うたことば歳時記

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葉守りの神

2015-11-30 15:21:51 | うたことば歳時記
 旧暦も神無月になると、落葉樹は日に日に葉を落として、次第に裸木になってゆきます。ところが落葉樹なのに葉がなかなか落ちない木があるのです。葉の色はすっかり枯れて褐色になっているというのに、しっかりとしがみついている。落葉しないといっても結局は落葉するのですが、落葉する時期が極端に遅いのです。中には翌年の立春過ぎまで落ちないこともあり、真冬にはよく目立つことになる。このような落葉樹は、柏と楢の木です。柏は柏餅に使われますから、柏の木を見たことがなくとも、その葉の形は誰でも知っていることでしょう。楢の葉は柏より一回り小さく、さらに少し小さい小楢という木もあります。いわゆる団栗の木として、里山には普通に見られる木ですから、これは見たこととがあると思います。特に柏は落葉が遅く、翌春の新芽に押されて自然に落葉するまで、乾ききった枯れ葉が、それこそ茂っています。そのため、「柏落葉」や「柏散る」は、俳句の世界では春から夏の季語になっているくらいなのです。もっとも個体差があるようで、我が家の柏はもう落葉してしまったという方もいらっしゃるでしょう。まああくまでも一般的にはという話です。
 古人にとってはそれが余程不思議なことと見えたらしく、そのような木には、葉を守る神、つまり「葉守りの神」が宿っていると考えました。
  ①楢の葉の葉守りの神のましけるを知らでぞ折りし祟りなさるな   (後撰集 雑 1183)
  ②玉柏しげりにけりな五月雨に葉守りの神の標(しめ)はふるまで  (新古今 夏 230)
  ③玉柏庭も葉広になりにけりこや木綿四手(ゆふしで)て神まつるころ(金葉集 夏 97)  
  ④時しもあれ冬は葉守りの神無月まばらになりぬ森の柏木      (新古今 冬 568)
 ①は、楢の枝を伐採してしまったことへの言い訳をを詠んだ歌で、葉守りの神がおいでになるのを知らずに、うっかり折ってしまったのだから、祟らないで下さい、というのです。この歌は『大和物語』の68にも載っていて、一寸した小話があるのですが、ここでは省略します。②は、立派な柏の木は、梅雨に濡れて繁ったものだ。葉守りの神が注連縄を張ったかのように見えるまで、という意味ですが、③を見ると、柏の木は神聖な木として、実際に注連縄が張られることがあったようです。④は少々ユーモラスな歌です。折も折、神々が出雲にお出かけになってお留守になるという神無月になったため、葉守りの神もお留守になったのでしょうか。そのため、森の柏木の葉が少し落葉しています、というわけです。
 『枕草子』にも「木は・・・・・柏木いとをかし。葉守りの神のますらむもいとをかし。兵衛督(ひょうえのかみ、皇居を警備する衛士の長官)、佐(すけ、同次官)、尉(ぞう、同三等官)などを言ふもをかし」と記されています。また柏木は皇居を警備する兵衛の雅称でもあるのですが、その由来は不詳とのことです。しかし柏が葉守りの神の宿る神聖な木と理解されていたことと無関係ではないと思います。また木の姿も堂々としていて、力強さを感じます。
 「柏木」と言えば、『源氏物語』の「柏木」の巻を思い起こしますね。これは主人公の一人である柏木の死後、その妻の落葉の宮に言い寄ってくる夕霧を、彼女が拒む次の⑤の歌による巻名でしょう。
  ⑤柏木に葉守りの神はまさずとも人ならすべき宿のこずゑか
柏木に葉守の神はいらっしゃらなくても、ほかの人を近づけるような宿の梢でしょうか、という意味です。夫がいないことを葉守りの神がいないと表現し、ほかの人が宿ることなんてできませんよと、暗に拒否しているのです。とにかく、柏や楢は葉守りの神のおいでになる神聖な木という理解が、広く共有されていたことがわかります。
 柏の木は野生ではほとんど見られませんが、たまに庭木として植えられています。冬ならば枯れ葉が茂るが如く枝に留まっていますから、もしあればすぐにそれとわかります。楢や小楢は団栗の木として普通に里山で見られます。いずれも冬によく目立ちますから、探してみて下さい。

