おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

源氏山の前に建長寺にお詣り

2017-02-28 | 山伏修行

建長寺の梅も満開です。

亀が谷坂の切通しの前に、建長寺にお詣り。

長寿寺の拝観は出来ませんでした。

円覚寺から猫の箱の前を通って。

 

 

 

 

春を待ち焦がれています。

 

さざれ石 何も表記されていませんが?

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。

 

お釈迦様の修行の姿です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとうございます。

これから源氏山に向かいます。

早いものでもう3月ですね。

土曜日に長谷寺の帰りに小さな古本と喫茶店によりました。

梅原猛さんの京都発見(洛北の夢)を900円で購入。

梅原先生見方はひと味違って面白いですね。

八瀬と酒呑童子では、

「八瀬の人たちが八瀬童子と呼ばれるのは、髪が総髪、

ざんばら髪であったからである。

ざんばら髪というものは、縄文人の頭髪であり、明治まで

アイヌの人たちも総髪であった。」と

僕も家族に言われるが、ざんばら髪でバンダナでアクセントを付けている。

どうもこころのそこにアイヌの縄文人の血がながれているのかもと

思ったりします。

北海道でアシュレさんに「あんたはアイヌ人だと」言われたことを思い出します。

 

 

 

 

 

 

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満開の梅の花咲く円覚寺

2017-02-27 | 山伏修行

日は円覚寺から建長寺、亀ヶ谷坂切り通しを経て

鎌倉山に向かいました。

円覚寺も普段行かない、座禅道場の横を抜けて

龍隠庵に言って見ました。

 入ってすぐの左側の桂昌庵の河津櫻は満開でした。

境内の梅は満開です。

弓道場は、気が引き締まって空気までぴりぴりした感じがします。

僕はこの感じが大好きです。

 

 

 

 

 

 

 

仏殿は内部の改修工事中です。

 

座禅道場の居士林の中庭の梅は満開です。

 

 

 

 

 

 

モクレンが咲き始めました。

 

 

 

 

 

方丈の玄関前のお庭です。

 

 

今まで何の気なしに見ていました、今日は良く見て見ました。

東慶寺は、別格地なのですね。

 

 

 

3月11日(土曜日)午後2時40分より鎌倉の宗教者による

東日本大震災 追悼・復興祈願祭が鎌倉八幡宮で行われます。

ありがとうございました。

今までと違った心持ちで円覚寺の雰囲気を味わって見ました。

心にゆとりを感じさせてくれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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箱根勤行 その5 楽しみにしていた三島大社の河津櫻は満開でした。

2017-02-26 | 山伏修行

楽しみにしていた河津櫻は満開でした。

富士山は一日中霞にかすんでいました。

いつものお地蔵さんにお詣り。

 

 

 

この街道は、お花の好きな方がいらっしゃって楽しみな道です。

 

 

三島大社の河津櫻が満開です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

50代ぐらいの米国の女性から声を掛けられました。

家族で三島大社にお詣りされたそうです。

そのご婦人は、ヒ-ラ-の方で僕の姿を見て聞かれました。

そのご婦人は、日本語が分かるので家族に翻訳して説明していました。

山伏のことや引敷や法螺貝のこと。

法螺貝を吹いて見たら音がちゃんと出ました。

お話しをしていたら感動して涙が出と目頭を押さえていました。

またまた不思議なことに合出いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は湧き水が少なかった。

ありがとうございました。

帰りに、三島カフェで減薬野菜を買い込みました。

大根は甘くて美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

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箱根勤行その4 スカイガ-デンまで

2017-02-25 | 山伏修行

昨日の続きです。

湖畔から箱根峠に上がり、バス停まで歩きました。

心配していたほど人間の体は丈夫ですね。

でも踵が歩くと鈍痛です。

湖畔の賽の河原のお地蔵さんにお詣り。

 

 

 

 

