昨日の続きです。
昨日は剣山のリフトの駅で登山組とリフト組の合流まででした。
天気が良くて、四国の山々が見渡せました。
皆さんいい顔していますね。
小瀧螺雲和尚さんと天外さん。
口羽秀典和尚さんと天外さん
刀掛けの松から行場組と別れます。
枝折神社 かわいい狛犬さん。
小瀧螺雲和尚さんの修験道の説明です。
行場として 古剱神社 両剱神社 不動の窟を修行。
修験者の場合は、蟻のわたりと胎内くぐりがあります。
道はがれば場に近いですが、何とか下れます。
勤行が終わっても小瀧螺雲和尚さんは、供養の祈りを捧げておられました。
この行場では、浮遊霊がまとわりつき足下が危うくなりました。
でも小瀧和尚さんの供養のお陰で頂上まで登拝できました。
大峯山と違って、怖い行場でした。
不動の窟は、この奥にはしごがあり降りると聖水が落ちいます。
何となく奥まで行く気持ちは起きませんでした。
この付近に小蠅が沢山。
最近、写真でオ-ブが写るようになりました。
上の右の写真で中央付近に緑の小さいオ-ブです。
登山道に戻りました。頂上はすぐです。
剱山本宮です。
剱山の頂上は、くま笹で一面見晴らしが最高です。
聞いた話ですが、頂上の周りは、イスラエルの銀行が
買い占めているそうです。
2千年もまえに北イスラエルの十部族が四国にやってきたとか。
大杉 博さんの「北イスラエル十部族の大移動」を早速買いました。
保江先生の本で紹介されていましたので、この旅の目的ひとつです。
楽しいではありませんか。
明日に続きます。
ありがとうございました。
実は、30日に仕事仲間で市役所に行きました。
前の時に、畑田天眞如さんの「ありがとう」の話をしました。
その方が、奥さんにお弁当を作って貰ったときに
「ありがとう」と言ったそうです。そうしたら奥さんが
「お勤めご苦労様」と言われたと笑顔で教えてくれました。
車に乗るときや、電車に乗るときに時々忘れると笑っていました。
今回の旅でも一人の女性に「ありがとう」の話をしました。
淡路島の旅館から出るとき
「ありがとうと言った」と僕。
あ!忘れたと戻って頭を下げて旅館を出ました。
二人で笑ってマイクロバスに乗りこみました。
でも面白いですね。
人間クラブのメールでこだまゆうこさんが
「ありがとう」の心温まる記事を書いておられます。
お会いしたことはありませんが、入社したときからの素敵な人だなあと感じています。
こんにちは。
にんげんクラブのこだまゆうこです。
今は初夏のすがすがしい季節。小鳥が巣立つ季節ですね。
ツバメの巣から、かわいい赤ちゃんツバメがピイピイ鳴いているのを見ると、
とても幸せな気持ちになりますよね。
つい昨日は、犬の散歩中に巣から落ちたコゲラの赤ちゃんを発見して、
近くに巣も親鳥も見当たらなかったし、他の動物に襲われてもいけないからと、
放っておくに放っておけなくて、家まで連れて帰りました。
今にも死んでしまいそうなか細い生命力で、
なんとか巣立つまで生きてほしいと祈ったのですが、
結局一時間もしないうちに私の手の中で死んでしまいました。
「ごめんね。無理に動かしちゃったから、
どこか痛かったかな。怖くてビックリしてショックだったかな。
私が殺してしまったのかもしれないね。
なんとか生きてほしかっただけなんだけど、本当にごめんね」
ほんの一時間前までは、存在も知らない同士だったのに、
小さな小さなはかない命が小鳥の体から離れたことで、
すごくせつなく悲しい気持ちになって、ちょっと涙が出ました。
それから、親鳥はきっと心配しているだろうなと思って、
小鳥を拾ったところまで持って帰って、
親鳥に聞こえるかどうかはわからなかったけれど、
空に向かって「ごめんなさい」と伝えてから、
拾った場所(山)の近くに埋葬しました。
さてその帰り道、一匹のシャクトリムシが、
私の肩の上をえっさほいさと歩いていました。
「お、シャクトリムシ君。危なかったねえ。
もう2時間くらい前に私の肩を歩いていたら、
間違いなく鳥のエサとして君を捕獲していたよ~」
と、冗談ぽく話しかけてから近くの葉っぱに戻してあげて、
ハタと気がつきました。
ついさっきまでは、それまで知らない存在だった小鳥の命を
救えなかったからと涙を流したけれど、
それまで知らない存在だったシャクトリムシの命には
冷酷なまでに無関心だった。
それどころか、小鳥を救うためにはその命を奪うことさえ
当然のことと思っていた。
その小鳥の命とシャクトリムシの命とに、
どれほどの差があったのだろう。
一つの命というものに対して私はなんと傲慢な考えを持っていたのだろう。
そんなことに思いを馳せるとともに、
あんなに小さな小鳥が生きていくのでさえも、
それを支えるたくさんの命が必要なのだから、
今自分が生きていくことには、どれだけたくさんの命が必要だろうか。
どれだけたくさんの命をいただいて、生かしていただいているだろう。
そのようなことにも考えいたりました。
何千何万と数え切れない植物や動物たちの命をいただいて、
生かしていただいている私たち。
そうしなければ生きていけないのであれば、
この命を使って、できるかぎりの愛をたくさんの命に届けたい。
愛と平和と調和に満ちた、みんなが暮らしやすい世の中に、
ほんの少しでも貢献できるように生きていきたい。
そのように今は感じています。
一匹の鳥の雛が死んでしまったせつない体験を通して、
森羅万象の命と、この世に生きることの尊さとはかなさとせつなさを感じ、
気づかせてくれた小鳥さんと、シャクトリムシ君と、
それから亡くなったけれどいつも身近で見守ってくれている方々に、
たくさんのありがとうを届けたいと思いました。
読者の皆様、長い文章をお読みいただきありがとうございます。
読んでくださる方がいらっしゃって、こうして文章を書かせていただいています。
ありがとうございます。