立冬も過ぎ、庭に咲く花が急に少なくなる頃、赤紫色に色変わりしながらも健気(けなげ)に咲いている白菊の花を見ていると、唱歌「庭の千草」をふと思い起こします。明治十七年に『小学唱歌集』の第三編に載せられた古い歌なのですが、今も多くの人に歌い継がれている名曲です。このことは「庭の千草」の情趣が時の移ろいを越えて、現代の日本人の感性にも訴えるものを持っているということなのでしょう。しかしその歌詞に込められた作詞者の意図は正しく理解されず、、誤解されたまま歌われているのが残念でなりません。一般には、冬枯れの庭に咲き残る白菊を歌ったものと思われています。確かに表面的にはそうなのですが、実は、伴侶に先立たれて残された人が、健気に生きる姿を歌ったものなのです。そんな歌を小学唱歌として歌わせるはずがないではないかと言われそうですが、まずは歌詞を見てみましょう。
一、庭の千草もむしのねも かれてさびしくなりにけり あゝしらぎく嗚呼(ああ)白菊 ひとりおくれてさきにけり
二、露にたわむや菊の花 しもにおごるやきくの花 あゝあはれあはれあゝ白菊 人のみさをもかくてこそ
菊が主題であるため、よく秋の歌に分類されていますが、それは明らかに誤りで、初冬の庭に咲き残る白菊のあわれを歌ったものです。「おごる」「みさを」など難しい言葉もありますが、全体としてはそれ程難解な歌詞ではなく、意味はだいたい理解できることでしょう。しかし表面的な自然描写の背後に、実は人の心情描写が隠れていることに気付いている人はほとんどいないのです。古来の和歌には、同音異義語や掛詞や比喩などの修辞法を用いて、表面では自然を描写しながら、裏面では人の心を描写する重複構造になっている歌が極めて多いのです。例えば、木の葉が紅葉するのは、実は紅葉そのものを詠んでいるのではなく、木の葉ならぬ言(こと)の葉が色変わりして、恋人の心変わりを嘆く内容であったりする。また雨が降ることは泣いていることであり、霞や霧がかかるのは心が隔てられていることであり、穂が出ることは本心が現れることなのです。心情を直接的に露骨に表現するのではなく、何か自然の物に託したり喩えたりして、間接的に奥ゆかしく表現する。このような大和歌独特の重複構造を読み解かなければ、その歌を本当に理解することは出来ません。
この「庭の千草」にも、そのような重複構造が隠れています。その鍵(かぎ)になるのは、まずは「かれて」という言葉です。素直に漢字を宛(あ)てれば「枯れて」なのですが、同音異義語の「離(か)れて」の意味が隠れています。古語の「離る」は「かる」と訓(よ)み、「遠ざかる」とか、「心が離れる」ことを意味しています。百人一首に収められている「山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば」の「かれ」はこのよい例で、草が「枯れ」、人目も「離(か)れ」た寂しさを訴えている歌なのです。「かれて」を敢えて平仮名で表記することには、漢字が目立つと見た目の印象が固くなり、小学生には読みにくいという配慮もあるのでしょうが、「枯」と「離」を掛けているため、どちらの意味にもとれるように、意図して漢字を避ける狙いもあるのでしょう。ですから「かれてさびしくなりにけり」という歌詞は、春から秋の間には多くの花が咲き、虫も花に誘われて集まるように、多くの人達と共に楽しく過ごしていたのに、晩秋から冬になると、花は枯れ、虫も死に絶えるように、一人去り、二人欠け、ついには独りぼっちになってしまったことを表しているのです。
