おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

吉野敏明さん参政党

2022-04-29 | 童話

https://www.youtube.com/watch?v=kVVpDKl-m_o

参政党 吉野敏明 新橋街宣 2022/04/20

34,268 回視聴2022/04/21

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮沢賢治 「なめとこ山」その3

2016-01-16 | 童話

宮沢賢治の「なめとこ山」を読んで

3つのことを感じました。

一つ目は、梅原先生が書かれているように

 「このような透明で清潔で、しかも神聖な文章を書く人はいない。

 賢治ほど透明で清潔で、神聖な人格をもつ文学者はいないからである。」の感想に

僕も心から大賛成。

二つ目は、昨日のブログに書いたようにこの世に命を持つすべてのものに対する

感謝の気持ち。母熊は、これから生きて行くための困難を乗り切る知恵を

子ぐまに教えているのを見て胸が熱くなる小十郎。それこそは宮沢賢治さんですね。

そして熊から離れるときに風が熊のほうに行かないように祈る姿は感動的ですね。

三つ目は、世渡りのなかでの素朴さに心打たれます。

熊の毛皮2枚で2円でどんなに安く買いたたかれようとも

自分たち家族が食べて行けるお米の買えるお金さえあればと感ずる気持ち。

接待されることに喜びを見いだす気持ち。

もし、普通の気持ちを持った人間ならお酒を飲まないで帰ってしまうでしょうね。

 

なに何せ小十郎のとこでは、山には栗があったし、うしろのまるで少しの畑からは稗がとれるのではあったが、

米などは少しもできず、味噌もなかったから、九十になるとしよりと子どもばかりの七人家内にもって行く米は、

ごくわずかずつでも要ったのだ。

 

 里のほうのものならあさもつくったけれども、

小十郎のとこでは、わずかふじつるで編むいれものの外に布にするようなものは

なんにもできなかったのだ。

 

小十郎はしばらくたってから、まるでしわがれたような声で言ったもんだ。

 

「だんなさん、お願いだます。どうか何ぼでもいいはんて買ってくない。」

 

小十郎はそう言いながら、あらためておじぎさえしたもんだ。

 

 主人はだまってしばらくけむりをはいてから、顔の少しで、にかにかわらうのを

そっとかくしていったもんだ。

 

「いいます。おいでおでれ。じゃ、平助、小十郎さんさ二円あげろじゃ。」

 

店の平助が大きな銀貨を四枚小十郎の前へすわって出した。

小十郎はそれを押しいただくようにして、にかにかしながら受けとった。

 

それから主人はこんどはだんだんきげんがよくなる。

 

「じゃ、おきの、小十郎さんさ一杯あげろ。」

 

小十郎はこのころはもううれしくてわくわくしている。

 

主人はゆっくりいろいろ話す。

小十郎はかしこまって山のもようや何か申しあげている。

まもなく台所のほうからお膳ができたと知らせる。

 

小十郎は半ぶん辞退するけれどけっきょく台所のとこへ引っぱられて

またていねいな挨拶をしている。

 

まもなく塩引きのさけの刺身やいかの切りこみなどと、酒が1本黒い小さな膳にのってくる。

 

小十郎はちゃんとかしこまってそこへこしかけて、

いかの切りこみを手の甲にのせてべろりとなめたり、

うやうやしく黄いろな酒を小さなちょこにつだりしている。

 

いくら物価の安いときだって、くまの毛皮二枚で二円はあまりやすいとだれでも思う。

 

じつに安いし、あんまり安いことは小才郎でも知っている。

けれどもどうして小十郎は、そんな町の荒物屋なんかでなしに、

ほかの人にどしどし売れないか。

それはなぜかたいていの人にはわからない。

けれども日本では狐けんというものもあって、

きつねは猟師に負け猟師はだんなに負けるときまっている。

ここではくまは小十郎にやられ小十郎がだんなにやられる。

だんなは町のみんなの中にいるから、なかなかくまに食われない。

けれどもこんないやなずるいやつらは、

世界がだんだん進歩すると、ひとりで消えてなくなっていく。

 