今日は、海賊船は一隻もいませんでした。

コンビニであんまん1個と持参した紅茶とパンでお昼。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

芦川の石仏群

 

向坂で車道まで。

 

 箱根峠からの芦ノ湖

 

 

 

花が降る スカイガ-デンに到着。

 

 

いつ見ても飽きないですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもの野菜の特売です。

 

 

今日は時間的に余裕があるので旧道を歩きます。

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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箱根勤行その3 湖畔まで

2017-02-24 | 山伏修行

体力が落ちているのが分かります。

出来るだけ無理をしないことを考えていますので、

畑宿から甘酒茶屋までバスと決めていました。

 

 

 

 

 

 

駒形神社、階段の下でお詣り。

伝統工芸品に指定する条件があるのですね。

 

 

 

 

畑宿のバス停に着いたら8時50分。

バスは、9時30分までない。

橿の木坂のバス停まで歩き!!

さあ大変、上りつつけます。間に合うのかと心配。

畑宿の一里塚

 

 

 

昨日の雨で滑ります。

 

 

 

車道に出ます。

 

これから車道を歩きます。

いつものペ-スではなく早足で。

9時25分に橿の木坂のバス停につきました。

何とかバスに間に合いました。

でもくたびれた。

橿の木坂は、かなりきつい上りです。

 

 

 

甘酒茶屋で甘酒と黒ごま団子(お餅)をいただきました。

 

 

箱根湖畔まで下ります。

今まで気づきませんでしたが、歩道管理Noが50mごとに

打ってありました。湖畔の上り口が、No1なのでここまで1.35kmです。

甘酒茶屋さんの裏です。

 

 

 

 

ここから少し長い上りになります。

 

 

 

 

 

 

7番になりました。1km歩いたことになります。

あと350mで1番に。

 

 

権現坂は、短いのですが、急勾配です。

いつもは脇の車道を下りるのですが、No1の標識を探して権現坂を下りました。

 

No1が見つかって良かった!

こどものように喜ぶ自分がありました。

人って不思議ですね。

 

 

 

足も調子が良さそうなので箱根峠まで歩き。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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箱根勤行 その2 畑宿まで

2017-02-23 | 山伏修行

箱根勤行の続きでしたが、先に大倉山梅林の観梅会のお話しでをしました。

今日は、雉料理の豊榮荘さんからです。

一度、食べてみたいですね。

 

 

葛原坂を登り切ると箱根天狗神社です。

 

 

 

 

 

 

きんきらきんですね。ご想像下さい。

勿論、境内は撮影禁止です。

お詣りして畑宿に向かいます。

飛行機雲はまだ青空に貼り付いていした。

 

 

 

いつもの畑です。

 

櫻が咲き始めていました。

 

初花の瀑の碑です。

このすぐの上のお寺に祀られています。

 

 

 

昨日の大風で倒れてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車道を歩きました。

 

旧道はこの道を下ります。

 

 

始めて気づきました。

面白いですね。7,8年も通っていて気づかなかった。

 

 

 

畑宿の里に向かいます。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大倉山梅林の観梅会その

2017-02-22 | 公園シリ-ズ

昨日の続きで観梅会です。

池の側からの開花状況です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人気者の枝垂れ梅です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富士山が綺麗に見えました。

帰りに元町と中華街に寄りました。

お昼は、龍起さんの2階でスペイン田舎料理でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとうございました。

龍起さんに寄りました。

「今日は、気が通っていますよ」とお墨付き。

昨日の箱根勤行で体がすっきり。

足が痛かったり、くたびれますが、

途中でバスに乗ったりして無理をしないことにしています。

この年で箱根を歩けるということは、本当に神様に感謝です。

病院で寝たきりの人たちがいらっしゃることを思うと

1歩1歩を大切に歩かなければと感じています。

 

 

 

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2/19日大倉山梅林は、観梅会で大賑わい。

2017-02-21 | 公園シリ-ズ

2/18日は箱根勤行でくたびれましたが、

19日には、観梅会に。

今年は、1週間ほど早いとか。

今週は、見頃ですね。

 

