おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

暮れの朝 大岡川を下って見ました。

2013-12-31 | 日記

今日は、31日。

1年間、ブログを見に来ていただきほんとうにありがとうございました。

皆さんに来て頂くことでどんなにか励みになったか知れません。

今まで、気づかなかったことが沢山ありました。

歩きながら空を見、木々の葉や花に心を和ませていました。

いまでも、花の名前も鳥の名前もあまり知りません。

でも、今までと違って花や鳥に愛情を感じて眺めています。

 

29日 昨日に続いて弘明寺から大岡川を下って見ました。

朝6時半少し前に家を出ました。

黄金町で夏みかんの実が一杯

  

  

  黄金バザ-ル

交番の上で見張りですか。ごくろうさん。

  

日の出湧水は、こんこんと流れています。

  

  

桜木町からランドマ-ク

  

横浜グランパ横浜農場が1月にオ-プンします。

  

  

  

  

  

  

  

  

象の鼻の公園に

今日は、年末の親父のお墓参りです。

  

  

山下公園

明日に続きます。

ありがとうございました。

 

 

 

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野毛山のツガルおばあちゃんありがとう。

2013-12-30 | 日記

28日 野毛山動物園に寄って見ました。

38才のフタコブラクダのツガルおばあちゃんに会いに行きました。

人間では100才を越えるそうです。

  

  

ツガルおばあちゃんは、動物功労賞をもらいました。

  

入り口は、お正月

  

  

  

レッサ-パンダはお食事中 子供たちの人気ものです。

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

何でっしょう・・・・・・?  ギョロと見ていますよ。

  

冬の朝の野毛山動物園でした。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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始めて日蓮宗の僧侶の水垢離を見て涙が出てきました。

2013-12-29 | 山伏修行

28日箱根勤行の予定で前日から準備万端。

3時に目が醒めて、風の音を聞いて何となく中止しました。

インタ-ネットで見ると箱根は雪でした。

久しぶりに伊勢山さんから臨港パ-クに。

大井橋の際の大銀杏も冬支度。

  

おはよう「お地蔵さん」

今日は、寒さも少し緩んだね。

  

このお地蔵さんは、橋のたもとの飲み屋さんのお客さんが

夢枕にお地蔵さんが現れて

「この川に埋もれているので掘り起こしてくださいと」

掘ったらこのお地蔵さんが出てきたそうです。

大岡川には、カモが沢山。

  

  

日本大通りで見つけたおなじ銘板。大臣の名前が違います。

  

一本橋の付近

  

庚台から野毛山に。

  

坂を登りきったらどこからお経の声が聞こえてきました。

付近に響きわたりました。

その声に引かれて・・・

  

この寒い朝に水垢離をされていました。

僕は、ただ立ち止まり合掌をして祈っていました。

  

1,2日前から畑田天眞如さんの本を読んでいて

僕のお経の上げ方は間違っているんではないかと思い始めていたときでした。

日蓮宗身延派経力山妙音寺。

合掌をしながら胸のアナ-ハタ・チャクラにずっしりとしたものを感じました。

お許しを得て、本堂の入り口で般若心経を唱えさせていただきました。

今までと違って体の芯から湧き出てくる感じでした。

伊勢山さんでも同じでした。

  

野毛山の貯水場には、バラが咲いていました。

  

  

  

ここから見る横浜の下町は、僕は大好きです。

  

   

窓のガラス葺き ああ怖い!

  

伊勢山さんは、お正月の準備で大忙し

  

  

  

  

丁度、朝日が差してきました。

臨港パ-ク  やはり港は心が和みます。

僕の大好きな場所のひとつです。

今日の海の水は、澄んでいました。

   

   

  

はと君は冬の日だまりを楽しんでいました。

  

久しぶりなので右足の膝を心配しました。

最後は、少し痛くなりましたが、この程度なら箱根勤行も大丈夫みたいです。

畑田天眞如さんの祈りは、このようなものなのかなあと・・・・。

今度、安部山のおばあちゃんに聞いて見よう!!

水垢離をされていた妙音寺の住職さんは、親切に声を

掛けて下さいました。

「お氣をつけて」と

僕の心の中に畑田天眞如さんが重なって歩きながら涙が出てきました。

でも素敵な雲ひとつない冬の朝でした。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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師走の赤煉瓦倉庫と象の鼻

2013-12-28 | 日記

27日暮れの押し迫った中で

市役所で耐震の相談に行きました。

帰りに、関内から赤煉瓦倉庫、象の鼻から日本大通りの散策。

寒さも一段落。

  

銀杏の葉も心細うでした。

こんな所に・・・・?

  

  

   

牛鍋の荒井屋さん

  

  

銀杏の葉も落ちる惨めですね。

  

万国橋

  

赤煉瓦倉庫  スケ-トリンク

  

  

  

こんにちは。いつもご苦労さん

  

  

日本大通りにこのような銘板があるとは気がつきませんでした。

  

  

  

横浜公園

  

遠くから見たとき何かな?