ぼくはしばらくのあいだでも、あんなりっぱな小十郎が、

二どとつらも見たくないような、いやなやつにうまくやられることを書いたのが、

じつにしゃくにさわってたまらない。

是非、この本をゆっくり読んでみてください。

東北の田舎の昔話ではありません。

これからの本当の日本人はどうあるべきかを語っています。

円覚寺の横田南嶺管長さんの「いろはにほへと」に通ずるものを感じます。

ありがとうございました。

大学2年のとき岩手県の下閉伊郡の5級僻地に

子供たちと遊びたくて一人で出かけたことがありました。

村の人達は、みんなが歓迎してくださり人の暖かさが

僕の心の糧になりました。

人を信ずることの大切さを教わったのでしょうね。

子供たちは、鍾乳洞につれていってくれました。

その年の秋に、京都大学の探検部が探検し日本一の鍾乳洞でした。

岩泉の小学校の校長先生から先生にならないかと何度かお手紙を頂きました。

人生って不思議ですね。

なめとこ山の熊を読んでいて学生時代を思い出します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮沢賢治 「なめとこ山」から

2016-01-15 | 童話

1/10日のブログで梅原猛先生の

「日本の深層」で紹介のあった宮沢賢治を読み直してみました。

絵本で「なめとこやまの熊」(高田 勲絵)と

宮沢賢治名作集(世界文化社)です。

     

解説から

生前数多くの童話を書きましたが、生きている間に世にでたのは

詩集「春と修羅」に「注文の多い料理店」の2冊でした。

賢治は、自分を犠牲にしても、人に尽くす、献身的な生き方をしました。

 

なめとこ山の熊で、僕にとって心か温まる素敵な文章です。

小十郎はもうくまのことばだってわかるような気がした。

ある年の春早く、山の木がまだ1本も青くならないころ、

小十郎は犬をつれて白沢をずうっとのぼった。夕がたになって小十郎は、

ばっかい沢へこえる峰になったところへ、

去年の夏こさえた笹小屋に泊ろと思って、そこにのぼって行った。

 

そしたらどういうかげんか小十郎の柄にもなく、のぼり口をまちかってしまった。

なんべんも谷へおりてまたのぼりなおして、犬もへとへとにつかれ、

小十郎も口を横にまげて息をしながら、半分くずれかかった去年の小屋をみつけた。

小十郎がすぐ下に湧水のあったのを思い出して、

少し山をおりかけたら、おどろいことは母親とやっと一歳になるかならないような子ぐまと二ひき、

ちょうど人がひたいに手をあてて遠くをながめるといったふうに、

淡い六日の月光の中を、むこうの谷をしげしげ見つめているのであった。

小十郎はまるでその二ひきのくまのからだから後光が射すように思えて、まるでくぎづけになったように立ちどまって、

そっちを見つめていた。すると小ぐまがあまえるようにいったのだ。

「どうしても雪だよ、おっかさん、谷のこっちがわだけ白くなっているんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん。」

