うたことば歳時記

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『閑吟集』現代語戯訳

2023-09-06 08:27:00 | その他
 室町時代の小歌などの歌詞集である『閑吟集』を、私なりに現代語訳にしてみました。現代語訳はネット上にも多く、出版もされていますから、今さら私が訳す程のことはないので、今もそのまま歌の歌詞になるようにと、五音と七音を活かして訳してみました。その制約があるため、当然ながら大胆な意訳をせざるを得ず、正確な現代語訳にはなっていません。出版されている注釈書と異なることもありますが、もともとが歌ですから、人によって解釈に幅があるのはやむを得ません。日本史の授業の教材研究の合間に、面白半分にやってみただけのことですから、お許し下さい。
 〇は原文、◎は私の現代語訳、◇は私のコメントです。ただ古典文芸の専門家ではないので、解釈に誤りがあるかもしれませんし、日本史の教諭が私の本職ですから、目の付け所が文芸的ではありません。 



〇いくたびも摘め 生田の若菜 君も千代を積むべし  2
◎いくたびも摘め 生田の若菜 あなたも千歳を 積むはずよ
◇現代語訳とはいうものの、もとの歌は「いくたび」と「生田」の頭韻「いくた」をそろえていますので、そこは崩すわけにはいきません。若菜を「摘む」ことは、「年の端(葉)」を「積む」ことに通じるという理解は、若菜摘みを詠んだ王朝和歌の常套表現でしたから、そこも無視はできません。生田は現在の神戸市にある歌枕で、王朝和歌では若菜摘みで知られていました。早春の若菜摘みや七草粥は、現在では厄除けのためと説明されていますが、文献史料で見る限りでは、室町時代以降のものです。本来はこの歌にあるように、長寿を祈念する呪いでしたから、それが室町時代にも継承されていることを確認でき、歴史学的には重要な史料です。この歌は年始のめでたい席で歌われたものでしょう。韻をそろえたり同音異義語による掛詞は、現代短歌では退けられてしまいます。しかし古歌では、「何を詠むか」より「どのように詠むか」が問われるものでした。


〇木の芽春雨降るとても 木の芽春雨降るとても なほ消えがたきこの野辺の 雪の下なる若菜をば 今幾日(いくか)ありて摘ままし 春立つといふばかりにやみ吉野の 山も霞みて白雪の 消えし跡こそ路となれ 4
◎木の芽育む 春雨降れど まだ雪残る この野辺に なおも埋もれる 雪間の若菜 いつになったら 摘めるのか 春が立ったと いうならきっと 吉野の山も 霞むはず 山の白雪 溶けては消えて 消えたそばから 路となる 
◇この歌は伝世阿弥作の謡曲「二人静」のほぼ冒頭に近い部分から、そのまま採られています。「二人静」の粗筋は次の様なものです。吉野山の勝手神社の女(菜摘女)が、正月七日の七種の神事に必要な若菜を摘みに行くと、里の女が現れて、自分を供養してくれるように頼みます。神職にこのことを告げると、供養を頼んだ女の霊が菜摘女にのり移り、静御前の霊であると称します。そして神社に伝えられていた静の舞装束を身につけて菜摘女が舞い始めると、同じ姿の静の霊が現れ、義経と雪の吉野山で別れた悲しみを語り、再び供養を頼んで消えてしまったと言う話です。「二人静」という題は、この舞の情景から採られているわけです。
 この歌は、多くの古歌を踏まえていて、古典和歌に詳しい人なら、思い当たる歌がたくさんあることでしょう。「木の芽はる(張る)」は木の芽が膨らむという意味なのですが、春には木の芽が膨らむことから、「春」に掛かる枕詞となっていて、「木の芽はる雨」は慣用的に歌に詠まれていました。また春雨が降ると野辺の緑が色濃くなるので、春雨は野辺を育む親であるという理解が共有されていて、春雨と野辺の緑は相性のよい取り合わせでした。「雪の下なる若菜をば 今幾日(いくか)ありて摘ままし」の部分は、「春日野の飛ぶ火の野守出でて見よ今幾日ありて若菜摘みてむ」(古今和歌集』19)が下敷きになっていることは明らかです。また雪の消えやらぬ野辺の若菜は、「雪間の若菜」と称して、白と緑の対比が美しく、雪と若菜を一緒に詠むことが、若菜摘みの歌の常套でした。「春立つといふばかりにやみ吉野の 山も霞みて」の部分は、「春立つといふばかりにやみ吉野の山も霞みて今朝は看らん」(『拾遺和歌集』1)を踏まえています。吉野は雪が早く降り、いつまでも消え残る所という理解があり、春が立つと都人は吉野山の雪はどんな様子かと、思いを馳せるものという理解も共有されていました。雪がまだらに溶けてくると、山肌が見え始めるのですが、現代人はただ単に山肌が見えるようになったこととでしょうが、自然を擬人的に理解していた古人にとっては、それは春や新年が山を越えてやって来る道であり、またその足跡であるという理解することがありました。

〇めでたやな 松の下 千代も引く千代 千代千代と  6
◎めでためでたい 千代松の下 千代を祈って 小松引き 千代千代千代の 後までも
◇古来、新年には長寿を記念する様々な風習が行われてきました。門松はその一つですが、平安時代には門松に先立って、小松引きという行事が行われていました。その年最初の子(ね)の日に、野辺に出て芽生えて間もない小松(若松)を根ごと引き抜いて持ち帰り、長寿を祈念して植えるのです。これは「子の日の小松」「小松引き」とか、単に「子の日」と呼ばれました。この歌の「千代も引く」は、この小松引きのことで、『閑吟集』の5番歌にも、「小松引けば」と詠まれています。そして11世紀中頃には門松の風習が派生します。ただし松の長寿にあやかるという発想は、早くも『万葉集』(1043番歌)に見られます。

〇誰が袖ふれし 梅が香ぞ 春に問はばや 物言う月に 逢ひたやなう  8
◎どなたの袖が触れたのか わからないけど梅の香の 微かに残る春の夜 もの言う月にききたいな
◇微かな香りを、香をたきしめた衣の香に擬えたり、月を見て昔を懐かしく思い起こすのは、王朝和歌にしばしば見られる趣向です。この歌は、「梅の花誰が袖ふれし匂ひとぞ春や昔の月に 問はばや」(新古今 46)を本歌としています。『閑吟集』全体に言えることですが、流行歌とはいえ、しっかりと古歌の知識に裏付けられていますから、当時の庶民の歌学的知識は、相当に豊かなものだったことがわかります。「・・・・なう」という末尾は中世以降に使われるようになったもので、相手に同意を求めるような余韻があり、『閑吟集』には多く用いられていますた。微かな香りだけを残して往ってしまった恋人に、なお心惹かれる女歌でしょうか。

〇只(ただ)吟ジテ臥スベシ 梅花ノ月 仏ニ成リ天ニ生マルルモ惣(すべ)テ是(これ)虚(きょ)  9
◎浮き世では 月の光に梅を愛で 歌を詠むのが 最高さ 極楽に 仏と成って 生まれても いったいそれが 何になる
◇本来は五山の臨済宗で「無」の境地を説いた偈(禅僧が悟境を表した韻文)なのでしょうが、その境地を知らない凡人が、刹那的・享楽的に理解してしまうことでしょう。

〇梅花(ばいか)は雨に 柳絮(りゆうじよ)は風に 世はたゞ嘘に 揉まるゝ  10
◎白梅の花は雨にこぼれて 柳の綿は空に乱れて そらごとの世もみな揉まれゆく
◇柳絮は、綿毛のように風に舞い散る柳の綿状の種子で、ポプラや湿地に生い立つ川柳(ネコヤナギ)の類に見られます。時期は晩春から初夏にかけての頃ですから、季節の移ろいを感じさせる景物でした。日本では歌に詠まれることは少ないのですが、柳はもともと漢人好みの樹木ですから、漢詩にはよく詠まれています。「揉まれる」というのですから、単なる自然描写ではなく、「世」を男女の仲と理解することもできるでしょう。

〇吉野川の花筏(いかだ) 浮かれてこがれ候よの 浮かれてこがれ候よの   14
◎私ゃ吉野の花筏 浮いて浮かれて流されて 漕いで焦がれているばかり
◇「よの」は感動を表す助詞で、念を押して同意を求める場合に用いられました。「なう」と共に『閑吟集』に多く見られるのですが、それは宴席で歌われた歌であった可能性が高いことを示しているのでしょう。吉野川は吉野山とともに桜の名所です。川面に浮いて流れる花びらを筏になぞらえているため、「漕がれる」と「焦がれる」が掛けられています。「浮」は「恋い焦がれて浮き浮きする」という意味にも、「さだめなき浮き世に流される」という意味にも理解できます。

〇人は嘘(うそ)にて暮(くら)す世に なんぞよ燕子(えんし)が 実相を談じ顔なる  17
◎人は皆 嘘にまみれて暮らす世に なぜに梁(はり)の燕(つばめ)らは 悟りすました主顔(あるじがお)
◇嘘と実相(仮の姿の奥にある真実の姿)が対句となっているのですが、「梁の燕、実相を談ず」という言葉は、禅僧の語録にしばしば見かけますから、五山文学の影響を受けているのでしょう。「世」には「世間」とも「男女の仲」という意味もありますから、真理を悟ったような顔つきが、、殊更に小面憎く見えるとして、梁の燕に当たっている場面でしょうか。斎藤茂吉に、「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳ねの母は死にたまふなり」とい短歌があります。彼は正岡子規の説いた「写生」をさらに昇華させて、「実相観入」(実相に観入して自然・自己一元の生を写す)を主張しました。母の死の場面にたまたま燕がいたというのではなく、茂吉も梁の燕に何らかの宗教的意味を感じ取ったのでしょう。そうであればこそ、「嘘」と「実相」の対句が活きてくるわけです。

