県立音楽堂で梅が咲いていました。
ウグイスが4,5羽いました。
いつもの朝の散歩。
朝5時に出て、今日は日本大通りに回りました。
赤煉瓦倉庫の前の広場に
ひよどりが朝のお食事
汽車道の櫻のつぼみが少しふくらんで来ました。
大岡川の櫻道に夜櫻用の用意が始まりました。
成田山横浜別院のお地蔵さん
寒かろうと耳当て
象の鼻公園に港を作った人たちのモニュメントがあります。
G・ウイット・フィ-ルド(1873-1961)
帝国大学工科大学土木科を卒業後、内務省入省。
大正10年、新設された内務省横浜土木事務所の
初代所長となった。
大正12年の関東大震災に伴う
横浜の復興工事に際して
中心的役割を担った。
R・H・ブラントン 1841-1901
明治元年、幕府の要請に基づき派遣された英国人技師。
わが国灯台建設の父であるとともに、
開港場横浜のまちづくりの先導的役割を担った。
彼が提案した横浜港築港計画が、
後のパ-マ-による
築港計画の基礎となった。
原 善三郎 1827-1899
明治初期の横浜経済界を代表する事業家で、
明治14年横浜商法会議所の初代会頭となる。
船舶修繕のための船渠(ドック)建設を計画
横浜船渠の設立に関わった。
H・S・パ-マ- 1838-1893
英国陸軍工兵将校。明治16年、政府の要請に基づき
水道計画立案のために来日した英国人技師、
横浜の財界人の要請を受けて
横浜港の改良計画を作成した。
これが国家的事業として
横浜港第一期築港計画として実施された。
三田 善太郎 1855-1929
東京大学理学部土木学科第一期生。
明治12年神奈川県に入り、
煉瓦造下水道築造等
横浜の街づくりに大きな功績を残した。
横浜港築港においては、県の工事長として
工事監督であったパ-マ-を助け
日本側の技術者の中心的役割を果たした。
恒川 柳作 1854-1914
横須賀造船所こう舎出身。横須賀造船所勤務。
ドック建設のスペシャリストとして
パ-マ-の横浜船渠計画を受け、
みなとみらい21地区に現存するドックを完成させた。
古市 公成 1854-1934
大学南校・開成学校を経てフランス留学後、
内務省土木局勤務、
後に工科大学長、内務省土木技官などを歴任した
明治土木界の巨頭。
明治31年、横浜税関拡張工事計画説明書を作成
この計画により新港ふ頭の完成により
横浜港は近代港湾として発展した。
水上 浩躬 1861-1932
市原 盛宏 1858-1915
小野 光景 1845-1919
妻木 頼黄 1859-1916
丹羽 鋤彦 1868-1955
安藝 杏一 1873-1961
有吉 忠一 1873-1947
日本大通りの銀杏はまだです。
横浜公園のチュ-リップです。
大分伸びましたね。
早咲きのところと遅咲きのところがはっきりしてきました。
紅梅が咲いていました。
池の中をゆっくりと亀が歩いていました。
banriさんの昨年の櫻本坊の奥駆けの写真を使って
僕の奥駆け修行の話を書いています。
そのうち載せます。
今日よりよりよい明日がありますように。
ありがとうございました。