古代の「みどり」への疑問

2015-11-29 21:26:26 | 歴史
 初音ミクという緑の髪のキャラクターがいるそうな。その方面にはからっきし知識のない私は、どうやら生まれる時代を間違ったようです。それはともかく、緑色の髪の毛を見ると、私のような古い世代は、「緑の黒髪」を思い起こします。逆に若い世代に言わせれば、「何じゃそりゃあ、緑なのか黒なのか、はっきりせんかい」ということになるのでしょう。
 そこで「緑の黒髪」とはどんな髪なのか、改めて辞書を引いてみると、「黒くつやのある女性の美しい髪」と説明されています。私の理解と同じで、まずはほっとするのですが、それならば「みどり」の意味を権威ある古語辞典で調べてみると、本来は色名で新芽を意味した語が、転じて色名になったといわれている、と説明されていました。古語辞典でそう説明されていますので、ネット上ではそのような説明を受けて、受け売りのように、みどりとは、本来は「瑞々しさ」を表す意味であったらしいが、転じて新芽の色を示すようになったととか、その逆に、新芽や若い枝のことであり、転じて瑞々しく艶やかなもののを意味するようになったというような説明が溢れています。中には「芽出る」が語源らしいとまでいう説明もありました。
 素人のくせに疑い深い私は、「・・・・といわれている」という説明を見ると、本当かいなと、まずは疑ってかかります。根拠が示されていないからです。特にネット情報というものは受け売りが多く、結論は同じでも、自ら確かめているわけではないことが多いからです。
 そもそも私に言わせれば、奈良時代以前の文献で、「みどり」の用例が極めて少なく、そう簡単に結論を出せないのではないでしょうか。『万葉集』には、「春は萌え夏は緑に紅(くれなゐ)の斑(まだら)に見ゆる 秋の山かも」(巻10‐2177)という歌があることでもわかるように、グリーンの色としての「緑」が使われています。平安時代には色としての使用が普通になり、「瑞々しいこと」を表す「みどり」の例は多くはありません。また空の色を「みどり」と表現することがしばしばあり、「みどり」という概念にブルーが含まれるとすると、新芽の色から転じたという説明も納得できないのです。そもそも「瑞々しく艶やかな」という理解の根拠となったと思われる「緑の黒髪」の文献上の所見がどこまで遡るのか、その辺りをしっかりと検証する必要があると思います。ただ『万葉集』には「緑児」の用例がいくつかあり、「大宝令」では三歳までの男児を指すことになっていますから、7世紀末には、「みどり」が初々しいことを表す言葉でもあったことは確かめられます。要するに、奈良時代までには、「みどり」は色としても、瑞々しいとか初々しいというような意味でも、両方使用されていたということなのです。
 如何にも何かわかっているような書きぶりですが、私自身もよくわかっていません。ただみどり色に対して万葉時代の人々がどんなことを感じていたかを推定させる、面白い視点があります。それは緑色の貴石である翡翠に関することなのです。『万葉集』に次のような一連の歌があります。
  ①天橋(あまはし)も長くもがも 高山も高くもがも 月読(つくよみ)の持てる変若水(をちみづ)い取り   来て 公(きみ)に奉(まつ)りて 変若(をち)しめむはも(3245)
  ②天なるや 月日のごとく吾が思へる 君が日に異(け)に老ゆらく惜しも(3246)
  ③沼名川(ぬなかは)の 底なる玉 求めて得し玉かも 拾(ひり)ひて得し玉かも 惜(あたら)しき君が    老ゆらく惜しも(3247)
 ①は、天への橋も長くあってほしい。高い山ももっと高くあってほしい。そして月の神が持っている若返りの水を取って来て、あなたにさし上げ、若返っていただきたい、というように理解できます。②天の月や太陽のように私が思っているあなたが、日ごとに年老いて行くのが惜しいことです、という意味でしょう。③は、(越の国の)沼名川の水底にある玉は、探し求めて得た玉でしょうか、拾って得た玉でしょうか。大切なあなたが年老いて行くのが惜しいことです、という意味に理解できます。①~③はその内容からして、若返りを祈る歌と考えられます。
 ところで③の「沼名川」とは新潟県糸魚川市の姫川に当たることはわかっています。するとその川の「玉」とは翡翠に他なりません。翡翠は縄文時代から古墳時代にかけて勾玉などに加工され、貴重な呪物となっていましたが、「玉」がどのような意図をもってここに詠み込まれているのか、今一つはっきりしないのが残念です。しかし一連の歌の流れから、翡翠が命の若返りに関わる霊力を持つと理解は出来ないでしょうか。もしそうであれば、③の上の句と下の句がうまく繋がるのです。当時の人には説明をしなくともわかることだったのですが、現代人にはわからなくなっていたので、上の句と下の句が分離しているように見えるのではと思うのです。
 翡翠は緑色の貴石です。まあ日本の翡翠は白っぽい方が多いのですが、それでも少しは薄く緑色が混じります。この緑色というところに、万葉人は若返りの生命力や呪力を感じたのではないでしょうか。もしそうだとすると、「みどり」が瑞々しさや初々しさを表すという最初にお話ししたこととうまく繋がるかもしれないのです。私の此の推論にはかなり無理があるのは承知しています。まあ一つの可能性として、御笑覧いただければそれで十分です。

