おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

大山阿夫利神社の獅子 怖いかな?

2013-01-31 | 日記


大山阿夫利神社の獅子は立派です。
階段を上りきったところです。







一般的に、獅子・狛犬は
向かって右側の獅子像が「阿形(あぎょう)」で口を開いており、
左側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じ、
古くは角を持っていた。
鎌倉時代後期以降になると
様式が簡略化されたものが出現しはじめ、
昭和時代以降に作られた物は左右ともに角が無い物が多く、
口の開き方以外に外見上の差異がなくなっている。
これらは本来「獅子」と呼ぶべきものであるが、
今日では両方の像を合わせて「狛犬」と称することが多い。(wikipedia)
















獅子を取り巻いて
十二支があります。
みんな子連れです。































箱根の天狗神社の狛犬は綺麗ですね。







築地本願寺の狛犬?さん
どうどうとしていますね。
僕は大好きな狛犬です。










帰りを,気を付けてくださいね!


江ノ島からランドマ-クまで見えました。

三嶋大社の狛犬






獅子・狛犬と同様の役割を果たす神仏の守護獣として
猪・龍・狐・狼などもあり、
これら動物は神使と呼ばれる。
この神使は神社(祀られる神)に
よって特定の動物が採用されている場合が
少なからずある。
稲荷神に狐、春日神に鹿、
弁財天には
蛇などが代表的な物である。
また、土地の伝承などに基づくものもある。
例えば、岩手県の常堅寺では
河童伝説に基づき狛犬の代わりに
河童像が置かれている。
京都府京丹後市の金刀比羅神社の境内社木島社には
狛犬ならぬ狛猫像が置かれ、
阿吽の配置も左右逆となっている。(wikipedia)

どこだったかなあ・・・確か横浜そごうの屋上?




元町商店街の守護神かなあ?




26日の日記です。

今日よりよりよい明日でありますように

ありがとうございました。




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大山蓑毛に 怖-い!閻魔大王がいます。

2013-01-30 | 日記


大山蓑毛の宝蓮寺の茶湯殿(ちゃゆでん)に
十王像が祀られています。
十王信仰は、平安時代に始まりました。

死者の霊を百一日の茶湯で供養する「百一日参り」に
供養に行くと必ず死者に似た人に会えると伝えられています。



私たち日本人は、死ねば地獄に堕ちると考えています。
血の池や針の山、賽の河原で石を積む情景は、
私たちの脳裏に鮮やかに焼き付けられています。

誰も死んだことがないのに、見てきたように地獄のイメージを語るが、
そこに大きな影響を及ぼしたのが『往生要集』です。

源信は、942年に大和国葛城郡当麻村で生まれ、
9歳で比叡山に入り、慈慧大師に師事して13歳で得度受戒します。
37歳から著述活動を始め、44歳で『往生要集』を著しています。

念仏による極楽往生を説き、生涯をかけて仏教の布教に努めました。





宝蓮寺さんの「十王像」からの紹介です。
閻魔大王の話は、昔から聞いていましたが、
像として初めてみました。
一般公開は、秋の祭礼のときです。

みのげ宝蓮寺に御嶽神社、大日堂、不動堂、茶湯殿があります。
みのげのバス停から川を渡ったすぐの所にあります。
特に、茶湯殿には、死後冥界で餓えと渇きに苦しむ亡者を救い、
成仏へも力を与える茶湯供養の寺として知られています。

最初に
秦廣王(しんこうおう)
 初七日(七日目・6日後)に裁きを行う。
 不動明王。
 自分が生きることの「意味」「価値」「使命」を知る精進をしたか。



初江王(しょこうおう)
 二七日(14日目・13日後)に裁きを行う。
 釈迦如来。
 どれだけの功徳を作る精進をしたか



宋帝王(そうていおう)
 三七日(21日目・20日後)に裁きを行う。
 文殊菩薩。
 迫善の功徳があったか



五官王(ごかんおう)
 四七日(28日目・27日後)に裁きを行う。
 普賢菩薩。
 悪業に対して断罪の精進をしたか。
 業の秤によって量る。



閻魔王(えんまおう)
  五七日(35日目・34日後)に裁きを行う。
  地蔵菩薩。
  知る精進。完成精進。
  迫善の功徳があったか



変成王(へんじょうおう)
  六七日(42日目・41日後)に裁きを行う。
  弥勒菩薩。
 過去の善悪を判定する。
  双木の側に三つの道は分岐している。



太山王(たいざんおう)
  七七日(49日目・48日後)に裁きを行う。
  薬師如来。
  仏法の精進。仏道の精進。



平等王(びょうどうおう)
  百か日(100日目・99日後)に裁きを行う。
  観音菩薩。
  生の精進。人格の精進。
  仏法を信じ、眼前の無常を信じ功徳を積んだか



都市王(としおう)
  一周忌(2年目・1年後)に裁きを行う。
  勢至菩薩。
  仏法の精進。
  自分が生きることの「意味」「価値」「使命」を知る精進をしたか。



五道転輪王(ごどうてんりんおう)
  三回忌(2年目・1年後)に裁きを行う。
  阿弥陀如来。
  存命中仏法を信じたか 仏道を精進したか
  迫善の功徳があったか。



地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
 死後の世界において亡者の行う行(ぎょう)即ち菩薩行を同行して
 亡者の苦を救う菩薩



もう一人怖いおばさん
三途の川の渡し場で着着をはぎ取る婆
葬頭河の婆(そうずかのばば)