すると母親のくまは、まだしげしげ見つめていたが、やっといった。

「雪でないよ、あすこへだけふるはずがないんだもの。」

子ぐまはまた言った。

「だからとけないで残ったのでしょう。」

「いいえ、おっかさんは、あざみの芽を見にきのうあすこを通ったばかりです。」小十郎もじっとそっちをみた。

月の光が青じろく山の斜面をすべっていた。そこがちょうど銀の鎧のように光っているのだった。しばらくたって子ぐまがいった

「雪でなきや霜だねえ。きっとそうだ。」

ほんとうに今夜は霜がふるぞ、お月さまの近くでこきえもあんなに青くふるえているし、

第一お月さまのいろだってまるで氷のようだ、小十郎がひとりで思った。

「おかあさなはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花。」

「なあんだ、ひきざくらの花だい。ぼく知ってるよ。」

「いいえ、おまえまだ見たことはありません。」

「知ってるよ、ぼくこの前とってきたもの。」

「いいえ、あれひきざくらでありません、おまえのとってきたのきささげの花でしょう。」

「そうだろうか。」子ぐまはとぼけたように答えました。

小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになって、

もう一ぺんむこうの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子のくまをちらっとみて、

それから音をたてないように、こっそりこっそりもどりはじめた。

風があっちへ行くなと行くなと思いながら、そろそろと小十郎はあとじさりした。

くろもじの木のにおいが、月のあかりといっしょにすうとさした。

 

ありがとうございました。

僕たちがどこかに忘れて来たものを思い出させてくれます。

こうして書いていると熊の親子の気持ちと小十郎の胸が熱くなる気持ちが伝わってきます。

梅原猛先生は、最後の文章について

この一節は、素晴らしい文章である。

 

このような透明で清潔で、しかも神聖な文章を書く人はいない。

 

賢治ほど透明で清潔で、神聖な人格をもつ文学者はいないからである。

 

これは、たしかに修羅と菩薩の話である。

 

小十郎は、修羅の世界に生きていたのである。

 

この修羅の世界に彼は絶望していた。

 

修羅の世界をのがれねばならない。

 

どうしてのがれるか。修羅の世界からのがれるのは、彼の命を衆生に捧げねばならぬ。

 

彼が多くの熊を殺したように、今度は彼の命を熊に捧げる。

 

熊に自分の命を捧げることによって、小十郎は菩薩となったのである。」と書かれています。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮沢賢治の童話「なめとこ山の熊」の論評を読んで

2016-01-10 | 童話

お正月から感動して涙の出る本を読みました。

 

梅原 猛さんがお書きになった「日本の深層」に

今まで疑問に思っていたことが僕のなかで整理されました。

僕の中に縄文文化が底にながれていることを気づかせて

くれました。

宮沢賢治の童話の話もそうです。

書きながら涙が止まりません。

じっくりと梅原先生の思想を味わって見て下さい。

少し長いのですが。

修羅の世界を超えて

  賢治のつくった数ある童話の中で、『なめとこ山の熊』という童話ほど有名な童話は少ない。

私は何度か、この童話を読んだ。

しかし、この童話をこんど読み返して、いままでの私のこの童話にたいする理解が浅いことに気がついた。

実に深い、なにか日本人という民族の根底にある、隠された心の深層を語っているような童話である。

 淵藻小十郎は、熊狩の名人である。彼は、いつもなめとこ山に熊を捕りにいくのである。

なめとこ山には熊がたくさんいる。その熊の肝はたいへん高額である。

 なめとこ山の熊は、小十郎が好きなのだ。

小十郎が山へやってくると、熊たちは面白そうに小十郎を見ている。

しかし、いくら熊だって、小十郎が目を光らして鉄砲をこちらへ構えることは、好きでない。

ときには烈しい気性の熊が、小十郎のほうへ両手を出してかかってくる。

しかし、小十郎は落ち着いて、熊の月の輪をめがけて、ドスンとやるのである。

小十郎は、熊に「おれは、てめえを憎くて殺しだのではねえんだぞ。

これも商売だから、てめえも撃たなくちゃならねえ。てめえも、熊に生まれたが因果なら、おれもこの商売が因果だ。

やい、この次は熊なんぞに生まれるな」といって、熊を殺すのである。
  青森縄文王国(新潮社編)

