うたことば歳時記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

19、備中鍬(江戸時代の農具改良)日本史授業に役立つ小話・小技 

2024-01-29 18:14:59 | 私の授業
     日本史授業に役立つ小話・小技 19

埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。

19、備中鍬(江戸時代の農具改良)
 江戸時代の農業は著しく発達したので、それだけで1時間の授業が出来る程に内容が濃いものです。その中では必ず農具の改良に触れられ、脱穀具の千歯扱きや唐箕、灌漑用具の踏み車、耕作用具の備中鍬が取り上げられます。
 備中鍬は刃先が数本に分かれている鉄製の鍬で、刃先が股状に分かれている農具は、弥生時代には用いられています。「備中鍬」という呼称がいつまで遡れるのかは調べたことがないので、ここでは深入りしません。大蔵永常の『農具便利論』には二股から四股の備中鍬の図があるので、19世紀はじめの頃かと思っています。「備中」という国名はその製産地でしょう。古来備中国は砂鉄の産地であり、鉄製品鍛造の技術がありました。
 備中鍬について、教科書には「深耕用」とか春の初めの「荒起こし用」と説明されています。早春の水田は乾田とはいえ一応水田ですから、水気を含んだ重たい土です。そこに板状の平鍬を打ち込むと、なかなか抜けません。これはやってみるとすぐにわかりますがすが、水田の土は畑の土とは全く異なります。深く耕せるように鍬自体の重さがかなりありますから、ただでさえ重いのに、水気の多い粘土質の田は、土が張り付いてしまうので、抜くに抜けなくなってしまうからです。しかし備中鍬は股状の刃先になっているので、刃の隙間には空気があり、土に接する面積が少なくなります。それで打ち込んだ鍬を楽に引き抜くことができるのです。
 以上の説明でも十分理解できるでしょうが、体験的に理解させるために、私は孔のあいた包丁と胡瓜を教室に持ち込んで説明したものです。普通の包丁で胡瓜を連続的に薄切りにすると、包丁に吸い付いて離れなくなってしまうのですが、孔のあいた包丁では、接する面積が少なくなるので、包丁に吸い付くことがほとんどありません。備中鍬の利便性の説明には、これで十分に間に合います。何と言うことのない日常生活の一場面なのですが、結構説得力があり、私としては気に入っている小道具でした。

上野にある岩倉高校  日本史授業に役立つ小話・小技18

2024-01-27 17:55:47 | 私の授業
     日本史授業に役立つ小話・小技 

埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。

18、上野にある岩倉高校
 上野駅東口の近くに、私立の岩倉高校があります。この学校、なかなか古い由緒を持っていて、何と明治30年に私立鉄道学校として神田に設立されました。現在地に移転したのは明治34年。同36年には岩倉鉄道学校と改称。校章は岩倉具視の家紋である笹竜胆(ささりんどう)だそうです。因みに笹竜胆は源頼朝の源氏嫡流の家紋とされ、現在は鎌倉市の市章となり、鎌倉市の路上では、マンホールに鋳造されていて、どこにでも見られます。一般には頼朝の家紋は笹竜胆であるとされていますが、頼朝の頃には武家の家紋という文化はなく、頼朝家の家紋であったという歴史事実はありません。
 不思議に思えるのは、鉄道と岩倉具視との関係ですが、このことについては高校の日本史の授業できちんと学習します。岩倉具視が中心となり、明治14年、華族達が秩禄処分で得た金禄公債を原資に、十五銀行が設立されました。そして同行が出資して日本鉄道株式会社という民営鉄道の会社が設立され、現在の東北本線・高崎線・常磐線となる鉄道が敷設されました。要するに現在のJR東日本の主要路線は、岩倉の呼びかけによって始められたものなのです。そして日露戦争で呉の軍港に兵士や諸物資を素速く輸送する主要鉄道が、民営と官営に分断されていることの問題点が浮上し、明治39年に西園寺内閣により国有化されるまで、日本鉄道によって経営されていました。因みに十五銀行は昭和2年に昭和金融恐慌の余波を受けた取り付け騒ぎにより倒産していまいます。
 鉄道に由緒のある岩倉高校が上野にあることにも、歴史的な意味があります。東北本線が開業したのは明治18年とのことですが、始発駅は上野でした。東海道本線の始発駅は新橋駅に近い汐留駅でしたから、現在の東京駅の位置には駅はおろか線路すらありませんでした。後に現在の丸の内前の広大な土地を買収したのが三菱ですから、現在も東京駅前には三菱系列の企業の本社があるわけです。私は荘内は鶴岡の生まれですから、歌謡曲にも歌われているように、上野発の夜行列車に乗って帰省していましたが、その頃は上野発であることに岩倉具視が絡んでいることなど、全く知る由もありませんでした。
 岩倉高校には建学の経緯により、かつては鉄道運転や車両整備などの学科があり、多くの鉄道関係の職業に就く卒業生を送り出してきました。もちろん現在でも普通科の他に運輸科があり、伝統が受け継がれているそうです。鉄道オタクの不埒な写真撮影が問題になることはありますが、鉄道マニアにとっては憧れの学校でしょうから、目的意識をはっきり持っている生徒も多いことでしょう。