ひろ さちやさんの「お経から人生を学ぼう」から
ひろ先生は、僕は大好きなひとです。
仏教哲学の啓蒙家です。

この中で、怖い閻魔大王の正体は、
優しい地蔵菩薩なんです。






それはどうしてかといえば、
やさしい地蔵菩薩の姿のままで
死後の世界にやって来た亡者に接すると
亡者が自己の生前の悪行を反省しないからです。

閻魔王が亡者の裁きをする前に、
彼は煮えたぎる銅汁を飲むそうです。
別段、煮えたぎる銅汁が彼の嗜好品ではありません。

煮えたぎる銅汁は閻魔王ののどを焼き、
彼は七転八倒の苦しみを味わいます。
彼はその苦しみを通じて、
裁かれる側の亡者の苦しみを味わっているのです。



一段高い所に立って、
下にいる被告を裁く。

それは、大乗仏教の精神ではありません。
裁かれる人間の苦しみ・悩みを
味わえる者だけが相手を裁くことが出来るのです。

いや同じ苦しみを味わった者は、
相手を裁くことなんてできませんよ。

「一切衆生の病を以て是の故に我病む」
(いっさいしゅうじょうのやまいをもって
  このゆえにわれやむ)  維摩経から





少し抹香臭くなりましたね。
ねこちゃんの顔を見て楽しんで下さいね。







「マッジカ・ニカ-ヤ」のお釈迦さんの言葉。

過去を追うな。
未来を願うな。
未来はまだやって来ない。
だから現在のことがらを、
現在においてよく観察し、

揺らぐことなく動ずることなく
よく見きわめて実践すべし。
ただ今日なすべきことを熱心になせ。
誰が明日の死のあることを知らん。




お釈迦さまは死後のことは言っていません。

ありがとうございました。











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丹沢 日向薬師さんはどんなとこ。

2013-01-29 | 日記




小田急伊勢原駅前では、2月3日の節分祭の案内
福小判を蒔いて、景品も3000点。
相鉄西横浜駅からいつものお兄さん?
「ひさしぶり どこかに修行にいってたの?」とお兄さん
ほんとうは、僕と同じ年?
彼は、昨年109回大山。10年で千回になったとか。
昨年、ヘルニアで1ヶ月休みとか。
彼と話をしていると楽しい。
がんばってくださいね。



皇太子殿下の大山の登山



日向薬師の参道





おミカンがまだ。



いつもの水のお守りさん
ちびちゃんも一緒だよ





階段の上が仁王門。





朝日が上がってきました。









のぼりの道







僕の紛失した錫杖がありました。
ありがとうございました。
最後の階段
本堂の解体修理中。



今日は、虚空蔵菩薩 (こくうぞうぼさつ)さんにお参り。
大きな木のほら穴に祀ってありました。
頭が良くなるとのこと。
ぼけないようにお願いしました。









日向薬師の境内にお地蔵さんが沢山あります。
可愛いですね



休憩所です。
甘酒におみかんが一個サ-ビス





浄発願寺に向かう途中に農園が解放されています。







浄発願寺
三重の塔です。
この下は、位牌が祀ってあります。
関東大震災の山津波でながされたお地蔵さんが祀ってあります。

















石雲寺



いつもの可愛いお地蔵さん





誰でも叩いてよいそうです。
小さく叩きました





浄発願寺の奥の院です。









見晴台への登り口
昔は、お塩とお米を上げました。
いまはちょっとお休み中。



七曲がりを登りきるとお地蔵さん
お地蔵さんの着る物を整えて
御神酒を上げていました。
ご苦労様。





見晴台は残雪でした。
大山下社に下りましたが、途中2箇所ほど
崖くづれ。
危険のため通行止めです。残雪が凍ってすべります。
やびつ峠からの林道は
倒木で通行がかなり困難とか。













写真の中央部分の木が雪の重みで根っこから崩れています。





大山の西側は、雪で真っ白とか。
さくらやさんで、豚汁。
いつもは大好きなお汁粉。
蓑毛に下りました。

今日よりよりよい明日でありますように。

ありがとうございました。






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丹沢みのげのかわいい猫ちゃんたち

2013-01-28 | 日記


大山勤行は、小田急伊勢原からバスで
日向薬師まで。
日向薬師、浄発願寺、石雲寺でお経を上げて
見晴台を経て大山上社で一休み。
下りは、やびつ峠、林道を下り
最後にKおばちゃんのところでコ-ヒ-
1杯350円で美味しいですよ。
お菓子も出ますよ。





数年前から帰りには寄ります。
いつだったか、
大人の童話?シェル・シルヴェスタイン「大きな木」を紹介され
「村上春樹さんの訳より
本田錦一郎さんの方がいいね」とおばちゃん。
この本は、いいですね。



おばちゃんは、20年以上
この自然の中で生活しています。
村?の人たちとの付き合いは出来るだけ少なく。

僕は、おばちゃんと話をするのを楽しみに
寄ります。
帰りのバスの時間を気にしながら。
おばちゃんと話をしていると
自然中に溶け込んでゆくような気がして。

僕たち修験者は、苦しみながら山を登り下りしているけど
おばちゃんは、自然と一緒に生活しているだけで
僕の感じていることが分かる。

天外 伺朗さんのfacebookで真言の話が燃えていますが、
その中で「妙好人」の話が出てきます。
江戸時代には沢山いたらしい。

おばちゃんと話をていると何となく
「妙好人」ような気がしてくる。



土曜日も
「昨年、自分とご主人のご両親を亡くされたそうです。
94才でなくなったご主人のお父さんのことを
お坊さんは、「死んでから修行されているのですよ」と話されたと。
「94才まで苦労して生きてきた人が死んでからの修行ってないですよね」と
僕に聞いてきました。
「お釈迦さまは、死後ことは言っていません。
天台宗の恵心院に隠遁していた源信が、「往生要集」の中で
話していることで、
帯津先生の話ではないが、お父さんは楽しい旅をしていますよ。」と僕。

「何となく安心しました」とおばちゃん。
「僕もほんのかけだしのお坊さんだよ」と

おばちゃんと生活しているネコちゃんの写真です。
ネコちゃんから雰囲気が伝わるかなあ。








17年の長生きで歯が欠けて舌がでてしまうんですよ。
でも家のなかで一番しかっりもの。















ねこちゃん達は、皆んな可愛がられてのびのびしています。





みのげに下る最後のところに
春がやってきていました。
みつまたの芽が。
あの黄色い花が楽しみです。



カエルが門のところに飾ってあります。
「登山者が無事に帰りますようにと」

大山の階段の登り切ったところにもカエル







kおばちゃんのところからバス停に向かう途中
今日は、ゆずでした。1個10円
早速、ゆずジャムをつくらなければ。



最後のお地蔵さん。
いつもお供えは沢山。
お酒を飲むのかな?