〇吹くや心にかかるのは 花のあたりの山颪(やまおろし) 更くる間を惜しむや まれに逢ふ夜なるらん このまれに逢ふ夜なるらむ  22
◎風吹けば 心にかかるは 山風の 花を散らして 吹き下ろすこと 夜更ければ 惜しまれるのは まれにしか 逢えない夜の もう明けること
逢えない夜の 明けること 
◇稀にしか訪ねて来ない男との逢瀬の夜を惜しむ心を、強い風に散らされる桜花を惜しむ心になぞらえている場面で、全体が対になって構成されています。「吹く」と「更く」が掛けられていることはすぐにわかるでしょう。

〇散らであれかし桜花 散れかし口と花心  25
◎散るを惜しむは桜の花よ 散るを待つのは浮かれる花よ
◇人は美しくも儚く散る桜の花を、咲くまでは心待ちにし、咲いてからは散るのを惜しむもの。一方、好意を寄せる相手の言葉は、得てして口先だけで、本心とは限らないもの。とかく口先だけの浮気心は、その移ろいやすいことをすぐに散ったり色移りする花になぞらえて、古くから「花心」と呼ばれました。終助詞の「かし」は、柔らかい物言いで念を押すことを表し、全体が対句になっています。

〇神ぞ知るらん春日野の 奈良の都に年を経て 盛りふけゆく八重桜 〳〵 散ればぞ誘ふ誘へばぞ 散るはほどなく露の身の 風を待つ間のほどばかり 憂きこと繁くなくも哉 〳〵 28
◎神しらしめす神代より 春日(はるひ)のどかな春日野の 奈良の都の八重桜 盛りも過ぎた姥桜 花散るほどに風誘い 風が誘えば散り急ぐ 露のこの身もほどもなく 同じく風を待つばかり 憂きことなくと祈るのみ
◇古来、奈良は八重桜の名所として、王朝和歌にはしばしば詠まれていました。「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」の歌はよく知られています。また『徒然草』139段には、「八重桜は、奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多く成り侍はべるなる」と記されていて、奈良ゆかりの花と理解されていました。因みにこれらのことが縁で、八重桜は奈良県・奈良市の花に選ばれています。「八重」には老齢の印象もあったのでしょう。老体を奈良の八重桜の古木に擬え、短いであろう余生に、憂きことのないようにと願う場面です。上句「は、春日野に若菜摘みつつ万代(よろづよ)をいはふ心は神ぞ知るらむ」(古今和歌集357)に拠っていると思われます。

〇花ゆゑゆゑに あらはれたよなう あら卯の花や 卯の花や 30
◎花にまさって 美しい あなたのせいで そのせいで 知られてしまった 恋の中 ああ困ったな 卯の花の 憂えのまさる 卯の花よ
◇花のように美しすぎるため、世間に知られてしまったというのですから、男が詠んでいると理解しました。卯の花は唱歌「夏は来ぬ」にも詠まれているように、初夏の花です。おからを卯の花と呼ぶように、真っ白な小さな花が房状に咲きますから、初夏の新緑に映えて、初々しい美しさがあります。王朝和歌以来、垣根の植栽として好まれていたのですが、同時に「う」という音により、「憂え」(憂い)を導く序詞にもなっていました。

〇新茶の若立ち 摘みつ摘まれつ 挽いつ振られつ それこそ若い時の 花かよなう  32
◎新茶の若芽の若立ちを あなたと摘んだらつねられて 臼を挽いたら袖引かれ 篩(ふるい)振ったり振られたり 若い今だけ花が咲く
◇「つ」の連続に心地よいリズムがあり、活き活きしています。完了を表す助動詞では、「ぬ」と「つ」がよく似ていますが、「ぬ」が無意志的であるのに対して、「つ」は意志的動作に用いられますから、若い男女が承知でじゃれ合っているのでしょう。「若立ち」と「若い時」には、共通する音と意味があります。「若芽を摘む」「臼で挽く」「篩でふるう」などはいずれも製茶の過程であり、室町時代には、喫茶の風習が庶民にも普及していたことがわかる歌です。

〇かれがれの 契りの末は あだ花の 契りの末は あだ花の 面影ばかり 添ひ寝して あたり寂しき 床の上 涙の波は 音もせず 袖に流るる 川水の
逢瀬はいづくなるらん 逢瀬はいづくなるらん  34
◎かれそうな 二人の仲は 仮初めの夢 二人の仲は 仮初めの夢 面影ばかりが 添い寝して 独り寂しい 床の上 音も立てずに ひたひたと 袖に波寄る
涙川 二人の逢瀬はあるのやら
◇「かれがれ」は漢字で表現すれば「離れ離れ」であり、これで「かれがれ」と読みます。つまり「かる」とは関係が疎遠になることを意味していますが、また「逢ふ瀬」がありそうでもありますから、歌の中の二人は、完全に別れてしまったのではなく、何か訳あって距離が離れているようです。まあ女性の歌と理解した方が自然だと思います。「袖に流るる川」という言葉がありますから、縁語の「逢ふ瀬」という言葉も活きてくるわけです。

〇おもかげばかり残して 東(あづま)の方(かた)へ下りし人の名は しらしらと言ふまじ 35
◎面影だけを残しおき 逢坂山の山越えて 往ってしまったあの人の 名前は意地でも言わないわ
◇東国に下っていった男を、都に留まらざるを得ない事情のあった女の、恋慕の情を歌ったものでしょう。「東国」とは、本来は山城国と近江国の境にある逢坂の関より東方のことで、「東下り」は『伊勢物語』以来、多くの文学の趣向となりました。そのような趣向の室町時代の文芸としては、奥州へ下る源義経と浄瑠璃姫の悲恋の物語である「浄瑠璃姫物語」が思い浮かびます。

〇さて何とせうぞ 一目見し面影が 身を離れぬ  36
◎さては何としたものか ちらりと見かけた面影が 私の身から離れない 
◇女を一目惚れしてしまった男の、自分でもどうしようもないもどかしい心を詠んだのでしょうが、そもそも一目惚れは危うい恋の始まりです。「忘れられない」というのではなく、「面影」が、自分の意志とは関係なく我が身から離れてくれないという突き放した表現に、滑稽さがあります。

〇柳の陰に御待ちあれ 人問はゞなう 楊枝木(ようじぎ)切るとおしあれ  42
◎柳の陰で待っててね 誰を待つのと問われたら 楊子にする枝切ってると ねえ そういうことになさってね
◇男と女がこっそりと逢う約束をして、待っているのを怪しまれた時の言い訳を、女が男に教えている場面です。楊子は文字通り楊(柳)で作るのでその名がありますから、尤もらしい理由になるわけです。柳の陰というところに、何とも言えぬ色っぽさが滲んでいます。私の考えすぎかもしれませんが、柳の枝は、中国では再会を期待する呪いに用いられていました。日本でも料亭や遊郭の入口に柳が植えられることがありましたが、その名残かもしれません。「おしあれ」(おしある)は「言う」の丁寧な表現で、現在ならば「おっしゃれ」(おっしゃる)となりますから、現代語訳でも留意しました。 

〇雲とも煙(けぶり)とも 見定めもせで 上の空なる 富士の嶺にや  43
◎雲か煙か 見定めもせぬ あなたの心は上の空 思いこがれの富士の山かも
◇恋い焦がれる余りに。女に心が奪われている男を、女が「富士山のように高くて、あなたには及びでない」とからかっている場面でしょうか。『閑吟集』が成立したのは永正十五年(1518)ですが、直近の富士山の噴火は永正八年(1511)とのことですから、爆発はともかく、噴煙くらいは実際に確認できていたのでしょう。因みに『閑吟集』の仮名序文には、編者は富士山の近くに住んでいたことが記されています。「上の空」は、男の心が舞い上がってしまっていることと、富士山が空高くそびえて見えることを掛けています。


〇な見さいそ な見さいそ 人の推(すい)する な見さいそ  45
◎見ないでね ねえ 見ないでね いろいろ噂されるから お願いだから見ないでね 
◇「な・・・・そ」は禁止を表しています。「さい」は珍しい表現で、古語辞典に拠れば、「軽い敬意をもって相手に要求する」助動詞で、「・・・・なさい」という意味であるとのこと。「推する」は「推しはかる」という意味ですから、二人の仲が世間に知られ邪推されたくない女の歌でしょうか。

〇世間(よのなか)は ちろりに過ぐる ちろりちろり  49
◎世の中は ちらりという間に ちらりと過ぎる ちらりちちらり ちらちらり
◇考えれば深刻な人の世の儚さを、わざと惚けた言葉で表すあたりが何とも面白い歌です。ただし「世の中」には「男女の仲」という意味もありますから、そのように解釈すれば、「世の中なんて、あっという間に過ぎてしまう。男女の仲もそんなものさ」と、歌に奥行きができます。「ちろり」は短い時間を意味するので、「あっという間に」「瞬く間に」とも訳せるのですが、「ちろり」の響きにこだわって訳しました。「ちろり」の連続が耳に心地よく、諦観をユーモアに転換させています。