次に鍵(かぎ)になる言葉は「おくれて」です。これも漢字を宛てれば「遅れて」でしょう。実際に多くの歌詞情報がそのように表記されています。現在では一年中花の絶える時期がありません。しかし古(いにしえ)には、菊がその年最後の花と理解されていました。「目も離(か)れず見つつ暮らさむ 白菊の花より後の花しなければ」(後拾遺和歌集 349)(「花し」の「し」は強意の副助詞)の歌は、そのことをよく表しています。ですから、白菊だけが遅い時期まで咲いていると歌詞に詠まれるのももっともなのです。しかし「おくれて」には、「後れて」という意味が隠れています。古語の「後(おく)る」には、「死に後れて残される」という意味があります。ですから、白菊の花は、愛する者が先に死んでしまい、独り寂しくしている人の比喩なのです。
この「後れて」の意味がわかってこそ、二番の「人のみさを」という歌詞もよく理解できるというものです。古来、「露」は涙の比喩でした。独り残された寂しさの故に、白菊は涙の露に濡(ぬ)れてうなだれるのです。「霜」は人生の艱難の比喩でしょう。「おごる」には、「驕り高ぶる」という意味の「驕る」や「奢る」ではなく、「傲る」という漢字が宛てられます。「傲る」とは、相手に負けずに堂々としていることを意味しています。「傲霜(ごうそう)」、つまり「霜に傲(おご)る」とは、霜に屈しないこと、転じて強く正しく、凶暴なもの、つまり人生の艱難にも屈しない人の比喩なのです。また「霜にも負けない」という意味で、菊を形容する慣用的表現として、しばしば菊の漢詩に好んで詠まれた言葉です。また古歌にも、霜に負けずに咲く白菊の花が詠まれています。「草枯れの冬まで見よと露霜の 置きて残せる白菊の花」(詞花和歌集 129)。近くでは、童謡「野菊」(昭和十七年)に、「霜がおりても負けないで」という歌詞があることでも明らかなように、「菊は霜にも負けずに咲く」という理解が、かつては古くから共有されていたのです。
そうすれば、「人のみさをもかくてこそ」の意味も明白でしょう。「みさを」は漢字では「操」や「節」と表記され、心変わりしないで志を堅く守ること。転じて一人の伴侶を愛し続けることを意味しています。「かくて」は「このように」、「こそ」は強意の係助詞で、「かくてこそ」に続いて、「貴(とうと)けれ」(それでこそ貴いものだ)のような言葉が省略されているのでしょう。(強意の係助詞「こそ」を受けて、詠嘆の助動詞「けり」は活用して已然形の「けれ」となる)
秋も往(ゆ)き、冬の寒さが次第にいやまさる頃、かつて庭に共に咲いていた草花は、みな枯れ果ててしまいました。しかし愛する伴侶に先立たれてしまった白菊の花は、まだ独り咲き残っています。かつては美しかったその容貌も、長い年月を経て見る影もなく衰えてしまいました。共に咲いていた日々を思い起こしては、涙にむせんでうなだれます。友の励ましや労(いたわ)りも嬉しくないわけではありませんが、溢れる涙を堰(せ)き止めることはできません。しかし厳しい冬の夜の艱難には毅然として立ち向かい、最後の力を振り絞って凛(りん)として咲く。そうして己(おのれ)を大切にしてくれた伴侶の愛に応えるのです。その姿は何と健気(けなげ)なことでしょうか。
以上のような理解が決して私の独断でないことは、「庭の千草」の原詩である「夏の最後の薔薇(ばら)」の歌詞と見比べてみれば、一目瞭然です。この歌はアイルランドの国民的詩人トマス・ムーアの詩「The Last Rose of Summer」に、ジョン・スティーブンソンが作曲したということです。それによれば、作詞者は最後に一輪だけ残された薔薇に呼びかけます。「寂しい薔薇よ、仲間が永遠の眠りについている花壇に、おまえを散らしてあげよう。そして共に眠るがよい。そして私もその後に続くだろう。愛する者達がいないこの寂しい世界に、誰が独りで生きてゆけようか」と。要するに、最後に咲き残っている薔薇になぞらえて、孤独な晩年の寂しさを歌っているのです。