最後にシェル・シルヴェスタイン「大きな木」の紹介。

リンゴの木と少年は友達であった。
ともに遊び、心を通わせていた。
しかし少年は大人になってゆきお金が必要になる。
木は「私の果実を売りなさい」と言う。
少年は果実をすべて持っていった。
しばらくして、大人になったその子は家が必要になる。
木は「私の枝で家を建てなさい」と言う。
その子は枝をすべて持っていった。
また時が経ち、男は「悲しいので遠くへ行きたい」と言う。
木は「私の幹で舟を作りなさい」と言う。
男は幹を持っていった。
時が経ち、男は年老いて帰ってきた。
そして「疲れたので休む場所がほしい」と言う。
木は「切り株の私に腰をかけなさい」と言う。
男は腰をかけた。
木は最初から最後まで幸せであった。(wikipedia)

ありがとうございました。




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横浜馬車道は生チョコの発祥地 美味しい!

2013-01-27 | 日記






今日は、馬車道のあたらしいさの再発見。
生チョコは、シリスマリアの厨房で生まれました。
初めてチョコレートを口にした日本人は支倉常長であり、
1617年にメキシコ(当時はヌエバ・エスパーニャ)に渡った際に、
ビスケット・パン・コーヒー・金平糖・キャラメルなどの菓子とともに、
薬用としてのチョコレートを味わったのだとされる。(wikipedia)









1988年、寒い夜のこと、
シルスマリアの厨房に、
今までに無い、
全く新しいタイプのチョコレートが完成しました。
ショコラティエが、
そのチョコに、
生チョコという商品名を付けたことが、
のちの生チョコブームへとつながって行きます。
もちろん、現在使われている、
この『生チョコ』という言葉も、
その当時シルスマリアで生まれた言葉です。





平成元年11月、シルスマリア本店が、
松風町に店舗を移転した際、
店舗前の通りが「公園通り」
と呼ばれていた事と、
店舗の内装に使用した、
素焼きの赤レンガを敷き詰めた様子を見て、
商品名を、「生チョコ」から
「公園通りの石畳」と改めました。
1988年、生チョコという名で世に出た最初の一粒。
それが「公園通りの石畳」なのです。



ふぐ料理  美味しそう。











お花の MARIPOSAさん







ガス燈の記念碑は、関内ホ-ルの壁に。
安政6年に開港場になって以来、
横浜は西洋文化の玄関口になりました。
馬車道を起点にして全国に広がったものは数多くあります。

 ガス燈は、明治5年に高島嘉右衛門の
「日本ガス社中」により
馬車道・本町通り等に設置、点灯され、
これが日本における最初のガス灯になりました。
柱部は、英国グラスゴ-から輸入し、
灯具は日本人職人により製造された。



壁面レリ-フは、横浜開港資料館の絵はがきを転写したものです。
明治末の馬車道です。







地下鉄関内駅を上がって横道で
スズメが30羽ほど。
付近の警備員さんは
「すずめは良く知っていて 僕らでは逃げないよ」
スズメが30羽近く群れているのは初めて見ました。





有名な中華料理屋さん
海鮮焼きそば 1310円
骨付き肉いりつゆソバ 1050円









相生さん
横浜馬車道アイスをどうぞ。







横道に日経社さん。



老舗の信濃屋さん
2F シルクストアです。















ときどき寄って見る本屋さん
宗教の本など特殊な本があります。
先日、宮家先生の修験道の本を買いました。
「道と修験道」定価8000円が5600円。
僕の楽しみの本屋さんです。





ス-プカレ-屋さん



今日は、馬車路を歩いて見ました。
その都度、新しい発見をします。
ぼ-と歩いているので、気がつかないのでしょうね。
ブログを始めてから、周りを良く見るようになりました。



天外伺朗さんのfacebookで「真言」の話が
沸騰しています。何となく真言を唱えていましたが
深い意味を知りました。

早速 「超能力と気の謎に挑む」(天外伺朗著)を購入。
面白いですよ。

今日よりよりよい明日がきますように

ありがとうござます。













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交差展vol6 横浜元町の小さな展覧会に行ってきました。その3

2013-01-26 | 日記
先日の交差展の探訪では、
横浜増田窯アントギャラリ-とブラフベ-カ-リさんと
ウチキパンさんに行かなかったので
今日、行って来ました。

Pt.Vicente&Cafe&Shopにお茶を飲みに行きました。



制作者の登 知子さんに会えました。ラッキ-!!




いいね!