朝日新聞が、号外?を出していました。

 

いぶりがっこは、たくわんですが美味しかった。

いつもの梅酒。

 

 

 

 

 

 

 

 

大倉山商店街の皆さんが出店を出されています。

 

 

 

 

 

 

 

お手前を頂きました。

菊名の高木学園の皆さんの接待です。

美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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箱根勤行その1 三島大社の河津櫻は咲いたのかなあ・・・

2017-02-20 | 山伏修行

今年の目標として、1.毎日歩くこと 2.三島大社に月参り。

一番の目標は、大峯山の登拝です。

お正月の三島大社の初詣についでのお詣りです。

いつもの地下鉄1番電車で6時の新横浜発の新幹線。

久し振りに3時に起床で、なんとなく余裕の朝でした。

弘明寺5時21分。

小田原駅では、2/11日からの松田のさくらまつり。

 

 

小田原発6時28分。

乗客はほとんどいません。

新しい広告。

登山電車で気にいっている広告のひとつです。。

春がゆるゆる

ほどけてゆく。

素敵な言葉ですね。

平藤喜久子さんの「日本の神様と楽しく生きる」から

春の神様の文章を思い出します。

後鳥羽院の歌から

「佐保姫のまとう霞の衣は横糸が少ない。

だから春の花々を錦にして重ね着するのだろう。」と

花びらは風に吹かれて舞う姿は、佐保姫が

そこにいて笑っているように思われてくる。

 

 

 

あじさいはしで今日の無事を祈って法螺貝の奉納。

海鵜が羽を休めていました。

河津櫻が満開!!。

 

二子山に掛かる飛行機雲は2時間以上空に貼り付いていました。

 

 

 

 

最初の上りで、息が弾みます。

 

 

今日は、早雲寺に降りないで西の道を行きました。

丁度、早雲寺のお墓の裏山です。

排水口から湯気が立ち上っていました。

公衆浴場の弥栄湯です。

正眼寺にお詣り。

 

椿の大きな木には、今年は花が少ない。

 

 

数日前の雪も昨日の暖かさと雨で消えてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

暖かくなってきたのでこのバス停でダウンを脱いでリュックに。

ありがとうございました。

今日の目標は、無理をしないで出来るだけ歩くことです。

やはり、よる年には叶いませんね。

少しづつ体の限界との戦いです。

10年前と比べるとスピ-ドが3割ぐらい落ちています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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安政江戸地震の鯰絵から その2