「庭の千草」の作詞者里見義(ただし)(「埴生の宿」の作詞者としても知られている)は、当然のことながら英語の原詩を読んでいます。そしてそれに感動したからこそ、日本語に翻案したのでしょう。赤い薔薇は日本風に白菊となりました。しかし原詩では孤独な晩年の懐旧の情と厭世感が色濃く漂っているのに対して、訳詞では健気な生き様が表現されている点で、印象が異なっています。しかし晩年の孤独という点では共通しています。訳詞者は薔薇の花の美しさ、最後の薔薇の寂しさそのものに感動したわけではありません。薔薇はあくまでも象徴に過ぎません。同じように白菊も象徴です。象徴である以上、象徴されている本質に触れなければ、真にこの歌を理解したことにならないではありませんか。いかがですか。私の理解が、決して独断ではないことをご理解していただけたものと思います。
見逃してしまいがちですが、「さびしくなりにけり」「さきにけり」の「けり」という言葉にも注目したいものです。この「けり」は、それまで気が付かなかったことに初めて気が付いた感動を表す詠嘆の助動詞で、文法的には「気付きのけり」とも呼ばれます。白菊だけが取り残されるようにして咲いていることに、ある日はっと気が付いて、「そうだったのか」と驚いているのです。また「あはれ」(あわれ)は「かわいそう」という意味の「あはれ」ではありません。本居宣長が「もののあはれ」とよんだ「あはれ」という言葉は、あるものに接したとき、自ずから湧いてくるしみじみとした情趣のことです。霜に負けずに凛として咲き残っている白菊を見たときに、思わず理屈抜きに心に迫ってくるものがあるというのです。
もう一つ、常々不審に思っていることがあります。それは歌の題のことです。現在は「庭の千草」で知られていますが、訳詞者が付けた原題は「菊」でした。歌い出しが「庭の千草」であるため、いつの頃からかそうなってしまったのでしょうが、歌詞をよくよく読んでみれば主題は白菊です。「庭の千草」は題には相応しくありません。私なら、咲き残った菊を表す優雅な大和言葉である「残(のこ)んの菊」としたいところ。「ざんぎく」では音の響きがよくありませんから。せめて元の「菊」に戻したいものです。
古典和歌を独学し、霜に負けずに咲き残る白菊のことを知るに及んで、私は庭に枯れ残る菊をなかなか整理できなくなってしまいました。もちろん新年を迎えるために年内には整理はするのですが・・・・・。白菊は、霜が降りる頃には赤紫に色が移ろいます。古人はそれを一年に再び咲くとか、色がまさると歌に詠んで愛(め)でたものです。まあそれも一つの風情ではありますが、衰えゆく過程ですから、瑞々しい美しさではありません。しかし試みに菊の花の香りを嗅いでみてごらんなさい。その香りの何と香(かぐわ)しいことか。色は衰えたりといえども、香りは全く衰えていないことに驚くことでしょう。
これを人に宛てはめるならば、「色」とは目に見えるものですから、表面的な見た目の美しさのことです。若いときには「色」の美しさが人目をひきます。それに対して「香」は目には見えない内面的な美しさ、つまり品格・人格とでも言いましょうか、内面から滲(にじ)み出てくる美しさのことです。「色」は歳を重ねるにつれて衰えるもの。しかし「香」は絶えず磨き続けさえすれば、歳を重ねても決して衰えることはないのです。私の人生もそう長くはないことでしょう。今は夫婦そろっていますが、いずれどちらかが先に逝(い)きます。その時、残された方はこの「菊」の歌を歌いつつ、凛として健気に生きられるようにと、霜枯れの白菊を見るたびにしみじみと思うのです。私は自分の名前の字義によって、書斎に「無尽堂」と名付け、銘木の板に墨書して掲げてあるのですが、もし私が先に逝ったら、我が家を「傲(ごう)霜庵(そうあん)」と呼ぶようにと妻に話し、板の裏面にもう書いて用意してあります。
