私の大好き

原村大好き!その記録です。
仕事はきついけど、大好きでいたい!

石窯の化粧

2018年08月28日 18時13分00秒 | 原村の記録
モルタル打ちっぱなしだった石窯の化粧は懸案になっていました。
色々案はあったのですが、まとまりません。
悩んでいても進まない。


ということで、石窯の材料を買った会社から漆喰を買いました。
何年かかっているのでしょう…。

塗りましょう❗️








土台のモルタルが凸凹してるから、こてを使って漆喰を薄く塗るのは難しい。
けっこう、手も駆使しました。

出来た🎵




漆喰を手で塗ると、手ががさがさになります。
今回の発見…。




説明書きに、3日間乾燥してから最初は軽めに火を入れる…とありました。


火を入れると、やはり前面には煤がつき黒くなります。
分かっていたとはいえ、ちょっと残念。




原村うちご飯

2018年08月28日 17時44分55秒 | 原村の記録
夫の久しぶりの蕎麦うち。孫も参戦。





えっちゃんが来ると必ず食べる馬刺し。






夕顔と鶏肉の煮物





ベランダが広くなり、外の朝御飯も快適🎵






夏休み恒例、N氏の畑のバジルを使ってジェノベーゼソース作り。
早速、昼食にパスタを。






ミコにもらったゴーヤとバナナのスムージー。






珍しく生姜焼き定食。
花火を見に行くので、アルコール抜きの夕食です。




仲間ピザ

2018年08月28日 17時44分00秒 | 原村の記録
14日は、仲間ピザでした。


私、N夫妻、マル
サッコとえっちゃん
ミコ夫妻(マルの後輩、超絶お料理好き、お料理上手)
ますみ(マルの友人、アメリカから一時帰国中)


総勢9人。
原村には、いろんな人が集まります。












ミコは、うちに来てから次々作っています。
デザートまで出来上がっていきます。
写真が追いついてないわ…。


ピザや焼きナスは私たちが作っています。


程よい曇り空で、夕方までゆったり飲んだり食べたり。


4世代ピザ

2018年08月24日 17時48分00秒 | 原村の記録
親族がMAX集まった11日にピザパーティーをやりました。

実家の母、義姉のお母さん
私たち夫婦、兄夫婦、弟
長女夫婦、次女、甥夫婦
長女の息子二人、甥の息子

4世代が集まりました。

総勢15人‼️


準備はそれなりに必要ですが、子供3人が場を和ませてくれます。


リフォームして広くなったベランダにござを敷いて、ヨチヨチ歩きの子供が動き回ります。
何をやっても、回りは嬉しそうに笑いあいます。


「とうもろこしを食べた」
「りんごジュースをよく飲む」
「大きなシャボン玉ができた」


言っても、そんなことです。
でもこの幸せは、誰かの幸せではなくて、間違いなくここにいるみんなの共通の幸せなんだなと思いました。
それってすごいことでしょ。
貴重な瞬間を味わい、心に留めておこう…バタバタ動き回りながらそんなことを考えていました。


ピザの写真があんまりないよ。

これは、長女の婿がプロデュースしたコーンピザです。
オリーブオイルベースで、朝市で買った朝採りコーンにクリームチーズ、ピザチーズ、マヨネーズも乗っています。









原村避難所

2018年08月24日 17時39分00秒 | 原村の記録
親族がMAX集まった10日の夜、N夫妻が原村にやって来ました。
我が家に置いてある草刈り機やらガソリンやら、フリースを取りに来たのです。


我が家には、実家の母と弟、長女一家と次女が泊まっていたので、ほぼ満室でした。
N夫妻は、マルの蓼科の別荘に泊まることになっていました。
何しろ、「日本一の別荘好き夫婦」ですから。
原村が満室なら、蓼科に泊まってあちらの草刈りから始めようという算段です。


取るものを取って、もみの湯に寄って、蓼科に向かうと言って出ていきました。
その直後、テレビから蓼科の土砂災害情報が…。
もみの湯にいた二人と連絡を取り合い、協議の末、原村に泊まることになりました。
何しろ、西日本豪雨の直後ですからね。