内容の薄いものになってしまいました。御免なさい。

地中海性気候の教材(オリーブとコルク)

2015-11-29 07:55:26 | その他
 オリーブ・コルク・地中海性気候


 地中海性気候の特色は、夏は日差しが強くかなり暑いが、冬は緯度の割には温暖で、年間の平均気温は15度前後。降水量は、夏は極めて少なく乾燥が強いが、冬には小麦の栽培が可能な程度に雨が降り、年間の平均降水量は600㎜前後である。イスラエルでしばらく生活していた私の個人的経験では、夏は相当に暑いが、湿度は極めて少ないため、日陰に入れば涼しく、蒸し暑い日本の夏よりは凌ぎやすい。窓の網戸に水を流すだけで、気化熱を奪われた涼風が室内に入り、打ち水の効果に驚いたものである。
 農作物としては、小麦・葡萄・柑橘類・オリーブ・無花果・なつめ椰子・コルクなど、みなそれぞれにこの気候に適応したものが選ばれている。冬が温暖であることは、柑橘類などの常緑の広葉樹の栽培に適しており、小麦は、温暖で降水のある冬の気候に因るところが大きい。
 地中海性気候の教材としてはオリーブが良い。日本でオリーブと言えば、料理用のオリーブオイルが身近であるが、その割にはオリーブの木を見る機会は少ないからである。主な産地は、スペイン・イタリア・ギリシア・トルコ・シリア・モロッコ・ポルトガルエジプトなどの地中海沿岸の諸国である。オリーブは葉の表面からの蒸散作用を抑制するために、葉は小さく、大きさの割には厚みがあり、硬くなっている。樹齢千年を越えるオリーブが珍しくはないが、樹高が低く、葉も小さいので、十分な木陰を作ってはくれない。
 そこでオリーブの一枝を見せたいのであるが、一番手軽にはオリーブオイルの瓶がよい。しかし実物に如く物はない。さいわい最近は日本でも庭木として普通に見かけるようになり、決して珍しい物ではなくなった。生活雑貨や資材を扱う郊外の大型店舗でも、苗木が普通に売られている。苗木を購入し、学校の敷地内に植えておくのもよい。
 日本では香川県小豆島で栽培され、加工品が特産の土産物になっている。小豆島あたりの瀬戸内地方では、年平均気温は約15度もあり、大変温暖である。また年平均降水量は1200㎜しかなく、しかも夏に少ないので、地中海性気候に近い条件を備えている。このような好条件を活かして、小豆島では明治末年にはオリーブの栽培に成功し、現在も盛んに栽培されている。量的には微々たるものであるが、教材としては十分である。地中海沿岸諸国産のオリーブオイルの瓶、小豆島産のオリーブ加工品、そしてオリーブの小枝の3点をセットで揃えておきたい。北の地域で生の小枝が身近にない場合は、何とかして入手して、押し花のように保存しておくとよい。
もう一つ意外な教材として、コルクはどうであろう。コルクとは、コルク樫の樹皮を剥がした物で、ポルトガル・スペイン・南フランス・北アフリカあたりで栽培されている。中でもポルトガルの生産量は世界の半分を占めている。コルク樫は樹齢が150~200年あり、成木になるまでに20年、一度皮を剥がすと、次に剥がせるまでに数年かかるから、一本の木から十数回収穫できるという。樹皮の厚さは5~8㎝もある。このように樹皮が厚くなるのは、乾燥した気候に対応した結果なのであるが、樹皮は薄い物という経験しかない日本人には、理解できない厚さである。
 コルクの加工品は、日常生活の至る所にある。コルクの工業原材料としての特性は、断熱・弾力・防滑・吸音・軽量・快適などの性質を持った自然素材であることである。もともとは、地中海沿岸諸国の特産物でもある、ワインの瓶の栓として用いられた。そしてチップを加圧接着する技術の開発により、その用途は様々に広がった。様々な用途をもったコルクボード・ホイッスル・ソフトボール・鍋敷き・マット・草履芯・積み木などを思いついたが、実際にはもっと隠れたところで使われているのであろう。
 コルクを知らない生徒はまずいない。しかしコルク樫の樹皮でるということには結びつかない。そこで剥がしたままのコルクを見せたいのだが、意外な所で簡単に買える。それは蘭を栽培して販売している店である。蘭の中には、木の幹に根を張る種類がある。蘭に適した南洋の密林の栽培環境を再現するのはとてもできないが、コルクの樹皮を用いると、それに近い状態になるからなのであろう。ただしコルク樫に実際に野生の蘭が生育しているわけではない。千円単位であるから、大きな破片を数人で共同購入し、樫の幹の直径がわかるように、幹の縦方向に対して直角になるように切断するとよい。
 こうして一度見ておけば、改めてワインの瓶のコルク栓をしげしげと見ることであろうし、ワインとセットで、地中海性気候の地域の農業について深く理解することができるであろう。