マスタ-は、優しい人です。
お茶を飲んでいて、安らぎを感じます。
いいですね。







横浜元町ハニ-ロ-ル
Pt.Vicenteに新登場
ポイビおなじみのケ-キセットに
霧笛楼「横浜元町ハニ-ロ-ル」が加わりました
100%元町産のハチミツを使った
ソフトで優しい味のロ-ルケ-キです。
元町のハチミツは、植物本来の密の味を
楽しめるほど新鮮です。



僕は、ケ-キセット850円
紅茶とハチミツがかかったシホンケ-キ。

美味しかった。紅茶も3杯分。
是非、寄ってくださいね。

南日祥治さんは写真です。

牛田 幹丈さん
横浜増田窯アントギャラリ-
ソルトリング





横浜増田窯 窯主 増田 博一さん
櫻花爛漫

食卓の喜びは人類に限られた物である。
わたくしたちはこうありたい。
日本文化の、深い時間や先達のきらめく叡知を
栄養分としながらも時には反逆し、あるいは異端として
作品を創る。



だから横浜焼の復活は、
決して過去の写しを再現するのではなく
クラフトマン精神の継承であった。
いつの時代でも文明開化であると強く自我し挑戦する。
そんな窯元でありたい。



人がいまだ目にした事もない、「食卓の快楽」。
ひたすらにそれを求め、お届けしたい。
わたくしたちは今でもそうであったように、
常に時代の要求に応え、器一つでも
人々を刺激し感動できるように、
これからも変わり続けます。
世界中で横浜にしかないデザインを発信して行きます。









明治時代の横浜眞葛焼です。
一品一品が芸術品で、日本を代表する陶芸品でした。





大内 瑶子さん
ウチキパン
冬の森に耳を澄ます-アルマの笑い声-




いいね!



藤森奈捺子さん 川畑 隆さん
ブラフベ-カ-リ-

ごめんなさい。
写真1枚しか気がつきませんでした。







ブラフ牧場
ブラフさんは、トンネルの少し手前のところです。



僕は、パンを買いました。
パンが好きでいろいろと楽しんでします。
あんパンの味はどんなかなあ?



元町代官坂です。





この坂は、山手の丘を越えて北方、本牧へ行く道で、
みのわ坂と称していましたが、
坂の途中この地に横浜村名主石川徳右衛門が居住していたことから、
代官坂と呼ばれています。





元町厳島神社

元町厳島神社は、元町5丁目208番地、元町4丁目と5丁目の丘裾にあります。
赤い鳥居をくぐり正面の階段をのぼると
本宮、左に皇大神宮、
さらに左隣に金刀比羅宮が鎮座しています。
もともとは横浜村洲干島にあったもので、
元町に移り、元町厳島神社と呼ばれるようになったのは、明治2年(1869)からです。

今日は、交差展で制作者の登さんにお会いできて
ラッキ-でした。

今日はよりよい一日でありますように。

ありがとうございました。









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雨の馬喰町 歩道の商品は?

2013-01-25 | 日記










歩道に並べた商品の数々
雨が降ったらどうするのだろうか
22日に馬喰町で仕事がありました。
明け方から雨が降り出し
9時ごろに少し強くなりました。







歩道一杯に。
ア-ケ-ドにはなっていません。
各お店で工夫しています。





下に車が付いていて引っ張り出します。







店舗の看板がデザインされています。









春物が新商品











雨の朝の商品の入荷は戦争です。
雨の馬喰町でした。

今日よりよりよい明日でありますように

ありがとうございました。





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かちどき橋で若い人が高層ビルの細かい絵を描いていました。

2013-01-24 | 日記


打ち合わせで築地に行った帰りに
初めて「かちどき橋」を見てきました。





wikipediaによる解説

日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)であるが、
1980年に機械部への電力供給が終了しており、
可動部もロックされ、
跳開することはない。
近年、再び跳開させようとの市民運動や
都・一部都議の動きはあるものの、
機械部等の復旧に
莫大な費用(東京都の試算では約10億円)が
かかることや多数の道路交通量があることから、
実現の目途は立っていない。















若い人が、細かい高層ビルを描いていました。
「わあ 細かいですね。」と僕
「雑ですよ」と謙遜していました。
この寒空のなかで丁寧に描いている姿はいいですね。





丁度、2つに分かれるところです。
でも車が通ると揺れます。







丁度、夕日が橋の分かれたところに沈むところでした。















すぐ近くが築地市場です。



歴史(wikipediaから)
明治期より架橋の計画は何度かあったものの実現せずにいた。
1905年(明治38年)1月18日、日露戦争における
旅順陥落祝勝記念として有志により
「勝鬨の渡し」が設置された。
築地と、対岸の月島の間を結ぶ渡し舟である。
埋め立てが完了した月島には
石川島造船所の工場などが多く完成しており
多数の交通需要があったことで、
1929年(昭和4年)「東京港修築計画」に伴う
4度目の計画で架橋が実現した。
建設当時は隅田川を航行する船舶が多かった。
このため陸運よりも水運を優先させるべく、
3千t級の船舶が航行することを
視野に入れた可動橋として設計され、
跳開により大型船舶の通航を可能とした。
高架橋とする案もあったが建設費が安く済むため、
可動橋案が選定された。

21日の日記です。
真摯に取り組む若者の姿を見せていただき
ありがとうございました。



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交差展vol6 横浜元町の小さな展覧会に行ってきました。その2

2013-01-23 | 童話
「交差展」とは、人×街×アートをテーマに
学生・職人・社会人が制作した作品を
元町の様々な店舗に展示し
街全体が展示会場となっているアート展です。
今年で6回目の「交差展」ですが、
1/20(日)~1/27(日)の8日間 開催されます。

案内図は下記のブログで。
https://www.dropbox.com/s/cxmj0ryh6yccpb5/交差展Map.pdf?m

作品とお店の紹介です。

高橋 秀司さん(社会人)
Kandy Italian&Tea Room
Fly Meto the Pizza





我妻 珠美さん
Cafe Next-door 霧笛楼
冬の街




いいね!



白鳥 冴夏さん
Cafe Next-door 霧笛楼
箱景







須藤 利枝子さん
K-CUBE+ヘアサロン


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吉岡 百合絵さん
CROCO ART FACTORY インテリア
SUNSET




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八重樫 祐未さん
CROCO ART FACTORY インテリア
Bottle




いいね!