2017-02-19 | 読書感想

昨日の続きです。

今日は、地震で商売繁盛した人たちの鯰絵です。

出展は、下記。

この絵図の解説です。

 大地震に見舞われて、大儲けをする人々は、

材木屋、大工、左官などの職人であることは、

これまでの地震鯰絵で見てきたが、

この絵は、それを更に強く表現した構図の地震鯰絵である。

 地震鯰に筆を振わせて、色々に揮毫させている設定で、

これを大儲けの人々が囲んで、鯰の書いた揮毫に有難がっている。

大儲けの筆頭は、なんといっても材木屋であったことがこの絵でも表現され、

看板と大福帳を脇に材本屋の旦那が腕組みしており、

さながら胴元のような格好である。

 これを、表現する洒落として、鯰が揮毫の筆をふるうとして、地

震の。震”を、“ふるう”と読替させ、洒落れた題名をつけている。

 職人達の言葉のやりとりを見ても、鯰が腕をふるっている揮毫を

有難がっている図で、左官屋など鯰が書いた「鹿島大神宮」の揮毫を、

一生掛け物として家に掲げると有りがたがり、

大工は観音様の五重の塔の頭が、傾いているものを書いてもらい、

他の者は万歳楽の、楽″の字を揮毫してもらって、

後世に残す有難いものとして、頂戴しますという構図である。

地震鯰に、“筆”をもたして擬人化している点が、

地震鯰絵の見所であろう。

 また、障子には地震で命を失った、沢山の亡者を影絵風に画き、

地震の守り神の鹿島太神宮の御札と、“雷”を画いたお札は、完全に

無視される場所におかれ、地震によってお蔭をこうむる大儲けを

る人々を画くことにより″世直し″という江戸庶民の、潜在的な自我

意識を強調した地震鯰絵として、鑑賞することが、この絵の見所で

あるといえよう。

 解説から、

この地震鯰絵は、よくみると地震によって懐がすっかり温かくなり、

沢山の手間賃を手にした職人達が、自分達をこんなに楽しいも

のにしてくれた地震鯰を伴って、

吉原に繰り込み、それぞれ好みの女郎と楽しい一夜を過さんとする

賑わいを画いたもので、絵の構成にせりふはないが、

鯰と職人達、それに添え物の駕寵かき、店の主人と、どれ一人とっても

好色そうな表情でうかれきっている。

 これと対照的に。”おいらん”といわれる女郎の表情は、この時代に

沢山画かれた浮世絵と、全く同一の表情でとりすましており、

客(地震で儲けた職人と連れの鯰)と。”おいらん”を対照的に画き出

しているのが、この地震鯰絵の見所である。

ありがとうございました。

でもいつの時代でも同じような風景が見られますね。

追加の話 

江戸しぐさから「うかつあやまり

人ごみのなかで誰かに足を踏まれたときに、

「ごめんなさい」とひとことぐらい言いましょう。 

でも江戸しぐさでは、踏まれた人もあやまるのです。

自分もうかつだったことを認めてあやまるしぐさを

うかつあやまり」といいます。

もうひとつ。「こぶしうかし

江戸時代は船が出るのを待っている間、あとから人が乗って

くるたびに、こぶしをついて腰をうかせ、席をつめていたことから。

席をゆずるときに「つめていただけませんか?」と言われる前に

するのが江戸しぐさ。

催促されてから行動するのは、恥とされました。

いろいろありますよ。

傘かしげ、せっぱつまり、無理押し、七三あるき、腕組み・足組みなど。

でも面白いですね。

僕は、プラットホ-ムや階段などで、

ちょっと立ち止まって相手の方が行き過ぎるのを待ちます。

そう5人に一人ぐらい「すいませんとかありがとう」と言われたり、

頭を下げてくださいます。

畑田天眞如さんやおばあちゃんは、口癖のように「すまないね。ありがとう」を

言っていたのをふと思い出します。

耳の奥から聞こえてきます。

心の底からの言葉は違います。

畑田天眞如さんから教わりました。

 

