ネイティブ・アメリカンは、12才から13才の間に
野山のなかでサバイバルを学び、動物の命を奪うことによる
自然の持つ厳しさを学びます。
一つの槍を作るのに1ヶ月2ヶ月も探し廻ります。
僕も、高校性のころ秋葉原にアンプの部品を
探し回りました。スピ-カの箱も自作。
材料を材木屋さんで探し、
カンナを掛けて作ったことを思い出します。
でも中学生の頃に、探求心を経験することは
同じなのでしょうね。
大人になってある研究のとき
大学の尊敬する先生から
「君は、子供のように目をらんらんと
好奇心旺盛だね」と言われました。
少し長くなります。
トム・ブラウン・ジュニアの「ヴィジョン」から「狩り」の体験の話です。
12才から13才の間に原野の中で、厳しいサバイバルで生き抜き近距離が動物を狩ることの経験をネイティブ・アメリカンは行ってきた。
それは、一人前の男になるための儀式という。
最初にこの本を読んだとき修験道に何か通ずるものを感じました。
修行僧の中に、普通では考えられないような苦行を行っています。
僕の尊敬する
野口法蔵師の「心の訓練」には、そうした苦行僧の話が書かれています。
法蔵さんが経験されたことです。
いよいよ最後のコ-スは岩ばかりの森の中の山の上の洞窟寺院でやりました。石の洞窟部屋に入り、岩の寝台と石の枕で寝具はありません。まるでサン・ファランチェスコのようですが、ここで最後の二ヶ月を過ごします。室は処々コケがはえていて湿気がもの凄く、又、骨の腐った様な青酸なにおいがします。只、非常に静かです。ここで瞑想すると悪夢をよく見ました。もちろん寝ても悪夢です。そして、何より羽音のしない大きな蚊と種類の違う山ヒルとで体はいつも血だらけでした。特に山ヒルは血が止まらず、黄色い僧衣が自分の血で赤く染まってしまうほどでした。
でもこのヒルも蚊もはらってはならないと言う「きまり」があります。
僕など、大山勤行で蓑毛に下りて来たとき、地下足袋に5,6匹のヒルがたかっているのを慌てて棒で払いのけて
山道でない車道を下りたものです。
でも凄いですね。
法蔵さんの「心の訓練」は苦行の人たちのことが書かれています。
「心の訓練」の本は、紀伊國屋 BookWebで扱っています。
トム・ブラウン・ジュニアの「ヴィジョン」は、徳間書店の五次元文庫のひとつですが、絶版になっています。
アマゾンの中古本で購入出来ると思います。
また、この本に書かれている、「グランドファ-ザ-と釣り人」は絵本になっています。
自然は永遠に続く資源だと思い込み、一つの土地から取れなくなったり、汚染されたり、病気が発生すると、単に別の場所を開拓してきたのだ。
人間のこうした態度は、地球が崩壊の危機に直面しているというのに、今日まで続いている。
真のサバイバリストなら自然のバランスを取り戻すことが出来ると述べています。ネイティブ・アメリカンは、大地を母と意識して大地を敬い大切にしてきたと述べています。
12才になったトム・ブラウンに「狩り」を通して自然の畏敬を教えようとしている。
12才になってまもなく、グランドファ-ザ-は、私が初めて狩りを経験するときが来たと告げた。初めて自分の手で大きな動物を狩るときが来たのだ。
それまでの食料は、ワナか弓矢か投げ棒を使い小動物を獲ってまかなっていた。武器を投げたり、ワナを仕掛けるだけだったので、リックも私も実際に動物が死ぬところを目撃したわけではなかった。動物が死ぬ瞬間に立ち会ったことがなかったので、本当の意味で死を理解しているとは言えなかった。
グランドファ-ザ-によれば、勇敢な若者は12才から13才の間に、先祖の儀式に従って近距離から大きな動物を狩ることになっていた。それは、狩りや自然の秩序やすべてのものに生ける精霊に関する多くのことを教えてくれるものだった。
