おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

半年ぶりに見るハンマ-ヘッド 整備されています。

2021-01-18 | 日記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デッキが整備されました。

 

 

 

 

 

 

どうしも仕事柄、構造の美しさに感動します。

ありがとうございました。

産業遺産「ハンマーヘッドクレーン」[編集]

1914年大正3年)に建造されたイギリス製の50tジャイアント・カンチレバークレーンで、

日本に3基(他は長崎県長崎市および佐世保市に現存)、

世界でも17基しか存在しない貴重な産業遺産である[36][38][39]

2007年近代化産業遺産経済産業省)に認定、

さらに2018年には土木学会選奨土木遺産にも認定されている[38][39]

関東大震災1923年)でも倒壊せず[40]

戦後GHQ接収され使用できない期間(1945年-1956年)もあったが、

高度経済成長1960年代)に入ると再び活躍した。

1970年代以降、コンテナ化の進展と共に横浜港港湾機能はより水深の深い

本牧埠頭大黒埠頭が中心となたったため徐々に使用されなくなり[38][39][41]2001年に廃止された[7]

2010年には国が塗装の塗り替えおよび基礎補強工事を実施しており、

耐震性の強化が図られている[12]

なお、「ハンマーヘッドクレーン」という呼び名はカナヅチ

似たその形状ハンマーヘッド型に由来している[38]

--ウィキペディア(Wikipedia) 横浜ハンマ-ヘッド から--

 

 

 

 

 

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1 コメント

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Unknown (気功教室生徒)
2021-01-19 00:43:01
チベットの聖者 ミラレパの詩 です
十一世紀 に書かれた
若い私は こころ 乱れ
愚かな森に 踏み入った
ひもじい精神
お情けの乾いた飯に
かぶりつき
たまには
小石も 食ってみた
ザンゲのつもり
時には 虚空に噛みついた
また カラカラ のどにいかれては
氷河の青に 手を結び
あるいは
泉の かおりに むせこんだ
時には 友愛の流れに
のどを鳴らし
あるときは
天使の微笑みに
酔っぱらい
また 魂 凍る 真冬には
一枚の木綿の晴れ着
はおり くすぶる心に
火をつけた
知識 と 知恵 が道づれ
10もの 善 を行い
清め
こころを正しく 置き直し
認識 の根っこの深さを
測り
自覚 の 底へと もぐりゆく
私は ヨーギ
信仰のたて髪 ゆさぶる
ライオン
氷河の てっぺんから
私は 詩を 述べる
みのり ありますように
I am the Yogin
人間の 王なる 虎
霊 の内に 輝き
豊かに 知恵に ほほえみ
人々の幸福に
熟しながら
光明 の 森に 深く座る
私は ヨーギ
人間 の 鷲
翼を ヨガの炎に張り広げ
翼を ヨガの 荘厳に 打ち鳴らし
唯一の 虚空を あま駆ける
I , the Yogi ,
am the holy one of men 'ワタシは ミラレパ
ふり向くことなく 進むもの
私は 宿無し
なにごとも 気にせず
なにごとも 見のがさず
私は 乞食
まるはだか
無一文
生活とは 関係ない
ここに住み着く いわれもない
私は こころ勇み
沈黙 に
静座 に
私は 惜しまない
いのち を
私は 恐れない
死を
私は 棄てる
一切 を
だが 君たちは
あるいは 重荷を背中に
よろめきながら
アイ アム ザ ヨーギ
どんなことにも
忠告しよう
どうぞ
魂 を 尊く 保ち
正しい 施しをするよう
そして
この世では
自由に
健康で
幸福で
静かに 長生きをするように
いずれ
あの世で
道のため
また 生けるものすべてのため
共に ちからを 合わせよう
オン マニ ペメ フン
生きとし生けるもの
すべてが
幸せでありますように
オン マニ ペメ フン
オン マニ ペメ フン
オン マニ ペメ フン
よしよし

エヴァクリエイトFacebookより
清水先生のよし新聞
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