〇何ともなやなう 何ともなやなう うき世は風波の一葉(いちよう)よ  50
◎何とも仕方のないことよ どうにも仕方がないものよ はかない浮き世の波風に 木の葉のように遊ばれて 
◇現世を諦観するこころを、波にもまれる木の葉に喩えています。「憂き世」を「浮き世」と見て、水に浮く木の葉や浮き草を連想するのは、古来の常套表現です。

〇たゞ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や 52
◎何事も 儚い夢か幻か 淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)か 笹の葉末に置く露の 儚く消えるつゆの間の せんない世ながら さりながら
◇上記の50番歌と同じこころを、水面の泡や葉末の露に喩えていて、『方丈記』の冒頭部豊臣秀吉の辞世「露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことは夢のまた夢」を思わせます。また露の儚いことから、「つゆ」には「わずかなこと」という意味が派生し、それを掛詞のように用いるのも、古来の常套表現です。

〇燻む(くすむ)人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現(うつつ)顔して  54
◎見ちゃあおれない 根暗な奴は この世は夢のまた夢なのに 真面目くさった顔してさ
◇「燻む」とは、地味で冴えないという意味です。次の55番歌にも言えることですが、謹厳実直であることをひやかし、享楽的・刹那的であることをもて囃すことは、『閑吟集』を貫く一つの歌風です。現世を儚いものとする理解は浄土侵攻以来のことで、室町時代以前からありますが、それを来世への希望につなぐことなく、開き直って力強く生きようとするのは、室町文化の庶民性を物語っています。

〇何せうぞ くすんで 一期(いちご)は夢よ たゞ狂へ 55
◎真面目くさって何になる 所詮は儚い夢なのさ 開き直って狂うだけ
◇「くすむ」という言葉は、色が冴えていないことを意味しますから、室町時代に流行した、派手で人目を驚かせることを意味する「婆娑羅」(ばさら)の対極にあります。文献上はあまり目にしない言葉なのですが、「生真面目な」という意味に理解してよいと思います。憂き世を深刻に考えず、開き直っているあたりが、現代人の共感をよぶのでしょうか。『閑吟集』では特によく知られた歌です。ただ何に「狂う」かによって、刹那的とも熱狂的とも解釈できます。蓋し、この歌の前後には人生の諦観を詠む歌が続きますから、婆娑羅に共鳴して、刹那的・享楽的・耽美的に狂うと理解するのが自然かとも思うのですが。

〇強(し)ひてや手折らまし 折らでやかざさましやな 弥生の永き春日も なほ飽かなくに暮らしつ 56 
◎花の枝 無理して折るか 折るまいか 折らずに髪に挿すもよし 春も弥生の一日を 飽きもしないで 過ごしたなあ
◇日永一日、桜の花見に興じた最後の場面でしょうか。助動詞の「まし」は助詞の「や」を伴って、ためらいの心を表していますから、折ろうか折るまいか迷っているのでしょう。『徒然草』一三七段では、「片田舎の人・・・・酒飲み連歌して、はては大きなる枝、心なく折り取りぬ」と嘆いていますが、冠や髪に挿す程度なら、マナー違反ではありません。このような行為は、古には神事に行われた呪術的風習で、後には行楽や饗宴でも行われるようになりました。「永き春日」と言いますが、昼間の時間が実際に長いのは夏至の頃です。反対に「秋の夜永」という言葉もありますが、実際に永いのは冬至の頃です。これらは実際の永さをもんだいにしているのではなく、日に日に永くなることに驚きを感じるからなのでしょう。

〇卯の花襲(うのはながさね)な な召さひそよ 月に輝き顕(あらわ)るゝ 57
◎卯の花襲を お召しになるな 月に照らされ 目立つから
◇「卯の花襲な」の「な」は、語調を調えるための間投助詞のようですから、特に意味はありません。「な・・・・そ」」は禁止を表し、「さい」は45番歌にもあるように、軽い敬意をもって相手に要求する時にもちいられますから、「な召さひそよ」は「お召しなさいますな」という意味になります。夜に逢いに来ことが露顕しないようにと、女が男に服装を注意する場面でしょう。「卯の花襲」は表が白で裏が青緑の色目で、初夏に選ばれる色の組み合わせでした。また月影に卯の花の白さが際立つことは、古来、「卯の花月夜」と呼ばれて和歌に詠まれ、枚挙に暇がありません。

〇我が恋は 水に燃えたつ蛍〳〵 物言はで笑止(しようじ)の蛍 59
◎私の恋は 水辺で焦がれる蛍のように ものも言えない 哀れな蛍 
◇忍ぶ恋を蛍に見立てるのは、王朝和歌以来の常套です。蛍が鳴かないことは、ものも言わずに忍んでいること、尻尾が光ることは、恋い焦がれていることの現れと見るわけです。「音もせで 思ひ(火)に燃ゆる 蛍こそ鳴く 虫よりもあはれなりけれ」(後拾遺和歌集 216)、「なく声も 聞こえぬものの かなしきは 忍びに燃ゆる 蛍なりけり」(詞花和歌集 73)など、たくさん詠まれていて、小歌といえども、古歌のこころを踏まえていることに感心させられます。

〇宇治の川瀬の 水車(みずぐるま) 何とうき世を めぐるらう  64
◎宇治川の 八十瀬にかかる水車 うき世に何を 思いめぐらす
◇末尾の「らう」は、現在推量の助動詞「らむ」が転じたもの。回りめぐる水車に、人の世の流転を連想する場面ですので、「めぐる」が効いています。鎌倉時代末期から室町時代には灌漑用具として水車が普及するのですが、15世紀に来日した朝鮮使節が、灌漑用の水車に驚き、製造法を調査して持ち帰ったことが、『朝鮮王朝実録』という書物に記されています。当時としては先端技術だったのでしょう。また『徒然草』の51段に、水車を作ったのに上手く回らないので、「宇治の里人」を召して作らせたところ、簡単に回ったという話が記されています。鎌倉時代末期から、宇治川にはいくつも水車が掛かり、よく知られていたようです。

〇生(な)らぬあだ花 真白に見えて 憂き中垣の夕顔や  67
◎中垣が 仲を隔てているように 真っ白に浮かぶ夕顔は 実を結ばないあだ花か 
◇「中垣」は隣家との境に設けられた垣根のことですが、この場合は男女の仲を隔てる垣根でもあります。そこに夕顔の蔓が絡んで、真っ白い浮かび上がって見えています。どこにも夜とは書かれていませんが、夕顔ですから夜の場面に違いありません。月影に浮かぶ真っ白い花は幻想的な美しさであり、『源氏物語』の夕顔の巻を連想させます。「あだ花」の「あだ」とは「頼りにならない」とか「無駄な」という意味ですから、「生らぬあだ花」は「実が成らない無益な花」という意味です。また「実が成る」ことは「男女の仲が成る」ことを掛けています。実際には夕顔は瓢箪の仲間ですから、実が成ります。果肉を薄く長く剥いて乾燥させると干瓢ができます。干瓢がいつまで遡るかは不明ですが、文献上では15世紀までは確認できるそうです。 


〇忍ぶ軒端に瓢箪(ひょうたん)は 植ゑてな置いてな 這(は)はせて生(な)らすな 心のつれて ひよひよら ひよひよめくに  68
◎忍んで通う家の軒 瓢箪なんぞを植え置いて 蔓を這わすな生らせるな 蔓(つる)に釣られてひよろひょろ 彼方(あちら)此方(こちら)靡(なび)くから 
◇「忍んで通う女の家の瓢箪」とくれば、夕顔は瓢箪の一種ですから、当時は誰もが『源氏物語』の夕顔の巻を想起したことでしょう。また蔓を這わせることは「夜這い」を連想させ、蔓が心の向くまま気の向くままに揺れるのを、男の浮気心と理解することもできそうです。「ひよひよら ひよひよめく」という表現が何とも滑稽で、和歌では到底表現しきれない境地です。「ひよひよら」という擬音語は「ひょうたん」の音に誘われたのかもしれません。

〇待つ宵は更けゆく鐘を悲しび 逢ふ夜は別れの鳥を怨む 恋ほどの重荷あらじ あら苦しや  69
◎待てば待ったで甲斐もなく 夜明けを告げる悲しみの 鐘の音ばかり響きくる
 逢えば逢ったできぬぎぬの 別れを迫る怨めしい 鶏の声聞こえくる
 思えば逢おうと逢うまいと 恋ほど切ないものはなく 恋ほど苦しいものはない 
◇この歌は、「待つ宵に更けゆく鐘の声聞けば飽(あ)かぬ別れの鳥は物かは」(新古今和歌集 1191)を本歌としています。本歌では、待つ悲しみと惜しむ怨みとでは、惜しむことの方が大したことではないと詠んでいますが、この歌ではどちらにせよ恋の苦しみと詠んでいます。鶏が鳴くと一夜の逢瀬も後朝の別れとなるという理解は、古く「常陸国風土記」香島郡の「童子(うない)の松原」の伝承に記されているように、早くからありました。