  

ありがとうございました。

串田さんの地震予報の続報はありません。

 

 

 

 

 

  

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保江先生の話で畑田天眞如さんの「命をつなぐ」からその2

2013-12-27 | 読書感想

昨日の続きです。

畑田天眞如さんの小さいころに、霊が見えた話です。

  鞍馬寺の奥の院

私の家に遊びに来る子どもの背後に、

怒った顔の人が立っていたり、

泣き顔の人がついて来たりしているのが見えました。

今思い出すと、残酷なことを言ったものだと反省していますが、

私は「この子は汚いから遊ばない」と言って、

祖父や祖母を困らせたことがよくありました。

その子白身ではなく、背後の霊の様子で「汚い」という言葉を発したのですが、

言われたほうはさぞつらかったことでしょう。

子供の言葉とはいえ、いいえ、逆に言葉を十分に使いこなせてない子供の言葉は、時には残酷なこともあります。

 私たち人間には、誰にでも霊体がついています。

祖先の霊、父方の霊、母方の霊、家系の流れによって

集まった霊……本人の言葉遣い、行動、心遣いの程度によって、

私たちを取り巻く霊体はみんな違います。

下品な言葉遣いや行動をしていると、

霊自身が学ぶために、同じ程度の霊体がつきます。

言葉の使い方をまだよく知らなかった私は、

「気味が悪い」という思いを「汚い」という表現をして、

人を傷つけたり、気を遭わせたりしたことが多くありました。

その子たちのお母さんは、私の家に遊びに来られるときは、

「汚い」という言葉をそのままの意味に受け取って、

子どもの洋服をきれいに洗濯して、さっぱりとした服装で連れて来られるようになりました。

「違うの、服装のことじゃないの」と説明しても、うまく表現できない私は、

悪いことをしているという気持ちでいっぱいでした。

 そのように、私か「汚い」と感じる霊体を連れて遊びに来られるとき、

私は具合が悪くなりました。

ひどいときには高熱を出したり、引き付けを起こすこともありました。

幼い私に、そのような浮遊霊を得心させることはまだまだできません。

すると浮遊霊は逆恨みをして、不満の心が私の身体に仕返しをするのです。

低級な霊ほど、無作法で、自分の行いを少しも反省することなく、

感情的に攻めてきます。

つまり智恵が足りないのです。

少し思いを巡らせればわかるようなこと、

たとえば、どれほど自分が迷惑をかけているか、

自分はどのような心でいるべきか……

思い巡らすゆとりのなかった人の霊体ほどそのようになりやすいのです。

大切な命、大切な家族など、如何に自分が恵まれているかに

感謝する心をもたず、些末なことにこだわって、

不足、不満の生き方をしてきた人の霊体は、

いつも私に「汚い」と感じさせ、体調を狂わせる原因になっていました。

 

畑田天眞如さんは、子供の頃から霊能力がありました。

 

母親の優しさが伝わってきます。

お腹に子供がいるときに自分の心が優しくなるようにと

努力されました。

私は現在までに六回の入退院を繰り返しました。

ほぼ五年ごとに手術を受けたのですが、

最初の入院のときは登美子が一歳と十一ヶ月でした。

私のベッドに近寄って、「私かお母ちゃんに抱っこされたときに、

お母ちゃんのお腹を蹴っていたからお腹が痛くなったんじゃないの?

お母ちゃん、ごめんね。

私を許してね。

お父ちゃんとおとなしく待っているから、

早く帰ってきてね」と顔をすり寄せ、

涙をいっぱいためて一生懸命謝ってくれた姿に、

私は胸が熱くなり、

娘を強く抱きしめて、

「そうじゃないのよ。お母さんが注意しなかったからいけないの。

あなたのせいじゃないのよ」と言って、

「自分をあまり責めないで。

お母さんが悪いのだから。

あなたたちに申し訳なくって。

本当にごめんなさいね」と謝りながら、

こんな小さな子どもにまで気を遣わせた私の不注意さに、

強く申し訳ないという気持ちになりました。

節子は節子で、

「私かお母ちゃんのお手伝いをしなかったから病気になったんだよね。

ごめんね、お母ちゃん」と、

優しい言葉をかけてくれました。

二人とも優しい言葉をかけられるようになって、

またそんな心遣いができるようになったことに、

心から感謝すると同時に、

嬉し涙が溢れてきました。

病院には二人の子どものほかに、

祖母も付き添ってくれました。

四人がそれぞれに心や気を遣いながら、

多くの学びをさせていただくことができました。

僕は、保江先生の愛魂の稽古で「愛」をこの年で学んでいます。

僕に取って愛は優しさではと思っています。

畑田天眞如さんの文章を読んでいて

その優しさを学びました。

もうひとつ。

それは神様に優しい心で祈ることを教わりました。

簡単のようで凄く難しいことです。

畑田天眞如さんの本を読んでいて、

修行で祈ることについて反省させられました。

今、漠然と体で感じrことなのですが、

上手く言葉で表せません。

明日は、寒さの中、箱根勤行で箱根湯本から三嶋大社まで。

どうしたら畑田天眞如さんの祈りが出来るのか考えて見ます。

ありがとうございました。

 

串田さんの地震予報の続報はありません。

上山明博さんの「関東大震災を予知した二人の男」を読み始めました。

作家らしく小説を読んでいるように面白い。

大森房吉博士は、明治時代に日本人として

始めてノ-ベル賞候補になったそうです。

 

 

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保江先生の話で畑田天眞如さんの「命をつなぐ」からその1

2013-12-26 | 読書感想

12月の保江先生の講演会や先生の本で

紹介された畑田天眞如阿闍梨さんの本が来ました。

夢中になって読み終えました。

ときどき黙っていても涙がで出てきました。僕は涙もろいから。

 

保江先生の話では、「安部山のおばあちゃん」で

超能力のある人とその逸話のひとつを話されていました。

でも、畑田天眞如さんの本を読んでいて先生とは違った感じを持ちました。

最初に、鞍馬山の話です。写真は、5月に鞍馬山を訪れた時のものです。

 

 私たちは親子三人の生活を始めるようになったのです。

 そのような思いに至るまでにはさまざまなことや思いの苦悩がありました。

あまりにも毎日がつらいものですから、知らず知らずのうちに私は自殺の思いにとらわれて

しまうようになったのです。

私か辛抱すればするほど、みんなを苦しめるのではないか?

