旧暦も神無月になると、落葉樹は日に日に葉を落として、次第に裸木になってゆきます。ところが落葉樹なのに葉がなかなか落ちない木があるのです。葉の色はすっかり枯れて褐色になっているというのに、しっかりとしがみついている。落葉しないといっても結局は落葉するのですが、落葉する時期が極端に遅いのです。中には翌年の立春過ぎまで落ちないこともあり、真冬にはよく目立つことになる。このような落葉樹は、柏と楢の木です。柏は柏餅に使われますから、柏の木を見たことがなくとも、その葉の形は誰でも知っていることでしょう。楢の葉は柏より一回り小さく、さらに少し小さい小楢という木もあります。いわゆる団栗の木として、里山には普通に見られる木ですから、これは見たこととがあると思います。特に柏は落葉が遅く、翌春の新芽に押されて自然に落葉するまで、乾ききった枯れ葉が、それこそ茂っています。そのため、「柏落葉」や「柏散る」は、俳句の世界では春から夏の季語になっているくらいなのです。もっとも個体差があるようで、我が家の柏はもう落葉してしまったという方もいらっしゃるでしょう。まああくまでも一般的にはという話です。
古人にとってはそれが余程不思議なことと見えたらしく、そのような木には、葉を守る神、つまり「葉守りの神」が宿っていると考えました。
①楢の葉の葉守りの神のましけるを知らでぞ折りし祟りなさるな (後撰集 雑 1183)
②玉柏しげりにけりな五月雨に葉守りの神の標(しめ)はふるまで (新古今 夏 230)
③玉柏庭も葉広になりにけりこや木綿四手(ゆふしで)て神まつるころ(金葉集 夏 97)
④時しもあれ冬は葉守りの神無月まばらになりぬ森の柏木 (新古今 冬 568)
①は、楢の枝を伐採してしまったことへの言い訳をを詠んだ歌で、葉守りの神がおいでになるのを知らずに、うっかり折ってしまったのだから、祟らないで下さい、というのです。この歌は『大和物語』の68にも載っていて、一寸した小話があるのですが、ここでは省略します。②は、立派な柏の木は、梅雨に濡れて繁ったものだ。葉守りの神が注連縄を張ったかのように見えるまで、という意味ですが、③を見ると、柏の木は神聖な木として、実際に注連縄が張られることがあったようです。④は少々ユーモラスな歌です。折も折、神々が出雲にお出かけになってお留守になるという神無月になったため、葉守りの神もお留守になったのでしょうか。そのため、森の柏木の葉が少し落葉しています、というわけです。
『枕草子』にも「木は・・・・・柏木いとをかし。葉守りの神のますらむもいとをかし。兵衛督(ひょうえのかみ、皇居を警備する衛士の長官)、佐(すけ、同次官)、尉(ぞう、同三等官)などを言ふもをかし」と記されています。また柏木は皇居を警備する兵衛の雅称でもあるのですが、その由来は不詳とのことです。しかし柏が葉守りの神の宿る神聖な木と理解されていたことと無関係ではないと思います。また木の姿も堂々としていて、力強さを感じます。
「柏木」と言えば、『源氏物語』の「柏木」の巻を思い起こしますね。これは主人公の一人である柏木の死後、その妻の落葉の宮に言い寄ってくる夕霧を、彼女が拒む次の⑤の歌による巻名でしょう。
⑤柏木に葉守りの神はまさずとも人ならすべき宿のこずゑか
柏木に葉守の神はいらっしゃらなくても、ほかの人を近づけるような宿の梢でしょうか、という意味です。夫がいないことを葉守りの神がいないと表現し、ほかの人が宿ることなんてできませんよと、暗に拒否しているのです。とにかく、柏や楢は葉守りの神のおいでになる神聖な木という理解が、広く共有されていたことがわかります。
柏の木は野生ではほとんど見られませんが、たまに庭木として植えられています。冬ならば枯れ葉が茂るが如く枝に留まっていますから、もしあればすぐにそれとわかります。楢や小楢は団栗の木として普通に里山で見られます。いずれも冬によく目立ちますから、探してみて下さい。
古人にとってはそれが余程不思議なことと見えたらしく、そのような木には、葉を守る神、つまり「葉守りの神」が宿っていると考えました。
①楢の葉の葉守りの神のましけるを知らでぞ折りし祟りなさるな (後撰集 雑 1183)
②玉柏しげりにけりな五月雨に葉守りの神の標(しめ)はふるまで (新古今 夏 230)
③玉柏庭も葉広になりにけりこや木綿四手(ゆふしで)て神まつるころ(金葉集 夏 97)
④時しもあれ冬は葉守りの神無月まばらになりぬ森の柏木 (新古今 冬 568)
①は、楢の枝を伐採してしまったことへの言い訳をを詠んだ歌で、葉守りの神がおいでになるのを知らずに、うっかり折ってしまったのだから、祟らないで下さい、というのです。この歌は『大和物語』の68にも載っていて、一寸した小話があるのですが、ここでは省略します。②は、立派な柏の木は、梅雨に濡れて繁ったものだ。葉守りの神が注連縄を張ったかのように見えるまで、という意味ですが、③を見ると、柏の木は神聖な木として、実際に注連縄が張られることがあったようです。④は少々ユーモラスな歌です。折も折、神々が出雲にお出かけになってお留守になるという神無月になったため、葉守りの神もお留守になったのでしょうか。そのため、森の柏木の葉が少し落葉しています、というわけです。
『枕草子』にも「木は・・・・・柏木いとをかし。葉守りの神のますらむもいとをかし。兵衛督(ひょうえのかみ、皇居を警備する衛士の長官)、佐(すけ、同次官)、尉(ぞう、同三等官)などを言ふもをかし」と記されています。また柏木は皇居を警備する兵衛の雅称でもあるのですが、その由来は不詳とのことです。しかし柏が葉守りの神の宿る神聖な木と理解されていたことと無関係ではないと思います。また木の姿も堂々としていて、力強さを感じます。
「柏木」と言えば、『源氏物語』の「柏木」の巻を思い起こしますね。これは主人公の一人である柏木の死後、その妻の落葉の宮に言い寄ってくる夕霧を、彼女が拒む次の⑤の歌による巻名でしょう。
⑤柏木に葉守りの神はまさずとも人ならすべき宿のこずゑか
柏木に葉守の神はいらっしゃらなくても、ほかの人を近づけるような宿の梢でしょうか、という意味です。夫がいないことを葉守りの神がいないと表現し、ほかの人が宿ることなんてできませんよと、暗に拒否しているのです。とにかく、柏や楢は葉守りの神のおいでになる神聖な木という理解が、広く共有されていたことがわかります。
柏の木は野生ではほとんど見られませんが、たまに庭木として植えられています。冬ならば枯れ葉が茂るが如く枝に留まっていますから、もしあればすぐにそれとわかります。楢や小楢は団栗の木として普通に里山で見られます。いずれも冬によく目立ちますから、探してみて下さい。