私の大好き

原村大好き!その記録です。
仕事はきついけど、大好きでいたい!

在庫一掃

2011年01月30日 10時29分59秒 | 日常…
若干賞味期限切れのきな粉がたくさんありました。
そしたら、昨日きな粉のもらい物。

きな粉飴作りました。



黒糖ときな粉だけでできています。
パパイヤ鈴木がなんかのテレビで作っていて、年末に作ったら次女に好評だったので
量を増やして作ってみました。
ちょっときな粉の量が多めだったかもしれません。




気になっていた黒糖ときな粉は在庫一掃できました
昨日もらったきな粉は、丸々残っているんだけどね。



なんかいい使い道ないですかね

再びの琳派

2011年01月29日 12時54分40秒 | お出かけ・お散歩
先週末のお出かけの記録です。

帝国劇場9階の出光美術館に行ってきました。

「酒井抱一生誕50年 琳派芸術 ~光悦・宗達から江戸琳派  第一部煌めく金の世界」
(タイトル長いな…)

キンキラの金屏風に一面の赤や紫、色とりどりの花の絵。



以前はコレが素敵って思えたかなぁ?…と、思いながらずっと見てました。
(以前ってどれ位以前かよくわかんないけど)








少しですが、ルオーとムンクも展示されていました。
ムンクはあまり見たことないけど、マティスと肩を並べる位「途中で描くのやめちゃった感」のある画家さんですね。
最後まで描けばいいのにねって、素人さんは思っちゃいます







9階から皇居方面の景色が綺麗に見られました。
お茶も無料で飲めます。
写真撮ったのに、間違って消しちゃったみたい


ミュージアムショップでつい何かしら買っちゃうんですよね。

尾形乾山手ぬぐい 


今、手ぬぐいブームです。


コレも最近 


2月11日から 「第2部 転生する美の世界」です。
またお邪魔します、出光美術館。


句集三部作の続き

2011年01月29日 11時52分21秒 | 日常…
父の句集をまとめていた母が、俳句の面白さに目覚め俳句をつくり始めました。
投稿も始めました。
冊子に掲載される…という楽しみもあるようです。



父の句集を大変な思いをして完成させた後、引き続き2冊の句集が出来上がりました。



 実家の庭が超素敵な感じ

 原村のもみじです

 母が若いときに過ごした横浜


父は俳句に文を添えましたが、母は文とともに趣味の写真を添えました。
自慢のデジタル一眼レフを駆使し、いつでもどこでも写真を撮ります。
この句集は、まず写真が先にあるのかもしれません。


正直、俳句の良し悪しは私にはよくわかりません。
俳句は難しいですよね。
いや、むしろ難しく考えるから難しいのかも。


見てそのまま感じる写真と、俳句と言う凝縮された形が一緒になるのは
それぞれを理解するのに面白いなと思います。





この「製本」されるということが、母の「つぼ」にはまったと思われます。
形としてキチンと存在しているでしょ。


母は、お菓子の空き箱とか紙袋とかにしまった物が何かわかるように
テプラで物の名前を打って貼り付けます。
テプラで…が、ポイントです。
グッと「キチンと感」が増すでしょ。


私は、いつも「あぁ、またやってる」と心秘かに思っているわけですが、
その気持ちが分からないでもないんです。
時間がないから出来ていないけど、私も持っていますよ。テプラ…。







1冊目は、「追悼句集 2010年秋」
2冊目は、「写真句集 2010年」

タイトルに「2010年」と入れるあたり、明らかにもっと作ろうとする企みが感じられます。

句集三部作のはじまり

2011年01月23日 17時09分26秒 | 日常…
父の趣味の一つが俳句でした。
母の努力により、昨年秋の一周忌に間に合うように一冊の句集「相生」にまとめられました。



生前父は、自分の句に短い文を添える「折々のこころ」というものをまとめていました。
「相生」は、その『折々のこころ』に加え、『「春燈」「青淵」という俳句の本に投稿し掲載された句や句に添えられた選者の講評』『原爆追悼の句』の三部構成になった本です。