私さえいなくなれば、義父母も親戚も、主人の味方をしてくれるのではないか?

と思ったのです。

かわいいお地蔵さん

その思いにばかりとらわれて、それ以外のことは考えられなくなり、

とうとう、主人には阿部山に行くと嘘を言って、節子を連れて京都の鞍馬山に登りました。

自殺をするつもりの私は、二週間飲まず食わずでしたが、

驚いたことに、母乳は溢れるほどよく出るのです。

たくさん母乳を飲んだ節子は機嫌もよく、無邪気に笑って、

私の心を和らげ、安らぎすら与えてくれました。

 十四日目の明け方、

「馬鹿者、親の心がわからぬかツー」という大きな声に驚いて、座り直して声のするほうを見上げました。

すると、大きな男の方が立って私たちを見下ろしていたのです。

その方は「明日の朝もう一度姿を現すから、筆と紙を用意して持て」とだけ言われて、お姿を消されました。

 私は何か何やらわからないまま、紙と筆を借りるために、

道なき道をどのように進んだか覚えていませんが、

なんとか鞍馬寺にたどり着きました。

こんな道を暗い中歩いたのでしょうね。

そこで私の話を聞いてくれた方が管長様とはわからず、

ご挨拶させていただいた後、

半紙と筆をいただいて引き返してきました。

その日一日は落ち着かず、ただおろおろとして日を過ごしました。

 私は約束の刻限になるのを恐る恐る待っていると、

「予は魔王尊(サナートークマラ)なるぞ」という声が聞こえました。

私は節子の体を抱きしめて、ひれ伏していました。

魔王尊は、「神は必要な人間か、そうでない人間か、いろいろの苦労を与えてみるものだ。

そのような親心がわからぬか?なんでも自分で生きているように思っておるが、よく考えてみよ」と言われて、

半紙二十枚くらいに書き留められる教えを私に語っていただきました。

私はひと言も聞き逃すまいと、半紙に書き留めました。

伝え終わると、魔王尊はそのままお姿を消されました。

お姿が見えなくなった後も、とてもこの世のものとは思えない香りが漂って、

まるで夢の中にいるような感覚でした。

本殿です。

ありかたくて、もったいなくて、身体中が震えてしばらくは身動きもできませんでした

「神は常にわがそばにいてくださる」。

私の思いは、間違ってはいなかった。祖母が常々、

「『天知る、地知る、人知る、我知る』と言っているように、自分のすることは、

いつも見てくれている人がいる、聞いている人もいる、思ってくれ、

支えて助けてくれる人がいる。

だから、自分は言葉を知っているから何を言ってもいい、何をしても

よいということではないよ。

相手の心に痛いこと、つらいこと、言われたり聞かれたり

嬉しくない言葉は使ってはいけない。

必ず自分に返ってくるから。

それもいちばん困っているときほど重なって返ってくるものだから、

余計につらい思いをするようになるんだよ。

だから言ったり尋ねたりしてはいけない。

悪いことと知らなくてすることだって、

私たちはたくさんしているのだから。

それでも生きることを許されているのだから、ありがたいだろう?」

 祖母は、何かあっても明るい笑顔で過ごし、

私たちにお手本を見せてくれていた人でした。

このように考えてみると、

私はすてきな人たちに恵まれ、育てられたと感謝しています。

畑田天眞如さんは、継母に罵倒暴言を浴びせられながら

それは、神様が自分に試練を与えていると考え、修行として自分を磨いて行きました。

 