徳田美由紀さん
海岸不動産
ガラガラへび









山田 綾さん
元町香炉庵
気配




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大木戸 寛さん
中島 顕子さん
茶倉SAKURA 日本茶専門店
cover




いいね!





安藤 開さん
イチカワ理容室

「包む」ことで見えなくなること見えてくること
「包む」という行為の再考




いいね!





山口 耕平さん
L’AVENUE
Stratus 層雲




いいね!





谷 知子さん
南 日祥司さん
Pt.Vicent Cafe&Shop





お店が混んでいました。
マスタ-のおじさんは恐縮していました。
僕の方こそ申し訳けない気持ちでした。
でも作品は、お店中に飾ってありました。
写真は、撮りにくく手ぶれでごめんなさい。



元町を、違った角度から見せてもらいました。
でもお店の方々の優しさは
ほんとうにうれしい!!
寒空のなかで何だか
心がほかほか。

小さな童話
「祈ろう! 集まろう! そして祈ろう!」


おもちちゃん 「怒りんぼさん! みんなで集まって福福さんの
        祈りをしようよ。」
怒りんぼ 「いいよ。誰が知らせに行くの?」
momoi   「福福ちゃんのキン斗雲と喜久屋さんのうき雲さんに
       今夜12時にダニエルさんちに集まろうと伝えて貰おうよ。」

福ちゃんの雲と うき雲さんは、みんなのところに
飛んで行きました。

トンボ君  今夜だけ片方の羽を借りて行くよ。

ペンギン君 ドイツの騎士さんたちと友だちになったのだけど
       一緒に行ってもいい。
うき雲君  もちろんいいよ。
       ドイツの騎士さんごんばんわ。
      


梨君 美味しそうなワインの樽に乗って酔っ払っていない?
    大丈夫!大丈夫! ワインを持って行くからね。

KIM君ガラスのボ-ルさん 二人で本通りを転がって行くよ。
          だって近いんだもん。

ポピ-のお店のcloth君 僕は、風に舞ってひらひらと飛んで行くよ

kandyさんとこは? ピザを抱えて行こうかな?

冬の街・箱景さん 霧笛楼の美味しいコ-ヒ-を持ってゆくからね!

K-CUBEさんとこは ヘアスタイルを変えて行くつもりよ。

うき雲  いいなあ・・私も元町スタイルにしてもらいたいなあ。

sunsetとbottleさんは 徳田さんとこのわんちゃん(リュ-坊)の背中に
             乗ってゆくよ

     徳田さんにはいろいろとお世話になって
     その上、わんちゃんまでお借りして
     ありがとうございました。


ガラガラへびさん みんなを怖がらせないでね。
           大丈夫よ。


気配さん 重くて大丈夫?
      だって15単衣だもん!
      でも脱いで軽くしてして行くね。
      美味しいお菓子を持って。


わいがやがや夜中の12時になりました。
ダニエルさんちは、おお賑やか。

誰かが 「そうだ おじさん山伏さん」を呼んだら?

おじさん 「ありがとう お言葉に甘えてきましたよ。
      皆さんの気持ちが通じたのかあ・・
      岩手県釜石の大槌町から
      51人のお地蔵さんの代表がお礼にきましたよ」










お地蔵さん 「みんさん 本当にありがとう
       私たちのことを思っていただけることが
       どんなに励みになるか知れません
       いつまでも忘れないでね 」

集まってみんなで、ダニエルさんちのお店で祈りました。
そして、ワインやピザやお菓子で楽しい一時。

「ボ-ン ボ-ン ボ-ン」
ダニエルさんの時計が皆さんにお知らせ



「3時になった。さあ戻ろう!
 今日は、楽しかった。」

また、ダニエルさんちは元の静けさに戻りました。

そして「おこりんぼ」さんの顔が少し優しくなり
またまた美しくなりました。   (おわり)



ありがとうございました。























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交差展vol6 横浜元町の小さな展覧会に行ってきました。

2013-01-22 | 日記




交差展vol6が元町のお店のショウウインドウなどに
綺麗に飾られていました。
先日、ブログで紹介したホット・ショットのお店の
お孫さんのお子さんが多摩美術大学に通っていて
作品の展示があると聞き出かけました。

この企画は、CROCO ART FACTORYさんの
社長さんの徳田さんが、
作者のプロフィ-ルや作品を見て
どれをどのお店にふさわしいかを考えるそうです。
なかなか大変のようですが、楽しそうでした。
勿論、制作者が望むことは優先。

徳田さんのお店です。
徳田さんご夫妻は、気さくで楽しい
お話をさせていただきました。
ありがとうございました。

CROCO ART FACTORYさんのブログも見て下さい。
http://www.crocoart-factory.co.jp









道理で、各作品がお店にマッチしていると思いました。

僕の一番のお気に入り。







家具のダニエルさんの一等席。
牧野 永美子さんの「怒っている」作品。
「ダンコとして許さない姿勢を崩さない姿勢」

でも足は、許していませんか僕に。



牧野さんの経歴
2010年 多摩美術大学卒
2009年 第62回二紀展入選
2010年 Midtown Aword 2010 準グランプリ

変身願望と妄想をもとに
動物と人、どちらの姿を持つ
不思議な生きものを制作しています
表情やポ-ズから作品が持つスト-リ-が
伝わるかしら。




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鈴木 泰三さん

「福福の神」
 2011年の東日本大震災を受けて制作した作品
 自分の代わりが多くの人々の福と幸せを届ける
 ことが出来ればとその思いをこめている







展示してあるお店と作品の紹介です。

加賀屋 諒さん
岩手県アンテナショップ(Natura Essay)