たびたび断食を行い、祈りの時間を持つようにした。さらに、何日も一人で森の中をさまよい、スエット・ロッジによる浄化を求めた。すべては正しいやり方で準備されなければならなかった。
シカを仕留めるための槍を作るときは細心の注意を払った。柄の部分にはもっとも固いカシの若木を使用した。松林の火事によって燃え固くなった、狩りにぴったりの若木を求めて何日も探し求めた。
夏もだいぶ過ぎた頃、獲物となるシカを見つけた。それはその年の春に生まれた小さな雄のシカだった。(中略)あの状態では、ほかの捕食者たちにも一番狙われやすいし、飢えや病気にも弱いので、そのシカを獲ることは創造の法則にかなっていた。
体を清め、神をしるために四日間の断食を行った。また、スエット・ロッジを行い、私の槍を導いてくれるように創造主に何度も祈り、命の恵みを受け取ることに深く感謝した。
外面的な準備をする前に、私の内面がすべてただしくなければならないのだ。(中略)
すると、やぶから出てきた小ジカが、マツの木から数メ-トルのところで立ち止まり、木の上にいる私のことをじっと見つめていた。子ジカは弱々しく見えた。人間の存在に当惑してしばらくがたがた震えていたが、それが私だと分かると、これまでのように信用して、ためらうことなく私の方へと歩きだした。(中略)
私は木の上から飛び降りて、小ジカを地面へと押しつぶした。そして、首の後ろあたりを槍で切りつけた。その激しい動作によって槍は折れてしまったが、一本の動脈とのど笛の一部を切っただけだった。
小ジカは痛みのために激しくのたうち回った。
その瞳にはもの凄い恐怖心が宿っていて、私の魂へと訴えかけるようだった。にもかかわらず、私の中の「動物」はシカの首をつかみ、窒息死させようと力を込めた。
動脈から噴き出した血が、地面や私の顔や体を真っ赤に染めていた。さらに、唸り声を上げながら、私は小ジカの頭を地面に激しく叩きつけた。私の体は恐ろしい興奮状態に震え、噴き出す汗やシカの血がどろどろと体から流れ落ちていった。
シカはそれでもなお必死に抵抗を続けた。だが、やがて動かなくなった。
そのとき、私の指の間からシカのスピリット、シカの命がすり抜けていった。その目は恐怖だけが浮かんでいた。
死に絶えたシカは目を閉じた。(中略)
私たちは仲良しだった。シカは私の兄弟であり、友だちだったのだ。
それなのに、いま、その大切な友だちは目の前で死んでいる。
自分を信用してくれた友だちの人生を奪ってしまったのだ。一人前の男になるためという儀式のために!(中略)
私はグランド・ファ-ザ-を憎んだ。
辛辣な思いが、沸々とこみ上げてきた。
私がどんな言葉を発するより先に、こぶしだらけの指をこちらに向けると、こう言うのだった。
「グランドサン、その小さなシカに対する今のおまえの気持ちを、
地面から抜いた草や葉一枚に対しても同じように感じることができたら、そのとき初めて
、そうして初めて、おまえはすべての存在と“ひとつ”になることができるであろう」(中略)
その夜、私は祈りを捧げるために水辺に行った。すべてが以前とまったく違って見えた。
万物が私に語りかけているようだった。日中の暑さは消え、涼しい風が私の魂を洗い流してくれた。
この文章を読んでから山を歩くときに草一本も注意して歩くようになりました。むやみやたらに枝を折ったり、草の上に座るときはそ-と座るようになりました。
最近では、アブラムシが私の手に乗ってくるようになりました。彼らが何億年も生きながらえているのは自分の命の危険性を小さいながら感じ取っているのではないかと最近、思うようになりました。昔は、あぶらむしを見つけると丸めた新聞紙で追いかけたものです。今は、追いかけないのでゆうゆうと僕の前を歩いています。
僕たちは、自然に対する畏敬の念をどこかに忘れてきているのではないでしょうか。
取り戻しましょうよ。