その話の一つです。

私のお腹も順調に大きくなって、予定日近くになった十月の末のことです。

大きな芋をいっぱい詰めた荷物をかついで、畑から家まで帰るとき、

お腹が下がってきて荷物がかつげなくなり、

山道にさしかかったときに腹帯を締め直して、

その後また荷物をかつぎ直して家に戻ったのです。

すると義母から、「子どもが産まれたのかと思った。

えらく時間がかかったなあ」と皮肉を言われました。

道ですれ違う人たちでも、

「その身体で重い荷を担ぐなんて。気をつけて帰りなさいよ。

無理したらいけないよ」と優しく声をかけてくれたのに、

と不足の心がチラッと浮かんだのですが、

私はすぐに「いけない、いけない。お腹の子が泣き虫になったらかわいそうだ。

パワ-スポットの強い場所

私か明るくしなくては」と思い直して、

「お義母さん。道で産まれなくてよかったです。

産まれたら困りますもの」と、笑って返しました。

笑いながらも、今を不足に思わない、

ほかのことは考えないと心の中で繰り返しました。

 私の出産予定日は十一月二十三日でしたが、

前日の二十二日に、義父母、主人の上の妹、義母の妹の四人が、

五泊六日の予定で京都見物に出かけてしまいました。

私は不安感をもてば赤ちゃんに影響するから、

あまり心配しないようにし、休みをもらった主人と出産準備をして待っていたのですが、

五日経っても産まれません。

予定日が問違いだったのだろうと思っていたとき、

義父母たちが帰ってきて、

「まだ産まれてないの? もう産まれただろうと思っていたのに」と言われたときは、

怖ろしささえ感じました。

階段を上って行くと正面に

そして密かに、自分一人でも立派に産んでみせるという覚悟をしました。

 出産予定日を過ぎて、お腹は痛いし、出血もするのですが、

なかなか陣痛が起きず、苦しい思いをしました。

義父は「餅を作る頃には産まれるだろう」と言ってくれたのですが、

義母からは「正月に産まれたら旅行にも行かれないし、赤ん坊は泣くしで、

うるさい正月になってしまう」などと嫌みを言われました。

 十二月二十七日頃から痛みが激しくなり、主人が心配してオロオロしながら義母に

「大丈夫だろうか?」と尋ねると、

「何も慌てることはない。産まれるときには産まれるのだから」と、取り合ってもらえませんでした。

 十二月三十一日、まさに大晦日の夜十時頃、

お腹が激しく痛みだしたので、主人に産婆さんを呼びに行ってもらいました。

痛みに耐えている私の耳に、「慌てて自転車に反対向きに乗ってしまった!」という

主人の大きな声が聞こえ、一生懸命の主人の声が私への励ましのように聞こえ、

私はそんな中で、産まれてくる子どもの幸せと、

どのようなことがあってもこの子が成人するまでは生かせていただきたいと、一心に

祈りました。

 

是非、この本を読んで見てください。

僕も畑田さんに競べたら大した事でもないのに

腹を立て、なぜ腹がたつのだろうかと考え、

神様が僕に何かを語りかけているのではと思ってしまいます。

そしてこの年で、優しい笑顔でいられるようにと・・・・・・。

箱根勤行や奥駆けが終わると顔が優しくなるのを感じています。

 鞍馬山の奥の院です。

今年の初めから仕事のことで、意見の相違からグル-プから離脱しました。

でも新しいことが次から次と、やって来てその渦中に埋もれないで済んでいます。

昨日も埼玉の古い友人から電話があり

「どうしたの? 何か助けることがあったら遠慮無く言ってよ」と

僕を育てて頂いた先生から話を聞いたとのことでした。

昔の仲間達は、どうしたんだと心配して頂きました。

話に尾ひれが付いて東京を越えて埼玉まで・・・・。

でもほんとうにありがたいものですね。

その一言がどんなに励みになるか知れません。

また、横浜を飛び出し大阪からの僕の技術の援助を依頼されました。

僕一人で出来ないときに、助けてねとお願いしました。

百万の味方が、現れてくれました。

一抹の不安のなかで、大阪のことや古い友人からの電話など

神様からのお恵みなのだと感じています。

中華街龍起さんで、教わりました。

悩んで霊能者に頼るのではなく、

神様を祈ることが一番大切だと。

畑田天眞如さんもいつも神様を祈っていました。

早速、1月には、櫻本螺声会の新年会で吉野まで。

役行者さんに会えるのを楽しみに!

 

この本を読んでいて

神様の試練を真剣に受け止めると自然に道が開けてくることを教えてくれました。

涙もろい僕は、何回か涙を流しました。

素敵な本ですよ。

こんど、畑田のおばあちゃんに会いに行こう!

 

明日は、感動した部分を紹介します。

僕は、年末になると何冊か本を買い込みます。

早速、2冊は読み終わりました。

ありがとうございました。

 

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少し早いけどお腹の御用納めの天富さんあなご天丼

2013-12-25 | 日記

24日はクリスマスイブ

朝から孫にクリスマスプレゼントを渡して

午前中にマンションの理事会に仕事の報告。

横浜駅を通り越して関内。

今年のお腹の御用納めに、天富さんのあなご天丼。

  

天富さんには、いつもお花が飾ってあります。素敵ですね。

  

  調理場の後です。

  

こんにちは、今年もありがとう。1年間ごくろうさん。

  

ご主人と穴子の話で花が咲きました。

今日の穴子は、長崎産。

小柴の穴子は、最近上がらなくなったそうです。

穴子は、生きたものを調理します。

安い穴子は、開いて調理済みなので、生臭くなるそうです。

天麩羅は新鮮が命。

吉原の土手の穴子の天丼は美味しいとか。

食べ終わって、何か心が和らぐ気持ちがしました。

来年もこの感覚を大切にしなければと・・・・・

ごちそうさまでした。

  

馬車道を少し散策

  

  

ショウウインドウは、クリスマス。

  

  

関内ホ-ルの横の歩道

  

  

馬車道

  

  

トラフグは美味しそう!!

  

  

もう しめ飾り

  

丁度、冬の剪定の最中でした。ごくろうさん。

  

横浜の中心街を歩いていて何となくのんびりとしていました。

銀杏の葉も残り惜しそうに風に揺らいでいました。

もう少し経つと、1本の木に葉が2,3枚になります。

最後まで君たちはがんばっているのだねといつも声を掛けます。

今日は、まだ早いようです。

暮れの一日でした。

穴子の美味しさが、いつまでも心の奥底に残っていました。

ありがとうございました。

 

 

 

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暮れの馬喰町問屋街は静かでした

2013-12-24 | 日記

12月21日は、新しい仕事で馬喰町の建物調査。

暮れの朝の馬喰町は、いつもの賑わいはありませんでした。

  

  

冬物も新柄

  

  

  

街路樹の葉が黄色くなりやさしい冬の日差しを受けていました。

  

  

ランドセルのお店

  

  

新春売り出しの予告

  

  

暮れの一日の馬喰町問屋街でした。

何となくさびしい感じがしました。

ありがとうございました。

 

 

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東京オペラシテイの54Fから。よく晴れていました。

2013-12-23 | 日記

22日午後、東京オペラシテイの54階にいました。

冬の一日、晴れたすばらしい日でした。

富士山も雪をかぶった南アルプスも

君津の工場の煙突も房総半島。

スカイツリ-と東京タワ-も並んで見えました。

ふと下を見ると、秋も終わって静かにたたずむ新宿御苑は静かさが漂っていました。

初台駅を上がってくるとクリスマスツリ-が迎えてくれました。

  

ちょっと付近を散策。

となりのNTTのビルは?