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川上ひとみさん
Tomei'S ワインバ- 




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Kim Mim Sun
TAKARADA 洋食器




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田島 美千代さん
喜久家洋菓子店
うきぐも




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津守 秀憲さん
喜久家洋菓子店
さあ 召しあがれ




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岩江 圭典さん
ポピ-紳士用品店


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内田 望さん
ドイツ足の健康館
Fisher Penguin




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お店に入るときに
「交差展の写真を撮らせていただけますか」と僕
「どうぞ どうぞ」
どのお店も親しげにご挨拶をいただけました。
やはり歴史のある元町商店街ですね。



寒さで体が凍えてきますが、
一軒一軒、見せていただいているうちに
心が何となくほあ・・としてきます。

香炉庵さんで大好きなどら焼きを買い
スタ-バックでコ-ヒ-を買って
山下公園でいただきました



寒い海風が顔に吹きつけましたが
どのお店でも僕のほうが恐縮してしまうほど
親切に対応していただいたことが
体にしみわたり
美味しいどら焼きが一段と美味しかった。



いつもの山下公園を抜け赤煉瓦倉庫
臨港パ-クで一休み
横浜駅まで歩きました。

昨日は、雪の箱根峠から三嶋大社まで
でも普段通りでした。



みゆきちゃんこの様な楽しい機会を与えてくれてありがとう。

明日のブログに小さい、小さい童話を書きました。
もちろん主役は、作品たちです。

明日につづきます。
ありがとうございました。























コメント (1)
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山伏は、自分の身を捨てて人々の罪を背負って修行する。

2013-01-21 | 銀杏並木


五来 重先生の
「修験道霊山山の歴史と信仰」から。

五来先生は、民族学の面から修験道を研究しました。
民族学の大家と言われる柳田 國男は、
宗教は五来にまかすと言ったと言いいます。

『日本霊異記』は弘仁年間(八一〇1八二四)に書かれたものですが、
じっさいには奈良時代の話はみな年号なり、
その時代の天皇なりを挙げて物語が書かれており、
奈良時代の庶民仏教の唱導に使われたものです。



その中に「南菩薩」永興(ようこう)という人の話が出てきますが、
それによると、
熊野が中央に知られたのは那智からということになります。

この永興という人は、
「南菩薩」と呼ばれたくらい海岸の人々の教化に
つくした庶民仏教者でしたが、
法華経を実践する坊さんだった。

法華経は、修験道と仏教との関係で、
密教よりはじつは関係が深い。



法華経の内容を山の人たちは知らなかったのです。
一般の人も知りません。
その中に書いてあるいくつかの寓話を知っているだけのことです。
その中でいちばんよく知られたのは、
第五巻の「提婆達多品」(だいばたったほん)です。

そこでは女性が穢れ(けがれ)がなくなると成仏をする、
まあ女性の後生というのが書いてあるのですが、
それがなくなればまず男性になります。

変成男子(へんじょうなんし)と言います。
そして禅定に入ると仏になる。
これを龍女成仏(りゅうじょじょうぶつ)と言います。



 別のことでまたお話をしたいのは、
じつは浦島太郎の龍宮は
変成男子龍女の成仏から出るのです。
そのことはいろいろと証明できます。

浦島太郎の話は
『日本書紀』雄略天皇の二十二年の条に出てきます。

また『万葉集』や『丹後国風土記』にも出てきますが、
そこでは龍ということは言わない。
龍というのは、
この「提婆達多品」の中に娑掲羅龍宮というのが出てくる。



南の海の中の王国の王さまである。
そういうことで浦島太郎と龍宮の必然的なつながりは、
むしろ法華経から出ているとおもっていいとおもいます。

 法華経の話をすると長くなりますからいたしませんが、
この法華経を実践するということは、
罪を滅ぼすこと、
穢れを祓うことです。


それがかなり普遍化した段階が奈良時代で、
法華経をもって滅罪する、
罪を滅ぼすということで、
法華滅罪の寺という名前が起こった因であるというふうに
私はかんがえております。
国分尼寺というのは、法華滅罪の寺です。



山伏は自分の罪を滅ぼすと同時に、
自分の信者たち、
あるいは自分か属している共同社会の人々の
罪を全部背負って自分が苦行し、
ある場合には命を捨てて
罪を滅ぼすのだとかんがえている。