 手前の本が、父の句集「相生」です。


 母の書と父の彫った篆刻によるページもあります。



私にも母から依頼が来て「句集相生に寄せて」としてあとがきを書くことになりました。


 父は、散文を書いたり、俳句をひねったりするのが好きでした。時に自分の書いた文を読んで「なかなか上手いこと書いている。」と、悦に入っていることもありました。

 父は、日々の暮らしの中で常に「言葉」を意識していました。水がポコポコと湧くときのように心に湧いてきた言葉を、大切に留めておいたのだと思います。もちろん、それは文章や五七五の俳句の形になって湧いてくるわけではなかったでしょう。心に留めて熟成させて、時間をかけて言葉が繋がってくるのを待つという作業をしていたのです。その過程の中で、自分の人生に起こった色々な出来事が「繋がっていく」「整理されていく」という気持ちの良さを楽しんでいたのだと思います。

 一方母は、父の文や俳句の一番のファンであり、俳句に文を添える「折々の心」をいたく気に入っていました。父が書くとすぐにそれをパソコンに打ち込み、体裁を整えていき、父が推敲を重ねると即座に直していったのです。そして、「これで完成?次を書いてほしい。」と頼んでいました。父は乞われるままに書くのではなく、いつも難しく眉をひそめ、「そんな風に書く物ではない。」と怒っていたように思います。でも、この母の熱意こそがこの本の完成に不可欠であったことは間違いありません。

 私は、遠藤周作が書いた次の文章にとても共感しています。「イスラエルに行く度に私が興味を持つのはテルである。テルというのは丘というほどの意味だが、厳密には丘ではなく各時代の街や村が層をなして埋もれた丘なのだ。(中略)私はテルの発掘された暗い穴を覗き込むたびに小説家の内部を連想するのである。小説家が小説を書くとき結局物をいうのはテーマでもプランでもない。物をいうのは自分の存在の内側にある人生体験の集積と芸術的影響が混沌として集積している深い井戸によってである。」

 この本で、父を知る方々とともに父の中にあった深い井戸を感じ、父を偲ぶことができることを大変嬉しく思っています。





とまぁ、こんなあとがきです。

この文章は父が亡くなって間もない頃、このブログのために書いたものです。
なんとなくアップ出来ないまま、草稿としてずっと保存されていました。
少し手直しをして「あとがき」にしたのです。



こうしてみると、私も父に似て、文章を温めているのが好きみたいです。


「相生」を作るに当たって、そのほとんどを母がこなしました。
ワードで原稿を作成し、製本を依頼できる状態までにしました。

私がやったことと言えば、ネットで製本会社を検索したことと、データの若干の体裁を整えたこと、校正で読み返すこと…くらいでしょうか。

パソコンを駆使してデータを作るくらいは母にできるだろうと軽く思っていました。
母は時間もたっぷりあるし。

でも、かなり大変な作業だったようです。
冷静に考えると、確かに80歳近い母にとってはきついかもしれません。
ま、できちゃうんだけどね


本が完成してから、「もっと、手伝ってくれるかと思った。」と言われたときは少し反省しました。

でも、「相生」は、1冊目です。句集はまだまだ続きます。




みんなの幸せ

2011年01月23日 15時55分58秒 | 思うこと
知人に誘われ、ある特別支援学校の文化祭に行ってきました。


合唱部の歌声と、高1の劇を見てきました。




歌声を聞きながら、思ったこと。

みんな、一人残らず幸せになってほしいということ。
誰にもいじめられず、排除されず、一緒にいて安らぐ人がいる幸せを感じて暮らしてほしい。


特別じゃなく、誰にとっても、おんなじ願い。


合唱部は、東京マラソンのランナー応援イベントで日比谷公園でも歌うそうです。








帰りに友人と食べたのは、ワンプレートランチ。


こういう風に盛り付けるのは、自分の家でやってもいいかも

洗い物も少なくてすむし。大きいお皿買っちゃおうかな


小学生以来

2011年01月16日 16時23分16秒 | 日常…
ここ何年か、右耳だけがトンネルの中に入ったときのように「つまった感じ」になります。
毎日ではないのですが、一日中続き不快な時もあります。

