の掃除をしていたとき、突風が御簾(みす)を巻き上げてしまった。そして皇后様が芹を召し上がっているところを見てしまい、すっかり魅せられてしまった。そして芹を献上したく、思い出しては御簾の近くに置いてはみるが、これといったこともない。それでついに焦がれる余りに病気になり、芹を摘んで供養して欲しいと言い遺(のこ)して死んでしまったというのです。そして「芹摘みし昔の人も我がごとや心に物はかなはざりけむ」という歌が添えられています。この逸話と歌はかなり流布されていたらしく、『枕草子』230段や『狭衣(さごろも)物語』四にもそれを踏まえた記述があります。そしてこの話によって、「御垣が原に芹を摘む」ことが、かなわぬ恋の思いを表すことになりました。③④はこの故事を踏まえて詠まれたものなのです。
以上のような背景や「濡れる」「根と音」の相乗効果から、芹摘みにはかなわぬ恋のイメージが伴うことになりました。しかし現代ではそのような印象はありません。芹を摘むごとに切ない思いをするようでは、心の病になってしまいます。それより次の⑤の歌ように、芹の葉を摘みつつ歳(とし)の端(は)を積み(長生きすること)、⑥のように人に贈って長寿を寿ぎ、明るく理解したいものです。
⑤春ごとに沢辺に生ふる芹の葉を年とともにぞ我は摘みつる (好忠集)
⑥春日野の雪消(ゆきげ)の沢に袖垂れて君がためにと小芹をぞ摘む (堀河院百首)
そこで私も一首詠み添えます。
〇降り注ぐ光の岡辺 みどりなす芹生(せりふ)の清水に 春わきいづる
蛇足
私は摘んだ芹をさっと茹でてから細かく刻み、しらす干しか削った鰹節と少しの醤油を白いご飯に混ぜて食べています。そのまま食べてもよいのですが、時期が遅くなった芹は筋っぽくなるので、細かく刻んだ方が食べやすく、香りも引き立ちますから。一度お試しあれ。
春の七草に数えられる芹は早くから食用となり、数少ない在来の野菜の一つです。独特の芳香は、セリ科の野菜である人参・セロリ・ウイキョウ・三つ葉・パセリなどにも共通しています。水辺にはそれこそ「競(せ)り」合うように生育し、我が家の周辺では、自生しているものをいくらでも摘めます。
芹を詠んだ歌をいくつか上げてみましょう。
①根芹摘む春の沢田におり立ちて衣の裾(すそ)の濡(ぬ)れぬ日ぞなき(好忠集)
芹は水際に生えているので、摘むときにはいつも衣が濡れるというのです。「根芹」は慣用的表現で、芹はその地下茎の節から真っ白くて細い根を伸ばすため、江戸時代の博物書である『本草綱目啓蒙』には、「白根草」の異称も見えます。実際、水の流れのあるようなところで芹を引くと、泥が洗われて白い根が大層美しいものです。西行もこの根の白いことに思うことがあったようで、次の②の歌を詠んでいます。
②足すすぐ沢の小芹の根を白みきよげに物を思はすもかな(夫木抄)
「きよみ」の「み」は「・・・・なので」という意味ですから、洗われるように白い根に、心が浄められると思ったのでしょう。確かに小川の流れの中で芹の白根を見ると、私でも同じ様に思ったものです。
この「根(ね)」の音が泣くことを意味する「音(ね)」に通じ、摘むときに衣の裾や袖が濡れることから、古歌では恋の歌に仕立てられたりもします。
③いかにせむ御垣(みかき)が原につむ芹のねにのみ泣けど知る人もなき(千載集)
④何となく芹と聞くこそあはれなれ摘みけん人の心知られて(山家集)
③の「ねに泣く」は「音に泣く」、つまり声にだして泣くことで、恋に泣いても私の心をわかってくれる人はいない、という意味です。③の「御垣が原」とは 宮中や貴人の邸宅内の草地のことなのですが、10世紀初期の法令集である『延喜式』の大膳式には、皇居に芹を専門に栽培する芹田があったと記されていますから、身分に関係なく好まれていたようです。
この御垣が原には一寸した逸話があのます。る。『俊頼髄脳(としよりずいのう)』という歌論書などに見えているのですが、宮仕えの卑しい男が内裏の掃除をしていたとき、突風が御簾(みす)を巻き上げてしまった。そして皇后様が芹を召し上がっているところを見てしまい、すっかり魅せられてしまった。そして芹を献上したく、思い出しては御簾の近くに置いてはみるが、これといったこともない。それでついに焦がれる余りに病気になり、芹を摘んで供養して欲しいと言い遺(のこ)して死んでしまったというのです。そして「芹摘みし昔の人も我がごとや心に物はかなはざりけむ」という歌が添えられています。この逸話と歌はかなり流布されていたらしく、『枕草子』230段や『狭衣(さごろも)物語』四にもそれを踏まえた記述があります。そしてこの話によって、「御垣が原に芹を摘む」ことが、かなわぬ恋の思いを表すことになりました。③④はこの故事を踏まえて詠まれたものなのです。
以上のような背景や「濡れる」「根と音」の相乗効果から、芹摘みにはかなわぬ恋のイメージが伴うことになりました。しかし現代ではそのような印象はありません。芹を摘むごとに切ない思いをするようでは、心の病になってしまいます。それより次の⑤の歌ように、芹の葉を摘みつつ歳(とし)の端(は)を積み(長生きすること)、⑥のように人に贈って長寿を寿ぎ、明るく理解したいものです。
⑤春ごとに沢辺に生ふる芹の葉を年とともにぞ我は摘みつる (好忠集)
⑥春日野の雪消(ゆきげ)の沢に袖垂れて君がためにと小芹をぞ摘む (堀河院百首)
そこで私も一首詠み添えます。
〇降り注ぐ光の岡辺 みどりなす芹生(せりふ)の清水に 春わきいづる
蛇足
私は摘んだ芹をさっと茹でてから細かく刻み、しらす干しか削った鰹節と少しの醤油を白いご飯に混ぜて食べています。そのまま食べてもよいのですが、時期が遅くなった芹は筋っぽくなるので、細かく刻んだ方が食べやすく、香りも引き立ちますから。一度お試しあれ。