それが小十郎の日課であるが、小十郎はだんだん熊の言葉がわかるようになった。

そしてあるとき、花にたわむれる母と子の熊の会話を聞いた。

このなめとこ山では英雄である小十郎も町へくると、さっぱりだめである。

山ではアワやヒエがとれるが、米などはすこしもとれない。

家族七人を養うために熊を米に替えねばならない。

こういう小十郎の弱みにつけこんで荒物屋の旦那はさんざん値切るのである。

熊の毛皮二枚で二円である。

熊の毛皮二枚で二円は、あんまり安いと小十郎は思うが仕方がない。

この荒物屋の旦那以外にはどうして熊の皮が売れないか、その理由はたいていの人にはわからない。

 ある夏のことであった。小十郎がひとつの岩に登ったら、その前の木に大きな熊がよじ登っているのを見た。

その熊を殺そうとすると、熊は両手を挙げて叫んだ。

「おまえは、何がほしくておれを殺すんだ」それにたいして小十郎は、

「ああ、おれはおまえの毛皮と肝のほかには、何もいらない。

それを町に持っていって、ひどく高く売れるというではないし、ほんとうに気の毒だけれど、仕方がない。

けれども、いまごろそんなことをいわれると、おれでもなにか栗かしだのみでも食っていて、

それで死ぬなら、それで死ぬから、おれも死んでもいいような気がするよ」と答える。

その言葉に「もう二年ばかり待ってくれ。おれも少し、し残した仕事があるし、

二年たったら、おまえの家の前で死んでやる」といった。

小十郎は変な気がして、じっと考えて立っていた。熊は、その場から悠々と立ち去った。

ロそれからちょうど二年目、風の激しい日に小十郎は外へ出てみると、あの熊がやってきて、

口からいっぱい血を吐いて倒れていたのである。

青森縄文王国

 

その年の冬の日のことであった。小十郎は、いままでにいったことのない言葉を、ばあさんに残して、山へいった。

山の頂上で休んでいたとき、いきなり犬が火がついたように吠えだした。

小十郎がびっくりして後ろを見ると、大きな熊が両足で立って襲いかかってきたのだ。

小十郎は、鉄砲を構えた。

ぴしゃというように、鉄砲の音が小十郎に聞こえたが、熊は少しも倒れない。

小十郎はガアンと頭が鳴って、周り一面が真っ青になった。

それから遠くで、「おお小十郎、おまえを殺すつもりはなかった」という言葉を聞いた。小十郎は死んだのである。

 

 賢治はこの童話を、次のような言葉で結ぶ。

 「その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに、

黒い大きなものがたくさん環になって集って、各々黒い影を置き、

回々教徒の祈るときのやうに、じっと雪にひれふしたまま、いつまでもいつまでも動かなかった。

そしてその雪と月のあかりで見ると、いちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったやうになって置かれてゐた。

 思ひなしか、その死んで凍えてしまった小十郎の顔は、まるで生きてるときのやうに、

冴え冴えして何か笑ってゐるやうにさへ見えたのだ。

ほんとうにそれらの大きな黒いものは、参の星が天のまん中に来ても、もっと西へ傾いても、

じっと化石したやうにうごかなかった。」

 

この一節は、素晴らしい文章である。

このような透明で清潔で、しかも神聖な文章を書く人はいない。

賢治ほど透明で清潔で、神聖な人格をもつ文学者はいないからである。

これは、たしかに修羅と菩薩の話である。

小十郎は、修羅の世界に生きていたのである。

この修羅の世界に彼は絶望していた。

修羅の世界をのがれねばならない。

どうしてのがれるか。修羅の世界からのがれるのは、彼の命を衆生に捧げねばならぬ。

彼が多くの熊を殺したように、今度は彼の命を熊に捧げる。

熊に自分の命を捧げることによって、小十郎は菩薩となったのである。

ここにあるものは、たしかに法華仏教思想である。

しかし、仏教思想だけでこの素晴らしい文章は理解できないと、私は思う。

 