昨日もそんな状態でした。

早めに寝た夜中にひどく咳き込んでいたような気はします。

その後から、右耳に違和感…
違和感を超えて痛み…






小学生のとき、耳が痛くなり一晩中泣いていた記憶があります。
「あの時の痛みにそっくり

そして、その時は翌日耳鼻科に行ったところ「中耳炎です。切開しましょう」と言われ、
激しい痛みを伴ったという嫌な思い出があります。





「痛い、痛い」と思いながら、思い出すのはあのときの記憶です。


それからは、ウトウトしても「耳鼻科を探し回る夢」とかみてしまい、眠れず。
夢の中で自転車に乗って耳鼻科を探すのですが、ありえない急坂を登り続けるという厳しいものです。





耐え切れず、5時に起き上がってネットで休日診療をしている耳鼻科を検索。
車で30分くらいかかるものの、一応八王子市に一箇所発見しました。
しかも、本日夫が午前中に用事があって車で行くつもりの場所のすぐ近くです。


「不幸中の幸い」とは、まさにこういうことでしょう。







モニターに映る耳の中を見せてもらいましたが、真っ赤でありました。
中耳炎です。

やっぱり…。
だって、小学生のときのあの痛みとおんなじだもん



あわせて「つまり感」の原因は何かと聞いてみたところ、「疲れとストレス」とのことです



本日は、お散歩も運動もおやつビールも自粛しました。


その代わり…じゃないけど、メロンパン作りました。


フェルトで。

気を取り直して

2011年01月15日 10時12分02秒 | お出かけ・お散歩
靖国神社を出てから呆然としてしまい、目的地を失いなんとなく目の前の道を歩き始めました。


竹橋を過ぎると、昔勤めていた会社が見えました。





皇居東御苑 平川門になんとなく吸い込まれるように入っていきました。

 ここでも梅の花が咲いています。

このところ梅を初めて見るのは都心歩きの時です。
そりゃ八王子は寒いしね。

江戸城天守台よりオフィス街を臨む 

 ここにも有名な歴史の舞台がありました。







江戸城本丸跡に立つ木々です。癒してくれる風景です。

 これぞクスノキ。

 The クスノキです。

これも theケヤキですね。





 勿論石垣もおさえました


 






 雑木林もあります。江戸城に?

「昭和天皇のご発意で武蔵野の面影を持つ雑木林を整備した」と説明書きがありました。







 大手門と工事現場

 大手門からも会社が見えました。


こんな近いのに、入ったことがなかったんだ。そんなものです。






 皇居の周りはランナーさんたちが驚くほどたくさんいます。







 ビルの前にある建物は和田倉噴水公園レストラン


この電柱の無い景色に憧れて、中学生の頃から「ここで働こう」と思っていました。
今は全く違う仕事についているけど、「やめなければよかった」って思ってしまった。

今の仕事も苦しいながら心をこめてやろうと思っています。
どっちが本当の気持ちなのかよくわかりません。





 噴水見ながら、一休み


少し気を取り直して、東京駅から中央線に乗りました。

想定外

2011年01月14日 23時14分50秒 | お出かけ・お散歩
先週末の3連休初日に長女の引越しがあり、その流れで2日間お掃除に邁進することになりました。
せっかくの3連休だし、3日目は「お散歩」に行こうと決めました。


東京国立博物館の「本館リニューアル記念 特別公開」を見ようと思っていました。


ただ上野に行くのではお散歩として物足りないので、市谷駅から歩こうと計画しました。

途中靖国神社に寄って、それから上野に向かうつもりでした。






それがとんでもない想定外でした。

南門から靖国神社に入り、まずは拝殿の裏側から回りました。




裏手はあまり人もいなくて、梅が綺麗に咲いている所にひっそりと「守護憲兵の碑」が建っていました。
憲兵ってあまり良い印象で扱われていないけれど、「そうか。憲兵として生まれてきたわけじゃないしな。時代が憲兵にしたっていうこともあるかも。」なんて軽く思いながら歩いていました。


