小町通りに、鎌倉野菜と書かれたお店が何軒かあります。
横浜ではあまり見かけない野菜を売っていますので
出かけました。
一番のお目当ては、取り立てのキュウリとトマトです。
写真の真ん中でにんじんのとなりの西洋やさい。
もじゃもじゃの葉っぱをちょっとつまんで食べたら
甘くて香りが豊かでした。
ひとつ200円で白いところは野菜ス-プで。
小さな旅は、これが面白くてやめられなくなります。
先日もかかりつけの小児科の先生が血液検査をしてくださいました。
結果は、全てOKでした。
食事を気をつけていないのでちょっと心配でしたが。
心電図では、少し不整脈があるので病院を紹介しようかと
おっしゃってくださましたが、大きな病院に行くと
検査で病気にされてしまうので、先生を信頼しているので、病院の検査は断りました。
当然、80才近くなれば、血液検査すれば
どこかの数値が異常になるのが当然ですね。
鎌倉駅に降りたら、八幡様の七夕飾り。
ありがとうございました。
清水義久さんの「気功」のブログからです。
少しながくなります。
自分が今ここですることを
意識することが、すでに"瞑想"という。
集中することをはじめたら
その状況を"瞑想"と言っている。
すると、瞑想とは大雑把に言うと、
コンセントレーションが高まっていくモードと、
リラックスが進むふにゃふにゃモードの2種類がある。
するとグーグルなどでマインドフルネス瞑想などを
取り入れることがは当たり前だとわかる。
なぜなら、瞑想が頭を使うということなのだから。
純粋に仕事をさせてうまくできるかどうかではなく、
瞑想ができる人が仕事ができる人なのだから。
囲碁将棋をやっている時、
次の一手をイメージし考えて、
画像も考えながら集中する完全な瞑想。
その人は囲碁将棋使って瞑想をしている。
お経を唱えていることを集中し、
自覚して言っている、これも瞑想。
私たちにとってはこれが瞑想。
つまり人が意識して行為できるようにすることが瞑想。
だから、主体的に生きていける。
状況にゆだねない。
自分を卑下しない。
誰かのせいにしない。
運が悪いとしない。
なぜなら、瞑想できるようになったから。
自分で選べるようになっていく。
結果的に、瞑想ができるようになった時、
なんでもできるようになっていく。
また、その教義を身につける時間が極端に短くなっていく。
なぜならその人はフィールし考えているのだから。
下手は何回やってもできない。ずっとやっても下手。
なぜなら自分がやっていることをわかっていないから。
そして、相手が気持ちがいいと感じているかどうか
わかってあげようとしていない。
ただ自分の手順を習っただけでやっただけ。
それがへたくそ。
できる人は臨機応変に対応できる。
そしてそれを相手に合わせながら感じていく能力。
一般的に経験豊かと思われていることは、
自分が何かをやろうとして意識してできるという行為を
選び取るスキルが延びているからできるようになっている。
何年やっても下手な人は下手。
その人は瞑想を言う習慣をもっていない。
そのため出来事が状況に過ぎない。
セルフコントロールが存在しない。
だから運がいいか悪いかだけにフォーカスし、
自分にはできないと言う。
瞑想する人を選ぼう。
ありとあらゆるジャンルで達人は瞑想している。
儲かる人も、できる人も瞑想している。
さらに言うと、瞑想できてもできない人がいる。
その違いはエネルギーが出ているか出ていないかだけ。
つまり、2段階の違いが発生する。
瞑想するようになると、普通の世界ではなくなる。
そして気が出せるようになると成功するルートに入れる。
最後に「収功」を必ず行うこと。
収功(ver.1)》
足を肩幅ぐらいに広げて立ち、両手をわきにおろす。
息を鼻で自然にスーッと吸いながら、両手を上に上げ、その際に全身に力を入れる。
全身の力をゆるめて息を3回に分けながら吐きつつ、手のひらを下に向けながら下ろす。
吐くときは、1回目「ハァー」と吐き、2回目「フゥー」と口をすぼめて吐き、3回目「フッフッフゥー」と前かがみになりながら深く吐く。3回連続させ、3回で息を全て出す。
両手を握り合わせ、息を吸いながら、体を緊張させる。
握り合わせた手を、胸の前から下へ、ハーッと息を吐き出しながら下ろす。
両手で握り拳をつくり、手に力をギューッと入れてはパッと緩めるを3回繰り返す。
頭の上を、指先で強く3回ほどたたく
下腹部を時計回りに複数回こする。
また小周天から始めようと思っています。
足の痛みは治りませんが・・・・・