それにしても「庭の千草」の本当の意味は、なぜ知られていないのでしょう。それは同音異義語の掛詞などによる大和歌の重複構造を、現代短歌がつまらぬ技巧として切り捨ててしまったため、隠れた意味に触れることがなくなってしまったからであろうと思います。古歌では普通に見られることなのですが、現代短歌ではまず見られません。この歌の重複構造については、明治期の教育を受けた文化人なら誰もが理解できることでしたから、わざわざ説明する必要もなかったのでしょう。私はたまたま王朝和歌の研究を趣味にしているので、誰に説明されなくとも自然に理解できました。この歌の秘密を知ったならば、どれ程多くの高齢者の方が、わけても伴侶に先立たれて寂しくしている方が、励まされることでしょう。
おそらく訳詞者が参考にしたと思われる和歌が、鎌倉時代の『夫木(ふぼく)和歌抄』に伝えられているので、ご紹介しておきましょう。「秋暮れて千草の花も残らねど ひとり移ろふ霜枯れの菊」(夫木和歌抄 残菊 6511)。併せて、夫に先立たれて寂しくしている女性を励ますために、私が詠んで贈った歌二首。「露に泣き霜におごりて移ろへど 籬(まがき)の菊の香ぞあらたなる」「年を経てうつろひゆくぞあはれなる 人に後るる白菊の花」(「籬」は柴や竹で粗く編んだ垣根)。
You Tube(ユーチユーブ)で「夏の最後の薔薇」と検索すると、何人かの歌手の歌声を聞くことが出来ます。また「庭の千草」でも同様です。私はHayley(ヘイリー) Westenra(ウェステンラ)の歌声が好きです。日本人歌手の「庭の千草」も悪くはないのですが、おそらくはこの歌の本当の意味を理解して歌っているのではないのでしょう。それに対して「夏の最後の薔薇」は、晩年の寂しさを歌っているだけあって、心に染み渡るように感じます。歌詞は英語ですが、それに日本語の歌詞を乗せて、聞いてみて下さい。
最近この拙文を読んで下さる方が少しいらっしゃるようですが、まだまだ歌の本当の意味は知られていません。どうぞ多くの高齢者の方に御紹介下さい。きっと生きる勇気をもらえると思いますので、拡散をお願いします。私があちこちでお話ししてとても間に合いませんので。感想をお聞かせ下さるととても嬉しいです。
追記
訳あって平安時代の漢詩集である『本朝無題詩』を読んでいたところ、藤原敦基による「賦残菊」の長い詩の中に、次のような詩句を見つけました。「及寒早悴初冬雪 抱節専凌暁漏霜」というのですが、漢学の素養のない私には、正しく読み下すことができません。苦し紛れに「寒に及べば早に初冬の雪に悴(やつ)るれど、節を抱きて専ら暁漏の霜を凌ぐ」としてみました。全く自信はないのですが、およその意味は理解できそうです。「寒さの厳しい冬となって雪が降り、かじかみ凍えてしまうが、志を固く保って暁の霜をも耐え抜く」といったところでしょう。作者は11世紀末に文章博士として活躍した、漢詩の才では当代随一と讃えられた人物ですから、私にとって難解なのはやむを得ません。しかし菊が寒さにも耐えて凜として咲く姿に感動して詠んだものであることが伝わってきます。菊は中国渡来の花ですから、中国の詩人は盛んに菊の詩を詠んでいます。もちろん唐文化に憧れた日本の知識人も負けず劣らず詠んではいるのですが、日本の詩では、中国ではあまり詠まれなかった残菊の詩が多いことに中国とは異なる特徴があります。日本的感覚では、花の盛りもさることながら、花が移ろうこと、桜なら散る姿に心を打たれ、菊ならば寒さに耐えて健気に咲く姿に感動するのでしょう。「節」は「みさお」とも訓みますから、まさに「庭の千草」の白菊の二番の歌詞と同じなのです。訳詩者がこの漢詩を知っていたとは思えませんが、何か共通するものを感じましたので、ここに書き留めておきます。 令和7年4月
一、庭の千草もむしのねも かれてさびしくなりにけり あゝしらぎく嗚呼(ああ)白菊 ひとりおくれてさきにけり