〇和御料(わごりょう)思へば 安濃津(あののつ)より来たものを 俺(おれ)振りごとは こりや何事  77
◎お前のことを 思うからこそ 安濃津からでも 来たものを ああそれなのに どういうつもり この俺様を 振るなんて
◇「和御料」とは親しみを込めた二人称の呼称で、男女共に用いられました。「安濃津」は伊勢国の港町で、現在の津市のあたりです。京都の外港として繁栄しましたから、港の粋な男達がたくさんいたはずです。それでも、プライドの高い都の女には振られたのでしょうか。

〇思ひ切り兼ねて 欲しや欲しやと、月見て廊下に 立たれた また成られた  83
◎どうにもこうにも諦め切れず 欲しいほしいと 星月夜 月を見上げて廊下に立てば またもお越しになられたわ
◇月夜にまたお越しになった(成られた)というのですから、男を諦めきれずに、女が廊下で月を見ていたら、男がまた尋ねてきた場面と理解しました。ただしなかなか難しい歌で、解釈には諸説があるようです。「月」に引かれて、「欲しや」には「星」が掛けられている可能性があり、意図してその様に訳してみました。「立たれた」「流れた」に「れた」が共通していますが、何かぶっきらぼうな印象があり、何か意図したものがあったのかも知れません。

〇思ひやる心は君に添ひながら 何の残りて恋しかるらん 84
◎あなたを思ふ私の心は すべて添わせて遣ったのに 何が残っているからなのか どうしてこれほど恋しいの
◇「思ひやる」と言うのですから、二人は今は遠く離れているのでしょう。「心を添える」とは、現代では「親身になって注意する」という意味ですが、古には本当に心が身体から抜け出して、相手に添わせてと共に往かせることを意味していました。ですから離別の歌にはしばしば詠まれています。『閑吟集』の291番歌には、「羨ましやわが心 夜昼君に離れぬ」という歌があるのですが、心と身体が分離するものという理解が前提となっています。自分の心が既に抜け出して恋する人のもとに往ってしまったのに、まだ恋しいというのは、何か残っているからなのだろうか、という意味です。

〇思ひ出すとは忘るるか 思ひ出さずや 忘れねば 85
◎思い出すというのはね 本当は忘れた言い訳よ 思い出すはずないじゃない だって忘れはしないから  
◇理屈っぽい歌ですが、ここまで美事に決まると、言葉の対応の面白さに感嘆するばかりです。そう言えば浜崎あゆみのHANABIという歌に、「君のこと思い出す日なんてないのは 君のこと忘れた時がないから」という一節がありました。ひょっとして作詞者は『閑吟集』を読んだのかもしれませんね。

〇思ひ出さぬ間なし 忘れてまどろむ夜もなし  86
◎君のこと 思い出さない 暇はない 君のこと 忘れて眠る夜もない
◇この歌の一つ前の85番歌に続き、「思い出す」と「わすれる」が対になっていますから、もともとは唱和する形で歌われていたのでしょう。どちらの歌も、恋しくて決して忘れないことを言いたいのですが、85番歌ではわざと理屈で表しているのに対し、86番歌は素直に表していて、その対比に面白さがあります。

〇思へど思はぬ振りをして しゃっとしておりゃるこそ 底は深けれ 87
◎恋していても知らんぷり しゃきっとすればする程に あなたの心は深いのよ
◇「おりゃる」は「お入りある」が転じたもので、「いらっしゃる」「おいでになる」という意味です。本心では恋しいくせに、わざと素っ気ない態度で接し、相手の反応をうかがおうとしているのか、恋心を表には微塵も見せない男の爽やかな姿に、かえって惹き付けられているのでしょうか。しかし余りに度が過ぎると、次の88番歌「思へど思はぬ振りをして なう 思ひ痩せに痩せ候」のように、実際に身が細ってしまいます。痩せ我慢も程々に。

〇扇の陰で目をとろめかす 主(ぬし)ある俺(おれ)を何とかしょうか しょうかしょうかしょう 90
◎扇に隠れてうっとり見つめ 夫(つま)ある私に一目惚れ いったい私をどうするつもり どうするどうするどうする気?
◇「とろめかす」とは何とも色っぽい言葉です。「俺」は鎌倉時代までは少年の自称でしたが、室町時代には性別にかかわらず広く使われました。それでも女性が使うと、どすが効いているとでも言いましょうか。迫力があります。江戸時代以後は女性はあまり使わなくなりましたが、地域によっては女性の自称として残っているそうです。既婚の女性が横恋慕する男のことを詠んでいる場面なのでしょうが、「何とかしょうか」と畳みかけていますから、まんざらでもなさそうです。危うい恋の始まりは、いつもこんなものなのでしょう。

〇人の心の秋の初風 告げ顔の 軒端の荻も恨めし  93
◎あの人の 心の飽(あき)を告げ顔に 秋の初風そよ吹けば 軒端の荻まで恨めしい
◇古来、古歌の世界では、秋の初風は音もなく荻の上葉(うわば)に吹くものとされ、秋風が男を、荻が男の来訪を待つ女を表すことがありました。「さりともと思ひし人は音もせで荻の上葉に風ぞ吹くなる」(後拾遺和歌集321)、「いつしかと待ちし甲斐なく秋風にそよとばかりも荻の音せぬ」(後拾遺和歌集949)という歌は、それをよく表していて、同類の歌は大層多く伝えられています。また「秋」は「飽き」に通じるため、「心の秋」「人の秋」と称して、秋は恋の終わりを予感させるという理解も共有されていました。この歌では、そのような王朝和歌以来の情趣がそのまま継承されています。

〇雨にさへ訪はれし仲の 月にさへなう 月によなう 106
◎雨の夜も 尋ねてくれた 仲なのに まして月夜に なぜ来ない ねえなぜ来ない
◇かつては雨の夜も尋ねて来てくれたのに、月夜には来てくれないと、女が疎遠になった男を恨み辛みを言う場面で、大層わかりやすい歌です。二人で共に見る月は、秋の逢瀬に欠かせないものですから、女がそのように嘆くのはもっともなのですが、男にしてみれば、煌々と月が照る夜は、夜とはいえ仲が知られてしまう心配があるのかも知れません。 

〇ただ人は情あれ 夢の夢の夢の 昨日は今日の古 今日は明日の昔  114
◎何はなくても 思いやり 所詮この世は 夢の夢 きのう、昨日は今日だった 今日も、明日にはもう昨日
◇「情」という言葉の意味は幅が広く、その意味は前後の文脈の中で理解されなければなりません。この歌の前後には「情」を主題とする歌が5つ並んでいて、それらを読み比べてみると、「情けをかける」の「情」ではなく、男女の「情愛」という意味に理解した方がよさそうです。過去・現世・来世の三世の中でも、思い返せば、辛かった過去は悔やまれることばかり。待ち焦がれる明るい未来は、いつになったら来るのやら、どうなるかわからぬ不安ばかり。一瞬にして過去になる現在は儚い夢のようなものだから、何はなくても情愛(愛情)だけは失わずにいたいものだ、といったところでしょうか。

〇情けは人のためならず よしなき人に 馴れそめて 出でし都も偲ばれぬほどになりにける 出でし都も偲ばれぬほどになりにける  118
◎情は人のためでく 自分のためにもなるものね 縁もゆかりもない人に ついほだされて馴れそめて 遠く都を離れたが 偲ぶことさえなくなって 懐かしいとも思わない
◇「情けは人のためならず」という諺は、「誰かに情けを掛けると、巡りめぐって自分によい報いがある」という意味ですが、この場合の「情け」も、114番歌と同様に、男女の「情愛」のニュアンスがあると理解した方がよさそうです。現代語訳に「情に引かれて」という意味の「ほだされる」という言葉を選んだのも、「情愛」の印象があったからです。何か事情があって、「よしなき人」に「情」をかけ、それが縁となって都から遠く離れた地方に移り住んだのでしょう。しかしその「情」は結局は自分にとってもよい結果となり、今さら都が懐かしいとも思わなくなった、と理解してみました。「離れた都を懐かしむほどになった」という意味に理解する説もありますが、それなら原文が「偲ばるるほどに」「偲ばれぬるほどに」となっていなければなりませんから、その説は採りません。なお「情けは人のためならず」という諺は、私自身は原典では未確認ですが、鎌倉時代の仏教的説話集である『沙石集』にも見られるそうです。

〇ただ人には馴れまじものぢゃ 馴れての後に 離るるるるるるるるが 大事ぢゃるもの 119
◎やたら馴染むは考えものよ 一度馴染んでしまったらならば 離れられないらりるるるれろ いやじゃいやじゃと大騒ぎ
◇「離るる」を強調したいのでしょう。「るるるるるるるる」が何とも愉快なのですが、歌の歌詞だからこそこんなことができます。そう言えば「・・・・のスキャット」とかいう懐かしい歌謡曲に、「るるるるるるるる」を延々と歌う曲がありました。経験豊富な女が、まだ若い女に恋の指南をしている場面なら、こんな会話もあったことでしょう。

