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長崎2日目 (その1)

2012年04月08日 11時37分31秒 | お出かけ・お散歩
2日目は、母と弟はハウステンボス、私と夫は長崎市内巡りの予定でした。
でも、前日夜から体調を崩した弟はハウステンボスどころではなく、平和記念公園あたりを少し歩いただけになりました。


私は、念願の長崎散歩…申し訳なかったですが、予定通り1日中歩き回りました。


まずは、出島を目指しましたが、ホテルから出て少し歩くと「オランダ坂」が目について方向転換。
これぞ大好きなお散歩のスタイルです。

 石畳を上ります。

坂の上は大学です。遅刻しそうなときは厳しいだろうな。

下り坂の始まりにはこんな貼紙 

かつて参道として作られたとのこと…「みさき道」です。

 途中にはベンチがいくつも置いてあります。

休憩しないとやってられないよね。車庫も作れない住宅地です。高齢者は大変だと思いますが、絶対足腰強い人が多いとも思います。



さて、出島へ。
出島は埋め立てられて昔の姿はないので、お土産物屋さんが並んでたりするのかななんて思っていましたが、大真面目に発掘して、復元、展示をしているので見ごたえがあり、思っていたより見るのに時間をかけました。


復元されているオランダ商館 

 壁に貼られた唐紙がきれいでした。

ミニ出島。こんなイメージだったようです。

 まだ発掘は続いています。



出島の前から電車(路面電車)に乗って、浦上方面へ。

平和記念公園 

 

平和記念公園から望む浦上天主堂 

知らなかったのですが、広島はウラン、長崎はプルトニウム…原爆の種類が違います。
難しいことは分かりませんが、そのため長崎は広島より被害の規模(爆心地から被害の半径)は小さいそうです。
比較の問題です。決して小さいとは言えません。

長崎が狙われた理由のひとつは、それまでに空襲の被害が無く、被害の分析がしやすいということがあるそうです。

戦争を早く終わらせるため、アメリカ兵の犠牲をこれ以上増やさないためにというのが理由に挙げられていますが、結局実験だったんだと思いました。
(その後も世界の各地で実験が行われています。)

でも、日本は長崎で武器を作っていたのも事実…。

世界中のほとんどの人間は、通常の状況下では「人を殺せない。人を殺してはいけない。」と思っているだろうに、何万人も殺す爆弾を落とせる…戦争は人を狂わすんだな。
戦争は、人がやってるんだけどね。キリシタンだったり、仏教徒だったりしながら。

流れに逆らって「私は嫌だ、反対だ」って言うことって意外と難しい。
日々の仕事でも、「まぁ、いいや。めんどくさいから言うこと聞いとこう。」ていうことがたくさんある。
時代とあいまって、その延長線上に戦争があるのでしょうか。

人間も宗教もそんなに簡単じゃない。

ただただ単純に「戦争は悲しい」ってことを、いつの世も言い続ける、みんなで確認していくことが大切なのかもしれないな。

 浦上天主堂は爆心地のすぐ近く。


天主堂は、戦後再建されています。

 爆弾落下中心地


この空です。 


今は子どもが遊ぶ公園 

こののどかな風景を見ていると、亡くなられたたくさんの人のことを思い、より一層切なくなります。


長崎散歩はまだまだ続く


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