二、露にたわむや菊の花 しもにおごるやきくの花 あゝあはれあはれあゝ白菊 人のみさをもかくてこそ
菊が主題であるため、よく秋の歌に分類されていますが、それは明らかに誤りで、初冬の庭に咲き残る白菊のあわれを歌ったものです。「おごる」「みさを」など難しい言葉もありますが、全体としてはそれ程難解な歌詞ではなく、意味はだいたい理解できることでしょう。しかし表面的な自然描写の背後に、実は人の心情描写が隠れていることに気付いている人はほとんどいないのです。古来の和歌には、同音異義語や掛詞や比喩などの修辞法を用いて、表面では自然を描写しながら、裏面では人の心を描写する重複構造になっている歌が極めて多いのです。例えば、木の葉が紅葉するのは、実は紅葉そのものを詠んでいるのではなく、木の葉ならぬ言(こと)の葉が色変わりして、恋人の心変わりを嘆く内容であったりする。また雨が降ることは泣いていることであり、霞や霧がかかるのは心が隔てられていることであり、穂が出ることは本心が現れることなのです。心情を直接的に露骨に表現するのではなく、何か自然の物に託したり喩えたりして、間接的に奥ゆかしく表現する。このような大和歌独特の重複構造を読み解かなければ、その歌を本当に理解することは出来ません。
この「庭の千草」にも、そのような重複構造が隠れています。その鍵(かぎ)になるのは、まずは「かれて」という言葉です。素直に漢字を宛(あ)てれば「枯れて」なのですが、同音異義語の「離(か)れて」の意味が隠れています。古語の「離る」は「かる」と訓(よ)み、「遠ざかる」とか、「心が離れる」ことを意味しています。百人一首に収められている「山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば」の「かれ」はこのよい例で、草が「枯れ」、人目も「離(か)れ」た寂しさを訴えている歌なのです。「かれて」を敢えて平仮名で表記することには、漢字が目立つと見た目の印象が固くなり、小学生には読みにくいという配慮もあるのでしょうが、「枯」と「離」を掛けているため、どちらの意味にもとれるように、意図して漢字を避ける狙いもあるのでしょう。ですから「かれてさびしくなりにけり」という歌詞は、春から秋の間には多くの花が咲き、虫も花に誘われて集まるように、多くの人達と共に楽しく過ごしていたのに、晩秋から冬になると、花は枯れ、虫も死に絶えるように、一人去り、二人欠け、ついには独りぼっちになってしまったことを表しているのです。
次に鍵(かぎ)になる言葉は「おくれて」です。これも漢字を宛てれば「遅れて」でしょう。実際に多くの歌詞情報がそのように表記されています。現在では一年中花の絶える時期がありません。しかし古(いにしえ)には、菊がその年最後の花と理解されていました。「目も離(か)れず見つつ暮らさむ 白菊の花より後の花しなければ」(後拾遺和歌集 349)(「花し」の「し」は強意の副助詞)の歌は、そのことをよく表しています。ですから、白菊だけが遅い時期まで咲いていると歌詞に詠まれるのももっともなのです。しかし「おくれて」には、「後れて」という意味が隠れています。古語の「後(おく)る」には、「死に後れて残される」という意味があります。ですから、白菊の花は、愛する者が先に死んでしまい、独り寂しくしている人の比喩なのです。