〇何となる 身の果てやらん 塩(潮)に寄り候 片し貝 123
◎何とまあ ついには果てる我が身かも 鳴海の潮に寄せられて 片割れかなしき片し貝
◇渚に打ち寄せられた片方だけの貝殻を見て、成ることのない片思いの行く末を予感し、自虐的に詠んだ場面でしょう。「なる身」は「鳴海」を掛けているのですが、鳴海は濃尾平野の東端にあった干潟のことで、干潟の千鳥で知られた歌枕です。鳴海は干満の潮の流れが速いことでも知られていましたから、渚には貝殻が沢山打ち寄せられていたのでしょう。片割れの貝殻が片思いを表すことは、平安時代末期に始まった貝合の遊びと関係あると思われますが、「鮑の片思い」は『万葉集』にも見られます。ただしアワビは一見して片貝に見えますが、分類上は巻き貝です。現代語訳の下句は、「か」の音で揃えてみました。

〇舟行けば岸移る 涙川の瀬枕 雲はやければ 月運ぶ 上の空の心や 上の空かやなにともな  127
◎舟が進めば岸移り 涙の川の瀬も速い 空を仰げば雲の川 流れも速く月運ぶ 私の心は上の空 空なる心を何としょう 何ともしようもないかもね
◇恋故に心が地に着かず、上の空になっていることを詠んでいますが、実際に月夜に雲が流れる空を仰いで、溜息をついた場面なのでしょう。「舟」は「涙川」の序詞となっており、「舟行けば岸移る 涙川の瀬枕 雲はやければ 月運ぶ」の部分は、「上の空」を導くための序となっています。また「涙川」や「枕」が恋を暗示しているなど、なかな手の込んだ歌となっています。月を舟に、流れる雲を川になぞらえることは、古歌にしばしば見られます。「瀬枕」とは、早瀬の水が水中の石などに当たって盛り上がり、枕のように見える所のことですが、「瀬に枕する」と言えば舟中に寝ることを意味しますから、夜舟での感慨かもしれません。

〇歌へやうたへ 泡沫(うたかた)の あはれ昔の恋しさを 今も遊女の舟遊び 世を渡る一節(ひとふし)を うたひていざや遊ばん 128
◎歌えようたえ うたかたの はかない昔を偲びつつ 今も遊女は舟遊び 川を渡って世を渡る 歌を一節歌いつつ 遊び倒してさあ囃せ
◇この歌には長い長い背景があります。西行が摂津の天王寺に詣でる途中、俄に雨となり、淀川河口の港町として栄えていた江口で宿を借りようとしたことがありました。ところが対応した遊女「玅」(たえ)は、これをことわってしまいます。その時の歌の応答が『新古今和歌集』に収められていて、古くからよく知られていました。それは次の様な歌です。「世中を厭ふまでこそ難(かた)からめ かり(仮・借り)の宿りを惜しむ君かな」、「世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に 心留(と)むなと思ふばかりぞ」。西行の歌は、「世を厭い出家することまでは難しいかもしれませんが、宿を貸すことくらいはできそうでいのに、あなたはそれさえ惜しむのですか」という意味です。それに応えた遊女の歌は、「世を厭い出家されたとうかがったものですから、世俗の我が家(遊女の家)などかえって申し訳なく、お気に留められませぬようにと思うばかりでございます」という意味です。そして室町時代の観阿弥が、この逸話を素材にして謡曲を創作し、それを息子の世阿弥が「江口」という謡曲に改作しました。ある旅の僧が、西行と同じく天王寺に参詣途中、江口で西行の故事を思ってその歌を口ずさむと、それを聞いたある女が、遊女(江口の君)が断った真意を説きます。それで僧がその女の素性を問うと、当の遊女の幽霊であると言って見えなくなってしまいました。それで僧が夜に遊女を弔っていると、遊女と二人の侍女の霊が船に乗って現れ、かつての華やかな舟遊びの様子を見せます。『閑吟集』に載せられたこの歌は、この場面の歌なのです。そして遊女は罪業の深い実でありながらも、執着を離れれば悟りを得ると説いて、普賢菩薩の姿に変身し、舟は普賢菩薩の乗り物とされている白い象に変化して、白雲にうち乗って西の空に消えていってしまったという粗筋です。現在、大阪市東淀川区南江口には、「江口の君堂」とも呼ばれる寂光寺があり、この逸話の故地とされています。
 謡曲「江口」の中では悟りに至ることの前提となっていますが、そこから切り取られてしまえば、宴会の席では享楽的な歌として遊女達が歌い、客の男達が囃し立てたことでしょう。それは自然なことですが、当時の庶民の中に、謡曲の内容まで知っていた者がいることに驚きます。演歌歌手八代亜紀に「泡沫」(うたかた)という歌があります。「歌えや歌え うたかたの 夢幻や この世はざれごと 歌えば この世は中々よ・・・・」という歌詞なのですが、作詞者の野村 万之丞(まんのじょう)は和泉流の能楽師ですから、「江口」のこの歌を本歌として作詞したことは明白です。『閑吟集』は言わば現代のカラオケ歌詞集のような側面があったと言ってもよいと思っています。
 冒頭部は「う」の頭韻が効いていますから、それを活かさざるを得ませんでした。

〇人買舟は沖を漕ぐ とても売らるる身を ただ静かに漕げよ船頭殿 131
◎私を買った人買舟は 波にもまれて沖を漕ぐ どうせ売られてしまう身なのよ せめて静かに漕いどくれ
◇貧民が借金を返せず、子女を手放すことによる人身売買は、古から現代に到るまで、世界中で行われてきています。『吾妻鏡』の延応元年(1239年)五月一日の条には、妻子や所従(下人)、果ては自分自身を売ることを禁止することが記されています。禁令が出されたということは、裏を返せば中世には普通に行われていたということなのでしょう。

〇沖の鴎は 梶とる舟よ 足を櫓にして  134
◎沖の鴎は 梶とる小舟 足を櫓にして 波越えて
◇あまりにも短くて、現代語訳に直しきれず、原文とほとんど変わらなくなってしまいました。それでも都々逸と同じ七七七五の音数律にして、軽快さを際立たせてみました。「梶」も「櫓」も舟を漕ぐのに欠かせない道具で、水に浮かぶ鴎を小舟に見立てているわけです。

〇また湊へ舟が入(い)るやらう 唐櫓(からろ)の音が ころりからりと 137
◎またも港へ舟が来る 唐艪の音をころがして からりころりと舟が来る 
◇入港する舟の艪を漕ぐ音を、舟の男達を相手にする女達が聞きつけた場面でしょうか。「からろ」の訓に合わせて「ころりからり」の句が選ばれていますが、もともと声に出して歌うものであったからでしょう。決して文字を読む文芸ではありませんでした。

〇今憂きに 思ひくらべて古の せめては秋の暮もがな 恋しの昔や たちも返らぬ老いの波 いただく 雪の真白髪(ましらが)の 長き命ぞ恨みなる 長き命ぞ恨みなる   140
◎今の辛さを古と 思い比べてみるならば せめては秋の暮れ頃の 恋しい昔にもどりたい 寄せるばかりの老いの波 再び返すこともなく 頭に雪を積む程の 長い齢(よわい)が恨めしい 長い齢が恨めしい 
◇人生を四季の移ろいに擬え、春や夏とまでは望まないが、せめて秋の暮れ頃に返す術はないものかと嘆いている場面です。 秋が暮れれば冬しかありませんから、歌の作者は現在を辛く寂しい人生の冬と感じているわけです。

〇葛の葉葛の葉 憂き人は葛の葉の 恨みながら恋しや  143
◎葛の葉よ 風に裏見の葛の葉よ つれない人を葛の葉の 恨みはしてもうら恋し 
◇葛は「真葛原」と呼ばれるほどに原野を一面に覆い尽くします。そくに秋風が渡ると、葉の裏が表よりやや白っぽいため、葉が裏に返って、風紋のように風の渡るのがわかります。王朝和歌ではこの様子を、秋風ならぬ飽きの風が吹くと恋心が裏返り、恨んでもなお恨めしく思うという情趣に理解していました。「秋風の吹き裏返す葛の葉のうらみてもなほ恨めしきかな」(古今和歌集823)という歌は、それをよく表しています。要するに「葛の葉」は裏を見せることから、「恨み」を連想させたのです。辛く当たる人を恨めしく思いながらも、恨みきれない女心を詠んだものでしょう。現代語訳の「うら恋し」という言葉は、もちろん「裏・恨」に引かれたものですが、もともと「心の中で恋しく思う」という意味です。

〇ふてて一度言うてみう 嫌(いや)ならば 我もただそれを限りに  157
◎なるように なるから一度 言ってやろう それで嫌なら それまでのこと 
◇中途半端な付き合いが続いたのか、煮え切らない相手に対して、これが最後になるかも知れないと腹を括って、本心を問うてみようと決意した場面でしょうか。

〇一夜馴れたが、名残惜しさに 出でて見たれば 奧中に 舟の速さよ 霧の深さよ  165
◎一夜の逢瀬の名残惜しさに 後ろ姿を見にでれば 沖を漕ぎゆく舟の速さよ あれ 怨めしい朝霧よ
◇港の女が、早朝、一晩馴れ親しんだ男と別れた後、それでも名残惜しさに後ろ影だけでもと思って、舟に乗って帰る姿を遠くから見送る場面でしょう。舟の別れは、普通ならばいつまでも互いに視認できますが、秋の海霧が立ちこめているのでしょう。すぐに見えなくなってしまいました。こんな時の舟は、舟足が早く感じられるものです。167番歌には「後ろ影を見んとすれば 霧がなう朝霧が」という、同じ様な場面があります。また現代の歌謡曲にも霧中の別れの歌はいくつもありますから、古今を問わず、霧は別れを演出するのにうってつけのアイテムのようです。