グ-グルで見ると屋上は庭園。

でも回りのお庭はいいですね。

  

  

  

ちょっと見上げると新宿の高層ビル群。

いつもと違ったアングルでした。

  

  

 

プロムナ-ドから

  

オペラシテイのエレベ-タ-ホ-ル

  

高層棟の54階から。

お昼時、東天紅で1時間待ちとか。

  

富士山から南アルプスまで。

  

  

東京の下町を上から見るときれいですね。

でもこの静かさは何なのだろうか。

僕は、賑やかな下町の雑踏が大好きです。

  

  

夕方になり日が陰り始まりました。

もうじき、今日も一日終わるのだ。

この年で、元気でこの素晴らしい景色を神様が見せて下さったことは

ありがたいと思う。

今朝から迫登茂子さんの「神のささやき」を読み始めました。

82才のおばあちゃんです。

その心が伝わってくるのでしょう。

この空の下で病で苦しんでいる人たちのことを思うと

迫先生の言葉が、心に響いてきます。

先月、迫先生の「十一日会」に行こうと思いましたが

何となく躊躇しましたが来月には・・・・・。

  

  

  

今日もありがとう。

幸せな楽しい一日でした。

自分が楽しい心で満ちていると自然と人たちの中に

その幸わせが広まって行くことを祈りながら・・・・・・・。

クリスマスツリ-もナイトドレスを着てお出ましでした。

   

ありがとうございました。

 

  

 

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横浜弘明寺のクリスマス?

2013-12-22 | 日記

弘明寺の町からクリスマスを探して夜空のもと歩きました。

20日の夜、寒い気温5度

  

  

  

  

  

  

  

弘明寺商店街

  

  

  

夜の八百屋さん

  

  

  

師走の一時でした。

ありがとうございました。

 

 

 

 

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保江先生の「道と武道」の講演会が12月15日にありました。その3

2013-12-21 | 冠光寺眞法

昨日のつづきです。

道家という人が、戦前には沢山いた。

憑依した人を清めたり、神様を降ろしてくることが出来る人。

戦後は、組織化して吉田道だけになったそうです。

 

その1 安部山のばあさんの話。

畑田天眞如さん・・・・通称「安部山のばあさん」

保江先生の古くからのUFO仲間が、

娘のことで超能力者を紹介して欲しいと来られた話や

四国のお寺の住職さんと安部山に行った話。

先生の本に書かれていることです。

 

その2 すもうの神事の話。

始めて聞きました。

神官が、神降ろしを行い、

巫女さんに投げ飛ばされれば神様が降りて来た証拠であること。

それを境内での形が、相撲の原型である。

身を清めて自我を無くして闘うところに

ほのぼのとしたものが見るものに伝わってくると。

その3 先生の大腸ガンの手術時の話

ストレッチャ-に載せられて前後に2人で、

横に看護婦さんが手を握って力つけてくれた。

でも後で聞いたら4人だけで誰もいなかったと。

 

神様が下りて来る話でした。

「おみち」「十字を切る」「のりと」「エクソシスト」などいろいろな話で

あっという間に3時間でした。

でも文章にしようとすると僕には、難しすぎてななかなか書けませんでした。

懇親会の最後に、

保江先生は、これから青森まで話を聞きに行かれるとのこと。

その方が、UFOのいろいろな本を読んだが、保江先生が真実を語っているとか。

○○のリンゴは、宇宙人に教わったのでは・・・・・・・?

1月の講演会でどういう話が聞けるか楽しみです。

ありがとうございました。

 

 

 

 

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保江先生の「道と武道」の講演会が12月15日にありました。その2

2013-12-20 | 冠光寺眞法

昨日のつづきです。

 懇親会で。

道と武道の話では、自我を無くしたときに

神様が下りて来る話です。

 その中で印象に残った話のひとつです。

昨日にも書きましたが、畑田天眞如さんがギリシャを訪れた時の話です。

オリンピックの競技場の見学で一人のガイドさんが現れました。

競技場の両端に小さい小部屋があって、

これから闘う二人は、その中で瞑想して自我が無くなったことを

神官が認めたときに、試合が行われたそうです。

その試合に観客は感動したしたそうです。

相撲でも名勝負と言われるものは、勝ち負けを度外視して

神事として闘う相撲だそうです。

畑田天眞如さん達は、ガイドさにお礼を言いたくて

探したのですが見当たりませんでした。

受け付けて、聞きました。

「あなた達だけで他に誰もいませんでしたよ」と。

天眞如さんは、不思議なことを沢山経験をしています。

 

保江先生は、この講演の前日に畑田天眞如さんに逢うとは

みじんにも思ってはいなかったそうです。

そして、まさに今日の講演での話す内容の示唆を与えられようとは・・・・。

 

僕にも、今になって神様が下りて来たのかなということが

昨年の5月連休にありました。

ホロトロピック・ネット-ワ-クのビィジョン・クエストでした。

そのワ-クでご一緒した藤田圭子さんが、断食会にふらりと来られて

久しぶりに手を取り合って話をしました。

「まだビョジョン・クエストの影響が起きているのよ」と。

そういえば、僕も保江先生や木下会長の合氣道の稽古に通ったり、

新しい仕事が広がったりしています。

来年には新しい活動が始まりそうです。

今の僕の気持ちは、焦らずに淡々としていることだと思っています。

出来るだけ、寝る前に中先生から教わった気功と

高岡さんのゆるゆる体操を行い、時々瞑想を・・・・。

 