この「後れて」の意味がわかってこそ、二番の「人のみさを」という歌詞もよく理解できるというものです。古来、「露」は涙の比喩でした。独り残された寂しさの故に、白菊は涙の露に濡(ぬ)れてうなだれるのです。「霜」は人生の艱難の比喩でしょう。「おごる」には、「驕り高ぶる」という意味の「驕る」や「奢る」ではなく、「傲る」という漢字が宛てられます。「傲る」とは、相手に負けずに堂々としていることを意味しています。「傲霜(ごうそう)」、つまり「霜に傲(おご)る」とは、霜に屈しないこと、転じて強く正しく、凶暴なもの、つまり人生の艱難にも屈しない人の比喩なのです。また「霜にも負けない」という意味で、菊を形容する慣用的表現として、しばしば菊の漢詩に好んで詠まれた言葉です。また古歌にも、霜に負けずに咲く白菊の花が詠まれています。「草枯れの冬まで見よと露霜の 置きて残せる白菊の花」(詞花和歌集 129)。近くでは、童謡「野菊」(昭和十七年)に、「霜がおりても負けないで」という歌詞があることでも明らかなように、「菊は霜にも負けずに咲く」という理解が、かつては古くから共有されていたのです。
そうすれば、「人のみさをもかくてこそ」の意味も明白でしょう。「みさを」は漢字では「操」や「節」と表記され、心変わりしないで志を堅く守ること。転じて一人の伴侶を愛し続けることを意味しています。「かくて」は「このように」、「こそ」は強意の係助詞で、「かくてこそ」に続いて、「貴(とうと)けれ」(それでこそ貴いものだ)のような言葉が省略されているのでしょう。(強意の係助詞「こそ」を受けて、詠嘆の助動詞「けり」は活用して已然形の「けれ」となる)
秋も往(ゆ)き、冬の寒さが次第にいやまさる頃、かつて庭に共に咲いていた草花は、みな枯れ果ててしまいました。しかし愛する伴侶に先立たれてしまった白菊の花は、まだ独り咲き残っています。かつては美しかったその容貌も、長い年月を経て見る影もなく衰えてしまいました。共に咲いていた日々を思い起こしては、涙にむせんでうなだれます。友の励ましや労(いたわ)りも嬉しくないわけではありませんが、溢れる涙を堰(せ)き止めることはできません。しかし厳しい冬の夜の艱難には毅然として立ち向かい、最後の力を振り絞って凛(りん)として咲く。そうして己(おのれ)を大切にしてくれた伴侶の愛に応えるのです。その姿は何と健気(けなげ)なことでしょうか。
以上のような理解が決して私の独断でないことは、「庭の千草」の原詩である「夏の最後の薔薇(ばら)」の歌詞と見比べてみれば、一目瞭然です。この歌はアイルランドの国民的詩人トマス・ムーアの詩「The Last Rose of Summer」に、ジョン・スティーブンソンが作曲したということです。それによれば、作詞者は最後に一輪だけ残された薔薇に呼びかけます。「寂しい薔薇よ、仲間が永遠の眠りについている花壇に、おまえを散らしてあげよう。そして共に眠るがよい。そして私もその後に続くだろう。愛する者達がいないこの寂しい世界に、誰が独りで生きてゆけようか」と。要するに、最後に咲き残っている薔薇になぞらえて、孤独な晩年の寂しさを歌っているのです。
「庭の千草」の作詞者里見義(ただし)(「埴生の宿」の作詞者としても知られている)は、当然のことながら英語の原詩を読んでいます。そしてそれに感動したからこそ、日本語に翻案したのでしょう。赤い薔薇は日本風に白菊となりました。しかし原詩では孤独な晩年の懐旧の情と厭世感が色濃く漂っているのに対して、訳詞では健気な生き様が表現されている点で、印象が異なっています。しかし晩年の孤独という点では共通しています。訳詞者は薔薇の花の美しさ、最後の薔薇の寂しさそのものに感動したわけではありません。薔薇はあくまでも象徴に過ぎません。同じように白菊も象徴です。象徴である以上、象徴されている本質に触れなければ、真にこの歌を理解したことにならないではありませんか。いかがですか。私の理解が、決して独断ではないことをご理解していただけたものと思います。