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安政江戸地震の鯰絵から

2017-02-18 | 読書感想

安政江戸地震は、1854年12月23日 M8.4の地震が、

関東から近畿におよび特に津波の被害が大きかった。

このあと、24日M8.4。26日M7.5。

翌年3月に飛騨白川、金沢にM6.7の地震があった。

11月には、江戸を中心にM7.1で江戸下町の被害が大きかった。

大正関東大地震のときは、余震が3時間以上揺れ続き

船に乗っているようだとの記録があります。

この本は、国立国会図書館にある鯰絵を復刻したものです。

その中から絵図と解説を転記します。

最初は「鯰退治」です。

絵図の解説からです。

「この絵の見所は、一般に地震を起こした鯰に対し、大儲けをした

連中(材木問屋、大工、屋根屋、左官、鳶職)は、鯰を有難がって

感謝している一方、大損をした金持、大家、芝居小屋、芸人などは、

鯰を打ちのめして怨みを晴らすという設定の鯰絵が多いが、

この「鯰退治」は、大儲け、大損の区別なく、地震を起こした大鯰を

俎の上に乗せ、江戸の庶民の総てが各自道具を手に鯰を打ちのめして

いるという珍らしい構図になっている点である。

その理由は、総ての人々が地震鯰を、打ちのめして

退治する図柄によって、この「鯰絵」を家内安全の。お札”に仕立て

ようとした作者の意図がはっきりと表現されている。

 地震を起こした大鯰を、打ちのめしている人を右下から見ると、

庖丁を手にした遺手婆さん、女形、芸人、材本屋、遊女、職人達、長

屋の隠居、仲間、物売り、坊主、おかみさん、掛矢をふりあげた職人

庖丁で鯰の胴体を切る職人達などを画いて、江戸の庶民の総て

が難渋した怨を、この大鯰にぶつけているもので、人相、風態、着物、

職業など江戸時代の風俗の時代考証にも、大いに役立つ図柄である。

 また、右上に鯰のおかみさんが子供を背にして助けをもとめているが、

裸の職人がしたり顔で。かんべんならねえ!″と払のけているものを

画きこんでこの鯰絵をしめている。

 左上に画かれた東方、西方、南方、北方、中央という文字は梵語の

まじないで、その左の文字を読んでみると‘、「東西南北天井へ こ

のふだをはりおけハ、家のつぶるるうれひ さらになし」と書いて、

この鯰絵を家内安全、地震除けに貼りなさいとした″お札″である

と作者はいっているが、信仰的な根拠があるわけでなく、江戸の庶

民のあらゆる階層の人々が大鯰を打ちのめしているという、単純な

ことでも、科学の未発達の時代に地震は鯰が起こすものと信じていた人々の、

心情に訴えて鯰絵を売らんとしたものである。

阪神淡路大震災のときにボランティアの活躍があり、

始めて行われたとボランティア元年と報道されていました。

安政江戸地震の絵図を見ていると背負って逃げている人たちや

倒壊した家屋の屋根を壊して助け出している絵があります。

 

実は、安政江戸地震で2日夜に町奉行所において、

公の対策が討議され即決されたといいます。

1.罹災民への炊き出し握り飯を配布する。

2.宿無しになった者の立ちの先として御救小屋を建てる。

3.けが人の救済・手当をする。

4.日用品の確保を諸問屋に命ずる。

5.国々より諸職人を呼び集めるように職人仲間総代に命ずる。

6.売り惜しみ、買い占めを禁ずる。

7.諸物価・職人手間の騰貴を禁ずる。

8.与力・同心をして町中見回り・救助・取り締まりをさせる。

9.町名主中に震災対策の掛りを申しつける。

 

阪神大震災後に文献を集めいろいろと読みましたが、

このおふれ読んだ時に涙が出そうなほどに感動しました。

江戸時代のことについて書籍を読むといろいろと学ぶこことが多い。

寺子屋で使う教科書(?)は、2代も3代も大事に使っています。

和城伊勢さんの「江戸しぐさ」は、読んでいて今の時代の

恥ずかしさを感じさせてくれます。今度、紹介しますね。

その人のしぐさをみれば、江戸っ子がどうか分かったそうです。

地方出身者は、講などで一生懸命に努力して教養を身に付けたそうです。

明日は、地震で儲けた人たちの絵図を紹介します。

 

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「日本の神様と楽しく生きる」(平藤喜久子著)から地震の神様

2017-02-17 | 読書感想

藤平喜久子さんの「日本の神様と楽しき生きる」から地震の神様についてです。

僕は商売柄、地震関係の書籍を集めています。

特に、安政江戸地震のときに出回った鯰絵には興味をそそられます。

僕の所有する安政江戸地震の資料から興味深いものを1,2紹介します。

鯰絵は、「安政大地震鯰絵」から

当時の3大報告集のうち2種類です。

安政風聞集と安政見聞誌です。

100年以上経過しているので虫食いがあり、裏打ちして修理してあります。

 

この絵は、地震で商売繁盛した人たちを皮肉を込めて描いています。

障子に写った、地震で亡くなった亡霊が写っています。

商売繁盛で鯰さまさまですね。

 