みんなが寝静まった頃にお風呂上がりの二人が我が家へやって来ました。
そして、N氏は、2階の三段ベッドに。
N夫人は、次女も一緒に私の部屋に。



原村は「避難所」と呼ばれることになりました。
冷えたビールが出てくる避難所です。




(これはイメージ図。いくらなんでもいつもはこんなに多くはない。いつもは1段だけです。それでも多いね…。)

原村外ご飯

2018年08月23日 16時06分00秒 | 原村の記録
カナディアンファームは、長女一家と次女、実家の母と弟、私たち夫婦の総勢9人。









下の孫は、着いた途端に寝始め、目が覚めたときにはパンとジャガイモしか残ってなかった…。




こんな悲劇あります⁉️
それはもう怒りましたよ、一歳児ながら。

若者たちはデザート食べに原村カフェに向かったので、そこで何か食べさせてもらったようです。




ゆう和

自然文化園近くのお蕎麦屋さん。
12日の土曜日に行ったら、激混み。
席についてからお蕎麦にありつくまでなんと1時間‼️
堪えのきかない弟が、落ち着いてよく待っていました。

けど、写真も撮らずにパクパク食べちゃったよ…。


原村カフェ
ゆう和からのはしごです。
長女たちが食べたという「あんみつ」が羨ましかったから。






オールディズ
仲間の中で最後まで滞在したサッコと。




外ご飯は少な目です。

暑い原村

2018年08月23日 15時31分35秒 | 原村の記録
原村といえど、油断できない暑さ。
午後の木陰の気温です。
もっと高い時間もあったと思います。



油断できない、油断できない!
東京で、3ケース仕入れてきました。



実は途中で2ケース買い足した…。
もちろん、大勢で飲んだんですけどね。

ワインも途中で買いに行くのめんどくさいから、まとめ買いした。



安心感あるね‼️




夫を小淵沢の駅に迎えに行く途中で、寄り道。
アウトレットにある天然氷を食べに。





原村に暮らす

2018年08月23日 10時53分00秒 | 原村の記録
もろもろの用事を済ませて、8月3日に原村入りをして、原村に暮らしております。

夏は人が集まることが多くて、なかなか普段の暮らしというわけにもいきません。
それは今までもそうだったし覚悟の上で、「親族が集まる原村」「仲間が集まる原村」を大切にしたいという気持ちに変わりはありません。



私は仕事のスタイルを変えて、時間に余裕ができました。
これからどんどんそういう人が増えていくでしょう。



一方で、数年前までの大人が集まる落ち着いた原村ではなくなりました。
次の世代がチョロチョロ動き回る嬉しい場面があります。
私たちの世代は、楽しいこと大好きでやる気はあるのですが、「あそこが痛い、ここが痛い」と以前ほど元気ではなくなりました。
曾孫の成長を見届けるために100歳まで頑張らなくてはいけない人もいます。



ということで、この夏の原村は色々な要素を整理しようと思いました。
「ひとり(あ、夫がいることもありますね😅)」「親族」「仲間」と分けてみました。


そして、最初にひとりのパターンの時間を作りたかった。
1番やりたかったのは、自分のベッド回りの洗濯!

週末に来るときはなかなか手が回らない。
天気がいいとは限らない。
誰かを泊めたときは、そのシーツとかの洗濯を優先させちゃう。

いっつも夏の終わりに…帰る前日位に…自分のを洗濯します。
そんなのやだ‼️

私の小さな小さな望みです😁

今年の8月上旬は原村も猛暑だったからね。
カラリと乾いたよ❤️




そのあとは、客人のために布団を干しまくりました。



数日後に夫もやって来ました。
天井の隅のクモの巣を払ったり、高いところの埃を払ったり。
サッシのさんを掃除して、黒ずんだ雨戸の戸袋を磨いたり。
庭仕事に邁進したり。