見逃してしまいがちですが、「さびしくなりにけり」「さきにけり」の「けり」という言葉にも注目したいものです。この「けり」は、それまで気が付かなかったことに初めて気が付いた感動を表す詠嘆の助動詞で、文法的には「気付きのけり」とも呼ばれます。白菊だけが取り残されるようにして咲いていることに、ある日はっと気が付いて、「そうだったのか」と驚いているのです。また「あはれ」(あわれ)は「かわいそう」という意味の「あはれ」ではありません。本居宣長が「もののあはれ」とよんだ「あはれ」という言葉は、あるものに接したとき、自ずから湧いてくるしみじみとした情趣のことです。霜に負けずに凛として咲き残っている白菊を見たときに、思わず理屈抜きに心に迫ってくるものがあるというのです。
もう一つ、常々不審に思っていることがあります。それは歌の題のことです。現在は「庭の千草」で知られていますが、訳詞者が付けた原題は「菊」でした。歌い出しが「庭の千草」であるため、いつの頃からかそうなってしまったのでしょうが、歌詞をよくよく読んでみれば主題は白菊です。「庭の千草」は題には相応しくありません。私なら、咲き残った菊を表す優雅な大和言葉である「残(のこ)んの菊」としたいところ。「ざんぎく」では音の響きがよくありませんから。せめて元の「菊」に戻したいものです。
古典和歌を独学し、霜に負けずに咲き残る白菊のことを知るに及んで、私は庭に枯れ残る菊をなかなか整理できなくなってしまいました。もちろん新年を迎えるために年内には整理はするのですが・・・・・。白菊は、霜が降りる頃には赤紫に色が移ろいます。古人はそれを一年に再び咲くとか、色がまさると歌に詠んで愛(め)でたものです。まあそれも一つの風情ではありますが、衰えゆく過程ですから、瑞々しい美しさではありません。しかし試みに菊の花の香りを嗅いでみてごらんなさい。その香りの何と香(かぐわ)しいことか。色は衰えたりといえども、香りは全く衰えていないことに驚くことでしょう。
これを人に宛てはめるならば、「色」とは目に見えるものですから、表面的な見た目の美しさのことです。若いときには「色」の美しさが人目をひきます。それに対して「香」は目には見えない内面的な美しさ、つまり品格・人格とでも言いましょうか、内面から滲(にじ)み出てくる美しさのことです。「色」は歳を重ねるにつれて衰えるもの。しかし「香」は絶えず磨き続けさえすれば、歳を重ねても決して衰えることはないのです。私の人生もそう長くはないことでしょう。今は夫婦そろっていますが、いずれどちらかが先に逝(い)きます。その時、残された方はこの「菊」の歌を歌いつつ、凛として健気に生きられるようにと、霜枯れの白菊を見るたびにしみじみと思うのです。私は自分の名前の字義によって、書斎に「無尽堂」と名付け、銘木の板に墨書して掲げてあるのですが、もし私が先に逝ったら、我が家を「傲(ごう)霜庵(そうあん)」と呼ぶようにと妻に話し、板の裏面にもう書いて用意してあります。
それにしても「庭の千草」の本当の意味は、なぜ知られていないのでしょう。それは同音異義語の掛詞などによる大和歌の重複構造を、現代短歌がつまらぬ技巧として切り捨ててしまったため、隠れた意味に触れることがなくなってしまったからであろうと思います。古歌では普通に見られることなのですが、現代短歌ではまず見られません。この歌の重複構造については、明治期の教育を受けた文化人なら誰もが理解できることでしたから、わざわざ説明する必要もなかったのでしょう。私はたまたま王朝和歌の研究を趣味にしているので、誰に説明されなくとも自然に理解できました。この歌の秘密を知ったならば、どれ程多くの高齢者の方が、わけても伴侶に先立たれて寂しくしている方が、励まされることでしょう。