賢治の霊力

いままで何度か、私はこの童話を読んだが、この最後の十行ほどの文章の意味はよく理解できなかった。

それは雪がまっ白くつもり、スバルやたくさんの星が緑や檀色にキラキラ輝いている、雪の山の夜の風景である。

小十郎の死体が座ったように置かれ、その小十郎の死体を囲んで多くの熊が集まっているのである。

おそらく熊たちは心ならずも殺さざるを得なかった小十郎の霊を供養しているのであろう。

地にひれふしたまま、熊たちは小十郎の霊をなぐさめるために静かに心から祈っているのであろう。

 私はそこに熊のイヨマンテを見るのである。

イヨマンテは、人間が熊の霊を神に送る儀式である。

おそらくそれは狩猟採集生活をしていた人間にとって、生きるためにはどうしても必要な、

動物殺害という行為を合理化するために考え出された荘厳な宗教的儀式であろう。

アイヌは、自らの手で養い、大きくなった熊を、厳密に定められた礼法によって丁重に殺し、そしてその熊の魂を天に送る。

賢治がこの『なめとこ山の熊』の最後の文章で語ろうとしているのは、

人間が熊を送るのではなくて、熊が人間を天に送るイヨマンテなのである。

小十郎は熊に殺されたのである。熊は小十郎を殺すつもりはなかったが、

自らが生きるためには、やはり、小十郎を殺さねばならなかった。

そして、この小十郎の霊を天に送るために、熊たちは集まって、

厳粛な宗教的儀式をしているのである。

星の輝ぐ、雪の冬山で、人間の霊を天に送る宗教的儀式を、熊が行なっているのである。これは世にも、不思議な光景なのである。

 あの有名なシュバイツァーは、動物の中に人間と同じような生命があることを直観し、

黒人の救済に一生を捧げようと決意したという。キリスト教の聖書によれば、植物はもちろん、

すべての動物はもともと人間に奉仕するように神によって創造されているのである。

こういう思想が常識となっている西洋人にとって、あのシュバイツァーの直観は、むしろ反聖書的な思想であり、

そういう思想に基づいて彼は、従来のヨーロッパ人がなしえなかったヒューマニズムの行動を、

あえてすることができたのである。

 ヨーロッパ人にとっては、新しい思想であるシュバイツァーの直観も

日本人にとってまことに常識的な思想である。

動物に人間と同じような生命をみとめるのは日本の思想の常識である。

しかし、賢治の思想は、はるかに先に進んでいるように思われる。

賢治は、熊に宗教的な儀式を行なわさせているのである。

おそらくは人間よりもはるかに丁重に、殺した人間を葬って、その魂を天に送る。

熊は、人間よりもはるかに強い宗教心をもっているのである。

賢治は、死んだ小十郎の顔が、まるで生きている男のように冴え冴えとして、

笑っているようにさえ見えたという。

小十郎は、喜んでいるのである。熊を殺さねば生きていけない修羅の世界を超えて、

熊のために自らを犠牲にしたのを喜んでいるのである。

小十郎は菩薩になったのである。

そして、熊たちは、菩薩となった小十郎に心からの祈りを捧げて、

小十郎の霊を請い清い天に送ろうとしているのである。

小十郎の霊は天にいき、あの雪空に光り輝く星のひとつになるにちがいないのである。

 賢治がそれを意識し得たかどうかはわからない。

しかし、私は優れた詩人は、民族の忘れられた記憶をよびもどす霊力をもっていると思う。

賢治はこのような霊力をもった詩人である。

『なめとこ山の熊』の話は童話である。

しかし、それは子供だけが読む童話ではない。

きわめて深い意味をその中に秘めている童話である。

宮沢賢治は、まだ発見されたばかりの詩人であり、思想家なのである。

青森縄文王国

ありがとうございました。

 

僕は、高校生のころ シュバイツァー博士に憧れて写真を定期入れに入れていました。

博士は、部屋に入ってきた虫や蠅を殺さずに外に出されたと書かれていました。

その時の気持ちは、今でも残っています。

ゴキブリがいても僕から逃げようとしません。

勿論、蚊が腕に止まっても息を吹きかけて逃がします。

梅原先生ではないですが、僕の奥底に縄文人の文化が

横たわっているのではと感じています。

少し長くなってごめんなさい。

学生時代の新潟の友人の年賀状に 「火焔型土器は世界最古の太陽暦」だと。

今度、ゆっくり聞いて見たいですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葉山ガ-デンちゃんの太郎君の元町商店街の案内(小さな小さな童話)