原村に暮らすためには、こういう時間は大切‼️


木田金次郎の絵を見に

2018年08月09日 05時53分00秒 | お出かけ・お散歩
原村に出発する前に、できるだけぐるっとパスを活用したいという「貧乏性」


何かないかと探していたら、府中市立美術館で木田金次郎の絵が見られます。

中学生の時に初めて読んだ有島武郎の「生まれ出づる悩み」が好きで、その後何回も読んだのですが、その小説の中に出てくる画家のモデルとなった人です。

昔の文庫本は驚くほど字が小さいな。








青春の苦悩と孤独を歓喜にかえた画家たち 木田金次郎展

『生まれ出づる悩み』出版100年記念だそうです。




明治生まれの作家、芸術家の多くは、裕福な環境に生まれ、生活以外の事に向き合う余裕、悩む余裕があったんだなと感じます。
いや、誰もが様々な想いを抱えて生きていたのに、表現する余裕がなかったということか。


木田金次郎も北海道の漁村の生まれながら中学の途中まで東京の開成に学んでいたのだから、最初は裕福な育ちだったのでしょう。


木田金次郎の絵は、小説を読んで想像していた絵のイメージ通りでした。
北海道・岩内の風景を独特の色彩感覚で、ぶつかり合うように表現していました。



木田金次郎が漁師をしながら絵を描いていたように、福井で炭焼きをしながら絵を描いていたという渡邊淳という画家の絵に引き込まれました。
初めて見たと思うのですが、ちょっとした驚きで、しばらく眺めていました。


常設の、牛島憲之の絵も良かったです。
こちらもお初にお目にかかりました。


そ、それにしても暑い☀️😵💦
外を散策とか無理で、バスを待つちょっとした時間も短くすむように配慮が必要でした。



その翌日は、何十年ぶりに新宿歌舞伎町に足を踏み入れ、映画を見てきました。
小さな映画館でやっていたのが評判になり、ついにTOHO系で公開したので初日に見てきたのです。
その前に観ようと画策したのですが、整理券をもらうために並ばなくてはならず、断念していた映画です。


「カメラを止めるな」
とても面白かったですが、ネタバレしたら意味のない映画なので、な~んも書けません…。
面白かったです🎵


観光客に申し訳ない…

2018年08月02日 16時23分00秒 | お出かけ・お散歩
全くもって私の責任ではないけれど、この暑さは東京の街にたくさんいる外国人観光客に申し訳ない気分です。
楽しめてますかね?
暑いという嫌な思い出だけになっていないですかね?


と、こんなことを思ったのは浅草へ行ったから。
半端ない外国人率です。
日本語聞くとホッとする…というのは大袈裟かしら?



漢字のようなものが書かれたお揃いのTシャツを着た団体さんがいました。
多分「寿司」と「絆」と書かれていました。
まず、その組み合わせがおかしいから‼️
そして、それは寿司と絆に似た何だか分からない線だから‼️

いや、別にそれはかまいません。
この暑さの中、日本でいい思い出を作ってくださいね。




私は、浅草寺・二天門のすぐ近くにある布文化と浮世絵の美術館「アミューズ ミュージアム」へ行きました。
もちろん、ぐるっとパスで入館できる所です。


津軽こぎん刺し








特別展は「美しいぼろ布展」でした。



青森県内の山・農・漁村を歩き回り、ぼろと呼ばれる布を探し保存してきた田中忠三郎さんのコレクションだそうです。

寒冷地である青森は、綿花の栽培ができません。
また、寒冷地であるにも関わらず、津軽藩、南部藩ともに農民が木綿を着用することを禁じていたそうです。
そのため、身に付けるものは全て麻。
1枚の麻布では寒いので何枚も重ねていきます。
重ねていけば防寒性が増すし、糸を刺していけば丈夫になる。
穴があけば小布で繕い、布と布の間は麻屑を入れて暖かくするそうです。














貧しさの象徴でもあります。
少なくてもここまでの貧しさから抜け出したことは悪いことではないです。

でも、どれもその時代に生きた人の息遣いが聴こえてくるようでした。
生き抜いていく息遣いです。
それは今の時代の私の心を震わします。

「断捨離」という耳に心地よい、何となく正統性を持った言葉を掲げて、バンバン物を処分していく私の心をチクリと刺しました。


そうは言っても、私には私の事情があります。
今の時代には時代の事情があります。



あるのですけど、チクリと痛みを覚えたのも事実です。
事実は忘れずにね。


屋上にのぼると、ほら、お隣は浅草寺です。



スカイツリーも近いです。