まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.哲学の何が難しいですか?

2012-04-18 18:41:02 | 哲学・倫理学ファック
こういう質問は初めていただいたかもしれません。
正確には2つの質問から成っていました。
「Q-1.哲学はやはり難しいですか? Q-2.とくに何が難しいですか?」
みんな哲学は難しいというイメージを抱いているようですので、
そのあたりの心境が 「やはり難しいですか?」 の 「やはり」 という語に表されているように思います。
これには率直に次のようにお答えしておきましょう。

A-1.皆さんの予想通り、哲学は本当に難しいです。

看護学校の授業でそこまで難しいことをやろうと思ってはいませんし、
このブログでもそれほど難解な話はしないようにしているつもりですが、
本来の学問としての哲学はやはり難しいと言わざるをえません。
そこで第2の質問ですね。
特に哲学の何が難しいのでしょうか?

哲学の難しさにはいくつかの要因があるように思います。
まずは哲学に限らずすべての学問に言えることとして2点。

A-2-①.それぞれの学問には長い歴史があり、
       そのなかで蓄積されてきたたくさんの答えや考えがあるので、
       それらを踏まえて順番に考えなければいけないので難しいです。

これは哲学に限らず、医学や看護学に関しても言えることでしょう。
医学には古代ギリシア以来の歴史がありますし、
看護学だって100年以上の歴史があります。
そのなかで医療も看護もどんどん進歩してきていて、
新しい知見が大量に生み出されてきているわけです。
なにか新しい治療法を考えようという場合も、
これまでどんなことが試みられてきたかを知っておく必要があります。
今現在、新たに学問を始めようとする人は、
この学問の歴史を1からおさらいしておかなくてはならないので大変なのです。
哲学も古代ギリシア以来の歴史がありますし、
以前に書いたように、すべての学問は哲学だったのですから、
踏まえるべき歴史が膨大にあります。
特に最近の哲学者たちはそれらを一通り踏まえて発言しますし、
いちいち誰のどの言葉なんて説明してくれずに、
知っていて当たり前みたいな感じで話に出されてしまったりすることもありますので、
それを知らない場合は何を言ってるのかまったく理解できないということにもなるのです。
これはすべての学問に共通する難しさの一因でしょう。

A-2-②.それぞれの学問には特有の専門用語がたくさんあり、
       それらを理解しておかないと意味がわからないので難しいです。

①と関連していますが、学問の長い歴史のなかで編み出されてきた新しい考え方を、
毎回毎回細かく説明するのはめんどくさいですから、
学問というのはそのつど専門用語をどんどん生み出していきます。
知っている人たちにとっては、めんどうな説明を省くことができるので、
専門用語というのはたいへん重宝しますが、
それを知らなければ何を言ってるのかまったくわからないということになってしまいます。
普通の人は 「セーシキして」 と言われても何のことかわかりませんが、
看護学校の皆さんなら 「はい、清拭ですね」 とピンとくるでしょう。
これを 「清拭」 という言葉を知らない人に頼もうと思ったら、
「入院中の患者さんのなかには入浴できない方もいらっしゃるので、
 その患者さんたちの身体を湿らせたタオルやガーゼなどで拭いてあげてください」
と長々と説明しなければなりません。
毎回これをやる代わりに病院では 「清拭」 という専門用語ですませるわけです。
これなんかはまだ簡単なほうですが、医学でも看護学でももっと難しい、
専門家でもなかなか覚えられないような病気や治療法に関する専門用語がたくさんあります。
それと同様にどの学問でもこの手の難しい専門用語がそれこそごまんとあるのです。
専門を学んでいる人にとっては、一度覚えてしまえばとても有り難いものですが、
専門外の人たちにとっては難しくて何のことかさっぱりわからないということになってしまいます。
哲学でもこのような専門用語がたくさんあるので、難しく感じられるのでしょう。

この2つの難しさにさらに哲学固有の難しさが2つ加わります。
これも以前に書きましたが、哲学は 「根本的に考えること」 です。
そこから次のような難しさが生じてきます。

A-2-③.哲学はみんなが当然と思っている前提、常識を疑っていきますので、
       普通の常識を備えた真っ当な人は、
       その問いの奇妙さ、過激さについていけなくなるため難しいです。

普通の人が疑問に思わないようなことを問われ、
考えてみたこともないようなことを考えさせられますので、
それが難しいと感じられる要因にもなるだろうと思います。
例えば、「時間とは何か?」 なんて普通の人は考えませんよね。
また、「他人の心のなかをどうやって知ったらいいだろうか」
ということくらいは考えるかもしれませんが、
「他人が心をもっているとどうやって証明できるのか?」 なんて考えたりはしませんよね。
そういう根っ子の部分を問うラディカルな問題を考えていくので哲学は難しいのです。

さらに哲学は 「実証的に答えの出せない問題について深く考え続けていく学問」 でもあります。
したがって、③に加えて次のような難しさも加わります。

A-2-④.哲学は実証的に答えを出すことのできない学問なので、
       見たり聞いたりというわかりやすい形で答えが出ることがなく、
       したがって、いつまでも答えが出ない場合が多いので難しいです。

私たちは小・中・高と答えの出る問題に慣れてきています。
ですからつい、たとえ自分で解けなかったとしても、
誰かがすぐに答えを教えてくれるだろうと期待しがちですが、
実は、この世で私たちが出会う大事な問題のほとんどは、
ひとつの正解が決まっているわけではありません。
どんな仕事に就いたらいいか、誰と結婚したらいいか、どこに住んだらいいか、
子どもをどうやって育てたらいいか、どんな人を政治家に選んだらいいか、
そうした問いには模範解答があるわけではありません。
ひとりひとりが自分の状況をよく考えて、
そのときそのとき一番適当と思える答えを探していくしかありません。
こうした難しい問題を考えられるようになるために、
小・中・高では、正解のある簡単な問題から始めて、考える練習をしているわけです。
哲学はこうした個人的な問題を考えるわけではありませんが、
「神様は存在するのか?」 とか 「そもそも存在するとはどういうことか?」 とか、
「人間は本当に自由なのか?」 など、
いくら観察や実験をしても絶対に答えが出ないような問題ばかりを扱っており、
それを頭と言葉だけで考えていかなければならないので難しいのです。
しかも、①や②で見たように、長い歴史のなかでどんな答えが出されてきたのかを参照しながら、
難しい専門用語も用いて考えていかなくてはなりません。
どうしても難しくならざるをえませんね。

看護学校の授業で扱う問題も、「死んだらどうなるのか?」 とか、
「脳死は人の死と言えるのか?」 とか 「理想の医療や看護はどういうものか?」 など、
たんに実証的・科学的に答えを出すことができるわけではないものばかりです。
これらは答えが出ないからといって考えなくていいような問題ではなく、
たとえ答えが出なかったとしてもずっと考え続けていかなくてはならない難しい問題です。
私の授業では、あまり歴史的蓄積には触れずに、
専門用語もそれほど使わずに考えていってもらおうと予定してはいますが、
いずれも難しい問題であることにかわりはありません。
自分たちでできる範囲でかまいませんので、
これらの答えのない難しい問題を一生懸命考えてみてください。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« のんあるカラオケ+バブル・... | トップ | 悪法にも従わなければならな... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

哲学・倫理学ファック」カテゴリの最新記事