2015-07-17 | 童話

きのうの続きで、葉山ガ-デンさんの太郎君の案内。

「お願いね!」

「夕べの家具のダニエルさんとこのパ-ティは楽しかった?」

「久しぶりにみんな揃ってわいわいと面白かったよ。

山伏さんも来れば良かったのに。」

    

「昨夜は楽しかったね。またね、今日は山伏さんのお供なの。」

「いいなあ。ぼくも一緒にゆきたいなあ・・・」

「ちびさんたちの面倒も見なければ。」

      

「夏用の素敵なシャツですよ。おじさんもどう?」

    

    

「みんな 楽しいそうだね。」

    

    

「夕べのパ-ティでこの椅子に座ってみたよ。」

「どうだった?」

「何となく偉くなったみたいだったよ。」

「おお! 大変大変」

    

「素敵は紅茶のカップですね。」

「ゆったりとイギリスガ-デンで美味しい紅茶でもどうですか。」

「こういうお店が、元町の自慢のお店ですよ。」

     

    

    

「カニさん お揃いでどちらにおでかけですか?」

「ちょっと山下公園まで。友だちが待っているので」

     

「こらこら! また寄り道?」

「でも楽しそうだなあ。一緒に遊びたい!」

「またまた、今度だよ」 

      

    

「おじさん!、お箸の使い方は大丈夫?」

「おやまあ。全部出来ているか反省しています。」

「小笠原流?」

    

    

    

「おじさん! 喜久屋さんの前の歩道を見てごらん」

「わあ 気づかなかった。」

    

「君たち二人でお店番ですか?」

「僕は、一人ぼっち。ブ-ブ-」

    

     

「元町は、開港時からの家具屋さんが有名ですよ」

「おじさん家には、元町でピアノを作って貰ったことがあるよ。」

「そうそのお店は、今は無いようだけど」

「部品は全てドイツ製で一流だよ。」

「勿論、毎年調律をして何年に一回は

完全に分解調整だよ。」

「そう、おじさんの所にはアップライトとグランドの2台あるけど

おじさんは、ほとんど弾けない。」

「今度、弾きに行ってもいい?」

「どうぞ来てくださいね。大歓迎!」

     

「ちょっとお腹が空いたね。一緒に食事をしない。」

「わあ! うれしいなあ」

    

    

    

「皆さん気づかないけど掘割川のたもとに シドモア櫻があるよ」

「どんな櫻?」

「親善友好で1912年に東京からポトマック河畔の櫻の里帰りだよ」

      

       

「小さなクジラさんがいますよ」

       

       

「案内してくれてありがとう。楽しかった。」

「僕こそ楽しかった。またお会いしましょうね。」

 

いつもと違ってちょっと遊んで見ました。

ありあとうございました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

交差展vol6 横浜元町の小さな展覧会に行ってきました。その2

2013-01-23 | 童話
「交差展」とは、人×街×アートをテーマに
学生・職人・社会人が制作した作品を
元町の様々な店舗に展示し
街全体が展示会場となっているアート展です。
今年で6回目の「交差展」ですが、
1/20(日)~1/27(日)の8日間 開催されます。

案内図は下記のブログで。
https://www.dropbox.com/s/cxmj0ryh6yccpb5/交差展Map.pdf?m

作品とお店の紹介です。

高橋 秀司さん(社会人)
Kandy Italian&Tea Room
Fly Meto the Pizza





我妻 珠美さん
Cafe Next-door 霧笛楼
冬の街




いいね!



白鳥 冴夏さん
Cafe Next-door 霧笛楼
箱景







須藤 利枝子さん
K-CUBE+ヘアサロン


いいね!





吉岡 百合絵さん
CROCO ART FACTORY インテリア
SUNSET




いいね!

