6時間熟睡し、目覚めたらちょっと寒かった(14.3℃)。
そういえば最近、四か月間寝かせておいた(?)小説を再び書いている。
物語というのはブログと違う表現手段であるが、別に自分の思想を表現するための道具でもない。
しかし結構そういう色は自然に出るもので、物語全体が自分の人生・経験の「反復」になっていたりする。
完全なフィクション・絵空事では説得力もないし、昔と違って、書いていて面白味を感じなくなった。
ノンフィクションが一番だが、生きにくくなるので(有名になれば)、脚色、脚色、で叙述していくわけである。
それでも、テーマや内容が吾輩の土俵?なので、このブログを読んでいる方は「が書いたのでは?」とすぐに判明するわけである(自意識過剰か)。
まあ、物語を書くというのも、ブログや日記を書くのと同じように、当時の心境を鏡のように映し出しているので後々の「反復の材料」になるには違いない。
実際にこれまでも未完の作品?が何本もあり、虚しいわけであるが、それでもそれを読めば当時の様子がふつふつと思い起こされたりして、ある意味、日記よりも格段に効果的である。
勝手に熱中していた時期というのは、案外、空白を感じたりするのだわい(痛みほど記憶に残ります)
そういえば最近、四か月間寝かせておいた(?)小説を再び書いている。
物語というのはブログと違う表現手段であるが、別に自分の思想を表現するための道具でもない。
しかし結構そういう色は自然に出るもので、物語全体が自分の人生・経験の「反復」になっていたりする。
完全なフィクション・絵空事では説得力もないし、昔と違って、書いていて面白味を感じなくなった。
ノンフィクションが一番だが、生きにくくなるので(有名になれば)、脚色、脚色、で叙述していくわけである。
それでも、テーマや内容が吾輩の土俵?なので、このブログを読んでいる方は「が書いたのでは?」とすぐに判明するわけである(自意識過剰か)。
まあ、物語を書くというのも、ブログや日記を書くのと同じように、当時の心境を鏡のように映し出しているので後々の「反復の材料」になるには違いない。
実際にこれまでも未完の作品?が何本もあり、虚しいわけであるが、それでもそれを読めば当時の様子がふつふつと思い起こされたりして、ある意味、日記よりも格段に効果的である。
勝手に熱中していた時期というのは、案外、空白を感じたりするのだわい(痛みほど記憶に残ります)