過去のブログから、神様が下りて来た話を再掲します。

僕にとっては、神様は役行者さんですが。

  今年の戸開けから

ビジョン・クエストと修験道 その2

山が鳴るということを体で初めて知った。
「ゴ-ゴ-」と止むことなく吠え続ける。

 月参りで箱根湯本から箱根峠を越えて
三嶋大社まで歩いていることの経験が
どんなに自分を励ましていることかを感じた。
奥駆修行で学んだことだが、
苦しいとき精神的に参ってしまうと
体にどっと疲れが出てくる。

ひろさちやの「諸行無常を生きる」の中で
禅問答のひとつに「洞山無寒暑」の
公案の話が出てくるが、
風と雨と恐怖の中で次の言葉を思い出した。

「寒いときにはおまえさんが寒さ
そのものになりきる、
暑いときはおまえさんが
暑さそのものになりきる。
それが無寒暑の処だ」を
思い出して自分が風や雨になりきったときに
「ゴ-」と言う山鳴りが少し怖くなくなった。

過去の奥駆修行で熱中症に罹らないようにと
知識を詰め込み結果的にそのるつぼ嵌り込んでしまった。

「ヴィジョン」の中で、
サバイバルの訓練の話が書かれている。
「グランドファ-ザ-は、
一族の人々から遠く離れ、
焼け付くような砂漠や凍り付く雪のなかや
深い森の中でサバイバルの技術を学んでいる。
飢えに襲われ風雨にさらされて、
普通であれば当然弱っているときも、
彼は活気にあふれていた。
そして彼自身が完璧な注意力のかたまりになり、
数キロ先で鳥の羽が落ちても
わかると言われるほどだった。」と。

私たちが、道を歩くときは
すぐ前しか注意を払っていない。
実は、目には180度の範囲で情報が入ってきている。
まわりの情報を出来るだけ取り入れる訓練をしてきた。
すると今まで見えなかったものが見えるようになる。
「ヴィジョン」の中で教わったことである。

吉野に下る道で常に周囲を注意深く見る。
草花が風にどう戦っているのか、
風に揺れる木立、
雨水の溜まった水たまり、
若芽が息吹く草木など
ひとつひとつ見ている内に、
恐怖が薄らいでゆくのを感じた。
バイケイ草の鮮やかなもえぎ色に気づいた。
5年前、最初に大峯山山上に登って
小雨の中に五番関を下ったとき見たこともない
鮮やかな緑にびっくりしたが、
いままた強風のなかにその緑に会えた。

天井ケ岳を下って、
二蔵宿小屋の煙突から煙が見えたとき
「あ-着いた」とひと安心。
小屋には、昨夜からの雨と風で待避していた
若い人と中年の登山者でした。
水を分けて貰い、
紅茶オレを沸かして
京都で買ったフランスパンで昼食。
水のお礼に山伏の手当のひとつで
腰痛と肩こりのツボを伝授。
中年の登山者は、
ツボを押すとびっくりするほど痛がる。
やはり腰痛で悩んでいるとか。

山上からハイテクの下着で
寒さ知らずに下りてきたが、
20分ほど休憩して外に出たら
悪寒が走り、歯がガクガクなり始めた。
これはいかんと、
体を温めるために小走りを始めた。

先月、箱根勤行で
上り下りを小走りで走り続けることを初めて行った。
前日にヘミシンクCDの「Vision Quest」を聞いて
ネイティヴ・アメリカンのドラムのリズムで
走るといつもより長く走れることを知った。

大地にしっかりと感謝の気持ちで
一歩一歩踏み混んでゆくと
大地とひとつになり、
長く走れることが分かった。
早速、あのドラムの音を
心の底に感じながらしっかりと
大地に足を踏み込んで吉野へ下った。

もし、昨年までの僕だったら
恐怖で打ちのめされて
疲労困憊になっていたかも知れなかった。
 
 いつもの1.5倍の時間が
かかったたが櫻本坊にたどり着いた。
ふと足を見ると
地下足袋の小指の血豆がつぶれて血が滲んでいる。
痛さを感じない。

脳内ホルモンで
疲れを知らず痛さも感じずに櫻本坊の門をくぐった。
本尊の役行者様に
「何んでこんなバカげたことをして」と
怒られるのかと少し心配したが、
いつもの笑顔でほっとした。

登山のル-ルでは、
風雨の中で単独登山は
認められないことを十分に分かっていながら
行動してしまう自分に呆れている。
サバイバルを学ぶことは、
厳しい自然のなかでこそ
学べるのではないのではないだろうか。

恐怖に立ち向かうには、
その恐怖を体で感じて
初めて乗り越えられるのではないかと思っている。

修験道では、西の覗きや平等岩の行場で恐怖の体験をする。
でもその体験は頭で考える恐怖で
体ではない。

小石に書く良い梵字はないかと、
院主さんの奥様にお尋ねしたら、
「オ-ム」の梵字が良いと筆順も併せて教わり、
京都のホテルで拾ってきた小石に
ひとつひとつ心を込めて書き込んだ。

 雨と風の中での長時間の恐怖が、
自分の身を切り刻んでいたのだろう。
興奮しているわけでもないのに眠れない。
結局、その夜は、2,3時間しか眠れなかった。

 横浜平和公園のもみじ

ありがとうございました。

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保江先生の「道と武道」の講演会が12月15日にありました。その1