月の兎 日本史授業に役立つ小話・小技17

2024-01-23 17:55:10 | 私の授業
     日本史授業に役立つ小話・小技17
1

埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。

17、月の兎
月には兎が棲んでいると言う話を、子供の頃に多くの日本人が親から聞くことでしょう。そんな話が学校の日本史の授業で必要なのかと言われそうですね。確かに教科書には記述されていませんし、入試にも出題されません。しかし私はこの半世紀、毎年一回は必ず話し続けてきました。高校で日本史を学ぶ目的は、大学受験ではありません。月の兎の話をするのは、これも立派な歴史の一部であると思うからであり、日本人としての感性を養うのに役に立つと思うからです。幼い子が「月には兎さんがいるの?」と尋ねた時、「いるわけないでしょ」などと答える親になってほしくはありません。放っておいても、いずれわかることですから、その時までいることにしておけばよい。子供の感性を大切にする親になるよう、まずは高校生の感性を育てたいのです。
 月に兎がいるという理解は、紀元前の中国にあるそうです。また「烏兎匆々」(うとそうそう)という言葉がありますが、「烏」は三本足の烏が棲むとされる太陽のこと、「兎」は同じく月を表し、全体として月日のたつことの早く慌ただしいことを意味しています。ただし自分で原典を確認していないので、深入りはせず、伝聞的な表現にしておきましょう。
 授業では聖徳太子の死を悼んで、妃の一人の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が渡来人の采女に作らせた天寿国繍帳について必ず写真を見ながら学習するのですが、そこには月に兎と長頸壷と樹木が刺繍で描かれていることを確認させます。樹木は月桂樹であり、壷には不老不死の仙薬が入っているのでしょう。この時は月には兎がいるという理解が、飛鳥時代には伝えられていたことを確認するに止めておきますが。そして平安末期の院政期の文化で『今昔物語集』を学習する際に、芥川龍之介の短編小説には『今昔物語集』に取材した話が多いことに触れます。そしてさらに兎と猿と狐が行き倒れの老人を介護して、ついには兎が焚き火に飛び込んで死に、老人が姿を変えた帝釈天に抱かれて月に昇り、月でなお生きているという話が、『今昔物語集』(巻五第十三話)に収録されていることに及ぶのです。この話は童話に仕立てられ、聞いたことのある生徒が多く、歴史を身近に感じさせることができます。また「うさぎうさぎ 何見てはねる 十五夜お月さん見てはねる」というわらべうたについて、中秋(仲秋)の月見で江戸の子供達が「いざり飛びて」歌うことが、江戸時代後期の風俗誌『守貞謾稿』(巻28遊戯)に記されていることにも言及します。生徒は月の兎一つにも、千数百年の歴史が隠れていることを初めて知って、それぞれに感動しているようでした。