八重樫 祐未さん
CROCO ART FACTORY インテリア
Bottle




いいね!




徳田美由紀さん
海岸不動産
ガラガラへび









山田 綾さん
元町香炉庵
気配




いいね!









大木戸 寛さん
中島 顕子さん
茶倉SAKURA 日本茶専門店
cover




いいね!





安藤 開さん
イチカワ理容室

「包む」ことで見えなくなること見えてくること
「包む」という行為の再考




いいね!





山口 耕平さん
L’AVENUE
Stratus 層雲




いいね!





谷 知子さん
南 日祥司さん
Pt.Vicent Cafe&Shop





お店が混んでいました。
マスタ-のおじさんは恐縮していました。
僕の方こそ申し訳けない気持ちでした。
でも作品は、お店中に飾ってありました。
写真は、撮りにくく手ぶれでごめんなさい。



元町を、違った角度から見せてもらいました。
でもお店の方々の優しさは
ほんとうにうれしい!!
寒空のなかで何だか
心がほかほか。

小さな童話
「祈ろう! 集まろう! そして祈ろう!」


おもちちゃん 「怒りんぼさん! みんなで集まって福福さんの
        祈りをしようよ。」
怒りんぼ 「いいよ。誰が知らせに行くの?」
momoi   「福福ちゃんのキン斗雲と喜久屋さんのうき雲さんに
       今夜12時にダニエルさんちに集まろうと伝えて貰おうよ。」

福ちゃんの雲と うき雲さんは、みんなのところに
飛んで行きました。

トンボ君  今夜だけ片方の羽を借りて行くよ。

ペンギン君 ドイツの騎士さんたちと友だちになったのだけど
       一緒に行ってもいい。
うき雲君  もちろんいいよ。
       ドイツの騎士さんごんばんわ。
      


梨君 美味しそうなワインの樽に乗って酔っ払っていない?
    大丈夫!大丈夫! ワインを持って行くからね。

KIM君ガラスのボ-ルさん 二人で本通りを転がって行くよ。
          だって近いんだもん。

ポピ-のお店のcloth君 僕は、風に舞ってひらひらと飛んで行くよ

kandyさんとこは? ピザを抱えて行こうかな?

冬の街・箱景さん 霧笛楼の美味しいコ-ヒ-を持ってゆくからね!

K-CUBEさんとこは ヘアスタイルを変えて行くつもりよ。

うき雲  いいなあ・・私も元町スタイルにしてもらいたいなあ。

sunsetとbottleさんは 徳田さんとこのわんちゃん(リュ-坊)の背中に
             乗ってゆくよ

     徳田さんにはいろいろとお世話になって
     その上、わんちゃんまでお借りして
     ありがとうございました。


ガラガラへびさん みんなを怖がらせないでね。
           大丈夫よ。


気配さん 重くて大丈夫?
      だって15単衣だもん!
      でも脱いで軽くしてして行くね。
      美味しいお菓子を持って。


わいがやがや夜中の12時になりました。
ダニエルさんちは、おお賑やか。

誰かが 「そうだ おじさん山伏さん」を呼んだら?

おじさん 「ありがとう お言葉に甘えてきましたよ。
      皆さんの気持ちが通じたのかあ・・
      岩手県釜石の大槌町から
      51人のお地蔵さんの代表がお礼にきましたよ」










お地蔵さん 「みんさん 本当にありがとう
       私たちのことを思っていただけることが
       どんなに励みになるか知れません
       いつまでも忘れないでね 」

集まってみんなで、ダニエルさんちのお店で祈りました。
そして、ワインやピザやお菓子で楽しい一時。

「ボ-ン ボ-ン ボ-ン」
ダニエルさんの時計が皆さんにお知らせ



「3時になった。さあ戻ろう!
 今日は、楽しかった。」

また、ダニエルさんちは元の静けさに戻りました。

そして「おこりんぼ」さんの顔が少し優しくなり
またまた美しくなりました。   (おわり)



ありがとうございました。























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする