7/29日に島根県主催の出雲国風土記シンポジウムが東京有楽町よみうりホ-ルでありました。
古事記や日本書記を学んでいると自然に風土記を知りたくなりました。
三浦佑之先生の口語訳古事記をバイブルとして読んでいて
先生のオ-ムペ-ジでこのシンポジウムがあることを知り、申し込みました。
あまり集まらないと思っていたらどうしてどうして定員オ-バ-の2400名も応募があったそうです。
勿論会場は、ほぼ満席。
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もう一つの楽しみは、会場でそれに関する書籍が販売されていると考えました。
5冊も購入。でも読みたい本が沢山ありました。
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なぜ古事記や日本書紀に興味を持ったのかですが、
白川学館で入門講座で古事記や言霊学を学んでその奥の深さに
体がしびれて終いました。
最初は、神話から入りました、神話学として学問の分野があることを知りました。
たかが神話でおとぎ話でないかと思っていました。
今は違います。
例えば、持統天皇の
「春過ぎて夏来るらししろたえの衣乾したる天の香具山」の歌にある
羽衣伝説とつながり、もっと深い意味があることを知りました。
関祐二さんの「古代神道と天皇家のなぞ」を読んでいますが、
まさに推理小説を読んでいるようにわくわくします。
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三浦先生の話は、日本書紀と古事記の違いを話されました。
古事記と日本書紀に神さまがどのように扱われているかを調べています。
① イザナギとイザナミ
② アマテラスとスサノヲ
③ スサノヲとオホナムヂ
④ ヤチホコと女たち
⑤ 国譲りするオホクニヌシ
⑥ 地上に降り立つ天つ神
特に③と④は、日本書紀正伝にはほとんど書かれていない。
また出雲を舞台とする神話が古事記の神話の43%で
古事記神話のうち30%は出雲神話であると。
先生は、日本書記は、日本書の紀であり誌であると分けて考える必要がある。
記紀(古事記と日本書紀を合わせて表す)と表現することが通常行われているが
間違いであると先生は言われています。
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当日配布された三浦先生の資料からです。
【問題点など】
①近代になって「記紀」という呼称が定着し、今も通用し
ているが、古事記と日本書紀は成立の経緯も内容もまっ
たく別の作品であり、「記紀」という呼称が混乱の元凶
であり使用すべきではない。
②「出雲神話」をもつのは古事記だけであって、日本書紀
には出雲神話はほとんど存在しないということを、歴史
学者もきちんと確認すべきである。
③なぜ日本書紀には出雲神話は存在しなのか。
④出雲国風土記にも「出雲神話」がないということは、古事記と出雲国風土記との違いであり、
出雪国風土記と日本書紀とは近い関係にあるのではないか(律令的)
⑤日本書紀は律令国家の歴史書として編れたが、古事記は律令国家には背を向けたように存在する。
⑥風土記の編纂を命じたのは、「日本書 志」(地理誌)の材料を諸国から集めようとしたのではなか
⑦出雲国風土記は、なぜ官命から二〇年も経て成立したか。
あまりにも遅すぎる。しかも、出雲国守(国司)ではな く、出雲国造が編纂責任者になっているのはなぜか
(再撰の可能性、奏上は別にあったという可能性はないか)。
⑧出雲臣の祖はアメノホヒであり、彼らは天つ神の子孫である。
その一族がオホクニヌシを祀ることの意味を考えなければならないのではないか
関祐二さんの「古代神道と天皇家のなぞ」の中で
大和はなぜそれほどまでに出雲を恐れなければならなかったのかと書かれています。
三浦先生の「古事記のひみつ」は大変面白い本です。
最近、2,3世紀から7世紀の日本がどういう状態であったのかで
日本の歴史「日本の原像」を読んでいます。
大栗博司さんの「強い力と弱い力」「重力とは何か」に書かれている
素粒子の世界と古事記の世界が漠然と繫がってきています。
少し整理して後日書いて見ます。
ありがとうございました。