古代の国名(2) 日本史授業に役立つ小話・小技 16

2024-01-21 12:55:53 | 私の授業
日本史授業に役立つ小話・小技

埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。

16、古代の国名(2) 
さて古代国名の学習の2回目です。二つの国名の1字を採ってつないだ形が結構あるのですが、一つだけその例を示します。私は関東地方に住んでいますから、房総半島を例として取り上げます。そして千葉県の半島であることを確認し、国名と見比べさせると、勘のよい生徒は、安房の「房」と上総の「総」が組んでいることにすぐに気が付きます。そうしておいて、似たような言葉を探させるのです。奥羽山脈・濃尾平野がわかれば立派なものです。筑豊炭田はもう学習しないかもしれません。鉄道の路線名にはたくさんあります。上野を経由して越後に行く上越線、信濃経由の信越線。土佐から讃岐へ行く土讃線、伊予から讃岐へ行く予讃線。日向から豊後へ行く日豊本線。他にも筑肥線・芸備線・播但線・越美線・伯備線・豊肥線・総武線・羽越線など、きりがありません。
 さらに発展させて、上・中・下、前・中・後、遠・近などの文字を持つ国名を探させ、それが何を意味しているか考えさせてみましょう。都からの遠近により並んでいることがわかれば、それは褒めてやります。そして近江と遠江がわかったところで、「江」が何を意味するか考えさせます。地形図を見れば、勘のよい生徒なら琵琶湖と浜名湖であることは気が付くでしょう。そこで「遠江」に読み仮名を振らせるのですが、「都から遠い淡海(あわうみ)」という意味ですから、「とおとうみ」が正解です。もし「とおとおみ」「とうとうみ」と答えるならば、「遠江」と名付けられた理由を理解していないことになります。
 ここで一つ難しい質問をします。都からの距離によって上・中・下、前・中・後が並ぶという原則がありましたが、一箇所だけそれが当てはまらない所があるので、それを探させるのです。それは上総と下総で、都からの距離を考えるならば、上下が逆になっているように見えます。実は古代の古東海道は、三浦半島から浦賀水道を渡って上総に上陸してから下総に延びていました。それは東京湾の最北部は、関東平野の大小の河川が乱流し、大湿地地帯となっていて、交通の障害となっていたからです。しかし次第に河川の渡河もできるようになり、771年には東海道は武蔵を経て下総に至るようになりました。ということは、武蔵国は初めは東山道に属していて、後に東海道に属するようになったということなのです。利根川が現在の流路となったのは江戸時代初期のことで、それ以前は東京湾に注いでいました。その痕跡は古利根川に残っています。古東海道が三浦半島から海を渡っていたことは、記紀の神話でも裏付けられます。日本武尊が東海道を東征した時、三浦半島から浦賀水道を渡るのですが、海が荒れて、妃の弟橘媛が海に身を投げて海神の怒りを鎮め、ようやく渡海したことが記されています。さすがに現代の高校生は知らないかもしれませんが、年配の方なら御存知でしょう。まあとにかく、これだけずらりと現代に残る古代国名の痕跡を並べれば、現代という瞬間が、歴史の積み重ねの上に乗っていることが理解できることでしょう。


古代の国名(1) 日本史授業に役立つ小話・小技 15

2024-01-18 15:18:35 | 私の授業
     日本史授業に役立つ小話・小技 1

埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。

15、古代の国名(1)
日本史の学習には、古代の国名は不可欠の基礎知識です。暗記の強要と言われるかもしれませんが、深い理解は基礎的知識なしには絶対できませんから、力尽くで覚えさせることになります。それでも少し工夫をすれば、覚えやすくなるものです。まずは白地図を配り、教科書や図説資料集の地図を見ながら五畿七道の境界を色ペンで表示させ、さらに国名を記入させます。まあここまでは宿題としてやらせておいてもよいでしょう。
 次は、過去・現在を問わず、国名に何か他の名称が結び付いている言葉をできるだけ沢山探し、白地図の余白に書き込ませます。例えば薩摩芋・信濃川・大和朝廷・土佐日記といった類です。甲州ぶどう・信州りんご・紀州みかんというように。国名の1字を省略したものでもよしとします。その際は「州」の意味も考えさせます。歴史用語に限らず、自由に発想させた方が沢山見つかるでしょう。時には丹後の節句や美濃虫などの造語も跳び出しますが、それも御愛嬌。地形や地方特産物や地名に多いというヒントを与えてもよいでしょう。鉄道マニアやミリオタの生徒が、呆れるほど多く駅名や軍艦名を探し出していました。
 生徒が探し出したものを片端から上げてみましょう。
①地方名物・・・・陸奥りんご・信州りんご・甲州ぶどう・紀州みかん・伊予柑・伊勢えび・薩摩芋・薩摩あ げ・近江牛・土佐節・越前がに・讃岐うどん・土佐犬・阿波踊・佐渡おけさ・信濃蕎麦・丹波栗
②地形・地理・・・・信濃川・筑後川・能登半島・紀伊半島・伊豆半島・薩摩半島・大隅半島・志摩半島・佐渡島・淡 路島・出羽山地・越後平野・日向灘・周防灘・伊勢湾・三河湾・陸奥湾・若狭湾・駿河湾・相模湾・対馬海流・武蔵野・近江盆地
③歴史用語・・・・大和朝廷・土佐日記・陸奥話記・伊勢神宮・出雲大社・薩英戦争・石見銀山・佐渡金山・丹後縮緬・越後縮・三河木綿・越前紙・美濃焼・戦艦大和・伊豆の踊子・備中鍬・近江商人・三井越後屋・薩長連合
 本気になって探せば、もっと多いのですが、ここでは取り敢えずこの程度で止めておきましょう。また五畿七道からは、鉄道路線の名前も探せます。まずはとにかくたくさんあり、それが現代の日常生活に普通に用いられていることに気付かせるわけです。さて古代国名の学習はここで終わりではありません。まだまだ続くのですが、それは次回に。