〇めぐる外山に鳴く鹿は 逢うた別れか 逢はぬ怨みか 170
◎めぐる里山 小夜鳴く鹿は 逢って別れを惜しむのか 逢えずにひとり怨むのか
◇鹿の鳴き声はまるで悲鳴のようで、遠くまでよく聞こえます。特に独り寝の床に聞こえる声は、その哀愁を帯びた声の印象も相俟って、妻問いの声と理解されていました。動物の鳴き声を人の言葉に置き換えて理解することを聞きなしというのですが、古歌では鹿の鳴き声は「甲斐よ」(かいよ)と詠まれます。「秋の野に妻なき鹿の年を経てなぞわが恋のかひよとぞ鳴く」(古今集 1034)という歌は、妻のない鹿が、長い間恋い慕ってもその甲斐がないと嘆いて鳴いていると理解しているのです。私も何度も聞いたことがありますが、「カイヨー」と聞こうと思えば聞けないことはありませんでした。もともと聞きなしとは、聞きたいように聞こえるものなのでしょう。この歌は待っている女の歌で、別れを惜しむ鳴き声には羨み、逢えない悲しみの声には共感している場面と理解するのが自然です。

〇逢夜(おうよ)は人の手枕 来ぬ夜は己(おの)が袖枕 枕あまりに床(とこ)広し 寄れ枕 此方(こち)寄れ枕よ 枕さへ疎(うと)むか 171
◎逢う夜はあなたの腕枕 来ぬ夜は己(おのれ)の袖枕 一人寝の床(とこ) 広過ぎて 枕に此方(こちら)と誘っても 枕も私を袖にする
◇独り寝の寂しさを、枕に当たって紛らわしている場面でしょう。「手枕」と「袖枕」の対比が効果的です。

〇人を松虫 枕にすだけど 寂しさのまさる 秋の夜すがら 176
◎夜もすがら 来ぬ人を待つ枕辺に 人待つ虫の 声の寂しさ 
◇通ってこない男を待つ女が、松虫の声に寂しさを募らせている場面です。古の松虫は現在のスズムシ、鈴虫は現在のマツムシであるという有力な説があります。その当否についてはここでは深入りせず、説の紹介に止めておきましょう。それはともかくとして、王朝和歌では「松」と「待つ」を掛けて、「人待つ虫」と詠まれるのが常套で、秋の夜長にね来るべき人の来ない寂しさや、人恋しい情趣を詠む歌に仕立てられましたが、ここでもそのまま継承されています。現在ではスズムシやマツムシの声はすっかり珍しいものになってしまいましたが、外来種のアオマツムシが、草むらではなく、樹上でうるさい程に鳴いています。

〇咎(とが)もない尺八を 枕にかたりと投げ当てても 寂しやひとり寝  177
◎罪科(つみとが)のない尺八を 枕に打ち付け八つ当たり それでも気分は晴れなくて やっぱり寂しい独り峰
◇独り寝の寂しさを尺八に八つ当たりしている場面です。「咎もない」とわざわざ言うのですから、八つ当たりであることは十分わかっています。それでもそうせざるを得ない程に寂しいということなのでしょう。次の178番歌にも枕に八つ当たりする歌がありますが、枕を訪ねて来ない男になぞらえていますから、男専用の枕があったようです。また「かたりと投げ当て」というのですから、枕は硬い木枕だったかもしれません。尺八を置いてあるというのですから、男はしばしば通ってきていたと思われます。

〇一夜来ねばとて 咎(とが)もなき枕を 縦投な投げに 横な投げに なよな枕よ なよ枕  178
◎たった一晩来ないといって  罪ない枕に 八つ当たり あっちこっちに放り投げては ちょいと枕よ おい枕
◇場面の情景については説明は不要であり、何とも言えないユーモアが魅力です。ただし当時の枕は木製の箱枕であった可能性が高く、179番歌にも「木枕」が詠まれていますから、そんなに乱暴に放り投げたら壊れてしまいかねず、当たれば怪我もしそうです。ただなぜ枕に八つ当たりするのか、理由がありそうです。それは枕は恋の行方を知っているものという理解があったからだと思うのですが。ただ手許に枕があったからではないでしょう。

〇恋の行方を知るといへば 枕に問ふもつれなかりけり 181
◎恋の行方を知るという 枕に尋ねてみたけれど 枕は素知らぬふりをする
◇この歌を含めて、枕と恋を詠んだ歌が約十首も並んでいます。ここでは枕が恋の行方を知っているというのですが、そのような理解は早くも『古今和歌集』に詠まれています。「わが恋を人知るらめや敷玅の枕のみこそ知らば知るらめ」(504)という歌で、人は私の恋を知らなくても、枕こそは知っているという意味です。『閑吟集』の180番歌にも「来る来る来るとは 枕こそ知れ」という歌がありますから、枕と恋の関わりが古来受け継がれていることがわかります。「つれない」という言葉は現代では「冷淡な」という意味に理解されていますが、古語の「つれなし」は「何か尋ねても反応がない」という意味で、微妙にニュアンスが異なりますので、現代語訳でもそれを意識して訳してみました。

〇衣々(きぬぎぬ)の砧(きぬた)の音が 枕にほろほろ ほろほろと 別れを慕ふは 涙よなう 涙よなう  182
◎一夜限りの 衣々の 別れも迫る しののめの 砧の音が 枕辺に ほろほろほろろと 聞こえれば 堰きもあえない 我が涙 こぼれて濡らす 袖枕
◇砧とは、洗濯して干した布や衣がまだ生乾きのうちに、それを叩いて皺を伸ばしたり艶を出すための道具のことです。衣を砧で打つことは、特定の季節に限られる家事ではないのですが、古歌では、秋の長夜に女が男の来訪を待ちながら打つという設定がかなりありますから、砧の音は恋に関わる歌ことばになるわけです。後朝(衣々)の別れが近い時間にその音が聞こえると、次の逢瀬が不安になるというのでしょう。砧を打つ音を「ほろほろ」と聞いていますが、もちろんこれは涙を導くためです。「きぬ」の音の頭韻を、現代語には訳せないのが残念です。歌の末尾が「・・・・なう」という余情のある表現は、『閑吟集』にしばしば見られます。

〇君いかなれば旅枕 夜寒の衣うつつとも 夢ともせめてなど 思ひ知らずや怨めし  183
◎あなたは旅の草枕 私はひとり砧打ち あなたの衣を調える 現(うつつ)までとは思わぬが、せめても夢の中くらい 思いを馳せてくれないの 秋の夜寒が怨めしい 
◇この歌は世阿弥作の謡曲「きぬた」の一節です。筑前にある夫婦が住んでいたのですが、夫は訴訟のために都に上り、そのまま3年間も妻の元に帰りません。夫は侍女に年末には帰郷すると言い含めて帰らせると、妻は一人暮らしの悲しさや生活の苦しさを訴えます。そこへどこからともなく砧を打つ音が聞こえてきました。異国にいる夫を思いつつ妻が砧を打ったという中国の故事を聞き、妻も砧を打っては舞うのですが、そこへ年末にも帰れないとの知らせが届き、妻は夫の心変わりを嘆いて病となり、遂には死んでしまいます。その後帰郷した夫が妻を弔うと、妻の亡霊が現れ、『閑吟集』のこの歌を以て夫に詰め寄ってさめざめと泣きます。しかし夫が合掌すると、法華経の功徳により妻は成仏した、という粗筋です。 「衣うつつとも」の部分では、「うつ」が「打つ」と「現(うつつ)」をかけているのは、すぐにわかるでしょう。法華経が誦経されるのは、法華経巻五は女人成仏を説いていると理解されていたからでしょう。

〇千里の道も 遠からず 逢はねば咫尺(しせき)も千里よなう  185
◎逢えるなら 千里の道も なんのその 逢えぬなら 千里以上の 一二尺
◇これはもう下手な解説は不要でしょう。若い時には、誰もが似たような経験があったはず。年を重ねて振り返ってみると、少々気恥ずかしいものです。『枕草子』に「遠くて近きもの、極楽、舟の道、男女の仲」と記されていますが、これとは少々意味が異なるように思います。

〇君を千里に置いて 今日も酒を飲み ひとり心をなぐさめん  186
◎いとしい君は 千里のかなた 寂しい僕は 今夜も独り グラス傾け 慰める
◇飲めば心が慰められるかと飲んではみるものの、かえって寂しさは募るもの。まるで歌謡曲のようなと思い、そう言えば石川さゆりの「独り酒」という歌があったと思い出しました。しかし歌詞を読んでみると、置かれた状況は異なっていました。それでもこの歌に題を付けよと言われたら、同じく「独り酒」としたくなります。