碑の近くは梅の花が綺麗に咲き、その下にどんなに近付いても微動だにしない猫。







庭園を経て、「遊就館」に入りました。

  



ここの様々な展示は衝撃的で、歴史を伝えるって何だろうって私を混乱させました。

靖国神社は、政治家の踏み絵みたいな所だなぁ、なんて軽く思っていたけれど、う~~ん






日露戦争パノラマ館では、勇ましい音楽とともに日露戦争にいかに勝利したかが映像で映し出されます。
ナレーションは、北朝鮮の番組のような調子で。
テロップは、「奉天会戦 大勝利!!」とか。


第二次世界大戦の末期の負け続けた戦いを「守勢作戦」「本土防空作戦」と表現しています。


靖国の神々という展示は、壁一面に戦争でなくなった方々の顔写真(御遺影)が並んでいます。
名前には「○○ 命」と書かれています。「○○のみこと」、神として祭っているということです。
そして一緒に、とても人間らしい家族への遺書等も展示されています。



館内にあるパンフレットを手に取り読んでみると、あからさまにソ連を責めるような内容のものがある一方、
アメリカにはあまり触れられていません。
中国や韓国も…。これも配慮か。


人間魚雷「回天」や、南方の戦地から収容されてきた物、硫黄島から自分の子どもに宛てて送られた手紙など、物はストレートに真実を伝えてくれます。
でも、う~~~ん



戦争で亡くなった方々を否定するつもりは全く無いけれど、う~~~ん、歴史を伝えるって何だろう?




混乱が続き、上野まで歩くパワーをすっかり奪われてしまいました。

想定外のお散歩になりました。


私たちって忙しい!!

2011年01月09日 07時36分06秒 | 原村の記録
5日は味噌作りです。

朝の7時頃から大豆の鍋に火をかけました。
まずは午前中に2回戦です。

「私たちって忙しい」と、言いながらせっせと頑張りました。

私一人じゃなくて本当に良かったよ。
おしゃべりしながらやると気が滅入ってこないし。
何よりN夫人は、味噌部の部員なので味噌作りの助手としてとても有能です。
(今回は、我が家の味噌を作りました。部員の活動は別日に設定です。)

一人だったら、嫌になっちゃったと思う。





味噌を瓶に詰めるのは、全部N夫人にやってもらいました。
丁寧で上手なの。
粘土を保管するときの要領でやっているそうです。








うちには何しろたくさんの瓶があります。
作業2回分の味噌が入る大きな瓶も2個あります。
でも、コレが何しろ重い。
大きい瓶を持ち上げて棚に収めるのがきつくなってきました。
年を重ねてきたためか、気合だけではいかんともしがたい。
大きい瓶はキャスターに乗せ、棚の一番下に収納したらどうかということになりました。






味噌作り2回戦を終えた私たちは、早速作戦実行のためにJマートへお買いもの。

「私たちって忙しい!!」

お買い物の前に、富士見のAコープに寄って、ピザランチしました。

園芸コーナーで植木鉢を乗せるキャスターを見つけました。
ちょうどほしいと思っていた30センチ角です。
キャスターの強度に若干の不安を感じつつ購入です。
399円也。
強度の問題はおいおい考えていきましょう。

 一番下の段はバリアフリーなので。

いい感じに納まりました。 






家に戻ってまずは温泉
「もみの湯」が定休日のため、「縄文の湯」へ行きました。






帰ってきて一服した後、味噌作り3回戦が待っています

「私たちって忙しい!!」

夕飯食べながら、ビール飲みながら、夜の8時頃には終了です
1年分の味噌、多分24キロ位の仕込が終わりました。
助手にも感謝です






今回瓶の一つにひびが入っていて、そこから味噌が染み出してカビがついていたので、詰め替えも行いました。



「私たちって、ホントに忙しい!!!」