カラス麦(燕麦)の種子の不思議

2015-11-28 16:56:00 | 植物
 毎朝早起きをして犬の散歩に行くのですが、最近は犬が道端の草を食べ、道草を食ってしまいます。犬は2匹いるのですが、草を食べるのは一匹だけで、もう片方は見向きもしません。どうやら好みが違うようです。もっとも草を食べない方の犬は大根の葉が大好きで、畑に勝手に入って食べています。この晩秋から初冬の時期には、道端に柔らかそうな青々した草が伸びていて、これから枯野の時期になるということが信じられないくらいです。我が家の犬がよく食べている草は、実はいわゆる「猫草」と称する物で、採って帰って猫に与えると、これまた喜んで食べます。もっとも全く見向きもしない猫もいて、これも好きずきがあるようです。
 この猫草はペットショップに売られていますが、実は同じ仲間の草が野原にいくらでも生えているのです。それはカラスムギで、燕麦(えんばく)とも呼ばれています。烏の麦が燕の麦ともいう、なんだか妙な名前ですね。燕麦という名前は、種が熟すると燕の尾のように二股に分かれて見えるため。カラス麦というのは、麦の一種ではありますが、一般の麦のような形をしていないために付けられた名前でしょう。植物名にはカラスやスズメやイヌなどを冠した名前がたくさんあります。
 このカラスムギは日本では食用として栽培されることはほとんどないのですが、欧米やロシアでは、重要な穀物となっています。そして加工食品として日本にも輸入されています。オートミールの材料となるのがこのカラスムギと言えば、食べたことのある人もいることでしょう。昭和天皇はこのオートミールが好物で、朝食にはよく召し上がっていらっしゃったとのことです。
 さてこのカラスムギなのですが、正確には明治期に牧草用としてヨーロッパからもたらされたマカラスムギ(真烏麦)と、野生のカラスムギがあり、野生のカラスムギはそれ以前から日本にもありましたから、厳密には別の種類です。しかし、マカラスムギの方が背丈が高いことはありますが、両者は極めてよく似ていいます。ただ一般には栽培されているマカラスムギは見られませんから、道端に生えていたり、麦畑の中に混在しているのは、全て野生のカラスムギと思って間違いありません。この野生のカラスムギは、小麦や大麦の栽培にとっては、時に麦の収穫を断念させる程の防除に苦労する害草だそうです。まあそれだけ繁殖力が旺盛ということなのでしょう。
 繁殖力と言えば、思い当たる節があります。カラスムギの種子は梅雨前に穂から落ちるのですが、カラスムギの種子は平仮名の「へ」「く」の字のような形をしていて、その形が発芽に大いに役に立っているのです。実には屈折した芒(のぎ)が付いていて、「く」の字のように見えるのですが、その芒を拡大して観察すると、繊維が捻れているのがよくわかります。そして芒が濡れると、その捻れが元に戻ろうとして捻転し、乾燥すると元の形に戻るのです。その様子はユーチューブで「カラスムギの種子」と検索すると見ることが出来るでしょう。机上でやってみると芒が過ゆっくり宙を回転するだけなのですが、実際の地面に落ちると、地表には様々な障害物があり、芒は何かに引っ掛かって止まってしまいます。すると今度は実の部分が回転し、上手く方向さえよければ、土の中に潜って行くことになる。しかも実の部分には釣り針のあごのように逆向きに毛が生えているので、一旦土に潜った種子は元に戻ることがありません。こうして雨が降ると1㎝くらいまで種子は土の中に潜り込むのです。実際には全ての種子が潜入に成功するわけではなく、多くは小鳥の餌になってしまうのでしょうが、何しろ数が多いので、発芽に至る種子も少なくないはずです。それだからこそあれだけ道端に繁茂し、麦畑の害草として嫌われるのでしょう。
 栽培農家には申し訳ありませんが、造物主の御業と言いましょうか、生物の神秘と言いましょうか、カラスムギの種子のこの不思議なつくりには、本当に感心させられます。話はただのこれだけなのですが、今はまだ青草の段階でも、梅雨に入る頃にはいくらでも見られるでしょうから、一度試して御覧下さい。

