もう40年も前のこと、見合いに行く土産として、籠にいっぱいに詰めた枇杷の実を持っていったことから、家内は枇杷の実が好きになり、庭に枇杷を植えたいと言います。しかし狭い我が家の庭には植える余地がないので、今年の夏、持ち主のわからない隣の空き地に苗を植えてしまいました。もし怒られたら、その時は切り倒せばいいかというわけです。まだ植えたばかりで、背丈は2尺しかないのに、今を盛りと咲いています。一つの花は直径が1㎝程で、5枚の花弁があり、それが数十も集まって房状になっています。目立たないアイボリー色ですが、香りがよく、蜜が多いためでしょうか。虫がよく集まってきます。花のほとんどない厳冬の時期、虫たちにとっては貴重な食料源となっているようです。
「枇杷」という音からして、中国伝来と思われますが、『万葉集』には見当たりません。『日本三代実録』の元慶七(883)年五月三日には、渤海国からの賓客に「枇杷子」(「子」は実という意味)を饗したことが記されていますから、この頃までには遣唐使を介して伝えられたのでしょう。10世紀初期の『延喜式』や『倭名類聚抄』には見えています。ただ当時の枇杷の実は今より小さかったでしょうし、種子ばかりが大きくて食べるところは少なかったからでしょうから、食用として植えられることはあまりなかったと思われます。古歌にもほとんど見当たりません。
①いささ(笹)めに時まつ(松)間にぞ日は(枇杷)へぬる心ばせを(芭蕉)ば人に見えつつ (古今集 物名 454)
②冬の日は(枇杷)木草のこさぬ霜の色を葉かへぬ枝の花ぞまがふる (拾遺愚草)
①は、かりそめに時を待っているうちに日ばかりが経ってしまいました。あの人を思う私の心を表に見えるようにしていたのに、という意味で、歌の中に笹・松・枇杷・芭蕉葉の4つの植物の名前を詠み込んだものです。このような歌は物名歌と呼ばれ、一種の言葉遊びになっていますから、枇杷そのものを詠んでいるわけではありません。②は、草木をすっかり枯れさせてしまう霜を、葉が落ちない枝に付いた花に見間違える、という意味でしょう。これも物名歌で、枇杷を詠んでいるわけではありません。「枇杷」が「日は」と同じ音であるため、物名歌に詠みやすかったこともあるでしょうが、歌を詠みたくなるような対象とは見られていなかったのでしょう。
古にはあまり注目されなかったのですが、あらためて枇杷の花をよくよく見ると、なかなか風情があるものです。花が少ないこの時期に、相当長い間花が咲いています。目立つことはありませんが、その香には、同時期に咲く臘梅と共になかなか高貴な印象があり、存在感があります。人に注目されなくとも、寒さに負けずに健気に咲いている枇杷の花を見かけたら、うんと誉めて上げて下さい。
「枇杷」という音からして、中国伝来と思われますが、『万葉集』には見当たりません。『日本三代実録』の元慶七(883)年五月三日には、渤海国からの賓客に「枇杷子」(「子」は実という意味)を饗したことが記されていますから、この頃までには遣唐使を介して伝えられたのでしょう。10世紀初期の『延喜式』や『倭名類聚抄』には見えています。ただ当時の枇杷の実は今より小さかったでしょうし、種子ばかりが大きくて食べるところは少なかったからでしょうから、食用として植えられることはあまりなかったと思われます。古歌にもほとんど見当たりません。
①いささ(笹)めに時まつ(松)間にぞ日は(枇杷)へぬる心ばせを(芭蕉)ば人に見えつつ (古今集 物名 454)
②冬の日は(枇杷)木草のこさぬ霜の色を葉かへぬ枝の花ぞまがふる (拾遺愚草)
①は、かりそめに時を待っているうちに日ばかりが経ってしまいました。あの人を思う私の心を表に見えるようにしていたのに、という意味で、歌の中に笹・松・枇杷・芭蕉葉の4つの植物の名前を詠み込んだものです。このような歌は物名歌と呼ばれ、一種の言葉遊びになっていますから、枇杷そのものを詠んでいるわけではありません。②は、草木をすっかり枯れさせてしまう霜を、葉が落ちない枝に付いた花に見間違える、という意味でしょう。これも物名歌で、枇杷を詠んでいるわけではありません。「枇杷」が「日は」と同じ音であるため、物名歌に詠みやすかったこともあるでしょうが、歌を詠みたくなるような対象とは見られていなかったのでしょう。
古にはあまり注目されなかったのですが、あらためて枇杷の花をよくよく見ると、なかなか風情があるものです。花が少ないこの時期に、相当長い間花が咲いています。目立つことはありませんが、その香には、同時期に咲く臘梅と共になかなか高貴な印象があり、存在感があります。人に注目されなくとも、寒さに負けずに健気に咲いている枇杷の花を見かけたら、うんと誉めて上げて下さい。