2013-12-19 | 冠光寺眞法

15日12時半から愛魂の稽古

いつもの通りストレッチから始まり、

愛魂修練技から始まりました。

  

今回、中健次朗さんの気功教室で

サイマ-さんの米国でのワ-クを受けて来られた

お二人から愛を少し分けていただき試して見ました。

やはり「ほあとした暖かみ」を感じたそうです。

勿論、技は掛かりました。

休み時間の最初に

座り技の愛魂上げを、今日始めて入門された

男性にお願いしました。

秘伝で勉強した技のかけ方をお教えしました。

最初は、愛であげようとしてなかなか上がりません。

 最初は、少しコツを掴んで少しでも上げて

自信をつけて行くことを話しました。

神戸道場のブログでの浜口さんの影響だと思います。

最後の方で、その技を使わないで

上げて見たら出来ました。

保江先生が回って愛を皆さんに注いだそうです。

そうなんだと納得。

始めてできました。うれしかった。

愛魂起こしでは、女性の方でした。

起こす時だけ愛を包み込むのではなく

寝かすときにも方に手を掛けて優しく

寝かしてあげることが必要ですよと話しました。

保江先生が言われるようにそのときだけの相手に対しての愛だけでなく

世界に広がって愛を表すことでも起きますよと。

終わって、四ッ谷のにんげんくらぶの会場まで。

  

四ツ谷駅はしゃれていますね。

   

イグナチオ教会

  

話が長くなりますので明日に、「道と武道」の話を書きます。

前日の土曜日ににんげんくらぶのイベントがありました。

保江先生と飛鳥さんの話だったので聞きたかったのですが、

満席でした。

保江先生は、講演が終わって懇親会まで4時間ほど時間があったので

原稿を書こうと場所をさがしている内に

浜松町まで来てしまいました。

ばったりと畑田天眞如さんに偶然にあったそうです。

「阿部山のおばあちゃん」には・・・・・。

畑田さんい相談する人と一緒にその場に居合わせてしまったそうです。

畑田天眞如さん

 昭和元年1月24日岡山県岡山市生まれ。

昭和17年岡山県浅口市鴨方町阿部山に入植。

昭和24年6月京都・鞍馬山にて修行。

昭和49年魔王尊より「天眞如」の称名を賜る。

昭和50年鞍馬寺にて教導師に任命され、インド仏跡巡拝。

昭和55年得度して畑田泰聖を名乗る。

昭和56年京都・醍醐寺にて伝法潅頂を受けて阿闍梨となる。

昭和60年道場焼失、神道の研鑽を始める。昭和63年中医学を学び始める。

平成11年4月天社土御門神道本庁より泰山府君御分霊御奉祀之神事を斎行するに当たり、

陰陽大允の位を授かる。

平成13年皇言霊学の研究に入る。

現在、天眞如教苑苑主であり、地球安泰、

国家繁栄のため、時間をつくっては日本各地はもちろん、

世界各地を鎮魂のため歴訪。

「自分で健康を作る会」を主宰してきたが、

81歳を期に「自分で人間を創る会」を発足、

積極的に現代を生きぬく方法を「根元とは何か?人間としてどうあるべきか?」を

主に考えて啓蒙活動に東奔西走の毎日である(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

明日に続きます。

ありがとうございました。 


 

 

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新大久保 韓国通りを歩いて見ました。

2013-12-18 | 旅行

12月12日大久保のスポ-ツセンタ-でホロトロピック主催の

中健次朗先生の気功の勉強会がありました。

その前に、以前から行きたかった新大久保の韓国通りでした。

びっくりしたのは、焼き肉料理や韓国家庭料理店の多いこと。

それに安い!

  

  

  

  

化粧品のお店も多いですね。

韓国有名俳優の品々

  

  

  

  

  

  

  

  

  

占いも・・・・・・・・

  

  

不動産屋さんも韓国語

  

  

途中で柚子茶を飲みました。400円

100円プラスするとお菓子付き。

  

横浜中華街の韓国バ-ジョン

でもお店は活気が溢れていました。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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中健次朗さんの気功とサイマ-さんの話 その2。