藤平喜久子さんの「日本の神様と楽しき生きる」から

「地震の神様に地震除けを願う」

要石

 「地震・雷・火事・親父」。古くから言い継がれてきた、恐ろ

しいものの順番です。1度起きてしまえば、人間の力ではどう

しようもない地震を日本人がいかに恐れてきたかがわかります。

「日本の土中には巨大なナマズが横たわっていて、暴れると大

地震が起きる」という言い伝えは、江戸時代初期に広まったと

考えられています。

それとともに、地震の原因となる大ナマズの頭は

鹿島神宮の神域の下にあり、タケミカヅチが要石に

よって貫き押さえている、といわれてきました。

 人々は地震が起こると「ゆるぐとも よもや抜けじの 

要石鹿島の神のあらんかぎりは(地震で少しは揺れたとしても、

鹿島の神様がいらっしやるかぎり要石が抜けることはない)」と

いう歌を唱え、被害が大きくならないよう祈ってきました。

 要石は、現在も鹿島神宮の境内に祀られ、多くの人が訪れます。

地上に出ている部分は、直径20cmほど。かつて徳川光圀か

地下部分を確かめようと周囲を掘らせたところ、翌朝にはもと

に戻ってしまうことが7日7晩つづき、ついには調査を諦めた

とも伝えられています。

 タケミカヅチの力を宿した要石をかたどった地震・災害除けの

要石守は同社で授与されています。

鯰絵(なまずえ)

 1855年(安政2年)に江戸を襲った大地震は、マグニチュード6以上と

推定され、民家の倒壊は1万4千戸に及んだとされています。

余震がつづくなか、人々がよりどころとしたのは地震の神様でした。

大ナマズを懲らしめるタケミカヅチの姿を描いた多色刷りの

木版画錦絵が、地震除けのお守りとして大流行したのです。

人々が「鯰絵」と呼んだ錦絵は、

毎日のように新しい絵柄が出回りました。

なかには地震の被害によって浮き彫りになった貧富の差などの

世相を風刺するものも。

200種類近くの鰍絵が現存し、江戸の人々がどのように

未曾有の震災、そして神様と向き合っていたのかがわかる、

貴重な資料となっています。

 

明日は、鯰絵の解説を見てみます。

良く見て見ると当時の人たちの災害に対する意気込みが伝わってきます。

 ありがとうございました。

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2/5日 中華街の春節はどうかなあ・・・

2017-02-16 | 日記

2/5日円覚寺の帰りに中華街龍起さんの2階に

お昼を食べに行きました。

食事を済ませてから、1階の龍起さんで情報交換。

僕が、帰ってから入れ違いに僕の妹たちが龍輝さんに来たそうです。

春節の賑わいがほとんどありませんでした。

 

お店の中に飾ってありました。

始めて見ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のお昼は魚のランチ

サラダ、お魚の料理、ごはん、デザ-ト付で900円

パンがサ-ビスで付きました!!

 

 

ありがとうございました。

 

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冬枯れのみんなの庭からこんにちわ

2017-02-15 | 日記

2/8日みなとみらい Mark ISの東京ガスショ-ル-ムでの

建築相談の当番でした。

毎週、水曜日午後から1級建築士の建築相談です。

お客さんはほとんど来ませんのでみんなの庭で観察。

 

 

今回は、藁人形のお出迎え。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小鳥が庭中、飛び廻っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

果樹園は充分に熟しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユズもこんなに赤くなるのですね。

 

  

 

ありがとうございました。

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2/11日大倉山梅林は7分咲き。18-19日は、観梅会です。その2

2017-02-14 | 公園シリ-ズ

昨日の続きです。

大倉山公園の梅林の開花状況です。

一番下の池の付近からです。

枝垂れは、池の周りに白梅と紅梅があります。

紅梅はこれから綺麗に着飾ってご登場です。

 

 

 

 

 

 

 

枝垂れの中から見上げました。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2/18-19日は、観梅会で賑わいます。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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