〇南陽県の菊の酒 飲めば命も 生く薬 七百歳を保ちても 齢はもとの如くなり  187
◎南陽県の菊酒を 飲めば命を 長らえる 七百歳になったとて 齢は昔とかわらない
◇この歌は、田楽能「菊水」の一節そのままだそうです。平安時代に唐文化に憧れた官僚達が、百科事典のように座右において重宝した『芸文類聚』(げいもんるいじゅう)という唐の書物の薬香草部の菊の条には、『風俗通』という書物を引用して、「南陽の酈県(なんようのりけん)に甘谷(かんこく)あり。谷水甘美なり。云ふ、其の山上大いに菊あり。水は山上より流れ、下は其の滋液(じえき)を得。谷中、三十余家あり。また井を穿(うが)たず。悉く此の水を飲む。上寿は百二三十、中寿は百余、下は七八十なり。之を大夭と名づく。菊華は身を軽くし気を益すが故なり」と記されています。菊水を飲めば長生きできるが、七八十歳は若く、百二三十歳で漸く長生きであるというのです。重陽の節句に、盃に菊の花を浮かべて菊酒を飲む風習がありましたが、それはこのような菊の理解に拠っています。また縁起のよい菊酒にあやかって、現在では「菊」の字を含む清酒の名前が、全国には数え切れない程あります。現在では菊の花は葬儀用の花という理解がありますが、かつては長寿を寿ぐ花だったのです。

〇このほどは、人目を包む我が宿の 人目を包む我が宿の 垣穂(かきほ)の薄(すすき) 吹く風の 声をも立てず忍び音に 泣くのみなりし 身なれども
 今は誰をか憚りの 有明の月の 夜ただとも 何か忍ばん時鳥(ほととぎす) 名をも隠さで 鳴く音かな 名をも隠さで鳴く音かな  194
◎これまでは 人目忍んで侘び住まい 人目忍んで侘び住まい 垣根のすすきにそよとさえ 音も立てない風のごと 忍んで泣いていたけれど 今は心の向くままに 有明月のほととぎす 誰に憚ることもなく 忍び音に鳴くこともなく 名前隠さず名乗り鳴く     
◇歌の主人公がなぜこれ迄は忍び泣いていたのか、そして今後はそうではないのか、そのわけはわかりませんが、蓋し、夫の喪に服す期間があけたのかも知れません。それは、王朝和歌には、家の側の荻(外見はすすきと酷似)の葉にそよ風が吹くということは、男が女を訪ねてくることを表すという設定の歌が数多くあること。時鳥は死出の山から越えて来るという理解が共有されていて、死を連想させること。また卯月にはひっそりと忍び音に鳴き、五月になると公然と鳴くものとされていましたから、喪があけたので忍ぶ必要がなくなったと理解できるからです。時鳥が「名をも隠さで鳴く」というのは、平安時代に、時鳥は自分の名前を名乗って鳴くと理解されていたこと、つまりその鳴き声が「ホトトギス」と聞きなされていたことの名残かもしれません。

〇せめて時雨よかし ひとり板屋のさびしきに  196
◎来ぬならば せめて時雨よ 降ってくれ 独りの寂しさ紛らわす 板屋打つ音 たたく音
◇「せめて時雨くらいは」というのですから、人を待っても訪ねて来ない状況であることがわかります。時雨は晩秋から初冬にかけて降る冷たい通り雨のことで、「過ぐる」という言葉から派生しました。ですから本来の時雨は、何日も降り続くような雨ではなく、急にパラパラと断続的に降ってくるものでした。「時雨」という表記は、「時鳥」と書いて「ほととぎす」と読み、夏の訪れを感じさせるように、「時雨」と表記されたのは、時雨が冬の到来を示すものと理解されていたからです。当時の家屋の屋根は、武士階級でも板葺きでしたから、決して粗末な家とは限りません。天井がなければ、夜に時雨が板屋根を打つ音はよく聞こえたようで、古歌にもそのような趣向の歌がたくさん詠まれています。静寂の支配する夜は聴覚が過敏になりますから、微かな時雨の音が、寂しさを増幅させるのでしょう。

〇霜の白菊 移ろひやすやなう しや頼むまじの 一花心や 204
◎露霜の置く白菊は 移ろいやすいものなのよ あてにならないあの人の 浮気の心花心 
◇王朝和歌では、霜の置く頃には赤紫に色変わりした白菊は、一年に二度咲くと賞翫されることもありましたが、色変わりすることが心変わりを意味するという理解もありました。この歌は、好きな男の心変わりを白菊の色変わりに擬えて嘆きつつ、開き直っていている場面です。『蜻蛉日記』では、夫藤原兼家の浮気を知った妻が、「嘆きつつひとり寝(ぬ)る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る」という歌に、色移りをした菊を添えて遣ったと記されています。

〇えくぼの中へ身を投げばやと 思へど底の邪が怖い  217
◎君の笑顔に 身投げして あずけてしまえと 思うたが えくぼの淵の 底深く 邪鬼が潜むか 蛇が出るか 君の笑顔は 本当なの?
◇外面は菩薩様のように微笑んでいても、内面では夜叉のように邪悪なことを、諺では「外面似菩薩、内心如夜叉」(げめんじぼさつ、ないしんにょやしゃ)と言います。女性を蔑視するつもりは毛頭ありませんが、古くから女性のこととされていました。えくぼが窪んでいることから、「底」という言葉が選ばれているのでしょうが、「邪」は淵の底に潜む「蛇」(じゃ)を連想させます。それにしても「えくぼに身投げ」という言葉は秀逸で、そのまま演歌の歌詞になりそうです。

〇春過ぎ夏闌(た)けてまた 秋暮れ冬の来たるをも 草木のみただ知らするや あら恋しの昔や 思ひ出は何につけても  220
◎春過ぎて 夏が深まり 秋暮れて 冬となりゆく移ろいを 知らせてくれるは 草木のみか 過ぎた昔の思い出は 何につけても懐かしく
◇この歌は、作者不明の謡曲『俊寬』の一節です。安元三年(1177)、僧俊寬の山荘において、いわゆる「鹿ヶ谷の陰謀」と呼ばれる平氏打倒の密談が行われたのですが、露顕するところとなり、俊寬と平康頼と藤原成経の3人が、鬼界ヶ島に流罪となりました。ところが翌年、赦免の使者が来るのですが、俊寬の名前はなく、そのまま置き去りにされ、泣く泣く生き別れとなってしまいまうという粗筋です。この歌は、俊寬が配所で都を懐かしむ場面です。自然の移ろいに懐旧の情を催すのは、古今を問わず日本人なら誰もが自然に共感できることでしょう。鬼界ヶ島が現在のどの島に当たるかについては諸説がありますが、鹿児島県の離島と考えられていますから、季節の移ろいは、冬には雪深い京の都とは大いに異なっていたはずです。  

〇逢はで帰れば 朱雀の河原の 千鳥鳴き立つ 有明の月影 つれなや つれなやなう つれなと逢はで帰すや  222
◎君に逢えずに 空しく帰る 朱雀河原に 千鳥鳴く 怨みつらみの 有り明けの月 なぜに逢えずに 帰すのか
◇訪ねて行ったのに、なぜか会うことが出来なかった悲しみを、男が月に訴えている場面でしょう。月に恨み言を言いたくなるのには、わけがあります。一夜の契りの後に別れるのは明け方が普通なのですが、その時に見える月は有り明けの月しかないからです。朱雀大路は本来は平安京の中央を南北に通る大路でしたが、朱雀大路より西側の右京は早くから荒廃していました。それで千鳥が鳴くような自然環境だったようです。千鳥の中には渡りをしない留鳥の種類もありますが、一般には冬の鳥と理解されていました。ですから千鳥の声の寂しげな印象も相俟って、寂しさが増幅されるのでしょう。恋人を訪ねて行くと、河原で寂しげに鳴く千鳥の声が聞こえるというと、すぐに連想されるのは、紀貫之の歌です。「思ひかね妹がり行けば冬の夜の河風寒み千鳥鳴くなり」(拾遺和歌集)という歌なのですが、紀貫之を「下手な歌詠み」と散々に貶した正岡子規は、この歌だけは珍しく褒めています。

〇世間は霰よなう 笹の葉の上の さらさらさつと 降るよなう (231)
◎世の中は 霰のようね 笹の葉に ささらささらと ふり過ぎる 
◇笹の葉や枯れ葉に降る霰の音は、よくよく耳を澄ませると確かに聞こえます。先入観かも知れませんがサ行の音に聞こええ、笹の葉に霰降る音は笹の音に導かれて、「さらさら」と表されています。また「降る」は同音の「経る」を掛けてかけているのですが、「さらさら」に導かれて「さっと」時の経過の早いことを表しています。要するに世の移り行くことの早さを詠んでいるのですが、短い中に、いろいろ仕掛けがあるものです。なお『閑吟集』の49番歌では、同じことを「ちろりちろり」と詠んでいます。

〇申したやなう 申したやなう 身が身であらうには 申したやなう  233
◎お話したい 話したい ねえ ほんとはお話したいのに 身の程知れば 話せない
◇胸の内に秘めている焦がれる思いを、本当は話したくて仕方がないのに、我が身の素性を自覚すればする程に、話ができる相手ではないのでしょう。高貴な人に憧れた、哀しい遊女の恋かも知れません。


〇あまりの言葉のかけたさに あれ見なさいなう 空行く雲の速さよ  235
◎やっとのことで声かけたのに 思い余っていらぬこと 見上げてごらんよ 空行く雲の 流れの何と速いこと
◇いつかチャンスがあったら、告白しようと思い詰めていて、勇気を出して声かけたまではよいけれど その後が続きません。思わず口をついて出た言葉は、頓珍漢なことばかり。心も上の空とは、このことを言うようです。