このかんがえ方が、法華経を読むことは
すなわち苦行することであるというふうにかんがえたわけです。

ですから日蓮が迫害にあえばあうほど
法華経を読んでいる、
といったこととおなじです。



苦しみをなめればなめるほど罪が滅びる。

滅罪というのは、
ただ口で滅罪の真言を唱えたり
滅罪の経文を唱えることではなくて、
自分の身を苦しめることです。

この滅罪の論理は、
また別に述べる機会があるとおもいます。

 そういうことで永興が苦行していると、
禅師になる一修行者が
小さな法華経を背負ってきたと書いてあります。

山伏は八巻ある法華経を小さな細字の一巻の法華経に作り、
自分の笈の中に入れて持って歩いている。



 それを持って一年間、
永興のもとにとどまっていましたが、
あるとき「自分は山の中にはいりますから」と
永興に言って、そこを辞した。

「それでは、お供の道案内をつけましょう」と永興は言って、
干飯を三升持たせ、
二人の山伏をつけて山の中にはいらせた。

ところが途中で山伏はお供の人に、
その三升の干飯を「お前たちに上げるからここで帰れ」と言う。

そのときに怪しいとおもえば怪しいのですけれども、
そう言われたものだから、
お供の人は米をもらって帰ってきてしまう。



それから三年経ちまして、
熊野の山の中で村人がどこからともなく
法華経を読誦する声を聞いた。

これを永興に告げると、
永興は予期していたようにその場所へ行って、
断崖の巌に麻縄の一方を縛り、
他方を足に結んで宙吊りになった白骨の遺骸を見つけた。

その持参の白銅水瓶から
さきの禅師であることを知った。
これで法華経を読誦する者は、
死んでも舌が腐らないという霊験がわかったというのです。

 このように山伏にとって最高の行は、
自分の身を捨ててすべての人の穢れを
自分が背負って死んでいくことにあるわけです。


したがって熊野では捨身ばかりでなく、
火定といって焼身もあったのです。

 こうして那智山と呼ばれたのは、
いまの那智の瀧ではないということがわかった。

法華経の名前を背負っている那智の山は
「妙法山」といって、
いま有料道路で上まで行かれる山ですが、
海が一面に見渡せる。

海からもまたそこがよく見える場所ですが、
そこが那智の発祥です。

法華経の実践者が那智の修験道を開いたことは、
『本朝法華験記』の話からわかります。

 また沙門応照は、
「熊野奈智山の住僧なり、
ひととなり精進にうけて、
さらに懈怠なし。
法華を読誦(どくじゅ)するをその業となし、
仏道を欣求するをその志となして、
山林樹下をすみかとなし、
人間の交雑を楽まず。云々」と言い、

法華経の喜見菩薩焼身燃腎を
恋慕随喜して、
ついに発願して、
「我薬玉菩薩のごとく、この身を焼きて諸の仏に供養せむ」と
言ったという。



 これは法華経の実践をしたということですけれども、
いちばん最後のところに、
これ則ち日本国最初の焼身なり。
目のあたり見、伝聞する輩、随喜せざるはなし
」と書いてある。

この『本朝法華験記』には、
法華経を実践するにあたって
いろいろの奇瑞を顕した人々の伝を年代順に書いており、
第九ぐらいですと、
年号は書いていないけれども、
だいたい平安初期の人であるということがわかる。

奈良時代には永興があり、
平安初期には応照があり、
いずれもその禅師もしくはその人自身が捨身や焼身をする。
那智はそういうところでした。



五来重著作集第六巻
 「修験道霊山山の歴史と信仰」から

「提婆達多品」(だいばたったほん)は、下記のブログで全訳がでています。
http://homepage3.nifty.com/chances/aokyoukan/15.htm

『提婆達多品』は、その当時のインド社会の一般認識として、
仏の悟りを得ることなど出来そうにないと思われる最も極端な例を出して、
その者でさえ仏に成れるのだという事実を見せることによって、
誰でもが仏に成れるという「仏性の平等」の真理を説き示そうとしたものです。

この品は、前半の「悪人成仏」の話と、
後半の「女人成仏」の話に分けることができます。


「地球隠れ宮 一万五千年のメッセ-ジ」(春木伸哉 江本勝著)のなかで
天皇陛下の四方拝のことが書かれています。
幣立神宮宮司さんと佐藤昭二さんの対談から。


春木 そうです。お社(やしろ)だけでしょう。
天皇陛下もあそこの大宮司も、お祭りのときは下の砂利の上にむしろを敷いて、
正座して祝詞をあげられると伺っています。
昔のままの姿ですよね。
天皇陛下も、宮中三殿ではお礼の前にむしろを敷いて、
正座してお祈りをなさるそうです。
佐藤 板も何も敷いてないそうですね。
春木 そう理解しています。
佐藤 土の上で石灰を敷いて固めてあるそうですが、そこに座っているそうです。
春木 お正月の四方拝のときは、以前は雨が降っても雪が降っても、
そのままですからね。
朝の四時ぐらいからお祈りが始まると伺っています。
佐藤 どれぐらいなさるんですか。
春木 かなり長いらしいですよ。しかし、昭和天皇様が崩御の一年前ぐらいは、
職員のみなさんが心配するから、
たしか「君たちがそんなに心配するなら」と
テントのところにちょっと行かれたというのを聞きました。
本当のことはうかがいしれません。伝聞ですけど。
佐藤 雨が降ってもずぶぬれで延々と祈り続けていくそうです。
春木 厳しいんですよ。
佐藤 余りにもご高齢でそれをなさるものだから、
侍従長がとにかく心配したそうですね。
春木 ということを聞きましたが、
私たちは具体的には知るよしがないですからね。
それから、四方拝のときに、
旧の宮家とかみなさま皇居に集まられるらしいのです。
向こうに直接行かれないから、ある一室に集まられるそうです。
 ある皇室情報筋の人から聞きましたが、
天皇陛下が寒いところにおられるのに、
自分たちがぬくぬくとしてはいけないと、
暖房を切って、
全部窓をあけて立って、
一緒にお祈りをされるそうです。
だから、いい加減なことはなさっていないのです。
佐藤 すごいですよね。

村上和雄先生の祈りと人間のDNAの話は
祈りの大切さを示唆しています。

今日は、少し長くなりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。


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残雪の箱根勤行 新しい海賊船です

2013-01-20 | 日記


小田急の小田原駅にオブジェ?





今日は、少し違った目から見た箱根の姿です。
3年も通っていていつも何か新しいことを発見します。





小田原馬車鉄道があった。
終点は、ここから200m先の早川べりにありました。

早雲寺の門前で朝の散歩のわんちゃんにご挨拶



「箱根は残雪があるからお気を付けて」と励まされて出立。

路傍の小さなお地蔵さん。
早雲公園の階段を下りたところに
旧東海道の街道筋にところどころにお地蔵さんが祀ってあります。











箱根湯元の銭湯「弥坂湯」さんのご主人は、
朝の掃除の最中。
「おはようございます。先日はりがとうございました。」と僕
「お気を付けて」にこやか笑顔はいいですね。
なんかいつもと違って、ご挨拶する方が多い見たい。
うれしいですね。

いつものお二人さん





ちょっと違うけど?
いい顔していますね。



二子山は、残雪で綺麗ですね。





天狗神社で法螺貝を奉納。
隣の駐車場の警備員さん
「毎月ですか」
「はい」
「雪道ですのでお気を付けて」
皆さん、綺麗な顔をしています。

畑宿はまだちょって雪景色。









七曲がりの歩道は雪で歩けません。











甘酒茶屋でいつものご挨拶。
ご主人は、深々と頭をさげて
「この寒さのなかに頭がさがります」と
いつも気持ちが和らぎます。
お店の皆さんはほんとうに気持ちの優しい人たちです。
うれしいですね。
お店の神棚に皆さんの健康を願って奉献。





寒いけど中で見る雪景色もいいですね。
いろりでは、火が燃えています。
でも寒い。
旧道は雪道なので車道で湖畔まで。
途中、お玉が池は半分、氷。





箱根湖畔の町は、雪かきで大忙し。





お地蔵さんは「白い袈裟」を着せて貰ったの?



