昨日の続きで、朝夷奈切通の続きです。
鎌倉には、7つの口があります。
東から名越切通し、釈迦堂口切通し、朝夷奈切通し
北から亀ヶ谷坂切通し、巨福呂坂、化粧坂切通し
西から大仏切通し、極楽寺坂切通しです。
十二所から頂上までは、道もひろく緩やかです。
ただ湧き水で道が少し泥濘んでいます。
でも昔の雰囲気があり素敵な道です。
下ってくると熊野神社の標識があります。
御祀神は、
伊弉諾命 (いざなぎのみこと)
伊弉冊命 (いざなみのみこと)
天宇頭女神 (あめのうずめのかみ) の3神です。
社伝によれば、応永年中及永正年中、社殿を再建すと伝う。
新編相模風土記稿によれば、「熊野社、泉水ケ谷字東之澤、宝生庵跡の東にあり。
此吾を御坊と云う。村の鎮守なり」とある。
棟札に、「文久三癸亥星春二月二十一日吉曜宿、社殿再建」とある。 明治六年、村社に列格された。
どうやって石の鳥居や石段、材木など昔の人は凄いですね。
何でこんな山奥にと・・・
オ-ブが写っています。
元旦の神様からのお祝いなのかも。
このお社は、杉木立の中なのですが、明るい爽やかな感じでした。
三叉路に戻り、金沢に降ります。
途中、高速道路のトンエルの上を歩きます。
金沢からの道は分かりづらいですね。
朝夷奈切通の歴史です。
水運で房総半島などとつながる鎌倉と六浦津(湊)間の重要な交通路として執権泰時自ら工事を行い、
土石を運び着工に寄与したという。その工事以前からこの道筋が存在したかは不明で、
現在は公益財団法人鎌倉風致保存会が所有する十二所果樹園のある七曲りの地名のある沢筋から尾根道に上り、
熊野神社を通る道筋などのルートのバイパスとして整備されたとする説がある。
江戸期の道造供養塔がみられるように新編相模国風土記稿などから数度の大規模な改修が確認でき、
中世のやぐらの位置からも現在の路面が改修により掘り下げられたようになったことがうかがえる。
峠の頂上付近(現在の鎌倉市と横浜市の市境)の辺りが「大切通し」、
それより金沢寄りを「小切通し」と言い、1
969年(昭和44年)6月5日に「朝夷奈切通」として国の史跡に指定された。
直線的に切り開かれていること、鎌倉側の雨が降ると河道になるような凝灰質泥岩(シルト)、
砂岩が露出した路面部分が特徴的である。
朝夷奈(朝比奈)三郎義秀(和田義盛の三男)が一夜にして切り開いたという伝説から
朝夷奈(朝比奈)の名前が付いたという。
六浦瀬ケ崎に和田山の地名小字が残り、
武相国境になっていた尾根道が十二所付近の尾根伝いにつながっていた。
さらに沼間(沼浜)や浦郷へ連なる。
ありがとうございました。
晴天に恵まれ、暖かい素晴らしい元旦でした。
平藤さんの本から
ひな祭りを彩る桃には
忌まわしいものをはねのける力を持つ
神様が宿っています。その神威は
国生みの神の窮地を救うほどのものでした。