おそらく訳詞者が参考にしたと思われる和歌が、鎌倉時代の『夫木(ふぼく)和歌抄』に伝えられているので、ご紹介しておきましょう。「秋暮れて千草の花も残らねど ひとり移ろふ霜枯れの菊」(夫木和歌抄 残菊 6511)。併せて、夫に先立たれて寂しくしている女性を励ますために、私が詠んで贈った歌二首。「露に泣き霜におごりて移ろへど 籬(まがき)の菊の香ぞあらたなる」「年を経てうつろひゆくぞあはれなる 人に後るる白菊の花」(「籬」は柴や竹で粗く編んだ垣根)。
You Tube(ユーチユーブ)で「夏の最後の薔薇」と検索すると、何人かの歌手の歌声を聞くことが出来ます。また「庭の千草」でも同様です。私はHayley(ヘイリー) Westenra(ウェステンラ)の歌声が好きです。日本人歌手の「庭の千草」も悪くはないのですが、おそらくはこの歌の本当の意味を理解して歌っているのではないのでしょう。それに対して「夏の最後の薔薇」は、晩年の寂しさを歌っているだけあって、心に染み渡るように感じます。歌詞は英語ですが、それに日本語の歌詞を乗せて、聞いてみて下さい。
最近この拙文を読んで下さる方が少しいらっしゃるようですが、まだまだ歌の本当の意味は知られていません。どうぞ多くの高齢者の方に御紹介下さい。きっと生きる勇気をもらえると思いますので、拡散をお願いします。私があちこちでお話ししてとても間に合いませんので。感想をお聞かせ下さるととても嬉しいです。
追記
訳あって平安時代の漢詩集である『本朝無題詩』を読んでいたところ、藤原敦基による「賦残菊」の長い詩の中に、次のような詩句を見つけました。「及寒早悴初冬雪 抱節専凌暁漏霜」というのですが、漢学の素養のない私には、正しく読み下すことができません。苦し紛れに「寒に及べば早に初冬の雪に悴(やつ)るれど、節を抱きて専ら暁漏の霜を凌ぐ」としてみました。全く自信はないのですが、およその意味は理解できそうです。「寒さの厳しい冬となって雪が降り、かじかみ凍えてしまうが、志を固く保って暁の霜をも耐え抜く」といったところでしょう。作者は11世紀末に文章博士として活躍した、漢詩の才では当代随一と讃えられた人物ですから、私にとって難解なのはやむを得ません。しかし菊が寒さにも耐えて凜として咲く姿に感動して詠んだものであることが伝わってきます。菊は中国渡来の花ですから、中国の詩人は盛んに菊の詩を詠んでいます。もちろん唐文化に憧れた日本の知識人も負けず劣らず詠んではいるのですが、日本の詩では、中国ではあまり詠まれなかった残菊の詩が多いことに中国とは異なる特徴があります。日本的感覚では、花の盛りもさることながら、花が移ろうこと、桜なら散る姿に心を打たれ、菊ならば寒さに耐えて健気に咲く姿に感動するのでしょう。「節」は「みさお」とも訓みますから、まさに「庭の千草」の白菊の二番の歌詞と同じなのです。訳詩者がこの漢詩を知っていたとは思えませんが、何か共通するものを感じましたので、ここに書き留めておきます。 令和7年4月
のどに衰えを感じるようになり、先月から市民講座のコーラスのクラスで歌うようになりましたが、そこで取り上げられた「庭の千草」の歌詞の意味を深く知ろうと調べたところ、こちらのBlogに行き当たりました。人の心情描写の重複構造や掛け詞など丁寧に細かく解説されていて大いに勉強させていただきました。一昨年冬に妻に先立たれて、まさに自分自身の心情そのもののように感じます。コーラスのクラスは高齢者ばかりなので、次回にでも歌詞の意味するところを紹介しようと思います。ありがとうございました。
訳の分からないフランス語より以前から格調高い日本語の歌詞が大好きだったので、この際本格的に歌詞を調べようとこちらのブログに辿り着きました。まさに目から鱗!
技巧を凝らした文体と古典的教養をふまえ、人生の終焉をいかに過ごすべきか高らかに美しく歌い上げた歌詞だったのですね。
素晴らしい解説を有難うございましたました。
高齢者の皆さんに広めたいと思います。
理解が深まりました。
ありがとうございました。