3月から新しい海賊船です。













箱根湖畔は、雪で歩くのは大変。
観光客はほとんでおりませんでした。



杉並木の道にはまだ雪が。
ときどき風にあおられて
1cmぐらいの氷がぱらぱら落ちてきます。





箱根峠に登ってくる旧道は雪で凄い。
箱根峠から西側は雪が多かった見たい。
車道を歩いて正解。





雪の重みで、ハコネダケが皆さん頭をさげてご挨拶。
今までみたことのない景色にびっくり。
いよいよ三嶋大社への下り1歩。
入り口は、ハコネダケがお辞儀をして
道を塞いでいました。
雪も深く30cmぐらい。
これはいかんと引き返す。







いつもは、中央のこのハコネダケの下が旧東海道です。

箱根峠に戻ってバスに。
まだ50分もあるので車道を歩く。
大型車がくると止まって避ける。
接待茶屋から三ツ谷までバス。
ここから、坂小学校まで10分ほど。





この時計を見て見てあと1時間ほどと。





猫ちゃんがお留守番。



途中の道で富士山が最高に綺麗です。
これからの下りはいつも富士山を堪能しています。





街中をたんたんと下ります。

六地蔵には、いつも綺麗なお花が。















街道の終わり近くに駄菓子屋さん。



お店のガラス戸に子供たちへの挨拶。

「H24年度 おばさんも元気
 お店も出来ました。みなさんの
 おかげです。 ありがとうございました。
 新しい年 H25年も元気で営業
 したいと思っておりますので
 よろしくお願いいたします。

 大好きな子供達へ

こんどおばちゃんに会ってお話を聞きたいなあ。









でもうれしいね。



箱根路の道標

この先は、杉並木。





この杉並木を歩いていると横道に富士山が見えて
わあ 綺麗!





最後の愛宕坂



踏切を過ぎればもうすぐ三嶋大社。
川を二つ。







三嶋大社。
お嫁さんはいいですね。















天然記念物のキンモクセイ





裏門のところ





水辺の散歩道













三嶋の水をどうぞ



ときどき「三嶋街中カフェ」で野菜を買います。
沼津産が多い。
今回は全部で1060円
お店の人と楽しいお話。
僕の「気」を差し上げました。
法螺貝をお願いされて。



帯津先生の話にありますように
人は、何億年もの旅をしているとのこと。
ほんの一時を
うれしい気持ちにさせていただき
感謝の一日でした。
楽しい一日をありがとうございました。

19日の勤行でした。











































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夜の銀座のちょっと散歩

2013-01-19 | 日記




銀座4丁目の交差点
かわいいお花が植えてありました。



4丁目のお花屋さん





いつものウインドウ・ショッピング















素敵な柄の足袋です。
地下足袋もデザインされているのが売られています。
僕は、いつも足袋で生活しています。













有楽町駅前





まだ雪がありました。







今日よりよりよい明日でありますように。

ありがとうございました。

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弘明寺商店街でのコマ-シャル撮影でした

2013-01-18 | 日記


弘明寺商店街 野菜畠のキャロットさんの撮影。
お店は貸し切りで夕方5時に撤去。
いつもと違っています。
開店休業。















いつもと違って人通りが多い。







撮影機材は、大岡川に。















今日は、お昼の帰りに出会いました。
夕方5時ごろには、撮影が終わりました。
キャロットさんも普段の通り。







17日の日記です。

今日よりよりよい明日でありますように。

ありがとうございます。
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泉岳寺に赤穂義士たちのお墓にお参りに行ってきました。

2013-01-17 | 日記




京急の地下鉄駅で「泉岳寺」という名前はいつも聞いていました。
赤穂義士たちのお墓参りに初めて行きました。

泉岳寺は、曹洞宗の禅寺。







渡り廊下の雰囲気は、どことなく鶴見の総持寺に似ています。







義士のお墓は皆さんが良くお参りに来られるように
きれいで、独特な雰囲気が立ちこめていました。

チベット密教では、墓地で奥義を伝えたと言います。
赤穂義士のお墓には、普通の墓地と違って
何かが語りかけてくる不思議な気持ちにさせられました。

胸が圧迫されるような「気」が充満していることを感じました。

赤穂義士の皆さん、ありがとう。



































参道のお店やさん
甘酒をいただきました。







赤穂の塩まんじゅうは美味しいとか。

夕暮れ時、月が出ていました。
鐘の音がどことなく寂しさの中に響いていました。



子供の頃は、マンガで忠臣蔵を読んで
いじめに対して、幕府の取り締まりを
乗り越えて敵討ちをしたことにわくわくしたものでした。

でも、今は少し違っています。

浮世絵師「国芳」でも書きましたが、
禁令の世の中で自分たちの考えを貫き通した人たちへの
江戸庶民の喝采の声が聞こえて来るような気がしてきました。



人として大切なことを持ち続けて
新しい社会を築いていったのではないでしょうか。
その社会のうねりを感じます。

今日よりよりよい明日が来ますように

ありがとうございました。



















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