2013-12-17 | 日記

昨日のつづきです。

「周身過」を勉強しました。

腰ににぎりコブシを当てて構えて行います。

腰骨と肋骨の間に両手握りコブシで内側に押します。

次に、丹田を膨らまさせます。

丹田に気が溜まります。

休憩時間に中国の仙人の写真を見せていただきました。

超人ばかりです。

サイマ-さんは1日15分しか寝ません。

人間の意識は、科学的と考えられていることを越えてしまいます。

懇親会で中先生は、空中浮揚するネパ-ルの聖者のビデオを見せてくださいました。

皆さんで見ていてこれは本物だと意見が一致しました。

http://www.youtube.com/watch?v=SnLj8DMqaC8

 ぜひ見てください。

日本人としては、成瀬雅春さんが行っています。

京都造形芸術大学教授 渡辺豊和さんの

「失われたアトランテイスの魔術」のなかで現代の技術を用いても

ピラミッドを作ることができないと書かれています。

渡辺教授は、反重力の技術を使ったのではないかと。

この本のなかに「ピラミッド遊び」が書かれています。

何か共通するものがあるのかも知れません。

サイマ-さんのワ-クでサイマ-さんの腕とある方の腕を付けたとき

その方に全身にエネルギ-が伝わり全身の経絡がしびれたそうです。

今の日本人は、男性性と女性性が欠けているそうです。

同じパタ-ンの中で生活しておりそれから抜け出ることが怖くて出来ないようです。

自己催眠状態だそうです。

休憩時間で、齊さんと女性の方と話しているときに

合気道で教わったことを試して見ました。

齊んに「片手とり首投げ」の技を掛けました。

勿論、倒すことまでは行わないで「愛魂」が掛かることまでです。

簡単に技が掛かりました。

こんなにも違うものかとびっくりしました。

女性の方にお願いしました。

まず最初に、真っ直ぐに伸ばした片手を内側に曲げます。

次にがんばって貰って曲げられないようにします。

つぎに、真っ直ぐにした腕を宙に浮くように力をいれない状態にします。

ただ、自分の体から気が腕をとおして指先まで、

そして宇宙に広がってゆくイメ-ジをしていただきました。

棒のように曲がりません。曲げられる方も自分で力を入れていないの曲がりません。

自分でもびっくりしていました。

思った通り、気の勉強をしている最中なので自然に気が出てくるのですね。

中先生は、指1本でもたれた方は、後に簡単に倒れます。

  

最後にクワシャ療法です。

 少し長くなりますが、中先生の書かれた説明書からです。

水牛の角や硬石(ベンセキ)のへらで皮膚をこすり自然治癒力を高める療法をクワシヤ

療法といいます。この療法は他人に施すことも出来ますし、手の届く範囲であれば自分自

身でやることもできます。水牛の角は、気が通りやすく、材質そのものに解毒作用もあり

ます。硬石は癒し効果のある波動の高い特殊な石でできており、遠赤外線を発し、エネル

ギーを補う効果もあります。このクワシヤ療法により、気の滞りや疹血(血液の毒素)が

取り除かれ、体内に貯まった老廃物が抜けて、末梢の血液循環が良くなります。首一肩・

腰・ひざ等痛みのある患部や凝っているところを、少し圧をかけてこすると痛みや凝りが

軽減します。こすった部位が発赤したり、赤い点が皮膚の下からブツブツと浮き上がって

きたりしますがこれは邪気(病を作りだすエネルギー)が出ていく良い反応で、3~7日間

で消失しますのでご心配いりません。同じ場所に再度クワシヤ療法をする場合は、消失後

に行ってください。なお、発赤等何も反応が出なくても効果がありますので、無理にこす

って皮膚を破らないように注意してください。ただ撫でるようにやさしくこするだけとか、

コリコリ強くこするのではなく、あくまでへらを通じて自分の正気を通すっもりでこすっ

てください。ところによっては少し痛く感じることもありますが、あとですっきりし、軽

くなり温かくなることが多いです。

 心のストレス解消には、背骨のすぐ際を上から下に向けてこすったり、胸を内側から外

側に向けてこすったりするとよいでしょう。また、前頭部の髪の生え際から後頭部に向け

てこすると精神的な疲れがとれます。頭頂部を中心にして周りに放射線状にこすっても血

圧が安定しますし、頭痛や頭のもやもや感もなくなります。胃や肝臓など疲れている臓器

の上を直接こすっても効果がありますが、できればその裏側にあたる背中の部位もこすっ

てください。その臓器のツボがあり内蔵が丈夫になります。首の後ろをこすると首が軽く

なるだけでなく、目もすっきりし、いつもより明るく見えるようになります。また、脳血

管障害の予防にもつながります。脚にむくみがある場合は、むくんでいる場所を下から上

に向かってこすり上げると効果的です。顔は下から上に弧を描くようにしてこすってくだ

さい。リフトアップして小顔になり、皺やしみも少なくなります。ほうれい線もうすくな

っていくことでしょう。顔は軽くこする分には発赤しませんのでご安心下さい。

 中国伝統医学には、不足した気を補う「補法」と、余分な気を捨てる「潟法」がありま

す。クワシヤ療法では、「補法」は経絡の流れに沿ってゆっくりとこすり、「潟法」は経絡

の流れと逆方向に速めにこすります。普通は、極端に虚弱体質でない場合、その中間の「平

袖平潟」でやると良いでしょう。その場合は、経絡の流れに関係なく、どの方向にこすっ

ても問題ありません。いずれにしても心身ともにリラックスしてやることが大切です。

 このクワシヤ療法は、アロマオイル等の油を体に薄く塗ってからやります。頭は塗りま

せんが、一滴、頭頂に垂らしてから行うと良いでしょう。クワシヤ療法を行った日は、で

きれば入浴は止めてください。なお食事の前後一時間は施術を避けてください。夜寝る前

にアロマオイルを足の裏に薄く塗り、軽くこすってからお休みになると全身の疲れがとれ、

熟睡しやすいと思います。お試し下さい。なお、水牛の角や硬石のへらは、石けんで水洗

いしてもかまいません。クワシヤ療法をやる方もやられる方も気功で気を高め、体に気が

満ちてくればさらに効果が高まります。

天外さんの背中です。

 

誰かの背中です。?

今回のセミナ-は、気功では、「馴虎帰田」「観音沐浴」「周身過」でした。

僕は、今回半分はサイマ-さんの話を楽しみにしていました。

あっという間の4時間でした。

懇親会では、空中浮遊のyoutubeを見せて頂き素晴らしかった。

もうひとつ得したことは、齊さんと臨床士さんにハグさせていただき

サイマ-さんの愛の片鱗を体で感じたことです。

早速、保江先生の愛魂で試して見ようと思っています。

中先生、ありがとうございました。

楽しいわくわくした一時でした。

 

 

 

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