おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

大峯山の奥駆修行ってどんなことをするの?その1

2013-03-09 | 山伏修行




上の写真は、山上ケ岳の大峯山寺と
有名な「西の覗き」です。
大峯山護持院 櫻本坊の奥駆修行は、
昨年7月15日から19日まででした。
集合は、15日午後3持に山上ケ岳櫻本坊の参籠所です。
僕は、洞川から登拝でした。
下の図は、第一日目は、山上ケ岳から弥山まで約10時間です。
赤字は、女人結界の場所です。これから上は女性は登れません。
banri さんの了解の上、写真を使わせて頂きました。
banri さんのブログです。ぜい見て下さい。
 http://d.hatena.ne.jp/banriman/



前進基地の洞川温泉街です。
趣のある町並みです。
20年前は賑やかだったそうです。



大阪三郷の皆さんです。

清浄大橋



大阪三郷の皆さんです。
面白い話を聞いたことがあります。

関西から関東にお嫁にいった方の話で、
まわりに般若心経のお経を上げられない人が
ほとんどだったのでびっくりしたとか。
関西では、お経を上げることは当たり前のことだそうです。

女人結界


大阪三郷で登拝するときに
護身法を祈り
九字を切って
山に入ります。
なぜ?
山は不思議なことが起こります。
獣の憑依(ひょうい)を恐れて取り付かれないようにと祈ります。

なぜ女性を受け入れないのか?
日本でただ一箇所だけです。

宮家準先生の「大峯修験道の研究」に
大変興味あることが書かれています。

「周知のように霊山の麓に住む女性は
山に入ることを恐れ、女人禁制を厳格に
守っている。女性らは山に住む妖怪が
自分たちに宿って妊娠させたり、
憑依(ひょうい)して
異常を来すことを恐れているのである。」

「世俗の女性と別れて峯入りした山伏は、山頂や
その近くの窟で、聖なる女神に接し、その力を
会得しようとした。」と書かれています。

「山を下る山伏の一夜妻になる
女性もいたのである。」



banri さんがガラスに写っています。



清浄大橋から登ってちょうどくたびれたところに
お助け水があります。
冷たい水でのどを潤します。




くさりを頼りに登ります。


昨年の登拝で年配の方が足をすべらせ
僕の首の上に落ちました。
もし下まで落ちたらと思うとぞ-とします。
僕は、軽いむちうち。




山上はこのような岩の道です。
雨が降るとすべります。

修験道について
「修験道の魅力」(麻生文雄、ひろさちや著)から引用します。

「いまを一生懸命生きる。いま最善に生きようとする
 その生き方が、修験道の教えてくれる
 道ではないかということを、 
 山に登ると痛切に感じるんですな」と麻生大僧正。

午後3時に参籠所に集合し、
大峯山寺で奥駆修行の安全を祈って
櫻本坊 巽院主さんの護摩供を行いました。
これからのことを思うと身が引き締まります。


昨年の大阪三郷の柴燈護摩供(さいとうごま)です。
皆さんの願い事が沢山ですね。






「護摩というのは、
 燃え上がる炎の中に、
 木を入れて燃やす儀式です。
 火の力で汚れや災いを焼き尽くそうと
 祈るのです。
 
 これから私たちは山に出発いたします」と祈ります。

 一度死んで、新たに生まれ変わるために、
 行者はお山にはいるのです。」と麻生大僧正。

西の覗きはまさにその修行です。
怖いですよ。

櫻本坊 山上ケ岳参籠所です。
登拝の記念に置いて行きます。
沢山ありますね。でも歴史を感じます。




食事やお弁当の用意をしていただいています。
実は、僕は食事がのどを通りません。
無理に食べます。

最初の奥駆けの時に、1日目に日射病になり
一日にむすび2個程度で歩き通しました。
断食に慣れていたのですが、3日目はきつかった。
前鬼に下る道は、半分朦朧として何とか小仲坊につきました。
2年目の時に、良くあの調子で歩けたと
自分ながらびっくりしました。

食事は、食べようとすると猛烈な吐き気が襲います。

そのトラウマが残っていて精進料理がのどを通らない状況での修行。


朝3時の食事の前の勤行です。


朝、暗いうちに出立。
皆さんに追いつて行くのが大変。


熊野大社から吉野の柳の渡しまで75宿があります。
靡き(なびき)と言います。
第六十七の山上ケ岳から第五十四の弥山までが第1日目。

第六十五靡 阿弥陀森
大きな木を拝みます。


ここから森の中を大普賢岳を目指します。


少し手間で「経箱石」(きょうばこいわ)があります。
新客さんは拝みに崖を少し下ります。
かなりきつくて、両手両足で全身を使って下ります。


普賢岳、弥勒岳ときつい登り下りが続きます。










薩摩コロゲと呼ばれる岩場。
江戸時代に
「内侍と呼ばれる山伏が転落した」ことに由来します。


写真で見ると凄いところと思いますが
鎖があるのでそれほでもありません。
それより痛みかけた木のはしごは
滑らないかとびくびくしながら下ります。
まわりの木にやっと掴まりながら


行者還岳で食事。


この休憩の少し手間で谷からの水がホ-スから出ています。
汗をかいて冷たい水はありがたい。
でも僕にとって大変でした。
それまで何とか歩いてきたが、
この水を飲んでから調子が悪くなった。













小休止


下の写真 
彼は、古希を過ぎ脳梗塞で倒れて
リアビリして毎年、奥駆け来ています。
10回以上なので一人で黙々と
修行している姿に皆さんの尊敬の気持ちが伝わります。


遅れて前鬼に一人で到着。
「院主さん、来年も連れてって」と。
彼を見ていて、僕も少しでも真似ができないかと。

アスリ-ト的に軽々と奥駆けするのもひとつですが、
自分と闘いながら満行するとこに続けることの大切さが
菩薩行であることが最近感じるようになりました。



調子が悪いなかでくたびれた様子の僕。
吐き気と疲労にさいなまれています。
弥山の最後の登りで
「みんなに迷惑を掛けるくらいなら
来年は止めなければと悩みます。
でも来てしまいます。
それが奥駆病なのです。」






弥山に到着


背景は、関西で最高峰の八経ケ岳です。


何とか皆さんの助けがあって弥山に着きました。


先達のTさんから
「行者還りの水を飲んだろう!」
Tさんは、大峯山で飲み水は、
孔雀の水と香精水だけだと。

蓮華入峯のとき
大天井ケ岳の水場で
この水は飲んではだめだと言われたことがあります。

大峯山では、水に何か鉱物が溶け込んで
それが体に悪さをするのではと今は思っています。

長い道中で水の供給は大切はことを知りました。

2日目に続きます。

ありがとうございました。

弥山は、天川神社の奥の院です。


























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