〇薄(うす)の契りや 縹(はなだ)の帯の ただ片結び  245
◎さても契りは薄かった 縹(はなだ)の帯は色あせて すぐに解(ほど)けた片結び
◇「帯で結ぶこと」は契ることの象徴的表現ですから、これは恋人と別れてしまったことを自嘲的に詠んだ歌です。縹色は薄い藍染めの色のことで、露草色と言えばわかりやすいでしょう。普通の藍染めの色より褪せやすく、縹はすぐに色褪せするものという共通理解がありました。片結びは解けやすい結び方で、それが縹色だというのですから、契りの浅さが増幅されているわけです。

〇神は偽りましまさじ 人やもしも空色の 縹に染めし常陸帯(ひたちおび) 契りかけたりや かまへて守り給へや ただ頼め かけまくもかけまくも 忝(かたじけ)なしやこの神の 恵も鹿島野の 草葉に置ける露の間も 惜しめただ恋の身の 命のありてこそ 同じ世を頼むしるしなれ  246
◎人はもし 空言(そらごと)の嘘を 言うとても 神は偽りなさるまい 空の青さに染めぬいて 二人で誓う常陸帯 神の御前に供え掛け 守り給えと請い願う
畏れ多くも畏(かしこ)くも 鹿島の神の御恵に すがる葉末の露の間も 惜しまれるのは恋の身よ 同じこの世にあってこそ 二人で契る甲斐もある
◇鹿島の神は『万葉集』や常陸風土記にも記された古社で、武神として信仰を集めました。それで出征する兵士が鹿島社に詣でてから旅立つことは、「鹿島立ち」と呼ばれていました。また恋愛成就の神でもあり、恋占いの風習がありました。12世紀前半の歌書『俊頼髄脳』には、女が多くの求婚者の中から一人を選ぶのに、男の名前を書いた帯を神前に供えて祈願すると、神が選んだ男の帯が裏返っているという話が記されています。また同じ頃の『奥義抄』(おうぎしょう)という歌書には、男女が帯に名前を書いて二つ折りにして供えると、神官がそれを結んで恋が成就するという風習があったことが記されています。

〇水に降る雪 白うは言はじ 消え消ゆるとも 248
◎水に降る雪すぐ消える たとえ儚く消えたとて 決して口には出しはせぬ 私の恋は白雪と 
◇「白」ははっきりしていることを意味していますが、白雪をも連想させます。恋が儚く消えたとしても、意地でも口にはださない一途な女心を詠んでいるのでしょうか。

〇人の心は知られずや 真実 心は知られずや  255
◎人の心はわからぬものか 全く心はわからぬものよ 
◇「や」は係助詞で、疑問や反語を表しますが、恋の苦悩の歌には、反語ではなく疑問と理解した方がよいと思います。相手の心は十分にわかっていたつもりだったのに、別れを告げられてしまった。そのわけを知りたいのに、人の心というものは何とわからないものだ、ということなのでしょう。
  
〇忍ぶ身の 心に隙(ひま)はなけれども なほ知るものは涙かな  なほ知るものは涙かな  259
◎忍ぶ恋する我が心 隙(すき)など見せぬと思うたが 涙は隙を見透かして 思わず知らず漏れてくる
◇恋の悩みは表には出すまいと心に決めていたのに、ふと涙が漏れて、人に知られてしまった場面でしょう。「世の中に憂きもつらきも告げなくにまず知るものは涙なりけり」(古今集 941)と、「忍ぶるに心の隙はなけれどもなほ洩るものは涙なりけり」(新古今 1037)を下敷きにしています。ここまで来ると、古歌の知識が不十分な現代人は完全に脱帽です。

〇忍ばゞ目で締(し)めよ 言葉なかけそ 徒名(あだな)の立つに 261
◎忍ぶ恋なら眼(まなこ)で殺せ 言葉かければ浮き名立つ
◇他人に知られないように、色っぽい視線を送って、相手を恋の虜にしてしまおうという心か、あるいは人前では感づかれないように、目で合図をせよ。言葉に出せば、要らぬ噂が立つから、という解釈もできます。どちらにせよ、「目で締めよ」という表現が強烈です。

〇むらあやでこもひよこたま 273
◎あの人は 来ないだろうよ この夜も
◇逆に詠まなければ意味が通じませんから、人に聞かせる歌ではなく、呪文のように一人で称えたのでしょう。逆に称えることにより、歌の内容もまた逆になって、来そうもない人が来るというわけです。『閑吟集』には他にも「きづかさやよせさにしざひもお」 (同上189番)という逆さ読みの歌もあります。これは逆さに読むと「おもひざしにさせよやさかづき」となるのですが、漢字を当てはめれば「思ひ差しに差せよや盃」となります。意味としては「思い入れ(特別な心)をもって盃に酒をついでおくれ」ということですから、酒の席で男が女に迫ったか、逆に女が男から盃を受けて、色っぽく迫った場面でしょう。

〇今結た髪が はらりと解けた いかさま心も 誰そに解けた  274
◎結ったばかりの髪解けた 何もせぬのにすぐ解けた 誰かさんが私に恋をして 道理で私の髪解けた 
◇女が髪を解くのは、心を許す人の前だけ。誰かさんの心が私に通じて、自ずと髪が解けたというのでしょう。

〇待てども夕べの重なるは 変はる初めか おぼつかな  277
◎待っても今宵も来ないのは 心変わりの徴(しるし)かも 心もとないことばかり 
◇かつてはしばしば訪ねて来た男が、最近来ないのは、心変わりでもしたのだろうかと、女が不安を募らせているわかりやすい場面です。ふと、竹久夢二作詞の『宵待草』「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな」を連想してしまいます。


〇あまり見たさに そと隠れ走(はし)して来た まづ放さいなう 放して物を言はさいなう そぞろいとほしうて 何とせうぞなう 282
◎あまりにあなたに会いたくて そっと隠れて走って来たの まずは放して下さいな ねえ それではものも言えないわ とにかくあなたが恋しくて 私どうにかなりそうよ ねえどうしましょ
◇男の胸に飛び込んで、女が抑えきれない恋心を告白する場面です。

〇来し方より今の世までも 絶えせぬものは 恋といへる曲者(くせもの) げに恋は曲者 曲者かな 身はさらさらさら さらさらさら 更に恋こそ寝られね 295
◎神代より 今の世までも 絶えないものは 恋という名の曲者よ まことに恋は曲者なのよ 曲者よ この身はさらにさらさらに 恋に焦がれて眠られぬ
◇末尾の「ね」は、係助詞「こそ」を受けて打消の助動詞「ず」が已然形となったものです。「さらさら」は「更に」を導くために語調を調えているのですが、古歌には、霰や時雨が笹の葉にさらさら音を立てて降るという趣向があり、その影響があると思われます。「曲者」は現代では怪しげな者・不審者という意味で、「悪」の印象を伴います。しかし古語では変わり者とかしたたか者という意味で、微妙にニュアンスが異なります。この場合も、手に負えない「曲者」に取り付かれた自分自身を、突き放して自嘲気味に見ているわけですから、恋は怪しげな不審者ではありません。この歌は恋を主題にした謡曲の『花月』からそのまま採られています。

〇爰(ここ)はどこ 石原嵩(いしわらとうげ)の坂の下 足痛やなう 駄賃(だちん)馬に乗たやなう 殿なう  299 
◎ここは何処(どこ) 石原峠の坂の下 私あんよが痛いのよ お馬に乗せてよ ねえあなた
◇峠の麓に、客待ちの駄賃馬がいるのでしょうか。くたびれるので馬に乗りたいと、女が男を手こずらせるように甘えている場面です。これはこれで微笑ましくもあるのですが、これと正反対の歌が『万葉集』(3317)にあり、比べてみると、なかなか面白いものです。ます。「つぎねふ山背道(やましろじ)を他夫(ひとづま)の馬より行くに己夫(おのづま)し徒歩(かち)より行けば 見るご とに音(ね)のみし泣かゆそこ思(もふ)に心し痛したらちねの母が形見と我わが持てるまそみ鏡に蜻蛉領布(あきづひれ)負ひ並(な)め 持ちて馬買え我が背(せ)」、「馬買はば妹徒歩ならむよしゑやし石は踏むとも我は二人行かむ」。

〇花見れば袖濡れぬ 月見れば袖濡れぬ 何の心ぞ  305
◎花を眺めりゃ涙に濡れる 月見上げても涙に濡れる 涙のわけを教えてよ
◇美しいものを見ると、訳もなく涙が溢れてくるものです。でも涙の訳は、花が美しいからではなく、月が澄み切っているからでもありません。涙の訳は、そんなの言わなくてもわかるではありませんか。

〇泣くはわれ 涙の主はそなたぞ 307
◎泣くのは確かに私だけれど お前は私の涙の主 涙はお前のせいなのだ 307
◇泣いている「われ」はたぶん男でしょう。「涙の主」の解釈はなかなか難しいのですが、ここでは「涙の拠ってくるところ」と理解しました。『閑吟集』には対句が効果的に用いられる歌が多いのですが、差し詰めこの歌は、その中でも究極の対句でしょう。余分なものは極限まで削ぎ落とすという美意識は、俳諧・水墨画・能楽・枯山水・書院造りなど、室町文化の特徴の一つです。 





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