 

往く秋の形見(散るもみぢ)

2015-11-27 16:01:27 | うたことば歳時記
 秋という季節の始まりは、涼しげな風によって知るというのが、古歌の世界の約束事である。それならば秋の終わりは何によって知るのだろうか。和歌の世界では、秋の終わりの徴は、春が霞と共に始まり、秋が秋風と共に始まるようには、はっきりととらえられてはいない。

 秋が終わろうとすることを、うた言葉では「ゆく秋」「秋ゆく」「秋はかぎり」「秋のわかれ」「秋の果て」「秋のとまり」「秋暮る」「秋の名残」「秋の形見」など、実に豊かに表現している。同じように春の終わりを表す言葉も大変多いのであるが、夏と冬については特別なうた言葉がない。つまり春と秋は惜しむべき季節であるのであるが、夏と冬は早く過ぎ去って欲しい季節であるため、そのような言葉が生まれなかったのであろう。

 古人はその「ゆく秋」を何かの徴によって感じ取ろうとした。その徴として最も歌の例が多いのが散るもみぢである。

①み山より落ちくる水の色見てぞ秋は限りと思ひ知りぬる (古今集 秋 310)
②年ごとにもみぢ葉流す竜田川水門や秋のとまりなるらむ (古今集 秋 311)
③道知らばたづねもゆかむもみぢ葉を幣(ぬさ)とたむけて秋は往(い)にけり(古今集 秋 313)
④から錦ぬさにたちもてゆく秋も今日やたむけの山路越ゆらん(千載集 秋 383)  
⑤往く秋の形見となるべきもみぢ葉は明日は時雨と降りやまがはん(新古今 秋 545)
⑥暮れはつる秋の形見にしばし見んもみぢ散らすな木枯らしの風 (山家集 秋 488)

 ①は、もみぢが上流から流れてくるので、秋も終わりであるとわかった、という。②の「水門」は「みなと」と読み、本来は河口を指している。河口は船の泊まりに適しているので、転じて「港」(みなと)という言葉になる。「とまり」は「泊まり」のことで、この場合は最後の落ち着き場所を意味している。つまり、毎年もみぢ葉を流す竜田川は、その河口が秋の果てる場所なのだろうか、という意味である。③は秋の最後の日、つまり長月の晦日の日に詠んだ歌。もし秋の往ってしまった道がわかっているなら、探しに行きたい。秋はもみぢの葉を神に手向ける幣として、往ってしまったことだ、という意味で、秋を惜しんでいるわけである。④は、「九月尽」、つまり③と同じく長月の末日に詠んだ歌で、唐錦のようなもみぢを幣として持って行く秋は、今日、手向け山を越えて行くのだろう、という意味である。⑤は、秋の形見のもみぢ葉は、明日には散って、冬の徴の時雨と見間違うことだろう、という。もみぢが散って秋が終わり、時雨が降って冬が始まると理解しているのである。
 
これらの歌から推察できることは、もみぢは季(すえ)の秋の最も重要な景物であり、それが散ることは秋の果てることと理解していたのであろう。

 もみぢの他に秋の終わりを感じさせる景物を古歌の中から探せば、「長月の有明の月」が上げられる。

⑦長月の有明の月は有りながらはかなく秋は過ぎぬべらなり (後撰集 秋 441)
⑧秋果つるはつかの山の寂しきに有明の月を誰と見るらん(新古今 雑 1571)

⑦は紀貫之が九月の晦日、つまり末日に詠んだ歌である。長月の有明の月は明日、つまり十月一日の早朝まで有るだろうが、今日で秋もはかなく過ぎてしまったことだ、という意味である。⑧は九月の二十日に詠んだ歌で、秋の尽きることが主題ではないが、長月の有明月が秋の終わりの近いことと理解されていることがわかる。
 
現代人は季節の移ろいを暦ではなく実際の気温や景色などで感じ取っている。それはそれでよいのであるが、「今日で秋も終わるのか・・・・」という感慨はなくなってしまった。まあ長月の有明の月はもう無理のようである。それでも散るもみぢ葉に秋の終わりを感じ取ることは出来るだろうから、盛りのもみぢだけでなく、往く秋の形見として、散るもみぢの風情を大切にしたいと思うのである。